去年は「観ていて辛かったもの」がありましたが、 今年はそんなことはありませんでした。 間違えなくどの学校も楽しめました。 その中で敢えて面白い順に並べてみると次のようになります。
| 順 | 高校名 | 演目 | 結果 | 個人的なコメント |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 太田東 | 君とともに。 | 創作脚本賞 | とにかく面白かった |
| 2 | 桐生南 | 本日も大安なり | 演劇の基本要素が詰まっていたと思う | |
| 3 | 伊勢崎工業 | 酔・待・草(よいまちぐさ) | 最優秀賞 | 掛け合いや劇としての面白さはさすが |
| 3 | 共愛学園 | ばななな夜 〜Banana ん Night〜 | 優秀賞 | よく出来ていて沢山笑わせてもらいました |
次に演劇としての完成度が高かった順にならべてみます。
| 順 | 高校名 | 演目 | 結果 | 個人的なコメント |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 伊勢崎工業 | 酔・待・草(よいまちぐさ) | 最優秀賞 | 完成度としてはダントツ。他校は比較にならない。 |
| 2 | 共愛学園 | ばななな夜 〜Banana ん Night〜 | 優秀賞 | さすがは常連校。確実に作り込んで仕上げています。 |
| 3 | 桐生第一 | ジャンヌ | 優秀賞(次点校) | 完成度+舞台美術としてのこだわり。 |
| 3 | 高崎女子 | 1/2 | 純粋な完成度としては桐生第一と同位または少し上。 | |
| (以下番外) | ||||
| 新島学園 | BANKA 2004 | スライドを使ってしまった点の他、多少荒さがあり | ||
| 太田東高校 | 君とともに。 | 創作脚本賞 | 話は面白いが演技に多少不安あり | |
| 桐生南 | 本日も大安なり | 演技に結構不安あり | ||
この順番は全くの個人的主観(好み)によるものですが、 それでも本県における受賞校(上位入賞校)は 「話の面白さ、観て居てたときの純粋な面白さ」よりも 演劇としての完成度が(最)優先されることが分かります(注:別段悪いことではありません)。
そういえば気のせいかもしれませんが、 上位入賞校ほど講評での時間が長く多くのコメントが付いた感じがします。 もしかして、ブロック大会行く前に「直してほしい」ということなのでしょうか?
二日間ずっと観ていて、 各校とも共通した問題点のようなものを漠然と感じました。
一つには「演出」というものを捉え間違えてる、 または理解が不足しているのではないかということです。 おそらく「その場面、その場面をどのように作っていくか」という側面でのみ 演出を捉えているのではないかと思われます。 例えて言うならば木を見て森を見ず、でしょうか。
物書きはお話を書くとき、全体の大まかな流れを決めてから細部を決めていきます。 同様に、演出とは全体としてどうみせるか、 例えば「悲しい」「怖い」「家族愛」……などのテーマを決め、 その具体的な方法論「とにかく掛け合いで楽しませよう」とか、 「どこまでも美しくみせよう」とか、 「適度に笑わせつつテーマをぶつけよう」など大枠を先に決め、 その上で細部(各シーンの魅せ方)を突き詰め、各所の演技を決めていく作業です。 それをせずに各部(各シーン)の演技という側面だけで演出を捉えると、 全体として散漫な(まとまりのない)印象となったり、 各シーンの形だけの演技になったり、 全体を通してテンポの変化がなかったりしてしまいます。
もちろん全員でアイデアを出し合って演技を付けていくことは大切です。 「演出:○○演劇部」というのは、まさにそれを示しているのでしょう。 しかしこの方法にのみに頼ることは問題が大きい。 演出する人間は、あくまで魅せることにこだわって、 一歩(も二歩も)引いた視点から劇全体を眺める必要があります。 当事者になってしまうと見えてこない、 引いた視点だからこそ見渡せることもあるのです。 演劇の演出という役職は、別の分野では『監督』に相当します。 つまり、劇に関する最高責任者で、 劇に関してすべてを決定できる代わりに 面白くなっかたら全部その人の責任になってしまうぐらい重い立場なのです。 少なくとも脚本を書いた人よりも、どの役者よりも一番偉いのが『演出』なのです。
高校演劇において演出にそこまで求めるのはシビアであるかも知れませんし、 おそらく実際は演出の役割の半分以上を顧問が行っているのでしょう。 ですが、どちらにしろ「どう魅せるか」という責任者、 敢えて一歩引いた立場に居て、役者たちと一緒にならない 立場の人間というのは必要不可欠です。 なぜかというと「全体としてどう魅せるか?」ということは、 細部に入っているとどうしても忘れがちで、 そのシーンを賢明に演じているときは特に忘れてしまいます。 演出という役職をうまく作れないとしても、 せめて『全体としてどうみせるか』『全体の流れ、全体の強弱をどう付けるか』 は常々気にしておいた方が良いでしょう。
もう一つ気になったことは、メリハリです。 強弱ともテンポとも言ってもいい。 ほとんどの学校がほぼ全体的に一本調子で劇を演じてしまっていました。
例えば、音楽の話をしましょう。 楽譜には「FF」(フォルティッシモ)に始まり「PP」(ピアニッシモ)まで、 実に多くの強弱記号があります。 いわゆるサビではFF で強く、最初や終わりは PP 弱く歌ったり、 またサビに入る直前ではいきなり切り替わらないで徐々に盛り上げていきます (音の強弱以外にもテンポも変化させます)。 市販の楽曲でも、サビ(聴かせたい部分)がとても心地よく聞こえるのは、 サビ以外の部分がサビを引き立てているからに他なりません。 試しにサビの部分だけテープ録って繰り返し聴いてみれば、 あっと言う間に飽きてしまいます。 弱く歌う部分があるから強く歌う部分が引き立つし、 強く歌う部分があるから弱く歌う部分に気持ちを引かれたりするのです。
閑話休題。この音楽の話は、ありとあらゆる創作ジャンルについての示唆を含んでいます。 演劇も同様です。 観ていて「とにかく笑わせよう、盛り上げよう」という意図を感じはするのですが、 逆に言えばそればかりしか感じないので段々と辛くなってきてしまいます。 とにかく元気よくテンポ良くやることが楽しませるコツではありますが、 (全体としての)シーンの中身(役割)も考えずそれをやってしまうと問題があります。 それは、どこが重要なシーンで、 どこが魅せたいシーンなのか分からなくなってしまうことです。 会話をしていても、大切なことを言うときはトーンを落としてヒソヒソ声になる。 そんな風にトーンやテンポに変化を付ければいい。 例えば、ずっと笑わせていたお客に 急にテンポやトーンを落とした場面をみせれば、 そこでグイっと引き込むことが出来る。 逆にテンポ押さえ気味に話を進めていて、 最後の山場に向かってどんどんテンポやら調子をアップさせていけば クライマックスは相当印象的に残る。
ドラマでも映画でも何でも、原理は同じですから観察してみると色々と学ぶところがあります。 実は、上の項目に書いたことは演出の一番大切な要素で、 この項目に書いたことは演出の最も基本的な方法論です。
これも演出(演技)の話になりますが、「間」や「止め」という手段があります。 演じるというと、すぐに「どう台詞を話すか」「どう動作するか」に注意が行きがちですが、 それだけでは不十分です。 「どう黙るか」「どう止めるか」、いわば「沈黙」も大切な要素なのです。
例えば、好きな人間という関係を示したいとき「○○君(ちゃん)が好き」と 台詞なんかでしゃべらせないで、視線をその相手に向けて2秒ぐらい停止させ、 振り向いた瞬間に視線を逸らしてわざと違う行動をする。 また、誰かに変な行動をさせて突っ込んで笑いに走ると思わせたところで、 冷たい視線を向けたまま全員3秒ぐらい止まって、 その後、何事もなかったかのように動き始め、 突っ込みを期待していた人間が一言わめく。 何か驚いた場面で、 「おどろいた」や「おどろいたリアクション」なんかせずに、 そのまま1〜2秒止まってしまう。
使える場面は限られますし、多用は避けるべきですが、 うまく使うことができれば効果的だと思われます(自信はありません)。 これはテンポの変化の応用とも言え、 (演劇という)停止してはいけないものが停止してまうところから (その場面に)お客を引きつける効果もあります。
そして間です。これはもはや言葉では説明不可能ですし、 役者そのものの力量に依るところが大きいものですが、 動作と動作、台詞と台詞、言葉と言葉の間に 「微妙な時間差」「溜め」を入れることで その時間の空白(「行間」と言う)に大きな意味をこめることができます。 演技というのは前の人が終わったら次の人が行うというものではないのです。 そこには必ず間というものが存在し、その長さには(全く間がないことも含め) きちんと意味があるのです。 極端な話、言葉そのものの演技が上達せずとも、 間を大切にするだけでぐっとシーンや人物のリアルさが増します。 特に、シリアスなシーンや深刻なシーン、 感情を表すシーンで使うと効果的です。
台詞回しが気になる高校が何校かありました。 実際の日常会話でそんなことを言うか? と、きちんと考えることが大切です。 ドラマなど、プロのシナリオですら相当におかしな台詞が氾濫していますから、 ドラマ(や漫画)の台詞だからいいやではなく、 きちんと一つ一つの台詞を丁寧に検証する努力が必要です。 そういう個々の台詞を大切にすることは、 必ず全体を良くすることに繋がります。 本当にそんな言葉づかいで、言い回しでいいのだろうか? と、 演出する人間のみならず、演じる人間が考る必要があると思います。 役者というのは書かれた台詞を喋るスピーカーではないのです。 自分が演じる人物について誰よりも詳しくなければ、 (本来は)いけないのです。
感想という意味からは少々飛躍しますが、 これから演じる人物は、 (本には書かれていないけど)普段はどんな生活をしてるんだろう、 学校ではどんな友達が居るんだろう、 買い物に行くときはどんなものを買うのだろう、 一人で居るときは何を考えているんだろう、 無意識にやってしまう癖はなんだろう、 と想像してみるのも、良く知られた方法です。 とにかく、台詞や行動から人物像を想像することが大切で、 そうすることで演じるべき人物の考え方・気持ち・想いをよく掴むようにします。 その上で台本を読むと、 「だからこの場面ではこんなことを言ったんだ」と感じる一方で、 「彼ならこんな喋りかたはしない」 「彼女ならここではこんな喋りかたをするはずだ」と 感じることもあるはずです。 そうしたら、台詞(や行動)を (演出の了解の上で)直してしまって良いのです。 他人に、「○○なときどう言うか」と訊かれ即答できるぐらいに、 演じたまま会話できてしまうぐらいになれば相当のものでしょう。 とはいえ、ここまでになるのは相当に大変です。
もちろん台詞回しがおかしくなる原因は、主に脚本にあるわけですが、 脚本がダメだったら演出と演じ手の努力でいくらでも良くできるのが演劇のよさなのです。 「本当にこんなことを言うだろうか?」と問いかけるだけでも随分違ってくると思います。 そして台本としての台詞は、 他の優れた脚本を解体・研究する、 シナリオの書き方、小説の書き方に関する本を 何冊か読むだけでも随分と違ってきます。 (実は、これがクリアできている学校(創作脚本)も 多かったのでびっくりもしました。ほんと驚きです)
これは余計な話ですが、 生死だの戦争だのと大層なテーマを扱ったり、 逆にバカバカしさにのみ重点をおいたものばかり選び過ぎに感じました。 もっと身近なテーマを選んでみたらどうでしょうか? 分かりやすく言えば、読んでみて共感できる台本、 例えば恋愛での悩み、友人関係での悩み、進路での悩み、 親への不満、先生への不満、学校への不満…… などなど身近なことをテーマに選んだらどうでしょう? 昔々、劇というのは 「直接は言葉にできないメッセージを架空のお話として伝える」役割を 担っていたこともあります。 だからというわけではありませんが、 身近で、共感できて、表現したいことをテーマとして、 台本として選んでみるのが良いんじゃないかと思いました。
とにかく、どの学校もレベルが高い。 去年は観ていてあまりの辛さに時計ばかり気になった高校もありましたが、 今年はそんなことはありませんでした。 と同時に、どの学校も似たような問題を抱えている。 近くの他校に合わせるからってのもあるのかも知れませんね。 しかし演劇コンクールには、 (他のジャンルではなかなか見られない)講評という仕組みがあるのですから、 他校の講評を自分の学校のことのように聴いて学んでみるのもよいでしょう。 ただ何が何でも入賞するような上手い演劇でなければならない必要はないし、 その点、個性やバラつきがまた高校演劇らしい面白さでもあるわけですから、 独自の道を歩むのもまた良しかも知れません。 完成度と他人を楽しませることは必ずしも一致しませんしね (この辺まで思考するとなぜ演じるのか、までたどり着いてしまいます)。
最後に、今回上演なさった高校のみなさん、そして関係者のみなさん、 本当にすばらしい演劇を見せて頂きありがとうございました。 とても楽しい二日間でした!