伊勢崎清明高校「秘密の花園」

  • 作:中村 勉(既成)
  • 潤色:原澤 毅一
  • 演出:前田友梨奈

あらすじ・概要

短歌甲子園を目指す文芸部。大会目前に顧問の先生が入院して居なくなってしまった。明日までに予選に送る句を選ばねばならない。3人の生徒は、入院中の顧問の先生に会いに行くことにした。

感想

甲府南高校の中村勉先生による台本(noteで公開されています*1)。過去伊勢崎清明の上演とは相性が悪く色々と書いてきましたが、今年こそハッキリ言わせてほしい。

最高でした!

幕があがり、(教室にある)椅子が6脚置かれただけの簡素な舞台。そして背景に短歌などがプロジェクターで投影されます。台本で指定されている演出ですが、これがなかなか良かったです。電車やバスのアナウンス等が表示されるのは面白いですね。「なめとこ山のくま」の下りだけは文字が無いほうが良いと感じましたが、多分「文字」と「演技」という組み合わせに観客を慣らすための配慮なんでしょうね。でもそのシーン、演技でなく文字を見てしまうので演技が見れずもったいない気持ちに……。タイミング等の問題もあるのかもしれません。

あと講評でも指摘がありましたが、短歌の表示がやや早すぎた印象。あの短時間で文字を「五七五七七」として韻を踏んで読むのは至難の技です。いっそ詠んでくれてもよかったと思うし、せめて「五七五七七」が分かりやすい(読みやすい)ようにスペースや改行を工夫してくれたらな……と思いました。*2

それと短歌の「題詠」も表示してほしかった。題詠「先生」という表示がないから、「なんでこの部員たちは、先生のことばかり短歌にしてるんだろう。全員が全員先生を好いていて血みどろの戦いでも起こるのか?」と思いました。


先生のものまねが多く登場するのですが、とてもうまく演じられていました。この劇は「言葉」をとしても大切にしている台本で、演じている側もそれを意識して「言葉」を大切にしていたのが伝わってきました。そして全く登場しないのに、3人の先生への想いがヒシヒシと伝わってくる。

椅子だけの簡素な舞台なのに、体の揺れや椅子の配置で電車はバス、タクシーなどの乗り物をきちんと表現していたのは演技力の為せる技ですばらしいと思います。クマも面白かったです。

台本について

かなり脱線して台本の話なりますが、中村勉先生の台本は日常モノでかつ難しいものがとても多い中、本作は特に秀逸だと思いました。みなさん「となりのトトロはなぜ面白いのか」って考えたことありますか? 

お母さんの病気のために田舎に引っ越してきたサツキとメイが、2人だけで病院へお見舞いに行く

ただそれだけなのです。しかも実際にはお見舞いに行くことはできず、木の上から眺めているだけ。それだけなのに本当に面白い。

この台本は、

病気のため入院した先生の元へ、3人の部員が会いに行く

ただそれだけのお話です。筋立ては「何も起きてない」。でも面白い。少しファンタジー。トトロみたいじゃありません?

そんなことを上演をみながらぼんやり考えていました。

まとめ

言葉を大切にし、とてもとても丁寧に演じられていて、ここまで作るのにどれだけのエネルギーを注いだのだろうと感じずには居られません。

どうして関東に選んであげないんですか!

というのが正直な感想です。

強いて言えば短歌をもう少し大切にみせてくれたら、もっと最高だったかなというのはありましたが、そんなの圧倒するぐらい実力も内容も十分あったと思います。

*1 : 余談ですが、きっちり感想を書きたいので台本が公開されている上演はとてもありがたいのです。審査員と違って台本読めませので、細かい台詞まで追えず、どこまでが台本でどこまでが演出かの境界引きも難しく毎年辛い。

*2 : 現状は台本の指定通りなのですけど、別に変えてはいけないわけではないはず(許可下りればですが)。

伊勢崎清明高校「暗鬼」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:新井 笙子・今井 楓子
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

高校の八卦掌(気功みたいの)同好会の4人。かかってきた電話と共に急に様子が変わった敦子(アツコ)。それが気になる幼なじみの美紀。それから一週間敦子は学校に来なかった。親の看病で休んでたという敦子と、先日地元のショッピングモールで金髪姿の敦子を観たという同好会の詩織と瞳。そこで見た敦子は本人だったのか。同じ頃、金髪の敦子のものとおぼしきブログが見つかり、そこには夜遊び・男遊びをするブログ主の姿や美紀の中傷が……。

台本の感想

顧問創作脚本。……正直、ちょっと微妙。

カウンセラーの先生がステレオタイプすぎるように感じます。まず台詞がうそ臭い。「~だわ」「~のね」「~わね」。こんな先生本当に居るんでしょうか。スクールカウンセラーってことは少なくとも心理学関連の勉強はしているはずで、それを踏まえると生徒とのコミュニケーションを取り方、立ち位置も他人行儀すぎて不自然。信頼関係を作り、生徒の味方そして仲間になるのが普通じゃないのかと思います。「彼女」とか「あなた」とか他人行儀に言わないで名前で呼びませんか。ブログを見せて「それが敦子である」という方向から提示することもあり得ないし、生徒が言う意見をそう易々と否定するでしょうか。(観ていると否定してばかりです)

最大の問題と感じるのが、後半のカウンセラーの先生が他の先生に「多重人格」について説明してるらしきシーン。あまりにも説明的でこれ本当に必要だったのか。よくある「お勉強しました」状態。後半のクライマックスシーンのテンポと迫力を多大に汚しつつ、「多重人格」についての知識を観客にだけ与えている。舞台上の敦子以外3人よりも詳しい知識を観客にのみ与えることに物語上何の意味があるのか。

つまり、カウンセラーの先生である必要はなかったしそれが大きな問題だと感じました。例えば、担任や生徒指導の先生が事実の究明をしているという立ち位置だったらどうだったでしょうか。先生はあくまで事実を究明しようとしても不思議ではないし、心理学的な詳しい説明を登場人物以上に与えられることもなく、そこにある敦子と(別人格のアスカ)いう存在や物語上の出来事を通して「観客と登場人物」は同時に同じだけ理解する。どこに問題があるのでしょうか。むしろ現状より好ましくないでしょうか。おまけにこうやって削れた時間で、敦子の闇が垣間見えるエピソードを作ることもできる。

「ネットパトロール」についての説明台詞についても見られますが、やや過剰に説明しがちな傾向が作者の方にはあるように感じました。話はすごく良いのですけどね。

感想

黒幕もない、装置もない。広い舞台。八卦掌のシーンからスタート。講評でも指摘されていましたが、この八卦が美しくない。端的にヘタ。「同好会だから下手なんだ」といわれればたしかにそうなのですが、舞台演出としてはやはりある程度上手いほうが良いでしょう。その他の演技にも通じるのですが、動くことに意識が行きすぎて止まる演技ができてないため美しくない。止まるべきときは綺麗に静止してください。ダラーって動くから美しくなくなる。ラストのアスカ(敦子)が去るシーンもです。

4人の人物たちの性格付けや関係性がきちんと配慮され演じられていました。緊張があったのかも知れませんが、少し「間」(反応)が早い。相手の台詞を頭で理解し、そこから言いたいことを組み立てて反応するという様子が感じられません。前の台詞が終わったから次の台詞を言ってると感じられたシーンが多々ありました(特に前半~中盤。後半は良かった)。台詞の強弱はきちんと使い分けられていましたので、余計に惜しく感じられました。あとは少し力を抜いて演技できるとキンキンしなくてよかったでしょう。講評でも指摘されていましたが、身振り手振りも頑張っているんだけどどうにも不自然に感じられました。

もう1つ気になったのが、中盤でカウンセラーの先生と生徒たちが共に客席を向きながら対話するシーン。先生が舞台奥で生徒が舞台手前である意味は何かあったのでしょうか。また、先生と生徒という互いの互いに対する演技のチャンスを殺しているのはどうなのでしょうか。それと、ここでの間もなかったですね。

全体的に

終わってみれば敦子と美紀の物語なのですが、もう少しここに演出上の焦点を当てることはできなかったのでしょうか。終わってみるまで、同好会の4人ないしは「敦子とその他3人」という構図に見えていました。「暗鬼」のタイトルからして敦子の抱えている「闇」みたいなものが物語上とても重要なポイントではあるのですが、結局敦子「闇」が垣間見える部分って何かありましたか? 終盤になるまで敦子の背景が感じられないこと、そしてもう1つ。

敦子に対して揺れている美紀の姿が見えなかった。美紀は敦子の味方でありました。しかし詩織と瞳が帰った後、出てきた敦子から「本当の事を……」と言われたシーンで一時的に怒りました。さっきまで断固として敦子を信じていた美紀はなぜ怒ったのでしょう。真実を言えなかった事情さえも察して信じるのではありませんか。これに説得力をもたせるためには、詩織と瞳の言葉に揺らぎながらも信じようとする美紀が演じられていなければなりませんし、そうでなければこの物語は成り立たないのではないでしょうか。

同様に、ブログを作ってまで敦子を貶めようとした詩織(?)はなぜそこまでしたのでしょう。おそらく、詩織は美紀に対して好意を持っていて、美紀が何よりも敦子を大事にすることに嫉妬していたのですよね。その好意や嫉妬が(台詞以外の)演技や態度に出ていたのか、ここもやはり疑問が残ります。例えば、好意を持つ相手には物理的に近づこうとするし、嫉妬する相手には節々で不満そうになりますよね。現状でもかなり頑張って人物を演じているのですが、もっともっと深く掘り下げて演じてほしいなと感じました。

伊勢崎清明高校「くまむしくらぶ」

作:小野里康則(顧問/既成)
演出:入山あやめ
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

くまむし。絶対0度に耐え、放射能にも耐え、宇宙でも死なない史上最強の生物くまむし。そんな「くまむし」になりたいという啓太はなぜくまむしになりたいのだろうか。

2年前の県大会リベンジ上演と言えるかも。

感想

舞台中央暗幕で仕切られた隙間に置かれた装置。今回は風呂場と分かりました。手前が部屋でパントマイムでガラスがあることをちゃんと表現されている。この辺からして2年前とは見違える演劇。ただ細かいところだけど風呂場の装置の台座たるベニア台が向きだしで見えたのだけはマイナス。あれぐらい簡単に隠せるんだから隠してください(苦笑)

さて、本当に2年前とは見違える演劇で、仁兄貴をはじめとして動きによる演技オーバーリアクション(台詞のメリハリ)がものすごく意識されている。その一貫としてクマムシダンサーズ(パンフ表記)によるクマムシの体による表現。長年意味もなく踊る学校を多数観ていて辟易していますが、踊り動くことでクマムシを表現するというとても重要な役割を担当し、暗転回数が多めという台本の欠点をおなじくダンサーズをうまく使って「場転自体を見せる(見せ物にする)」ことで、劇が散漫になることを防いでいる。シナリオ上避けられない「くまむし」に対する説明セリフすらもクマムシダンサーズによる体表現で見せることに成功している。非常に秀逸な演出プランで、去年の上演と比べても見違える進化をしたと言えます。見事。

他にも、教室のシーンを椅子だけで表現し椅子の下にランドセルを置くという割り切った演出もうまかったし、ラストシーンで「くまむしが顕微鏡に寄った状態で啓太に手を振った場面」が大きな意味のある見事な演出だった。全体的に演出が非常によく仕事をしており、ひとつひとつ書ききれないぐらいです。それに応えた演者も見事。

褒めてばかりも何なので。動作やオーバーな演技をうまく活用していた割に、笑いを取るシーンで「止め」をあまり使ってなかったのが少し勿体なく感じました。ここ止めれば面白いのになあってところがいくつか。それと若干オーバーアクションが少々強すぎたかも。アクションを弱くしろと言ってるのではなく、シリアスシーンの仁・母・啓太をもっと弱く演出(ゆるんだ演技)したら全体を通してより印象がよくなったと思います。

全体的に

2年前に指摘したことがほぼクリアされ、姫川が際立たなくなったのは個人的には少々残念だけども劇としてはこれが正解ですし、KYの啓太ではじまりKYの啓太で終わっているし、BGMも適切に使われていて目立ちすぎることなく、困ったなあ。書くことがない(苦笑)

無理矢理突っ込むなら、啓太は姫川さんに振られたぐらいでクマムシ目指すなよってことでその説得力の薄さであり、啓太のKYに対する悩みがさほどリアルに感じられないことであるのだけど、子供の悩みってこんなものだしね。

演出がきちんと仕事していることがよくわかる上演でした。面白かった。関東大会での健闘を祈ります。