高崎商科大学付属高校「おにぎり食べたい。」

  • 作:山田 巴(顧問創作)
  • 演出:吉田 成美、高橋 あゆ

あらすじ・概要

下宿で生徒を受け入れている一家。父親は単身赴任。娘と下宿生の4人は、間もなくやってくる母の日にスカーフを送ることを決めた。

感想

下手側にリビング、上手側にテーブルとキッチンがあり、奥には冷蔵庫と漆器棚。冷蔵庫すごいよくできてました。壁(装置)埋め込みではあったけども、作り込まれていてこれだけでもワクワクしてきます。

会話の演技かなり頑張っていたと思います。でも反応にはちょっとなっていなかったかな。そしてやや早口。難しいですね。立て板に水の如くするすると台詞が流れて、会話してる感じが少し弱いんです。言葉で説明するのは難しいので、自分たちで録画なり録音なりしてうまい上演と聴き比べてみてください。

台本の問題ではありますが、母の台詞が「ねぇー」「のよー」のオンパレードで、たしかにそういう母親いると思いますけどステレオタイプ(形の台詞)じゃないかな。演技は母親っぽくなってたのは良かった。

気になったところ

  • 開始15分くらい何も起きないので集中力が持たない。最初になにか興味を惹くもの(話を牽引するもの等)を提示しても良いのではないでしょうか。
  • 夕方のSEで豆腐屋のラッパが鳴るのですが、時代設定おかしくありません?
  • 食事のお皿がプラスチックなのが気になってしょうがない。本物の食事を用意しないまでも、せめて陶器のお皿で、しかも毎回一緒じゃなく変えたほうが……。
  • 関連して、食事のシーンはもっと大切にしたほうが良いのではないでしょうか。物語上重要なシーンだと思うのですが、かなり雑に運んで、雑に食べてる(食べてるという形の演技)感じがします。
  • 下宿生が低いテーブルで食事をして、家族が上手のテーブルと椅子で食事をしているのに、(家族の)ユウキの席はなぜ下手の低いテーブルなのか疑問でした。
  • 台本の場面転換(暗転)が多すぎます。

後半からラスト

上演後半で、舞台上に存在する長男ユウキが、実際にはすでに死んでいる(幽霊)という、学校演劇では比較的よくある設定が後で明かされます。

とすると、それまで食卓を一緒にしていたと思うユウキが実は幽霊でしたとなるのですが……。死んだ人の分まで毎回食事が置かれ、テーブルの1席が常に使われない下宿ってイヤじゃないですか? そんな下宿に3人も集まる? そんなのぜんぜん気にしないぜって人も中にはいるとは思いますが、演じた皆さんはこの点どう思うんでしょう。

また「実はユウキは幽霊でした」とネタバラシをしたあとも居続けるユウキは演出上どうなのでしょう。すみやかに居なくなり、そしてそのまま最後まで出てこないほうが良くないでしょうか。居なくなることで、さっきまで居ると思っていた存在が居なくなった状況がどう映るのかという面白みが生まれます。違和感が際立つはずです。

最後もなんで戻ってきちゃったの……。むしろ、現状の話の展開だと、最初から舞台上に居なくてよかった……。

まとめ

どう演出するか次第にはなりますが、ユウキの存在を通してホラーにすることもできますし(面識のない死者の食事が毎回用意される食卓で何も気にせず食べるとか十分怖い)、あったか家庭にすることもできますし、名前忘れましたけど潔癖症の子(ヒロキかな)に焦点を当てることも、全編ギャグにすることもできるのかな。

逆に言えば、そのどれにも焦点が当たって(絞られて)いないようにも感じました。

部分的にコメディっぽい作りもしてましたが、弾けるの難しいですね。下宿生3人や母親など個々のキャラが立っていてとてもよかったと思います。

桐生南高校「夏の終わり、狐の嫁入り。」

  • 作:栗田 綾菜(顧問創作)
  • 演出:亀里 涼介
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

おじいちゃんは国語の先生で、おばあちゃんは理科の先生だった。二人が大好きな美紅(みく)。やがておじいさんが亡くなり、おばあさんも一人では暮らせなくなってしまい、高校生になる美紅はおばあちゃんの家で二人暮らしをすることにした。。

感想

装置は、ちゃぶ台が置かれ、薄汚れた壁で囲まれ、写真などが置かれた部屋を丁寧に作ってきていました。これだけリアルだと、出入り口の「のれん」がちょっと謎にはなりますが、とても気合いを入れて作ってきたと思います。

にぎやかワイワイの友達たちがとてもよくできていて、下手に全力でにぎやかさを演出すると進行を邪魔してしまうのですが、その辺よく配慮していたと思います。おじいさん、おばあさんもよく演じていましたが、少し反応速度が早かったかな。老人は思考速度が落ちますので、「……んっ、なんだって?」まで行かなくても、若者よりは会話に対する反応が少し遅くなります。

気になったところ

まずおばあちゃんが部屋を掃除するシーン。BGMに乗せて「形」(掃除をしてますという記号的演技)で済ませていたのがとてももったいない。掃除を時間をかけてきちんとするだけで、おばあちゃんのリアリティが増しますし、性格も見えてきます。台詞でない部分で人物を説明でき、しかもきれい好きを伏線とできるとても貴重なシーンなのです。*1

きれい好きに関して付け足すなら、日常の別のシーンでも細かいところで(美紅たちがやってくるとき、いつも掃除をしている。写真のほこりを落としている。テレビを雑巾がけしている等)で演出した方がよかったんじゃないかな。また、おばあちゃんがボケた後の「部屋の散らかり」も形になっていますね。もっと違う表現の仕方はありませんでしたか?

途中にある美紅の周りに三角コーンを3つ置いて工事用ポールで囲む演出。これなんだったんでしょう? 壊れていくおばあちゃんか美紅(との関係?)か何かを明示してるんだと思うのですが、これ単なる説明ですよね。しかもほぼ伝わってない説明。台詞や状況で十分伝わっていたと思うのですがその演出本当に必要だったのですか。おばあさん一人になってしまった家を取り壊しているのかと思いましたし、急に工事関係者みたいな人たちが出てきて違和感だらけでした。

序盤ですが、美紅がなんでおじいちゃん、おばあちゃんにここまで想い入れてるのか全く伝わってきません。説明はありましたが、欲しいのは説明ではありません。エピソードです。エピソードが無理でも、関係性(の演技)で匂わせてほしいところです。

一番もったいないのは、ラストシーン(ラスト前)ですね。

「私はこの日のことをずっと忘れないと思う。5人で食べた最後の夕飯」

最後に家族みんなで食べた最高の夕食シーンです。良いですよね。美しい。このシーンのためだけにこの劇が存在したと言っても過言ではないぐらいの名シーンですね。

…………なんで省略したの! なんでみせてくれないの!!

台詞なく、ただただ美味しそうに食事するシーン*2劇中で一番の見せ場でしょう。それ省略するってどういうことなんですか! と叫びたい気持ちでいっぱいでした。

あとこれは好みの問題ではありますが、ラストシーンで美紅が泣いて終わるので本当に良かったのかな。美紅は、劇中大きな声を出し叫んだり泣いたりしながら感情いっぱいな姉として演出されているので、その美紅が大泣きするのは比較的普通のことです。もしこの大泣き演出を成立させたいなら、美紅はそれより前のシーンでもう少し控えめに演出したほうが良いのではないかと思います。

台本について

栗田綾菜先生の脚本です。以前も述べました通りやや荒削りな印象を受けました。

  • 説明セリフが多い。
  • 場面転換(暗転)がやや多い。

セリフに関しては台本作者のセンスであり個性なのですが、以前より良くなったものの状況を台詞で喋らせがちですね……。魅力的な台詞についてもう少し検討してほしいかなと思います。

途中にあった、美紅が実家にメールするシーンや実家で老人ホームのことを父と母が検討するシーン。シーンまるごと要らないと思います。

メールを送るという行為は貴重な伏線となりますし、その後、家族の中で何が起こったのだろうかというのは美紅の預かり知らぬところなので、それを匂わせる(もしくは次に会ったときに会話させる)ことで非常にきれいに処理することができます。少し演出の話が混ざりますが、あのシーンはテンポを悪くするだけでなく、そもそもが説明的なシーンであり、舞台の端に椅子や机を用意することで更に説明度合いが増しています

さて、栗田先生脚本は家族問題、特に嫁姑問題や痴呆問題について興味があるのかな。勝手な解釈かもしれませんが、理想として家族は大切にしたい、でも現実には問題が多く理想通りに行かないといった印象。全体的に(特に痴呆関連の描写は)以前の「ファミコン!」より良くなっていたと思います。

まとめ

今の状態だと美紅にばかりスポットが当たっているのですが、もっと「おばあちゃん」や「美紅とおばあちゃんの関係」にスポットを当てれば、印象は(文字通り)劇的に良くなったと思います。それと、台詞以外で表現(説明ではない)することに気を配ると良いでしょう。

色々書きましたが、上演終盤からすすり泣く声が客席で聞こえてましたし、力いっぱいの素敵な上演でした。

*1 : 細かいことですが、畳は畳の目に沿ってほうきがけします。畳の目に逆らってほうきがけすると、きれい好きには見えません。

*2 : できれば本物で!!

高崎商科大学附属高校「8月5日(晴れ)」

  • 作:高崎商科大学附属高等学校演劇部(創作)
  • 演出:櫻井 桃夏
  • 優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

大学生4年生になった高校時代の仲良し5人が集まって、山小屋に泊まりに行った。そこでの行われる会話劇。

感想

木の板を貼り合わせ作ったように見える見事な山小屋セットでした。手前が床になっていて壁は奥の出入り口面だけ。奥の壁側に服掛け、上下に長椅子という様子で、空間を狭く区切ったのもムードが出てて良いですね。

内容は特になく「今どうしてる?」「昔はこうだったよね」という感じで進む会話劇です。会話をしながら、きちんと話す人の顔をみて、リアクションもちゃんと出来ていて、台詞まわしもとても自然。山小屋での女子会って感じにも取れますね。演出がかなりしっかりされています。観ながら「外が雨の気分」になってきました。

気になったところとしては、講評でも指摘されていましたが雨音の処理ですね。ただまあずっと鳴らしておくのは邪魔なので、講評のアイデアのとおり扉あいたときだけ聞かせるのもアリかもしれません。あとヘッドライトでは小屋全体明るくならないよねというのも同じく気になりました。

非常によく演じられていてレベルも高いのですが、ちょっと難点を挙げると「ただの会話」なので終盤まで引きつけるものがありません。王様ゲームとかみせられても何を楽しんで良いのか困ります。一人だけ、メンバーに禍根を持つ人物が居るのですが、それも比較的序盤で解決してしまい、中盤少し飽きてくるのが問題ですね……。

もっと言いたいけど言えないことがあるとか、小屋の中に不思議なもの(不自然なもの)が置いてあるとか、小屋に不思議な点があるとか、何かしら話を引っ張る仕掛けがほしかった。もしくは、惹きつけるほどに魅力的な会話内容にブラッシュアップするとか(難しいですが……)。

ラストシーンとの絡みを考えると、小屋の中の不思議なアイテムをおいて、あれこれ想像を膨らませた挙句に、結局最後にあっけなく壊れているとか……あんまり良いアイデアではないか。これだけ演じられるなら「ただ仲が良い」だけではなくて、もっと色々な5人の関係性をみてみたかった。タイトルについて少し調べてみたのですが、8.5水害あたりなのでしょうか。

まさかそんなオチ!という衝撃はありましたし、全体の演技もよく出来ていたと思います。関東大会がんばってください。

大泉高校「845」

  • 作:狩野 英佑(顧問創作)
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

ビルの屋上にやってきて自殺をしようと思ったサエコは、端っこの妖精スーに話しかけられた。

シナリオの感想

端っこの妖精が死ぬのを止めるという導入は良いのですけど、その後をラストまで引っ張るものがないのがちょっと残念でした。展開もゆっくりめなので「この先どうなるんだろう?」がなくて、途中で興味を持続するのが難しくなってきます。中盤を引っ張るちょっとした謎とか闇とか用意できなかったのかなと少し思いました。

設定としては「妖精=元人間=死神」で満月をさがしてまんまかな?

スーがサエコを引き止めるシーンが間延びしている印象があったので、そこをもっとコンパクトにして、その後の展開を倍ぐらいに膨らませたほうが、もっと面白くなったようか気がしました。あとはもっとコメディに振るのも手だった気がします。

感想

黒幕が引かれ、中央に黒い三角形状の広い台(高さ50cmぐらい)が正面に角を向けて設置されています。中央だけの空間をライトで区切っていました*1。ビルの屋上の隅っこという設定らしいです。ライトでの空間の区切り方がうまいですね。

LEDフットライトも置いてました。下から照らすことで屋上感を出したかったんだと思いますが、シーリングライトのほうが明るいのでそこまで下から照らされてる感はなっかたですね。シーリングライトを消すか照度をさげるとか、代わりにフロントライトを使うのではダメだっかのかな?

この舞台を成立させる上で高さ50cmの台をいかに屋上と見せるかが重要になりますが、配慮不足に感じました。まず台の構造。まわりに黒っぽい布を画鋲かなにかで貼っていて、上も黒っぽかったのですが、背景も黒、ライトの当たらない周囲も黒、ビルの屋上も黒だとまず空間自体がよく分かりません。白くしろとまでは言わないまでも、もう少し明るい色にしたほうがよかったと思います。更に言うなら、管理人以外の人が外に出れる構造の屋上なら(ほぼ)必ず柵が設置されてませんか?

そして、役者の演技。高いビルの屋上という動きをしていましたか? 落ちたらヤバい場所と思って演じていましたか? 動きの素早さ、移動するときの慎重さの欠如は「高さ50cmの台」だと思って演じていることが見て取れます。ここがとてももったいなく感じました。

もうひとつ気になったのがサエコの服装で、Yシャツに黒ズボンで「男のサラリーマン?」かと思ったら女性設定のようで、違和感がありました。レディーススーツとか、ブラウス+黒系スカートとかにすべきだったと思います。

終盤のサエコが母を占って、その後電話をするシーンですが、二人共椅子に座ったままでそのまま電話をしてしまうと、客の理解としては「目の前で電話している」ことになりますので、母が席を立って、同時に母側のライト一度消すなりしたほうが良いです。


役者さんの演技ですけど、スーさん歌上手いですね。発声もよかったと思います。全体的にゆっくりと間を大切にして演じられていたと思います。ラストシーンは「ええーっ」て感じで、後味の悪さがちゃんと出ていたと思いました。上演おつかれさまでした。

*1 : そういえば、たしか去年まではやっている高校はなかったと思うのですが、ようやく今年からシーリングライトを中央だけ、一部だけ付けたり消したりしている学校が何校もありました。会場側が今年から対応したのでしょうか?

渋川女子高校「雨上がりを待ちながらⅡ ~女子校版「ゴドーを待ちながら」クジャク篇~」

  • 作:石田 諭(顧問創作)
  • 脚色:渋川女子高校演劇部

あらすじ・概要

ゲリラ豪雨で教室に閉じ込められた生徒3人。そこへ、謎の男の侵入者が……。

感想

中幕で少し区切った空間に、椅子と机が4セット。空き教室という設定かな? 「登場人物が4人だから4セット用意しました」みたいな感じがしました。ここがどういう空間なのかということから物を配置してほしかったし、椅子と机をいくつも持ってくるのが大変なのだったら、椅子しかなくても、それ以外のものを持ってきても、はたまた何もなくても成り立たった劇だと思います。

気になったところ。

  • 悪天候ぐらいでは携帯は不通にならない。
  • 演技が型になっている。詰め寄る演技、怯える演技、おどろく演技とか。
  • (講評でも指摘されてたけど)女子校の教室に見知らぬ男の人が入ってきたことをすんなり受け入れている違和感。
  • 男役の人、動きとか座り方とか男っぽくなるように頑張ってたけど、手の上げ方とか、動作の細かい部分で女の子だった気がする。

タイトルの元ネタにされてるゴドーを待ちながらは不条理劇だそうですが、この劇はどうやらコメディのようです。コメディだとしたら、もっと進行や演出を完全にコメディに振り切ってしまったほうが良かったと思いました。普通の劇進行(シリアスな進行)として演出されると、観客は笑ってよいシーンなのか分からないのです。

途中にあった客席いじりと上演時間いじりは、コメディであっても結構なタブーです。劇リアリティを積極的に投げ捨てる行為なので、安易にはやらない方がよいです。

ただ、それらを含めて良い意味で無茶苦茶をしていたので、その点面白かったです。筋立てなんて破棄して、もっともっと無茶苦茶でも良かったと思います。全体的にとても頑張って演じられていました。上演おつかれさまでした。