| 高校名 | 演目 | 結果 |
|---|---|---|
| 前橋南 | コックと窓ふきとねこのいない時間 | 最優秀賞 |
| 新島学園 | 桜井家の掟 | 優秀賞 |
| 桐生南 | ハムより薄い | 優秀賞(次点校) |
| 館林女子 | ANTI− | 創作脚本賞 |
今年は、欠点よりも長所(特に演技力)が評価されたと思います。観客として素直に楽しめたものが上位という感じで、前橋南は断トツの演技力。新島学園はわいわいとした高校演劇らしさのある活力ある劇をきちんと仕上げてきた点などが評価されたのでないでしょうか。桐生南については、顧問の先生ご自身も(ブログによると生徒自身も)不思議に思っているように不思議な点もありますが、欠点をなかったことにしてしまえば、やはり演技力(間の使い方)が評価されたと言っていいのではないかと思います。
比較的目立った欠点がないという意味では、高女、伊勢崎清明(旧伊勢崎女子)あたりが上位かなと思っていまし、逆に前橋南は舞台装置の寂しさと台詞の間という欠点が大きかったので入賞しないかなと思っていました。しかし、結果こうなってみると妥当だと思います。具体例は避けますが、過去(の評価)にはお客として楽しめた舞台と上位入賞の舞台が食い違うということもありましたし、そういう意味では今年はよい選択をしたのではないでしょうか。
ただ一方で、今回の関東大会出場2校を見たとき、このままでは関東を突破出来ないことも間違えないように感じます。欠点を克服してより仕上げることを期待しています。
創作脚本賞について。脚本そのものの完成度というよりは、脚本の着想「腐ってしまう人間」と「腐らない人間」という作りが高く評価された結果だと思います。いまいち題材を生かし切れていないようにも感じますので。
今年の講評ですが、ヨシダ先生(外部審査員)以外の評が例年に比べ甘かった気が。私の感想がキツすぎるという話もありますが。あくまでこちらのポリシーとしての話。
キツいこと言って落ち込ませるのが可哀想ってのも分からなくはないのですが、こと創作において欠点を指摘して改善するチャンスを与えないというのは余計可哀想なんじゃないかと思います。どんなに一生懸命に作ろうと、「意欲」と「根性」と「やる気」があったとしても、顧問の先生が演劇にあまり詳しくないというただそれだけの理由で大会に勝てない高校はたくさんあると思うのです。実際、全国どこをみても顧問が演劇に精通しているところが強いというのは定石になっています。
大会で講評するというのは、そういう不平等をなくす意味合いでも、また公式の大会でコメントをもらうことで自分たちの不足点を振り返るきっかけとするという意味でも大切だと思うんです。普段の部活で顧問の先生からは「気づいてても(生徒との関係を考えると)なかなか言いづらい」とか「言っても届かない」というのがあるかと思いますすが、練習に練習を重ねた大会作品に対する公式な評なら、届くと思うんですけど。――あくまで、理想論に過ぎませんが(汗)
今回の大会で気になったのは、演技や創作脚本のレベルはあがる一方で、ドラマ性は相変わらず希薄であり、総合芸術的な演劇は減ってるということでした。ここではドラマ性を中心に振り返りたいと思います。今まで書いてきたことに比べて抽象的で難しい話になるかもしれませんが、避けては通れない道ですので頑張って説明したみたいと思います。
すべての台本にドラマが必要であるという話ではないのですが、その辺は了解の上として話をします。
今年度の県大会をざっと振り返ると、人物ごとに異なった性格付けや色づけを行い(おっとり型と勝ち気、不思議系などなど)、舞台上に違う個性の人物を配置することで面白みを出したり、その人物たちを適当に出入りさせ組み合わせを変えることで変化を付けるなどのテクニックが非常に上手く使われています。でもその一方で、その個性を持った人物たちのドラマという点ではどうにも不足した感じがしました。
題材として高女の「Story of story」や市立前橋の「EASY COME, EASY GO 〜大切なモノ〜」を取り上げたいと思います。どちらも、高校生小説家である主人公が「なかなか小説が書けない」というところを物語の出発点としています。また結論としては最終的に自分で小説を書くというところにたどり着くのですが、そのエンディングに説得力を持たせるために必要な描写は書くことに対する悩みや苦しみです。かと言って台詞で「書けない」と連呼させても全然伝わってきません。どうやってその気持ちを描くか、そのとき必要になってくるものこそドラマなのです。
そもそもドラマとは何なのか。登場人物の気持ちから生まれる行動がドラマです。先ほどから抽象的な話ばかりですが、ドラマの作り方そのものが本の面白さに直結するし、そのアイデアこそ書く人間の力そのものであるから、一概にこうすればいいと言うことはできません。しかし、それではあんまりなので、一番簡単な方法を書いてみます。それは対立です。対比やコントラストと言ってもいいと思いますが、「書くことに対する悩みや苦しみ」を描く簡単な方法は「悩みも苦しみもなく書ける人」や「プロの物書き」などを登場させ、このような人物と戦わせることです。別に乱闘しろと言っているわけではありません。言葉を交わし互いに互いのことを述べさせる。その結果として物語りが転び何かしらの結論にたどり着く。言葉を単純にやり合うだけでの戦いではなく、行動や差として描くようにすると良いです。また第3者として両方の立場を繋ぐ人間を置くと描きやすいかもしれません。もうひとつの方法は障害を設定することです。こっちの方が一般的かな。例えば小説を書こうとすると誰かが邪魔をして鉛筆などを隠す。家族などからほかの用事を頼まれ時間がなくなる。書くことを快く思わない人物が、いやがらせをする。
例えば、市立前橋の作品では、講評にもあったとおり友人たちに三角関係を設定するだけでぐっと深みが増します。ありがちな話ですが、小説を書くために懸命になる「かな」は「だいすけ」に少し気があった。「だいすけ」は「かな」の小説が好きだけど「かな」に特別な感情があるわけではなかった。共通の友人「ゆり」は主人公を励ましつつ、本当は「だいすけ」が好きで「かな」がいない隙に告白した。「だいすけ」は「かな」の昔の純粋な小説は好きだったが、今度出した小説には疑問を感じていて、それでなんとなくオーケーしてしまった。「かな」は自分を励まし支えてくれていた「だいすけ」を失ったと感じ、その原因を考えはじめて……。とかなると、そこに登場人物たちの気持ちが具体的な行動として現れてくるのです。
高女の作品の場合は、「筆が進まない主人公奈央」と「書きたいけど書けない幽霊の遙」という対立構造はできているのです。にも関わらず、この二人がきちんと向き合って言葉を交わし、そして対立しないから、お互いの気持ちが出てこない。例えば
奈央「書くことがみつからない」
遙「書ける体を持っているのに贅沢なことを」
奈央「私は遙先輩のようにすごくないから、無理なんです」
遙「だったら代わりに書いてあげる、あなたは私のもの」
奈央「やっ、やめてください」
遙「どうして? 書くことがないならいいでしょう?」
とまあ安易かつ稚拙ですが勘弁。対立と拒否、そこから対話が生まれるのに、残念ながら本作の主人公奈央は、対立相手である「遙」という存在をなんとなく受け入れている。これだとドラマにならないんです(もちろん受け入れた上でドラマにする方法もありますが)。
ポイントをまとめると
となります。演劇がみんなドラマドラマされても困るのは確かですが、少なくとも心理的なテーマを扱うのならばドラマ的要素は切っても切り離せないのではないでしょうか。
とはいえ、ドラマを前提に書いていると(例の主人公じゃないですが)筆が進まなくなったり、そもそも書き始めたときにはテーマが決まっていないなんてこともあるでしょう。そういうときは、大体の構成が決まったり書き終えた段階で修正(アレンジ)する作業に入ります。既に居る人物をどう変えたらドラマになるだろうか、この舞台に何を加えたらドラマになるだろうか、このテーマに必要なドラマはなんだろうか、と。大幅に直すことも必要になるかもしれませんが、書き直すということは前より悪いものにはならないことなのですから胸を張っていいと思います。ちょっとした台詞の変更、エピソード変更だけでグッとテーマが引き立つことだって往々にあります。
上に同じく、すべての演劇にドラマが必要であるという話ではないので、その辺はご了承の上でお読みください。
高校演劇では、創作台本はもちろんのこと、ネットで得られる台本などを利用して上演することも多くあります。その台本のテーマとして心の動きが描かれる場合、ドラマをどこに持っていくのか常に注意してほしいと思います。というのも、プロでもない限り、なかなか完璧な台本というのはありません。ただ、その本には何らかの想いが込められているはずでから、それを丁寧にくみ取って演じてほしいのです。そしてここが一番大切なのですが、演じるため伝えるために必要だと思ったら台本をどんどん修正してください。
台本というのはお話の筋であり骨組みです。台本を書くという作業は、通常一人で行う孤独な作業です。「どんな舞台になるだろうか」と想像しながら書くものではありますが、書く段階でどんな形になるか完全に想像することなんてできません。プロでなければ(プロだとしても)、完璧な台本なんてそもそも存在しないんです。台本に書かれていることは、お話の筋であり表現したい原石であり、演じ手が表現すべきこととイコールではない。台本の解釈という作業がとてもとても重要であり、それこそが同じ台本でも演じ手によって変わるオリジナリティなのです。
台本を読み解き解釈し、書いた人の想いや気持ちや狙いをよく考えて、その上で自分たちがその台本から感じ取った気持ちや想いを埋めていくという作業が演出です。そして実際に演じてみて、こうした方がいい、ああした方がいいと検討を重ねる。本読みや立ち稽古をして初めて分かる台本に至らない部分や疑問点が出てくるでしょう。いや、出てこなければおかしい。自分たちの想いと台本との隙間を見つめ、随時、台本を書き換えてアレンジしていかなければならない。こうやって台本という原石は磨かれ舞台となり輝くのです。
何が言いたいのかと言うと、台本に必要以上に縛られている学校がとても多いということです。台本に対する解釈というものがとても希薄であり、解釈がないからこそ演出もされない。しつこいようですが、台本というのは原石であって宝石ではないのです。そこに命を吹き込めるのは演じ手の解釈という作業に他ならず、演じ手が解釈したようにアレンジ(演出)し作り上げなくてはいけない。もし気持ちの描写が足りないと思ったら、どうしたら良くなるかを考えて台本を書き換える。(今年の関学の本みたいに)不要なシーンがあったらバッサリと切り捨てて必要なものに書き直す。そういった台本の磨き上げ方こそが演じ手のオリジナリティに他なりません。
必要なものと不要なものを考えるときに指針となるのが、テーマであり、心理的なものの場合はドラマです。いきなり台詞やシーンを直すのも大変ですから、簡単なところで「どういう性格付けをしたらドラマが生まれるか」と考えることから始めるのが良いと思います。登場人物がA、B、Cといたら、誰と誰が敵対して、誰が誰を好きで、誰が誰を嫌いで、誰が誰を尊敬してて……と考えるだけでも深みが増すと思います。それを決めるだけで、簡単な台詞の修正や態度の示し方ができるようになります。
実は台本を書いたり修正するよりも効果的な手段は、初めから完成度の高い台本を選んでしまうことです。例えば今年の関東大会行きは2作とも既成台本ですし、(県内に限っては)例年その傾向があります。関係者から怒られかねないですが、良い台本を選ぶだけで関東大会に近づきます。言い方は悪いですが、良い台本というのはあまり解釈や(積極的な)演出を加えなくても、すごく極端な話をすれば「台本の奴隷のように演じるだけでもある程度のクオリティまで持っていくことができる」のです(注:今年の2校がそうだと言っているのではありません)。
はりこのトラの穴にある台本は余程慎重に選ばないと大変な目に逢います。はっきり言ってしまうと、あそこにある作品のほとんどは、そのまま演じては絶対ダメです。解釈、アレンジ、演出をきちんと行う前提ならば、はりこもいいでしょうが、その覚悟がないならば市販劇曲や高校演劇セレクションなど、既に評価されている本を選んでほしいと思います。
とはいえ、コンクールのために演じたくもない本を演じるなんて嫌だと思うかもしれません。ただこれだけは知っておいてほしい。一度ぐらいまともな本で真剣に演じた経験がないと、どんな本(創作含む)を演じるにして大きなハンデを負うことになります。基本的に、良いものを知らないと良いものは作れません。料理の基本は(親方から)盗む物なんてよく言いますが、演劇の基本も盗むものです。コンクールが嫌なら自主公演でも何でもいいですから、一度はまともな本でコンクールぐらい本気になって演じてみてください。さらに言えば、創作脚本を書く人は一度ぐらいまともな市販劇曲を読むべきです。
とにもかくにも、本選びに失敗するとスタートからハンデを負うわけですから悲惨な目に遭います。面白い本だと思っても、演じ手と相性が悪くうまくできないなんてこともあります。劇曲についてあまり知らないので、具体的な作品名を挙げられませんが、とにかくまともな本で題材があまり難しくない物を選んで読んでみる(演じないまでも本読みと解釈の議論ぐらいまでやってみる)ことを勧めます。
顧問の強いところは強いというのは、今年も感じました。だからこそ、これを読んでいる演劇部の生徒さんが居たら考えてほしい。
「高校演劇なんだから自分たちで作らなくちゃ」
勘違いしないでほしいのは顧問の先生の助けを借りるなということではありません。そんなのは絶対無理です。でも、あくまで自分たち自身で主体的に作ってほしいなとそういう風に感じます。例えば台詞のしゃべり方、演技の付け方、照明の当て方、どれにしても先生に言われたから言われたとおり演じるのではなくて、どうしたらいいか自分たちで考えて演じる、照明を当てる、装置を用意する……などなどしてほしい。
何が言いたいかと言うと、生徒の中に演出が居てほしいということです。そもそも「生徒たちの中から演出を育てなきゃしょうがない」のでは、とも思ったりします。あー現場知らないのに偉そうですか(汗)
3〜4年前はどうしょうもなく救いようない劇とか、去年度も「あーこれは県大会来る気なくて来ちゃったな」なんてのがあったんですが、今年は全上演校普通に観られる演劇でした。これは本当に凄いことです。去年、今年とこのレベルの進歩は県内で何かあったのでしょうか? 急な感じがするので不思議でしょうがありません。一方で、共愛はついに地区落ちになり、3〜4年前に観た格の違う完成度の学校はどこかに行ってしまった感じです。
上演する高校のレベルが上がってきたというのもあるのですが、あまり初歩的ところではほとんど突っ込みどころがなくなり(例えば暗転が10回越えとか、BGMだらけとか、演技が全くダメとか)感想が書くのが難しくなったなーというのが一番の実感です。では言うことがないかと言うとそうではなく、去年度関東大会を見た影響ってのもありまして「(最優秀校含め)これでは関東では通用しない(突破できない)」というのは分かるのですが、具体的にどういう点に心がけ、どう改善したら良いかを導き出すのは難しい。そんなこんなで、今回は1校の感想を書くのに1時間以上かかっています(汗)。
今回の会場は境総合文化センター(旧境町)でしたが、どうも照明の制約がキツかったのか、(業者の?)照明係が怠慢だったのか、部分照明をほとんど活用しなかった(多分できなかった)のが残念でした。そのせいか、照明的なところでこれはという高校は少なかったですね。あと音響の音量バランスがどこの高校もイマイチで、これは多分ミキサーが会場内に存在しないせいで、実際に耳で聞いて調整しにくかったせいだと思うんですけど。いいホールなんですが、演劇には向かなかったのかなーという感じがしました。
照明といえば天井スポットライト(サーチスポットでサスかな?)を使うとき、中央に立つと顔が見えなくなるので少し(舞台奥側に)下がる高校が今年は何校もありました。こういう配慮は去年度まで全くみられなかったので、今年急に増えたのが不思議だったりします。この前、高校演劇経験者の知り合いに聞いてみたところ同時に手前からサーチライトを当てる方が良いとのことでしたが、それができない場合は少し下がるのもありだと思います。
あと、全然関係ありませんが、記念ビデオ撮影とおぼしきビデオカメラマン。1日目は熱心に撮影していたのですが、2日目の人は全くやる気なく、ほとんどカメラを動かしたりズームすることもない感じでした。関係者の方は、1日目と2日目で記念ビデオのクオリティーを比べてみるといいかもしれません(笑)
最後になりますが、今回県大会で上演されたみなさん、関係者のみなさん、楽しい演劇を観せて頂きありがとうございました。