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最終更新:2007/12/07

■雑感

全国大会の練習を兼ねていただけあって場内を学生アナウンスしたり、メッセージボード設置したり気合いが入っていました。次期、関東大会開催地になるまで廃止されそうな予感もしますけど(^^ それでも気合いの入った運営をお疲れ様でした。関東大会のお客さん、たくさん入るといいですね。

メッセージボードのある高校の感想で「雑。……何ってすべてが」と書かれていた物があり、ある高校宛には包み隠さない正直な記名感想があったようで、少なくとも2日目の上演を真剣に観て感想を書かれた人がいるようです。この「雑」って書かれた言葉だけみると酷いなと思いますが、実際問題として「そう書かれても仕方のない上演だった」というのは感じました。かなり厳しい話ですが、表現の世界に居る以上、高校生だから許されるなんて基準は存在しません。この言葉は出来映えを批判しているのではなく、取り組む姿勢に対しての怒りだったのですね。(是非は別として)

感想ですが、今年は去年の反省を踏まえ「どうやったら改善するか」ということと「それをどう表現したら上演した生徒本人に伝えられるか」という点に注力して書きました。上演した演劇部の人たちが読んで理解出来るように極力配慮しましたが、おかしなところ、書き方がまずいところ(これでは伝わらない等)があればご指摘・ご批判頂ければ幸いです。表現の仕方や着目点など至らない点は多々あるかと思いますが、何かのお役に立つことを願っています。

2007年11月30日 わたなべ 記

■前略 演劇部顧問様

突然ですが次のことを提言したいと思い、このような欄を作らせて頂きました。僭越ながら最後までお付き合い頂ければ嬉しく思います。

昔々、自分が高校生の頃のお話です。ロボットコンテントというものがありました。自作のロボットを戦わせる大会で、演劇などと同じように勝ち上がると全国大会まで存在します。しかし通常、強豪校がいくつか決まっていました。それら強豪校がなぜ強いかは簡単で、先生がロボットを全て作ってしまうのです。生徒がアイデアを出すことがありましたが、ある強豪校ではそれを具体化しロボットにしたのはすべて顧問の先生でした。さすがに顧問の先生が操縦するわけには行きませんから、操縦だけは生徒が行いましたが、それも顧問の先生がみっちり操縦を練習させていました。その部活は県大会で優勝を納め新聞の記事にもなりましたが、優勝した部活の人たちに聞くと少しも喜ぶことなく口を揃えてこう言いました。

「だって○○先生が(勝手に)全部作ってしまうから…」

演劇の大会に足を運んでいると、そのうちに会場内で顧問の先生同士のこんな話をよく耳にします。

「○○(学校名)さんはさすがですね」
「うち(の学校)は○○(学校名)さんには及びませんね」
「僕はまだまだ不勉強で、早く○○先生のようにならないと」

顧問の先生が安易に「うちは」という所有格で演劇部を差すのには違和感を覚えます。もちろんこれらは全て「○○の演劇部」を示すのですが、その会話を聞いていると「所有の意志」を感じることが少なくありません。「相手の先生の演劇部」という気持ちがあるように思えてしまいます。顧問として熱が入るのは仕方がないと思います。でも演劇大会は生徒の大会なのです。これではまるで先生の代理戦争に聞こえてしまいます。「あなたが幸せになるために東大に行きなさい」と言う保護者と同じように聞こえてしまいます。

大会終了後、「今年も(は)生徒に入賞させてあげらなかった」と思っている顧問の先生はいらっしゃらないでしょうか。「今年は(も)生徒が未熟(または練習不足)で入賞できなかった」と思っている顧問の先生はいらっしゃらないでしょうか。ここ数年、高校演劇を観てきて、何度か暗に書いてきましたが、今年こそはっきりと言いたいことがあります。なんで顧問の先生が演出してらっしゃるのですか? 「3)キャスト及びスタッフについては在校生のみとする。」のではないのでしょうか。

顧問が演劇の作り方を教え、時に台本を書き、大道具を手伝い、生徒と共に演劇を作り上げていく。それはすごく良いことだと思うのです。時間を共有し、その中で一緒に汗をかき、台本を書く。どれも本当に良いと思うのです。でも演出はどうなんでしょうか。演出は劇の総責任者で監督です。顧問の先生が演出をやってしまうと、その演劇は顧問の先生の「物」になってしまいませんか。生徒は先生の駒になってしまいませんか。それがとてもとても心配なのです。

演出は生徒(たち)がした方がいいと思うのです。演出技術が未熟ならば代わりに演出するのではなく、生徒に演出の仕方を教えた方がいいと思うのです。演出の考え方を教えてあげるのが一番良いと思うのです。どういう演技をすると、どういうふうに伝わるのか。こういう構成や見せ方をするとどう受け取られる可能性があるのか。シーンはどういうやって作っているのか。話の主題はどうやって捉えるのか。

手間がかかり遠回りで時間ばかりが食うことは重々承知しています。「どうして直接教えてくれないんだろう」と不信感を持たれることもあるでしょう。そのときはその意味を説明してほしいと思うのです。「困難だから」と「それは理想論だ」と片付けないでほしいのです。

常々思うのは「(上演する)演劇についてすべての最終決定権は生徒にあるべき」ということです。生徒は演劇の素人で、顧問の先生は少なからず演劇について知識があります。生徒からは頼られますし、基本的には生徒は先生に逆らえません。こうなると自然と、劇の内容についても「これでいいのですか、先生?」となります。ここで答えないとヒドイ先生になってしまいますが、常に答えていては生徒は何も学ばないと思うのです。「自分たちで考えなさい」では反感を買うこともあるかもしれませんが「一緒になって考える」のではどうですか。例え面倒でも、生徒の意見を尊重し、一つ一つ丁寧に拾い上げて形にしていったらよいと思うのです。この過程でこそ学べる、この過程でしか学べないことがたくさんあると思いませんか。

生徒に自信を付けさせるために細かい指示を出したり、実際の演劇を体験から学んでもらうために演出することを一概に悪いことだとは思いません。でも、そんな中でも可能な限り生徒に委ねることはできないでしょうか。もしかしたらそのせいで演劇の質が下がってしまうかもしれませんけど、そのときは生徒の苦労を一番知っている先生が抱きしめてあげるではダメでしょうか。生徒に何かを学び感じてもらうために、大変でも「任せて委ねる」ということを諦めないでほしいのです。


もちろん多くの顧問の先生は、きちんと「生徒による演劇」実践してると思います。ですが、時々感じる違和感をどうにも拭いきれずこのような文章を書かせて頂きました。乱文乱筆失礼しました。

早々

2007年12月2日 わたなべ