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(連絡先)わたなべ
watanabekinoka.net
場所:桐生中央公民館 - ホール
日時:2009年12月20日(土)
開演:10時00分
| 時間 | 高校名 | 演目 | 作 | 演出 |
|---|---|---|---|---|
| 10:05〜 | 桐生高校 | 海老澤 樹雲 | ||
| 11:05〜 | 桐生女子 | 毎日起承転結 | イスケ | − |
| 13:00〜 | 桐生南 | クリスマスには… | TOKUDA | − |
※台本はすべて生徒創作のようです。
作:
保健所所長の飼い犬?がいなくなってしまったため、それを探すことになった職員二人。やがてマルチーズと名乗る犬?(でも人間)をみつけて……。
比較的よく演じられていました。コメディで、そこに人物がちゃんといるなあという感じです。導入のコメディがいい掛け合いなのですが、シラセ(女職員)の返しが全体的に早いのが気になりました。台詞を被せる演技がとてもよく出来ていたのでテンポを殺したくないという判断なのかもしれませんが、もし笑いをきちんと取りたいなら台詞の間、場合によっては止めを入れてもよかったと思います。あと緩めたトーンの発声。そのせいでとても冴えた台詞被せやテンポが生きなかった(死んじゃった)。全体的に言えることですが、片手落ちですごくもったいなく感じました。
もう1つ。舞台上の進行の脇でシラセが電話をかけるシーンがあるのですが、ぼそぼそとシラセがリアルに話すので「客席で誰か雑談してるのか?」と気になって仕方なかった。演劇におけるリアルは現実におけるリアルと少し違うことが往々にしてあり、これはその一例になります。演出的判断としてはいくつか考えられますが、電話をかけ始めるシーンと切るシーンだけ台詞をはっきりときかせ、ほかはジェスチャーだけで声を出さない方がよかったのではないかと感じました。
緞帳をおろそうとして、上げなおすというお遊びが2回あって、その後カーテンコールをみせてから緞帳を下ろし…そうになって上げるというのがありましたが、最後の1つは明らかに余計。そのせいで完全に幕が降りても終わったかどうか分からなくなって観客が明らかに戸惑っていました。
演技は動作を含め比較的しっかりしていて、シナリオも一幕できちんと作られていたし、BGMや照明も比較的きちんと処理されていて非常に好感が持てたのですが、一方でまだまだ不慣れだなという印象も受けました。「こう見せたい」という考えはあるのですが、「観客はどう受け取るだろうか」という考えがいまいち配慮不足だと感じます。ただ、方向性としてはすごく正しいと思うのでこのまま頑張ってください。面白かったと思います。
作:イスケ
新人賞に応募した大石は、編集者の白鳥に連れられ売れっ子作家「和泉」の部屋を連れてこられる。和泉は締切前夜で逃亡していた。原稿はできあがるのか、白鳥が大石を連れてきた理由は何か。
外が雨……という設定なのですが、まず舞台が明るすぎて気になって仕方ありませんでした。まるで外から陽が射しているかのような明るさで、背景も普通に電球色だったため疑問が。背景を青くして、明るさを少し下げてあげるだけでムードがまるで違ったと思うのですが、いかかでしょうか。
人と人の関係がよく見えないことが気になりました。新人賞に応募して入賞もしなかったのに売れっ子作家の部屋にいることになってる大石はどう考えても緊張するのが普通だと思うし、作家和泉のことを尊敬もするでしょう。比較的キツい性格をした白鳥は、締切前夜にあれだけ緩んで作家の家に居るのでしょうか? 白鳥の後輩の山崎は、白鳥を前にしてあれだけゆったりとしているのでしょうか? 4人のそれぞれの関係が演技からは全くわからなかった。
関連して、一番気になったことは舞台上の動作が「だらん」としていることでした。動作が非常に甘い。姿勢が悪いせいです。みんな背筋が伸びてないし、動きの停止がほとんど意識されてないせいだと思います。まず、動作はきちんと止めることで動きが綺麗に見えます。そして姿勢。背筋がまがった人間が舞台上で4人揃って動きまわるとだらだらとした印象しか残りません。例えば緊張しているだろう大石は背筋が伸びていないとおかしいでしょう? キツい性格である先輩(白鳥)も背筋が伸びていた方が自然でしょう? 作家のだらんと抜けたような感じはこういうキリってした人間がいるから生きるのです。にも関わらず、(完全に気を許しあった)家族のようにだらだらと過ごす4人の物語にすごい違和感がありました。
物語はフィクションであるのですが基本的には本物と感じさせないといけません。そのとき小さな本物を蔑ろにしていると、まるで本物のような舞台を作ることはできないのです。いろいろツッコミが厳しくなってしまいましたが、努力して作っていることは感じました。
作:TOKUDA
トナカイにおいていかれたサンタが、ある一家(親はない4人兄妹)のところに迷い込んできた。
逆に良かったなあと感じたのは電話の応対で、護(まもる)が「すきだよ」って躊躇いながら言う感じや、穂(みのる)が「じゃあバイバイ」と弾んで言う感じが嬉しそうだなあと感じられました。穂と航(わたる)はあまり目立たないものの比較的よく演じられていたなあと。
姉貴の馨(かおる)がなあ……。この話の肝なので一番大変な役ではありますが、大変さをこなしきれてなかった。解釈はいろいろです。それは断った上で、ただ単に怖い姉じゃないと思うのです。例えばいたずら心が旺盛な姉(その意味での怖さ)だってよかったわけです。台詞や行動が丁寧でも態度が見下しているという選択肢もあったはずです。そういう無数の選択肢の中でどういう意味の姉貴だったのかというのが感じられなかった。こういう「姉貴」と「いじめられる護」という構造を特に気を使って(注力して)みせたり演出的配慮をすればよかったのではないかと感じました。例えば、トランプでの姉貴のいじめ方はムリヤリ過ぎてリアル演技だから、残念ながら見てる側はリアルに引いてしまいました。
現実のやりとりのリアルをよく研究しているなあという印象でそれはとても素晴らしいのですが、演劇のリアルは本物から少しアレンジが必要ってことにちょっと気をつけるとうんと良くなるかもしれません。