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watanabe★kinoka.net
日時:2005年3月31日(木) 12:20開場 12:30開演
場所:安中市文化センター ホール
アクセス:JR信越線 安中駅下車 国道18号を西へ徒歩20分
入場:無料
| 時間 | 高校名 | 演目 | 作 |
|---|---|---|---|
| 12:30〜13:10 | 高崎東 | 眠らないのは明日が来るからII | 武田孝太郎 |
| 13:25〜14:45 | 安中 | あなたがわかったと言うまで | 杉浦幸久 |
| 15:00〜16:10 | 高崎北 | みあげればヴァーミリオン | ヨシダユタカ |
| 16:25〜17:25 | 新島学園 | 夏、ふたたびの… | 茨木東高校演劇部 山内貴子 |
本情報は、安中高校の原澤先生より頂きました。ありがとうございました。
※以下感想。カメラを忘れたため残念ながら写真はなしです(汗)
大変残念ながら、きちんと見られなかったので内容については書けません。
電車の中という設定のようでした。安中文化センターのホールはかなり広いので、つい立てや内幕で圧迫感を出した方がよかったように思います。ラストシーンをBGMで押し切った(頼った)感じがあり、きちんと劇でみせた方がいいように感じました。
ある会社で、内定者の決まっている面接の面接係をさせられている山際(男)と、そこへ訪れたちょっと変わった面接者、巻上(女)の一風変わったお話。早く面接を終わらせたい山際は適当に終わらせようとするのだけど、巻上は全くのマイペースで面接を終わらせない。困惑させる。
山際を女子が演じているのですが、ちょっと落ち着きがない感じで特に序盤緊張していたように感じました。女子が演じているから仕方ないのですが、それでも男としてのいい加減さ、投げやりっぽさ、困惑加減がいまいち出てなくて…。逆に巻上の方は必死さが出るとよかったように感じます。上演後(劇中の台詞を引用して)「劇事態がもっとハッキリして欲しい」という感想が聞こえてきましたが、困惑される投げやりな面接官山際と、なんだか分からないけど必死に面接を受ける巻上という対比が、もっとハッキリ出ていれば、後半がきちんと生きたかも知れないなという印象。
シナリオは完成度が高い良いものを選んできたと感じますが、反面演じるのも難しかったのでしょう。独特の間とムードが必要な芝居だと感じましたので、もうちょっと落ち着いて演じることができたらよかったかも知れません。安中高校というと、2003年度の県大会の印象が強烈ですが、部員数が少なく苦戦しているのでしょうか。
脚本ははりこのトラの穴に掲載。『運命』を巡って、使(つかい)1と美幸、使2と圭子、二組の行動を区切りながら対比と美幸と圭子の繋がり描いていく物語。台詞回しなどはよくできていますが、暗転が若干多いことと、第3シーン(使1と使2の対話)が不要なところがネック(使同士の接触は要らなかったと思います)。
さて劇の方。ともかく作品ムードが一番大切ですから、演出もそういう意図になります。本劇では、ムードを出すためにBGMを多用していて……、いやBGMに頼り切っていました。演技の声よりBGMが大きく、これでは劇を見せたいのかBGMを聞かせたいのかよく分かりません。曲の印象を強めるためアタック(曲の出だし)を大きめにかけたとしても、すぐにフェーダーを下げて音量をしぼるべきです。使用タイミングも非常にドラマ的(ゲーム的)で、演劇でそれをしてしまうとかなり違和感があります。BGMの使い方がとにかく安易すぎたことが最大の欠点でしょう。
他に、天井スポットを多用するのですが、立ち位置が中央なので顔や前面が影になってしまっている。半歩下がりましょう(注釈:県大会はじめこの手のミスがあまりに多いのですが、もしかして中央で立つ方が正しいのでしょうか。不安になってきました)。本を元にファンタスティックな美しさを主軸として演出したことは間違ってないと思いますが、台本の欠点も含めそのままやってしまった感が強くあり、きつい言い方になってしまいますが演出をサボっているとすら取れなくありません。もっと解釈やアレンジを加えるべきです。
辛口に書いてしまいましたが、劇自体はそんなに悪いものではなく、むしろきちんと作って一生懸命演じていていました。芝居も登場人物4人、特に普通である「少女」に大して変な存在である「使」がきちんと出されており悪くなかったと思います。それだけに、惜しいと感じた劇ではありました。
玉島町子供会で、夏祭りのお囃子の準備。子供達と面倒をみる高校生3人と。そんな中で、起こった出来事は……。
新島と言えば、前回の県大会に出場しているのですが、その時よりも格段に上手くなっています。子供会ということで子供役、男の子役などが出てきてそれを高校生が演じざる得ないわけですが、身長などは隠しようがないのに衣装や演技で十分子供に見える。男の子も女子が演じているのですが、男の子にしか見えない。舞台上には常に何人もの人物がいて、それぞれがきちんと動く。そしてラスト付近の感情の表し方やその演技も迫力があり、凄かった。上手いというのは感情の表し方が上手いんです。きちんと内面から演技を作ってきている。かなり作り込んできていて、誰か飛び抜けて上手いというわけではないのですが、全体の完成度が他校と段違いでした。
というわけなのですが、欲を言えば間の使い方が甘かったという印象。複数人の役者が舞台上にいて次々とアクション(台詞含む)が起こるのですが、そのアクションとアクションの間に『間』がほとんどなかった。『間』ということを全く考慮してなかったように感じたのですけど、実際はどうなのでしょうか。だからテンポよし、迫力よしなのに、メリハリがいまいち。ここをクリアすれば、伊工に肩を並べるかも? なんて思ってしまいました。あとは、迫力で押し切ったものの、若干話の軸が分かりにくかったかな。
その他気になった点としては、古い台本をそのまま使っているため時事ネタに違和感を感じました。そういう気遣いも大切です。直せる範囲で直してほしかった。他は、演技も、演出も、照明も、音響も細かい配慮がされていて、本当によかったと思います。よい劇をありがとうございました。
今回気になったのは、やはりBGMの使い方でしょうか。TVドラマや映画のようにBGMを使ってムードを盛り上げるという手は、演劇にはあまり馴染まないように感じます。やや難しいお話になりますが、TVや映画、演劇、小説などあらゆる媒体には『文法』という概念があります。例えば、映像作品では細かいシーンを繋いで物語りを作るのが『文法』であるし、逆に演劇では舞台をなるべく固定してシーンを切らないのが『文法』です。この点について、次のようなお話があります。(平田オリザ著「演劇入門」P64より引用)
高校演劇は、一作品六十分と時間が決まっているのだが、その制約の中で、暗転が十数回などという作品がしばしば見受けられる。(中略) 彼/彼女らにとって、ドラマを創る見本とは、すなわち、トレンディドラマやマンガのことであり、それを模倣してしまうのは当然のことだろう。
BGMの問題も根は一緒であるように感じます。あくまで個人的な考えですが、TVドラマの場合、映像では質感や臨場感を全く出せないので音楽を多用してムードを盛り上げるということをよくやります。しかし演劇は目の前で起こっているという他の媒体では絶対に実現不可能なリアリティが最大の売りですから、そこを安易にBGMに頼ってしまうと演劇の最も演劇らしい部分を放棄してしまうことになりませんでしょうか。演劇である意味すらなくなってしまいませんでしょうか?
誤解してほしくないのは、BGMを使うなというわけではなく、慎重に使ってほしいというお話です。もしこれを読んでいる高校演劇部員の方が居たら、お節介かも知れませんが少し考えてみてほしいなと思いました。