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最終更新:2006/11/15

場所:桐生中央公民館 - ホール
日時:2007年12月22日(土)
開演:10時10分

時間高校名演目演出
10:10〜 桐生南 恋人はサンタクロース 吉田 伶奈 栗原 由夏、柿田 菜美
11:20〜 桐生 LIVE 朝日 悠 三上 史暉
13:00〜 桐生女子 要求は金のエンゼルと… ひばら
14:05〜 桐商 戦闘(バトル)ロレイヤル 桐生商業演劇部
15:15〜 桐生第一 時計のない村 小川 未明 高橋 絢女

■桐生南高校「恋人はサンタクロース」

作:吉田 伶奈 演出:栗原 由夏、柿田 菜美

●あらすじ・概要

家出した伶奈は、ホームレス(?)のサンタクロースと突然結婚すると宣言してしまう。追ってきた姉、そしてサンタの事情とは。

●主観的感想

創作台本です。一幕もので、とてもよく出来ています。形式こそコメディですが、ちゃんと筋もあって、なんというか良い意味で生徒創作らしくないです。

県大会から1ヶ月で、しかも創作台本で、それは少しは粗はありますがよくここまで作り込んできたなと思いました。笑いに対する間の使い方を県大会の感想で賞賛したのですが、今度はメリハリを使いゆるみの演技まで出来ていました。焦らないゆるみ(ムード)がある掛け合いの中で、時々「ガー」っと叫けんだり、ユニゾンでテンション高く突っ込んだり、またそれを使いすぎることもなく演じていて、演劇独特の「観客が引き込まれたというムード」が客席に感じられました。これは間とメリハリの演技が同時にうまく使いこなせないと、なかなか到達できません。たった1ヶ月で大進化です。

装置の段ボールハウス(サンタの家)、切り株、椅子(?)、糸電話なども登場人物がうまく活用していてその辺も配慮が見られます。人物の出入りも積極的に使って、舞台上のテンションを保つようにも作られています。舞台上に、ちょっとしたドッキリもあったりして良かったです。

細かいところをいくつか。サンタが妹を追いかけるシーンや「帰ろう」と姉が妹を引っ張るシーン、妹がヤダヤダと嫌がるシーンなどなど、そういう動作の面でいくつも手加減が見えてしまいました。劇全体が完成されてきた今、そういう手加減は非常に勿体ないです。引っ張って舞台外に行ってもいいではないですか、追いかけて捕まえてしまってもジタバタすればいいと思います。また途中電話するシーンがあり、電話するとき普通パッとテンションが切り替わる(近くにいる人が「あれ電話だとこの人こんな感じなんだ」と思う)ものだと思いますが、そのままのテンションで話していました。「一年前に死んだじいちゃんから」手紙が届いたというシーンで「恐怖(ホラー)」の演出がされていますが、しばらく意味が理解出来ませんでした。ホラーということに説得力を持たせることも可能でしょうが、これについてはやめた方がいいように感じます。弁護士が家を訪ねるシーンで、普段の真面目な様子と「私この家探すのに1年かかってるんですからー」という態度の差があまり出ていませんでした。ギャグにせよ、もっと「やっと見つけた」という必死さが出ませんか。それでまたハッと我に返って真面目な姿になる。そういうメリハリが効くと弁護士はいい味を出すと思います。

もっと大きな問題点。シリアスシーンがまだ不慣れです。妹が「(サンタは)なんで仕事しないの」とテーマの確信に迫ったとき、サンタは何一つ反応せず(動きを止めることもなく)さらりと流してしまいます。これでは伏線だということが伝わりません。ギャグシーンとは違う、シリアスシーンの演技というものがあり、例えば、言葉に詰まったり、言いにくそうにしながら言葉を選んで発したり、照れ隠しに言ったりという演技があまり考えられていません。むしろせっかくのシリアスシーンなのに、間が持たなくて不安なのだと思いますがギャグに逃げてしまっているようにすら取れました。シリアスシーンは全体に言葉(台詞)が多すぎます。この手のシーンこそ、言葉を減らして態度で示すということを特に気を遣う必要があります。反応(レスポンス)がはっきりしない「言葉がない」(反応しない)というのも大切な反応なのです

シリアスシーン中のギャグに対して客席は「ぎこちなく笑っていた」ことに気づきましたか? シリアスシーンだと思って観客は見ているのに、そこにギャグを挟まれても「あれ、ここ、笑っていいところ……なの?」と観客は思います。だから観客の反応が遅れぎこちなくなります。別にシリアスシーンだから「10分は真面目に」と言いたいのではなくて、1分でも30秒でも10秒(1行の台詞)でも構わないから「この台詞からこの台詞まではシリアスシーンとして演技(演出)する」と決めて、トーンや態度を少し変えてあげる。そういう切り替え、区切り、メリハリをきちんと考慮するだけで随分と印象が変わります。

もう1つ。妹がサンタとの仲を夫婦と言ったり、見ず知らずの人と言ったり、その場その場で切り替えていたのですが、あまりに適当すぎで妹とサンタの関係がよく見えてきませんでした。この演劇において二人の関係は一番大切なものです。例えば、妹はサンタに対して

  1. 家出のための便利な人と思っていた
  2. 照れ隠しのために、便利な人と言い張っていた
  3. 本当にどこか惹かれてしまった

といくつか考えられるのですが、1→2→3だったのか、3→2だったのか、そういう心境の変化というものが見えてきませんでした。サンタの妹に対する想いも同様です。これをハッキリ意識して演技(演出)すると、より深みがでるのではないかと思います。

色々書いてしまいましたが、かなり面白い演劇で地区発表だけでは勿体ないという印象すら受けました。的確な間使いはさすがです。あえてギャグのないシナリオをやって、どうやってシリアスシーンを魅せるか工夫してみるのは練習に良いかもしれませんが、上演するという意味ではそれでは勿体ないかもしれませんね。とにかく、良い意味で力の抜けた演技と笑いを含めたムード作り(演出)が考えられていて、とても良かったです。その演技を忘れずに、他の部分を伸ばされることを期待しています。

■桐生高校「LIVE」

作:朝日 悠 演出:三上 史暉

●あらすじ・概要

1男3女の柿本家のおじいちゃんが死にそうになってしまった。そこに突然現れた弁護士が、遺産相続する人を家族でゲームをして決めるというのだけども。

●主観的感想

姉妹や婿養子など総勢5人による遺産争奪戦という感じでした。部屋にしてはちょっと舞台を広く使いすぎでした。おじいさんが寝ている布団から本棚が結構離れて駆けていったり「この部屋どんな広さなんだ?」という感じです。声を揃えてユニゾンで突っ込んだり(少しやりすぎでしたが)、ドタバタしたりということが積極的に行われていて、いいドタバタをしていました。

一方、テンポ良く回すことに心血を注ぎすぎた感があり、早口で話すシーンでは声がよく聞き取れず(1つ1つの言葉をはっきり発声する練習をしましょう)、間が全くなくすべての台詞が、前の台詞が終わると間髪入れずに台詞を言うという感じになっていました。ギャグにおいても間がほとんどなく、笑いにくくなっていました。ゆっくりととはいいませんが、台詞と台詞の「間」にもっともっと注意して演じるともっと良くなります。

BGMを効果音的に使っていたので、やや違和感がありました。まあ違和感ぐらいならまだよいのですが、そのBGMにかき消されて一部の台詞が聞こえなかったのは非常に勿体ないです。

最初と最後にハルヒダンス(ハレ晴レユカイ)でした。去年あるかなーと思ってたんですが、今年なんですね。

■桐生女子高校「要求は金のエンゼルと…」

作:ひばら

●あらすじ・概要

人質を取った立てこもり犯の要求は、金のエンゼル1枚、銀のエンゼル5枚、ガリガリ君のあたり棒10本と、変な形の野菜だった…。

●主観的感想

パンフレットに1ページほど(冒頭シーンの)漫画が描かれていて、たしかに漫画なら面白いだろうなーという話の展開でした。変な要求をする犯人の真意と、それを真に受けて探し回るギャグキャラの警部と部下のまじめな刑事。刑事側と犯人側の描写が言ったり来たりする、そんなコメディタッチの演劇です。

声がよく通っていて、刑事と警部のかけあいでかぶせて突っ込むタイミングなどよく出来ていました。人質が「死なせてくれー」と言うあたり、コメディなのですが、それでいて「この事件のニュースを聞いた人が、バカな犯人が居たなとでも笑ってくれればそれでいい」というあたり、重めの軸を使っています。ラストシーンで、刑事がチョコボールを拾い上げて終わるのですが「えっ、話はこれからじゃないの?」という感じで尻切れトンボだったのがやや勿体ないです。一番美味しいところが「ご想像におまかせします」になってしまったので。

重たい主題と捉えるよりはコメディと捉えるべき作品だとは思いますが、それはそれとしても話の軸として(本意か不本意かは別として)「生きた証」というものを扱った以上、そこに何か決着を付けてほしいとは感じはしました。話が落ちていないので、あれこれと細かい部分は言いにくいものがあります。

短め(約30分)ながら、その中で笑い使いながら話をまとめてきて、全体に面白く作られていたと思います。女子が演じた男も、ちゃんと男にみえましたし。

■桐生商業高校「戦闘(バトル)ロレイヤル」

●あらすじ・概要

ある喫茶店(?)に集められた5人の男女。お店のマスターは、みんなで「生かし合い」をしてもらうのだと言う。半ば強制的に参加させられる5人の交流。やがてその中から……。

●主観的感想

ハルヒのオマージュです。随所にハルヒネタがちりばめられていて、その度に同じくハルヒネタを使った桐生高校の生徒が内輪ウケ(失笑)をしていました。そして最後にハレ晴レユカイ(ハルヒダンス)。1日2回も見ることになるとは……。ラストシーン付近では「いつ(ダンスが)来るか」という感じでした。

ストーリーについての言及は避けますが、特に気になったのはママ(マスター)の台詞をスピーカーから出していたことです。心の声ということなのでしょうが、舞台上にいるのにスピーカーから台詞が聞こえ、それが多用されているため違和感がありました。全部必要なわけではないですし、うまく処理すれば舞台上での台詞に置き換えられるはずですから、その辺工夫してほしいと感じました。

話の展開で、それぞれの人物が自分の過去などを独白するのですが、台詞以上の背景がまるで感じられませんでした。一生懸命に台詞を覚え観客に聞こえるように演じていたのは大変よく分かったのですが、台詞の内容以上の、例えば「暗さ」や「元気のなさ」が伝わってきません。来たときは死にそうだった人たちが、3日後には元気になっているということなのですが、それが演技から伝わってきません。今にも死にそうな人たちを演じるのですから、自分が失敗したり怒られたりして落ち込んだときの元気のなさ、脱力感、そのときの気持ちをよくよく思い出して、その気持ちを何倍にも膨らませて演技に乗せるようにしてください。

ネタがネタだからどうでも良いと言うかもしれませんが、ネタがネタだからこそ、そういう部分を丁寧かつ真面目に作り込むと、今の何倍もバカバカしさが出てきます。バカは一生懸命になればなるほど面白いのです。

■桐生第一高校「時計のない村」

作:小川 未明 演出:高橋 絢女

●あらすじ・概要

ある村の金持ちが、街で時計を買ってきた。めずらしがる村人たち、やっと村に正確な時計がやってきた。それをうらやましく思った別の金持ちも時計を買ってきた。村にやってきた2台の時計。ところが2つのこの時計は30分はずれていたのであった。どちらが正しい時刻なのか? やがて村を巻き込んでの騒動となり……

●主観的感想

県大会と同じものを上演するのかと思っていましたが、新作でした。県大会の講評で指摘されていた声が聞こえない問題(背筋が伸びていない問題)をきちんと解決してきていました。いままでずっと声が聞き取れなかったのですが、すべての台詞が明瞭に聞こえてとても良かったです。たしかに背筋がきちんと伸びていました。

気になったのは、ものすごい早口だったこと。テンポを早くみせたいという意図的なものかどうかは分かりませんが、早口なので少しでも気を抜くとあっと言う間に置いていかれてしまいます。また語り辺と演じ手の声のトーン(強いトーン)や早さがまるで一緒であり、それらの台詞をすべて含めて間髪入れずに次々と台詞が発せられるため、見ていて疲れてしまい、30分程度なのですが最後の方には飽きてきました。

毎回思うのですが、どうして語り部が語りかけるという演出を取らないのか不思議で仕方ありません。語り部が子供たちに読み聞かせるように語りかけるだけで桐生第一の演劇は「ぐっと臨場感が増す」ように思えて仕方ありません。

本の読み聞かせ、本の朗読。読み手が違えば、その本の面白さは何倍も違って聞こえます。良い読み手の朗読は、物語の舞台を想像させ、その人物達を想像させ、その登場人物達の気持ちすらも想像させます。言葉による想像と、舞台による直接的なイメージの使い分け、どういう部分をどちらに担当させるかということをより深く検討してみてはどうでしょうか。今のままでは、大変残念ですが絵本(?)をそのままやりましたという印象以上に感じられません。

あともう1つだけ。みなさん楽しんで演じていますか? 演じることに一生懸命なことはとてもよく伝わってきて、いつも純粋にすごいと感じるのですが、単なる思い過ごしなのか単純に余裕がないだけなのか県大会の疲れなのか理由はよく分かりませんが、あまり楽しんで演じているようには感じられませんでした。少なくとも、他校の上演はそのどれもが楽しそうで愉快そうだったのに(ああ楽しいだなーって分かるのに)、桐生第一高校だけは必死さだけがやけに際だっていました。例えば(是非は別としても)ダンスシーンなんかは楽しく愉快に踊ってこそだと思うのですが、それすら楽しいようにはあまり感じられませんでした。

ミュージカルを思い出すと、やはりダンスシーンは楽しそうにしていると思うのです。これは単に表情のことを言っているのではなくて、演じ手の気持ち(内面)のことです。完成度を上げることに注力し、それはそれは大変な努力と苦労をされていることは想像に難くありませんし、完成度が低いといろいろと苦情が出ることも非常によく分かります。けれども完成度を上げることは手段であって目的ではないはずです。観客に楽しんでもらうためにも、まず演劇部の人たち一人一人が楽しんでほしいと、楽しむためにはどうしたらいいか考えてほしいと、そう感じました。