前橋南高校「姨捨DAWN」

作:能楽「姥捨」より 原澤毅一 翻案(顧問翻案)
演出:(表記なし)
※優秀賞(関東大会)

あらすじ・概要

乳母捨て山に迷い込んだ、今時の学生は不思議な老婆と出会った。

主観的感想

今年も少数の部員ながら、どうするんだろうと思いましたが「こう来ましたか」。昨年に引き続き、顧問の力をというのをまざまざと見せつけられた感じです。

幕が上がり装置はなし。光で幾何学模様(?)の上をゆっくりと一人の若い男が歩いてきます。ゆっくりとゆっくりと。音楽と共に。そしてカメラを取り出し写真を撮り、テントを組み立てます。ゆっくりゆっくりとした動作ですが、その挙動ひとつひとつにメリハリがあり、開幕から10分間たった一人で言葉は全くなく動くだけで魅せてしまいます。劇とは対話という人も居ますが、劇の対話ではない側面をまざまざと見せつけます。

やがて老婆(山神?)が出てきて、男がそれを撮影します。自然な動作に笑いが起きます。笑わせようとしていないのに笑いがおきます。完全に観客を引き込んでいる証拠です。途中、老婆がそなたも踊れみたいなフリをして、男が踊るシーンがあるのですが、能楽が鳴っている中で、ロック(?)な踊りがまざるというなんとも奇妙な構図が展開されるのは不思議な感じでした。

ほとんど台詞が無いのに魅せる演劇で、それでいて「自然の世界」から「都会」に戻るという喧噪を音と動きだけで表現しきっていました。とにかく動き・音(PA)・光(照明)をうまく作って仕上げられています。

軸もある、テーマもある、完成度も高い。芸術的な作品。さてではなぜ最優秀賞ではないのでしょうか? この問いの答えは非常に難しいです。好みの問題と片付ければそれで終わりですがあえて考えてみます。見入ってしまう面白さだけど、面白くない。引き込まれるけど感動はしない。見事に表現されているけど通り過ぎていく。芸術だからなのでしょうか、すごいけど純粋に面白くはない。観客とひとつになってこそ演劇と考えたとき、共有や共感がないことが問題なのかもしれません。もし仮に観客が男と同じ視点に立てたなら、また違ってみえるのでしょう(それにしては男に隙がなさすぎる)。そもそも「これでいいのだ」と言える演劇なのですが、あえて思考するとそんなところです。