伊勢崎清明高校「ミュージカルとかもやっていきたい」

  • 作:清明演劇部+原澤 毅一(既成)
  • 演出:高江洲 波江

あらすじ・概要

漫才、ミュージカル(昼ドラ風サスペンス?)、教室シーンを織り交ぜながら進む舞台。この上演はいったいなんなんだろうか……。

感想

中割幕をかなり引いて、舞台中央奥が出入り口になっています。その手前に学校で使う椅子が2脚あり、左右に置かれて制服の生徒が2名居ます。この2名は教室シーンでのみ居なくなります。

話の概要としては、教室シーンが現実で、漫才、ミュージカルシーンは演劇部での練習上演という設定で、それが明かされるのは上演の最後になっています。「部員不足で存続の危機なので、ミュージカルとか漫才とかもやって1年生を入れたい」という真相が明らかになります。

漫才ですが、発声が悪く、たぶん複式呼吸できてないんじゃないかな(特に下手の人)。聞き取りにいから面白さが伝わらない。そもそも漫才って、演劇以上に「間」の扱いが難しいのにそれ全然できてない。一方ミュージカルは、ミュージカルもどきの医者と奥さんの不倫というふざけた設定で面白かったです。あのくだらない演出大好き。……ただ運動靴なんですよね。「違和感の演出」なら衣装着てるのはおかしいし、室内シーン(2回目)でのみ靴を脱いでいるのもおかしいよね。というか漫才だって、オチ考えるとちゃんとした衣装を着なくてよかったんじゃないかな。

台本のリアリティを考えたら演劇部が片手間でやってる漫才もミュージカルも下手でもようそうですが、舞台として成立させることを考えたら完璧なまでに上手い方が面白いと思います。


教室シーンで「文系大学より理系重視の国の政策で文系はピンチ」とか、「演劇部、上手なんだけど話が時代劇って感じで何やってるかよくわからない」とか、「だから今年から古典みたいのじゃなくてもっとウケる奴に変えていく」といった内容の台詞が出てくるのですが、時代劇って去年の上演ことですよね。ここに書かれた危機感って多分実際に感じてるもので、その視点は台本を書いた原澤先生の立場ですよね。生徒の視点じゃないてすよね。

「演劇部ちょっと危機っぽいしー、時代劇とか、昔やってた能とかよくわからないって言われるしー、ここはいっちょ『まんざい』とか『みゅーじかる』とか、みんなが好きそうな事をやってみたらいいんじゃないのかなー」

内容がふざけてる以前にスタンスがふざけてる。タイトルもふざけてる。もう「全力でふざける」。別に「ふざけてる」からダメじゃないですよ。全力でふざけるのも演劇の自由な表現のひとつで、とても面白いと思います。ただ「漫才もミュージカルもふざけてるだけですよ」(ただし真剣に)ってこと、ちゃんと観客に伝わっていましたか? 講評で「漫才の服装」を指摘されてることから考えても、多分全く伝わってなかったんじゃないかと思います。

この上演の問題は、そういう劇であるということを「去年の伊勢崎清明の作品や、更に言えば以前に原澤先生が顧問として関わった上演を知らないと理解できない」というところにあるのです。つまり、本作品は内輪ネタです。内輪ネタを、観ている大半が事情も知らないコンクールの舞台でやったのです。みなさんはそのことを理解しているのでしょうか。


とはいえ完成度は高いし、観ていて面白いし、ミュージカルというネタはバカバカしくて笑ったし、教室などシリアスシーンは引き込んでいくし、さすがでした。上演おつかれさまでした。

伊勢崎清明高校「アナ雪なんて観ない」

作:モーティマー大佐(顧問創作)
演出:星野 珠菜
※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

黒幕をおろした舞台に、左右対称に椅子が4脚。中央にサスがあり男、中ニ。椅子には白い服の女子4名。この4名が役を早変わりしつつ演じられる舞台。中ニがまわりに翻弄されつついろんなところに流れ着くお話。

感想

時代設定は江戸ぐらいだと思いますが、ひたすらにネタだらけの舞台です。わざと説明的なBGMを多用し「JR」とか「中学生」とか「所場代が4月から8%、来年から10%」とか「しまむらはファッションセンターだ」とか、そういうネタをワンサカ盛り込んでいます。しかし演技はあくまでシリアスでコメディではありません。

とにかくひどい。ほんとに酷いシナリオ(苦笑)。酷いってのはこのシナリオの場合褒め言葉になると思いますが、悪ふざけを糞真面目に全力でやりましたって感じで、演技も非常にうまく声もよく聞こえ、それだけでも惹きつける力があります。

とやかく言ってもしょうがない舞台ではありますが2つほど。時代設定が江戸風なのにネタ(用語)が現代なので時代がよくわからなくなります。コメディなら構わないのです、コメディなら。でもこの上演、観客からはコメディでも登場人物はあくまでシリアスなのです。シリアスなのに時代設定を蔑ろにするのは大変違和感があります。時代設定を守った上でネタを盛り込むこともそんなに難しくないのに、なぜそれをしなかったのか。

もうひとつ。場面が次々と転換するのですが「最初から最後までクライマックス」。全体を通してテンションがほぼ一定ですので観てて飽きてきます。山もない、オチもない、意味もないとなると勢いで押すしかないという判断なのでしょうが、全体としての物語がなくても細かく区切った個々の小話に起伏をつけることは十分可能だったわけで、なぜそうしなかったのかという疑問が残りました。緩みのシーン(演技)が圧倒的に少ないですよね?

顧問が変わり今後原澤先生劇団に染まってしまうのかどうか興味深くはありますが、さすがに演技の完成度は高かったなと感じました。おつかれさま。演出今後もがんばって。

前橋南高校「狩野【kanou】」

作:原澤 毅一(顧問創作)
演出:星野ひかり
※最優秀賞(関東大会へ)、創作脚本賞

あらすじ・概要

東京の山の手にひっそりと暮らす姉妹の物語。お嬢様育ちで親の遺産で過ごす、姉のほぼ言いなりになっている妹。姉の恭子は屋敷を売り払って群馬に引っ越すと言い出すのだが……

感想

狩野って何かと思いましたが、叶姉妹を明らかにモチーフにした非常にバカバカしい台本です。原澤先生の台本は毎度よくわからなかったのですが、今回のでなんとなく楽しみ方がわかったというか本当にバカというか。今回、バカらしいことをすごく真面目そうに格好よさそうにそして舞台芸術風にも作られていますが、その本質は単なる悪ふざけ。下手に上演すれば、ただ呆れられるだけなのですが、すごいクオリティで上演するから成り立ってしまう。

幕が引かれて、椅子が2脚あるだけの非常に簡素な舞台です。椅子1つ1つにサスを当てる、もしくは2つ一緒にサスみたいな照明だけで進めていますが、横から照明をあてて顔が影にならないように配慮することは忘れていません。舞台装置はほぼ何もないのに部屋や屋敷の構造を感じさせる動きがこれまた素晴らしい。

声の演技をはじめ、人物の動きがとてもとても美しく、とても上品な上演となっています。そしていつも通り、スモークを使ったり、飾りサスを使って舞台芸術的なものも見せ、舞を見せ、脈略も何もない。ひどいもの(褒め言葉)です。ラストシーンは姉をリサイクルしてしまうという怖くかつ抽象的な終わり方でした。

全体的に

例年通りの前橋南でしたが、今年は完成度高かったように思います。もう圧倒的。文句なしの最優秀賞です。

前橋南高校「箱式hollow」

作:原澤 毅一(顧問既成・「恐ろしい箱」より改題/細部改変らしい)
演出:須藤 瑞己

あらすじ・概要

突然エレベーターに閉じ込められてしまった5人。助けが来る様子もない。どうやったら外に出られるのだろうか。ざわざわと騒いでいるうちに便意を催した武田は閉じ込められたエレベーター内で……。暗転。するとなぜか木村がいなくなり、変なミュージシャンが2人入ってくる。なぜ? どうして? どうやって???

感想

中央部のみのサスで作られた空間。そこに正方形の敷物が置かれています。どうやら閉じ込められているらしい。ここがエレベーターの中というのは後の台詞で分かります。最初は密閉空間での人物交流なのですが、変なミュージシャンが入ってくる当たりからぐちゃぐちゃにしてしまう。よくこんな変哲な設定の台本を思いつくなと感心しました。

基本的にはこの密閉空間におけるドタバタ劇で、前橋南の実力を遺憾なく発揮し、間を充分に取った笑わせる演劇でした。間やメリハリの使い方がとてもうまく、力が入り過ぎない緩んだ演技がとても良くできている。他校はよく見習ったほうがいいと思います。変なミュージシャンが入るまでは、所々間の少ないところはありましたけど、その後はもうバカみたいなやり取りが繰り返され大ウケしてました。ほんとにバカですねー(褒め言葉)。そんな変な人達が増えてきても1人まともな武田が主人公なのですが、とても良い基準となっていました。変な人しか居ないと少しも面白くなくなりますからね。

終盤の火星移住ナンタラとネタバラシがされたとき、武田以外の人物が今どうしているか見せるシーンがありましたが、客席の位置によっては旅行代理店の人間が邪魔で後ろ(その後の人物たち)が見づらかったのでもう少し工夫してほしいところです。

全体的に

これだけの演技と完成度で入賞すらならなかったわけで何だろうなあと考えていましたが、こちらのブログで「『恐ろしさ』『不気味さ』に欠けていた」との指摘があり納得。講評でも指摘されていたのですが、結局何だかわからないという問題があります。ここ何年かの前橋南は理論的解釈を拒む上演だったわけですが、今年は解釈ができる上演になっています。

主人公の武田は意味もなくひどい目に遭わされて、結局最後までひどい目に遭わされて続けるのですが、解釈してみると結局だからどうしたのと。ラストシーンで武田のみを載せたエレベーターがどこかに到着して終わるのですが(それが何処であるかは示されない)、これを火星と思えば酷い話だし、元々乗っていたエレベーターの本来の行き先だと思うとギャグ話。もしくは夢オチみたいな感じ。投げっぱなしすぎ。

結局のところ投げっぱなし過ぎて、全体としてどこに焦点を当てた演劇であり物語なのかすらもわからなくなってしまっている。かといって解釈を拒むほどの(解釈しなくても良いと思わせるほどの)突き抜けた何かがあるわけでもない。「じゃあ何ですか?」という状態になってしまったということでしょう。ですから徹底的に不気味にするのは1つの戦略として正しい。

やや欠点があるものの完成度はとても高かったので、審査基準が違えば入賞していたと思います。