太田フレックス高校「BOX DIVERS」

作:大渕 秀代(顧問創作)
演出:(表記なし)
※創作脚本賞(2年連続)

あらすじ・概要

舞台の上に箱が5つ。ここはレンタルビデオ店だろうか。中からでてきた人たちが、なぜか観ていたビデオの姿に変身していた。自分の本当の名前が思い出せない。これはどうなってるんだろう。そのうち1つから宇宙人がでてきて、その子のために子供に戻って親を捜そうとする。子供に戻るためのビデオテープを再生しているところに泥棒が入ってきて、子供たちに囲まれる泥棒。

そんなやりとりの中、これはビデオテープが人間に影響を及ぼして人間の心を支配する実験だということがあかされる。この実験はどうなってしまうのか、登場人物達はどうなってしまうのか。

感想

舞台上には灰色の人が入れる大きな箱が5つおいてあります。シンプルですが箱は結構大きく、かなり作るのは大変だったようです。パンフレットによると総合芸術を目指しましたってことなのですが……。

細かいところから見ていくとBGMの音割れがひどかったり、演技があまり緩めてないのでお客さんが引き込めてなかったりとか、最初の伊達政宗やら魔法少女やらに変身したところの格好がいまいちしょぼかったり(特に伊達政宗は刀が。予算の都合もあるとは思いますが、おみやげもの程度のものは用意してほしかった)、ものすごくがんばって作っているんだけども、パンフレットの総合芸術ってところから考えるならばそれぞれに少しずつ難点があるなあという印象でした。

発声と早口が問題で一部の台詞が聞き取れなかったり、コメディ的なかけあいのシーンでは台詞と台詞の「間」の使い方がやや甘くいまいち笑いがとれなかったり(もっと時間をとって演じればちゃんとやる実力はあったように思います)、演技の台詞というより動作にメリハリがなく「ゆるゆる、ぬる~っとした動作」に感じたところがあったりというのも気になりました。メリハリというのは動きを意識的に止めたり、台詞のトーンを意識的に落とすことで生まれます。止めることで動作が目立つ、緩めることで強さが目立つ。参考までに。

全体的に

これは何の物語なのかなと考えながら観劇していましたが、話はサイコホラーのようでした。昨年同様難解(奇怪?)な台本を丁寧に作り込んではいたのですが、それだけに残念で仕方ない。はっきり言って本が悪い。原案は生徒なのかなどうか分かりませんが、とにかく最初の着想(構想)に対して肉付けの段階で余計な要素が多すぎて作り込みで破綻している印象です。そして登場人物がみんなステレオタイプの薄っぺら。その人物に対して親近感を持ったり、広がりを持ってみさせるためのエピソードが何もない。例えば、挫けたり、頑張ったりというエピソードがない。感情移入しないからサイコホラーなのに怖くないし、面白みが半減してしまう。観客視点でのスポットの当て方、人物の立たせ方が台本としても演出としても考慮されないので、よく分からないものになってしまった。

去年もその傾向がありますが今年は輪をかけてひどく、執筆者の顧問の先生には申しわけないですがここを指摘しない訳にはいきません。もちろんダメダメなのではなくて、ある程度のクオリティは担保された台本であるのですが、着想の面白さを十分に生かせなかったのが勿体ないという印象です。どんな台本だって多かれ少なかれ欠点はあるのですけども、人物像のステレオタイプを演劇に翻訳する仮定で克服せよという課題なのだとしても、これはいくらなんでも難題すぎると思います。

演出の面で例をあげれば、途中で幻想的なBGMを鳴らして箱を動かしているシーンがあります。このシーンはたしかに幻想的で総合芸術っぽい感じです。ですが「そのシーンはこの物語りに必要か?」ということを部員自ら自問してほしかった。観客に対し、物語をより楽しむ上で何の効果を狙っていましたか? そういう配慮がない。よく意味もなく踊る学校がありますが(劇団キャラメルボックスの影響らしいですが)、何にせよそういうぽいものを何も考えず単純のはめ込むことは劇全体をクオリティを下げることはあっても上げることはありません。

以上辛口にはなってしまいましたが、舞台はものすごく真摯に作られていたし演技もがんばっていました。決して取り組み問題があった訳じゃないし、努力が足りなかったわけでもない。演技力が致命的に足りないとかそういうこともない。むしろレベルは高いほうです。箱に入って子供に戻るシーンでキャストを入れ替えてしまうなど(それも自然な形で)よく工夫もされている。そういう数え切れない努力がたくさんあって、舞台をよくしようという情熱が見える。だからそれだけに惜しくてたまらない。

演劇部の人が読んでいたら参考にしてほしいのですが、演劇というのは1に台本・2に演出です。顧問の先生のしかも2年連続創作脚本賞を取るような台本にNoを突きつける選択肢は生徒には存在しないかと思いますが、大渕先生の台本には「人物に深みがない」という高校演劇台本としては致命的欠陥があります。高校演劇と限定したのは、普通の劇団が上演するならば台本解釈と演出という過程を経てこの問題はクリアされるからです。演劇の原案として考えれば魅力的でも台本のとおり演じるとなると問題だらけ。拒否権発動が事実上無理な以上、よく台本を吟味し、アレンジして、どういう料理にするかぜひ検討してみてください。観客の前にどういう「舞台」という名の料理を提供するか、この料理は「観客からみたらどんな味になるか」ということにものすごく拘ってみるといいと思います。細かい舞台の作り込みというのは、まず「どういう料理を提供するか」決まってから考えた方がいいです。それだけで見違えるんじゃないかと思います。

演劇に対する姿勢や努力はとてもよく分かりますので、これからもがんばってください。

太田フレックス高校「先生、放課後って何時までですか?」

作:大渕秀代(顧問創作)
演出:川島 慎之介・大野 愛・深野 綾香
※創作脚本賞

あらすじ・概要

先生が校内を見回りしていると、校内で生活している女子生徒(神倉)を発見する。親に連絡するとしばらく来れないという。教師3人、職員室で待つのだが、ふとした物音から校内を探すと他にも校内で生活している生徒を数人見つけるのだった……。

基本一幕ものの、顧問創作台本。

感想

よく出来た台本です(創作脚本賞の是非については個人的に悩ましいところではありますが)。幕が開いて、3方を取り囲むようにパネル。下半分が茶色で上半分が白く塗られています。部屋らしさが十分出ています。高さもしっかり8尺あり(パネル1枚の高さ6尺だとやや低い)よくできています。中央左よりに広く窓がありカーテンが引かれ、手前にソファーが置かれその奥にあい向かいの教師卓、右手に木製テーブルとパイプ椅子が5~6個。右手の壁に木製の扉があります。とてもよく出来た部屋なのですが、どこなのかよく分かりません。第3職員室だそうですが、くつろげる部屋に教卓が置かれているという感じで、あまり職員室っぽさがない。たしかに現実には、こういう名ばかりの職員室もあるのですが。せめて木製の茶色い扉を、普通の職員室等で使う扉(白塗り+ガラス窓)にすれば違ってみえたように思います。もうひとつ、扉が開いたとき、パネルの立て付けが見えてしまうのはマイナスでした(舞台という幻想から現実に引き戻されてしまう=冷めてしまう)。

まず凄いなと思ったのが先生役3人が、きちんと先生に見えたこと。発声(や体格)もあるのでしょうが、やっぱりしっかりとした立ち居振る舞いが出来ていたおかげでしょう。とても良かったと思います。生徒たちを迎えに来る親も親っぽくなっていました。努力の成果だと思います。生徒たちも大勢でてきて、ドタバタとした非常に楽しい劇になっていました。進行と関係なく自分勝手に動き回る生徒とか、そういう個性もしっかり出ていたと思います。

特におどろいたのが神倉役でした。ラストシーン付近までほとんど無口で、親が迎えに来ていよいよ物語終演ということろで、堰(せき)を切ったように話し始めます。もうパニック気味に、泣きわめきながら頭の中を駆けめぐるよく分からない考えをそのまま口に出そうとする、とんでもなく難しい演技なんですが、うまかった。本当に泣いていたし(涙云々ではなく気持ちが)、本当にわめいていたし、その演技は舌を巻くほどでした。過去様々な泣きわめき演技を観てきましたが、これだけ上手いのは初めてです。

絶賛した後ですが、このシーン自体にはやや無理があります。迎えに来た母親に対して、なんで分かってくれないの!? という対立と悲鳴なのですが、その驚愕の演技力に支えられてはいてもここは独白であって、しかも前フリ(伏線)がない。ほとんど子供の面倒をみない嫌な(神倉の)母親というのはそのシーンでいきなり表現されるし、教師が巻き込まれた1日というリアリズムとして確かに伏線を置くことの無理が生じやすいのですが、そこは創作であって演劇。何故伏線を張らなかったのかとなる。

正直言って本作の最大の問題は台本にあると思っています。本の完成度も、よく出来た本であることも否定はしません。けれども、本作は教師たちが生徒たちに巻き込まれ、徹夜で色々な問題に否応なく付き合わされて、すべてを解決したら朝を迎えたという物語です。その最大の問題は神倉という生徒であって、朝方まで迎えに来ない神倉の母親です。そこから受ける迷惑というものが、一体どれだけ描かれているでしょうか。観客は神倉という娘の気持ちをこれっぽっちも理解できないし、抱えていた問題もまったく分かりません。……これじゃ落ちないでしょ? 大団円にならないでしょ? この本の構成上、神倉と母親の和解にカタルシスを感じないと(ほっとした気持ちになれないと)劇が終わらないし、ほっとしてもらうには「神倉は最後どうなっちゃうの」という緊張を事前に観客に与えなければならないんですよね。

全体的に

ものすごく情熱をもって劇全体が作られていたし面白かったと思います。教師は教師らしく、大人は大人らしく、生徒はまた生徒らしく、みんなきちんと個性をもって、それでいてきちんと演じられていました。本当にとっても良かった。

それだけに本は残念で(本を書いた)顧問の先生には大変申し訳ないのですが、この本は視点が教師なんですよね。色々なことあって巻き込まれた「教師の1日」であって「教師に見つかってしまった生徒の1日」じゃない。些細なのことなんだけど、大きな違いで、これ多分生徒からみたらそんなに面白くないですよ。

神倉役をベタ褒めしましたが、この演劇はそのラストシーン以外の印象がほとんどありません。神倉は、その前までの演技では何も語りませんでした。そういう意味ではとっても残念。言葉を使わなくても、身体で表現出来ることは言葉以上にたくさんあります。教師役もですが、もっと台本に解釈を加えて演じたらよかったんじゃないかな。教師たちは、神倉に対してどう思っているんだろう。心配なのかな、帰りが遅くなって邪魔だと思っているのかな、普段に問題のない生徒なのに何があったと心配になっているのかな、○○先生と一緒に残れて嬉しいと思っているのかな(下心)とか。神倉は見つかってしまったことをどう思っているんだろう。どんな気持ちで何日も学校に泊まっていたんだろう。そういうことに丁寧に気を配ってほしかった。それをするだけの実力はあると思うのです。表現する場面が必要なら、台詞やシーンを変えてでも、表現してほしかったと思います。

最後になりましたが、なんだかんだ言ってもよく出来ていた劇だと思います。情熱の入った舞台で、入賞しても不思議ではないと思っていました。

新島学園高校「りょうせいの話」

作:大嶋 昭彦
演出:新島学園演劇部
※最優秀賞(全国大会)、創作脚本賞

あらすじ・概要

たった3人しかいない、今の時代向きではなくなった寮とそこに暮らす寮生と寮母。やってくるOB。そんな人たちの織りなす、寮でも一幕を描いた物語。

主観的感想

脚本について

顧問創作。演劇部が練習場として使っている閉鎖された寮とそこにかける想いによって作られた本とのことです。ここのところ、全国で使われたの既成本が多かった新島が創作台本で勝負してきました。内容はというと非常に秀逸です。

話は、来年閉鎖する寮で1人残って寮から出て行くことになる主人公ケンジが、あこがれの先輩にメールで告白をといったありがちなものです。しかし、それを支える登場人物とそこにやってくる元寮生の小杉、先輩二人の寮生、そして三十路近くにもなりながら寮母をしてしまっている、ある意味で「寮」に取り憑かれてしまっているそんな人たちの織りなす物語になっています。

とにもかくにも、寮という場所に対する想いをこれでもかと詰め込んだ本です。

脚本以外

幕があがって、寮の食堂が見えます。左手に壁があり手前に電子ピアノ。切れ間(勝手に繋がる通路)があって正面にも壁。左から絵が2枚飾られ、レンジが置かれ、中央の黒板の上に時計。右手にドア、カベ、そしてちょっと古びたソファー。舞台中央にテーブルが二組。こじんまりとした寮の一室を、黄色味のあるライト(電球色)で着色した、みただけで引き込まれてしまうようなセットです。講評でも述べられていましたが、雑然とさせることもなくセットに物が置かれ、寮の一室という狭くもなく広くもない空間を見せ、それでいて2組の机、ソファー、電子ピアノといった小道具を劇中で効率的に使い人物を配置しています。録画テープをもらってでも、何がどうなってるのか研究してみる価値はあります。

そして演技にも隙がまったくありません。よくある劇団(とか小劇場)の現代劇と同じクオリティ(むしろその辺より上手いです)。例えば、最初におばあさん(外部のお客)がケンジを連れて入ってきて、寮生と寮母さんがやや緊張して、おばあさんが居なくなると「はぁー」っと肩をおろして緊張がゆるむ。外部の人間と内部の人間という区別をその体の動きだけで表現仕切っています。動きに全く隙がなく、一人一人がきちんとその劇中で動いています。

見事としかいいようがないのですが、いくつか気になったところ。まず講評で指摘されてなかったのが不思議だったのですが、すべての台詞が早口です。現状でも成り立つのですが、あと少しだけ「間」を取って話した方が良いです。動きやその他の演技・演出のクオリティに対し、台詞の「間」だけが負けています。原因は明らかで、台本の詰め込みすぎです。60分の上演時間に対して、やや台詞が多すぎます(無論間を取るためには少し削るしかありません)。そのために、演技のメリハリもいまいちの面があり、台詞に対する強弱が少なくなっています(無いのではない)。特に、小杉と寮母はもっと「大人の間」で台詞をしゃべならないと不自然であって、本来オーバーでゆっくりに話すべき台詞(例えば「えっ、何のために学校行ってるの?」とか)があまり生きていませんでした。

もう一つ気になったのはシリアスシーンが(全体のクオリティに対して)やや甘ということです。この辺は講評で指摘されていた「ケンジの恋心やその背景があまり見えてこない」ことも関連してくると思います。言ってしまえば、この恋話は寮という主題を盛り上げるための小道具に過ぎないわけですが、小道具だからっておざなりにしていい理由にはなりません。このお話に深みを持たせるエピソードや台詞を足すのは無茶ですが、演じ手の動き・動作を突き詰めるだけでそれを表現することは十分に可能なはずです。コウタとケンジの対立というこのお話唯一のシリアスシーンを軽く流すことなく、見せ場であることを意識して、もっともっと登場人物の気持ちを突き詰めることは必要でしょう。

全体的に

今まで観てきた新島の演劇の中では一番の、全国に行っても恥ずかしくない演劇です。関東という試練がないのは残念な気もしますが、あっても多分突破していただろうと思います。

新島自体の演劇のレベルは去年・一昨年と大きく変わっているか言われれば、進歩しているものの(元が高かっただけに)そこまで大きく変わってはいないと思うのです。ですが、今年はテーマを理解して演じていたことが大きかった。きちんと「寮という場所が主役なのだ」ということが、役者もスタッフもみんな意識していたことがきちんと伝わり、それこそが例年との違いなのだと思います。例年の新島の最大の失敗は「テーマに対する理解不足」でしたから(話の舞台が普段慣れ親しんだところであるといことも大きいのでしょう)。

観客を見事に舞台に引き込んで一体となっていました。寮への愛情の勝利ですね。

館林女子高校「ANTI-」

作:江原さゆり(創作)
潤色:館林女子高校演劇部
演出:江原さゆり

※創作脚本賞

あらすじ

お掃除ガールズの3人は、いつも部屋を掃除する。清潔にして、そして防腐剤がないと死んでしまう人間だった。そこにやってくる自称サムライの二人(サムライの格好ではない、女子2名)、自称普通じゃない女。彼女たちはお掃除ガールズの邪魔をし、防腐剤を狙うのだが……。

主観的感想

【脚本について】

腐ってしまう人間という着想(題材)は非常に面白いのだけど、話が全体的に散漫。題材を生かし切れなかったという感じです。お掃除ガールズ3人の「腐る」ことに対する危機感がなく、最大のキーワードである「防腐剤」だけが一人歩きしたという感じです。ほかの人たちはなぜ邪魔をするのか、腐る人間と腐らない人間の差とは何なのか、どうして腐ってしまうのか、という点が不足しています。

例えば、腐らない人間と腐る人間で、どちらが正常でどちらが異常かを互いに言い合うとか、防腐剤は腐らない人間の血から作られるとか、そういう工夫があればかなりの良作になったと思われます。お掃除ガールズ自体は人物像として厚みが足りず、劇では常に3人出っぱなしでしたが、途中一人、二人いなくなるなどの組み合わせを使って、互いのことを噂し合えば深みが出たのではないかと思います。

ほか、話作りや台詞回しに特に大きな問題や初歩的なミスはなく、その点はよく出来ていました。構成に若干難ありですね。

【劇について】

普通の演技なんだけど、なぜか演技が非常にぬるい。だれるというか飽きるというかそういう感じがしました。演技にメリハリがなくずっと一本調子だったことが原因だと思います。演じるテンションとテンポが60分通してずっと一定でした。オーバーに演じるところはオーバーに演じて、弱く演じるところは弱く演じるなどメリハリを付けないと必要以上につまらなく感じてしまいます。

また登場人物がすべて薄っぺらく、演じ手としても特に役作りをしている様子かありませんでした。例え台本上で個性がなくても、役として演じるときに個性付けするべきです。あと舞台を転換しない暗転のとき、BGMを一区切り使って暗転したいたと思うんですが(記憶曖昧です)、意図が不明でした。すぐに切り替えてしまえばよかったと思うのですが。

【全体的に】

何と言っても、腐る人間という題材を生かし切れなかった、その一点につきると思います。それに加えて、変化が少なかったなーと思います。ブラシでひたすら床を掃除しているだけ。掃除の演技を見せるなら、他にも色々あったと思うのですが。

ひとつ、演出が主演してないことは評価したいです。

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 台本を読んですごく面白いと思った。日常と非日常、腐っていくとか、防腐剤とかキーワードが散りばめられていて、不条理劇だったと思うのだけど、どう芝居にするかがポイントで、観念的なものがどれだけ演劇という具体的なものとして観客に伝わってくるかなと思った。
  • 実際に劇を見て、言いたいことがお客さんにダイレクトに伝わってないのではないかと思った。伝えるためには工夫が必要。
  • お掃除ガールズが、普通じゃない女やサムライズという「異物」を排除せずに受け入れているという状況に違和感を感じた。ここで拒否をして対立が出来ることで全体が見やすく(分かりやすく)なったのではないかと思う。
  • 全体的にテンポ(間)が遅い。もっとここは食い気味に(台詞をかぶせ気味に)言ってほしいというシーンもあった。
  • ふつうの女がゴミ箱からゴミを散らかすシーンで、その散らかすゴミのなかに「なぜ掃除をしているのか」「ここはどこなのか」というヒントをキーワードとして書いておけば面白かったのでは?
  • タイトルが「ANTI-」ということで、この後ろには何か付くのだと思うけど、本来アンチという言葉には主張がある。例えばアンチ巨人というのは「巨人ではなく○○が好き」というふうに、AではなくBであるという主張がある。しかし、この劇ではAではないけど(編注:腐らない人間ではないけども)、Bだという主張がないために対立構造がない。対立構造がないから分かりにくくなる。(編注:対立構造を作ることは、物語を分かりやすく伝えるための常套手段です)。

高崎女子高校「Story of story」

作:川口 麻美(創作)
演出:川口 麻美

あらすじ

高校生小説家の奈央(なお)が、文芸部部室で書けなくて悩んでいる。まわりには賑やかな友達。部員の恵介(けいすけ)と話しているとき、奈央は恵介の姉、遙(はるか/小説家)の幽霊が見えて……。遙は、作品が書けなくて困っている奈央に、自分の代わりに自分の作品を書かないかと言うのだけども。

主観的感想

【脚本について】

雑然とした部室でのやりとりからはじまって次第に奈央に焦点を当てていく様子や、文芸部部室であることや高校生作家であることなどを決して無理して説明せず、自然な会話の中で情報が出るようにかなり注意深く書かれています。今年はどの高校の創作脚本もかなり初歩的なミスがなくレベルが高かったのですが、その中でもこの辺の会話の処理や人の出入りをうまく使い変化を付けたのは秀逸です(個人的には創作脚本賞かなと思ってました)。

じゃあ手放しで絶賛できるかというと残念ながらそうでもなく。途中遙(はるか)が昔書いた小説を朗読するシーンがあり、朗読代わりに劇中劇が始まるのですが、これが結構長い。しかも、「物語についての物語」という作品テーマからして、そこに出る劇中劇(内容)の必要性が全く感じられません。もっと時間を減らして、普通に朗読+αぐらいにしておけばよかったように感じます(朗読劇みたいな感じで)。そもそも、そこに時間と労力を割くならば「物語を生み出す側の苦労や苦しみ」(奈央)と「物語はすらすら書けるのに書くことができない苦しみ」(遙)という対立をより明確にし、もっと深く描くべきだったのではないでしょうか。二人が互いの言葉を交わし、ときに争ってこそ、本当に物語りについて何か描くことが出来たのではないかと思います。

【劇について】

まず初っぱな声が聞こえない(聞き取りにくい)。幕開けて、ゴミっとした部室の様子はよく作られていて、この辺はさすが。前半、リアクションの間(台詞に対する反応の台詞)がわずかに早いところがいくつか。時間がないのか、練習慣れなのか分かりませんが、もったいない感じはしました。関連して気になったのは、「頭を打ったらしい」→「そこ腹っすよ」という掛け合いが被せ気味だったのですが間があった方がいいと思うし、逆に部室からみんな居なくなったとき「みんな帰っちゃった暇だなー」という台詞は、もう少し暇そうにしてから言った方がいいと思います。

物語のキーポイントである遙ですが、最初みんなと同じように制服を着て部室にいて、後々実は幽霊でしたという感じになり、その後、白い衣装に着替えています。観た感想としては、「実は…」という感じの意表がなく自然な流れで「あー幽霊なんだ」となるんですけど、そこに妙な違和感がありました(例えば、昨年の共愛昨年関東大会の秩農とかの幽霊の処理の仕方に比べると)。遙と奈央と恵介のシーンやその前の段階で、もう少し気を配って遙という存在の違和感を慎重かつ十分に出してから幽霊という設定を出してほしかったと思います。あと、幽霊であることを見やすくするためにその後のシーンで着替えさせたのだと思うのですが、それだったら最初から着替えさせててもいいような感じもするし、それよりも元から白衣ではない別の記号を(一人だけ夏服とか、目立つアクセサリとか、色々やりようはあったと思うんですけど)持たせておくほうが自然だったように感じます。

【全体的に】

県大会常連組の高女ですが、一時期の質は維持出来ず年々下がり気味。去年は県大会を逃しており今年はリベンジという感じです。そういえば上演時に着ていた女子制服は高女のではなく健康福祉大付属の制服にみえたのですが(12/24訂正、見間違え&勘違いでした)。高女の制服は黒の上下なので、男子生徒の制服(学ラン)と区別が付きにくいという配慮だと思うのですが、こうこう細かい気配りはさすがでした。

それに限らず、照明、装置(大道具・小道具)、台詞回しなど、本当に細かいところまで気を配って完成度を高めていた一方で、話(テーマ)を中心とした演出・構成という面ではひとつ、ふたつ物足りないという印象です。思うに、多分、劇中劇でやったようなストーリーが本当は好きでやりたかったんだと思いますが(だとすると割り切れてなかったかな)。

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 舞台は文芸部で劇中劇もあるなと期待していた。
  • 綺麗なパネルに段ボールなどのアクセントで雑然ともしていて良かった。特に壁の電気スイッチの処理は照明とのタイミングもバッチリで、また電気を切っても切れたことは分かりながら真っ暗にはならないなどよく出来ていた。
  • 劇中劇のとき、上手、下手から捌けるのは、少し気になった。また劇中劇において部室が見えてしまうのは気になった。
  • 朗読から劇中劇に移行するとき、台詞のハモりからうまく劇に移行した。
  • 文芸部の部室のカレンダーが10月から2月に変わったりとか、実に細かいところまでよく出来ていた(手抜きが全くない)。
  • 劇中劇のとき、奈央と恵介が着替えて出てくるのだけど、髪型がそのままなのが気になった。帽子を被るとか何か工夫をしてほしかった。
  • 遙が最初制服で、次に白い衣装(ゆうれいの格好)になったのですが、その遙の想いはきちんと奈央に伝わったのかなという疑問が残る。
  • 音響が大きすぎて台詞をかき消してしまったところがあったのが残念。
  • 台詞を喋るとき、キーワードに気持ちを込めるあまり、それ以外の部分で聞こえにくくなっていた(編注:多分たくさん話してるようなシーンだと思う)。
  • 全般的には創作でよく頑張っていて、いい芝居ができていた。