立川女子高校「あのこをさがして」

  • 作:立川女子高校演劇部
  • 優秀賞(全国大会へ)
  • 創作脚本賞

学童クラブを舞台に、小学生女子5人とそこへボランティアにやってきた高校生の織り成す物語。

良かった点

  • 小学生が無茶苦茶小学生だった。服装はもとより、動きがすごく小学生。
  • 大人と高校生と小学生がきちんと演技わかられていて、それだけで素晴らしい。
  • 小学生YouTuberを登場させ、それを物語としてうまく使っている。
  • 難しい内容を果敢に描いている。
  • (コロナ禍で)マスクをするという行為を作品内に取り込んで、それを素材の一つとしてうまく使っている。

気になった点

  • 舞台装置がほぼなくテーブル二つぐらいがおかれており、それが学童クラブだったり、高校生の家だったり、公園だったりするのだけど、それにしては広すぎる感がする。照明等で舞台をもう少し狭めてもよかったのでは。
  • 序盤の前ギリギリの位置で演技するシーンで顔に照明が当たっていないシーンが2~3度かあった。
  • ホリと効果音の使い方がやや説明的。昼、夕方、夜を表現するためのホリ幕、昼を説明する一瞬だけのセミの鳴き声とか。
  • ラストシーンにて、緞帳を下ろさず暗転で終わっていましたが、緞帳をあえて使わなかった意図がよく分からず、むしろ緞帳が下がったほうが奇麗だったような気がしてしまった。

いろいろ

舞台の広さとホリゾント幕が終始気になってしまいました。最後の演出にホリを使いたいのだとしても、何とかする方法はあったのではないでしょうか。

シナリオが難しく、受け手の問題という部分は否定しきれないですが、それでも「もう少しわかりやすくしても良かったのではないか」と感じました。主人公の高校生の最後の台詞の意図するところがよく分からなかったんですよね。口裂け女という都市伝説を通して(あなたの身近にいる)「あのこをさがして」欲しいということなんだと思うのですが、それがラストだとすると全体から漂う散漫さが気になってしまいます。

なぜなんだろうと考えると「いろいろなあのこ」が登場してしまっているからです。

  • 姿の見えない主人公の姉(おそらく本命のあのこ)
  • 主人公(次に目立つあのこ)
  • 子どもたち

特に「主人公」と「主人公の姉」についての描写が分散している印象を受けました。主人公の境遇もわかるのですが、ここは断腸の想いで主人公(の境遇)をもっと普通の人に設定したほうが良かったのではないでしょうか。主人公が普通であることで、観客からの主人公への感情移入も誘いやすくなりますし、主人公の視点を通しての「あの子」たちがより際立つと思うのです。

とはいえ、ものすごくリアリティのある上演で、YouTuberという比較的新しい題材を効果的に使っており、色々と楽しめました。

twitter等でみかけた感想へのリンク

桐生南高校「夏の終わり、狐の嫁入り。」

  • 作:栗田 綾菜(顧問創作)
  • 演出:亀里 涼介
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

おじいちゃんは国語の先生で、おばあちゃんは理科の先生だった。二人が大好きな美紅(みく)。やがておじいさんが亡くなり、おばあさんも一人では暮らせなくなってしまい、高校生になる美紅はおばあちゃんの家で二人暮らしをすることにした。。

感想

装置は、ちゃぶ台が置かれ、薄汚れた壁で囲まれ、写真などが置かれた部屋を丁寧に作ってきていました。これだけリアルだと、出入り口の「のれん」がちょっと謎にはなりますが、とても気合いを入れて作ってきたと思います。

にぎやかワイワイの友達たちがとてもよくできていて、下手に全力でにぎやかさを演出すると進行を邪魔してしまうのですが、その辺よく配慮していたと思います。おじいさん、おばあさんもよく演じていましたが、少し反応速度が早かったかな。老人は思考速度が落ちますので、「……んっ、なんだって?」まで行かなくても、若者よりは会話に対する反応が少し遅くなります。

気になったところ

まずおばあちゃんが部屋を掃除するシーン。BGMに乗せて「形」(掃除をしてますという記号的演技)で済ませていたのがとてももったいない。掃除を時間をかけてきちんとするだけで、おばあちゃんのリアリティが増しますし、性格も見えてきます。台詞でない部分で人物を説明でき、しかもきれい好きを伏線とできるとても貴重なシーンなのです。*1

きれい好きに関して付け足すなら、日常の別のシーンでも細かいところで(美紅たちがやってくるとき、いつも掃除をしている。写真のほこりを落としている。テレビを雑巾がけしている等)で演出した方がよかったんじゃないかな。また、おばあちゃんがボケた後の「部屋の散らかり」も形になっていますね。もっと違う表現の仕方はありませんでしたか?

途中にある美紅の周りに三角コーンを3つ置いて工事用ポールで囲む演出。これなんだったんでしょう? 壊れていくおばあちゃんか美紅(との関係?)か何かを明示してるんだと思うのですが、これ単なる説明ですよね。しかもほぼ伝わってない説明。台詞や状況で十分伝わっていたと思うのですがその演出本当に必要だったのですか。おばあさん一人になってしまった家を取り壊しているのかと思いましたし、急に工事関係者みたいな人たちが出てきて違和感だらけでした。

序盤ですが、美紅がなんでおじいちゃん、おばあちゃんにここまで想い入れてるのか全く伝わってきません。説明はありましたが、欲しいのは説明ではありません。エピソードです。エピソードが無理でも、関係性(の演技)で匂わせてほしいところです。

一番もったいないのは、ラストシーン(ラスト前)ですね。

「私はこの日のことをずっと忘れないと思う。5人で食べた最後の夕飯」

最後に家族みんなで食べた最高の夕食シーンです。良いですよね。美しい。このシーンのためだけにこの劇が存在したと言っても過言ではないぐらいの名シーンですね。

…………なんで省略したの! なんでみせてくれないの!!

台詞なく、ただただ美味しそうに食事するシーン*2劇中で一番の見せ場でしょう。それ省略するってどういうことなんですか! と叫びたい気持ちでいっぱいでした。

あとこれは好みの問題ではありますが、ラストシーンで美紅が泣いて終わるので本当に良かったのかな。美紅は、劇中大きな声を出し叫んだり泣いたりしながら感情いっぱいな姉として演出されているので、その美紅が大泣きするのは比較的普通のことです。もしこの大泣き演出を成立させたいなら、美紅はそれより前のシーンでもう少し控えめに演出したほうが良いのではないかと思います。

台本について

栗田綾菜先生の脚本です。以前も述べました通りやや荒削りな印象を受けました。

  • 説明セリフが多い。
  • 場面転換(暗転)がやや多い。

セリフに関しては台本作者のセンスであり個性なのですが、以前より良くなったものの状況を台詞で喋らせがちですね……。魅力的な台詞についてもう少し検討してほしいかなと思います。

途中にあった、美紅が実家にメールするシーンや実家で老人ホームのことを父と母が検討するシーン。シーンまるごと要らないと思います。

メールを送るという行為は貴重な伏線となりますし、その後、家族の中で何が起こったのだろうかというのは美紅の預かり知らぬところなので、それを匂わせる(もしくは次に会ったときに会話させる)ことで非常にきれいに処理することができます。少し演出の話が混ざりますが、あのシーンはテンポを悪くするだけでなく、そもそもが説明的なシーンであり、舞台の端に椅子や机を用意することで更に説明度合いが増しています

さて、栗田先生脚本は家族問題、特に嫁姑問題や痴呆問題について興味があるのかな。勝手な解釈かもしれませんが、理想として家族は大切にしたい、でも現実には問題が多く理想通りに行かないといった印象。全体的に(特に痴呆関連の描写は)以前の「ファミコン!」より良くなっていたと思います。

まとめ

今の状態だと美紅にばかりスポットが当たっているのですが、もっと「おばあちゃん」や「美紅とおばあちゃんの関係」にスポットを当てれば、印象は(文字通り)劇的に良くなったと思います。それと、台詞以外で表現(説明ではない)することに気を配ると良いでしょう。

色々書きましたが、上演終盤からすすり泣く声が客席で聞こえてましたし、力いっぱいの素敵な上演でした。

*1 : 細かいことですが、畳は畳の目に沿ってほうきがけします。畳の目に逆らってほうきがけすると、きれい好きには見えません。

*2 : できれば本物で!!

大泉高校「845」

  • 作:狩野 英佑(顧問創作)
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

ビルの屋上にやってきて自殺をしようと思ったサエコは、端っこの妖精スーに話しかけられた。

シナリオの感想

端っこの妖精が死ぬのを止めるという導入は良いのですけど、その後をラストまで引っ張るものがないのがちょっと残念でした。展開もゆっくりめなので「この先どうなるんだろう?」がなくて、途中で興味を持続するのが難しくなってきます。中盤を引っ張るちょっとした謎とか闇とか用意できなかったのかなと少し思いました。

設定としては「妖精=元人間=死神」で満月をさがしてまんまかな?

スーがサエコを引き止めるシーンが間延びしている印象があったので、そこをもっとコンパクトにして、その後の展開を倍ぐらいに膨らませたほうが、もっと面白くなったようか気がしました。あとはもっとコメディに振るのも手だった気がします。

感想

黒幕が引かれ、中央に黒い三角形状の広い台(高さ50cmぐらい)が正面に角を向けて設置されています。中央だけの空間をライトで区切っていました*1。ビルの屋上の隅っこという設定らしいです。ライトでの空間の区切り方がうまいですね。

LEDフットライトも置いてました。下から照らすことで屋上感を出したかったんだと思いますが、シーリングライトのほうが明るいのでそこまで下から照らされてる感はなっかたですね。シーリングライトを消すか照度をさげるとか、代わりにフロントライトを使うのではダメだっかのかな?

この舞台を成立させる上で高さ50cmの台をいかに屋上と見せるかが重要になりますが、配慮不足に感じました。まず台の構造。まわりに黒っぽい布を画鋲かなにかで貼っていて、上も黒っぽかったのですが、背景も黒、ライトの当たらない周囲も黒、ビルの屋上も黒だとまず空間自体がよく分かりません。白くしろとまでは言わないまでも、もう少し明るい色にしたほうがよかったと思います。更に言うなら、管理人以外の人が外に出れる構造の屋上なら(ほぼ)必ず柵が設置されてませんか?

そして、役者の演技。高いビルの屋上という動きをしていましたか? 落ちたらヤバい場所と思って演じていましたか? 動きの素早さ、移動するときの慎重さの欠如は「高さ50cmの台」だと思って演じていることが見て取れます。ここがとてももったいなく感じました。

もうひとつ気になったのがサエコの服装で、Yシャツに黒ズボンで「男のサラリーマン?」かと思ったら女性設定のようで、違和感がありました。レディーススーツとか、ブラウス+黒系スカートとかにすべきだったと思います。

終盤のサエコが母を占って、その後電話をするシーンですが、二人共椅子に座ったままでそのまま電話をしてしまうと、客の理解としては「目の前で電話している」ことになりますので、母が席を立って、同時に母側のライト一度消すなりしたほうが良いです。


役者さんの演技ですけど、スーさん歌上手いですね。発声もよかったと思います。全体的にゆっくりと間を大切にして演じられていたと思います。ラストシーンは「ええーっ」て感じで、後味の悪さがちゃんと出ていたと思いました。上演おつかれさまでした。

*1 : そういえば、たしか去年まではやっている高校はなかったと思うのですが、ようやく今年からシーリングライトを中央だけ、一部だけ付けたり消したりしている学校が何校もありました。会場側が今年から対応したのでしょうか?

桐生南高校「ファミコン!」

  • 作:栗田 綾菜(顧問創作)
  • 演出:齋藤 玲也
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

3兄弟と父と祖母の5人家族。姉は大学生となり家を出て行き、やがて認知症が進んでいく祖母。その中で、家族のために頑張る高校生つぐみは何を思うのだろうか。

感想

広いステージにちゃぶ台と上手にテレビを置いて、奥に板と少し高くなった場所に何やら荷物がある舞台でした。何かと思ったら、奥の高くなったのは2階の子供部屋だったらしい。

  • 役者がそこに行くまで部屋と分からなかった。
  • その場は暗くて演技に適さなかった。奥の子供部屋にスポットがあたっているのに、手前の居間(ステージ)のほうが明るいことがあった。

演劇の文法として、一番明るいところが今お話が進んでいる場所なので違和感を感じました。ピンスポを使うなり何か工夫できなかったのかな。あと手前と奥の出入り口に、白いのれんがかかっているのだけど、のれんの固定位置が8尺(天井の位置)なので違和感があった。人員や予算の関係で舞台装置にどの学校も凝れるわけでなはないのですが、のれんの位置はどうにでも出来たはずなのでちょっともったいなかったです。

子供部屋、そこまで重要な役割はしていなかったので、少し工夫すればそもそも用意しなくても作れれたのではないでしょうか。

台本について

TV的な台本という印象が強かった。

  • 優太とおじいちゃんのエピソードシーンや、その挿入タイミング、全体で担う役割があまりに説明的
  • TVのニュースによって情報を与えるのは説明的。またその台詞も嘘っぽい。
  • しかもそのニュース以降に急に認知症が進んだ。

認知症の症状で料理の手順を忘れるのってかなり症状が進んでいる状況だと思うのですが、急にそこに到達したよう観客には映ります。このことによって、おばあちゃんの認知症という出来事があからさまに配置されてる印象を与えます。役者の演技力に関わらず説得力を失うのです。

優太とおじいちゃんのシーンはまるごと要らないんじゃないかと思います。

終盤の公園はとてもいいシーンなのですが、そこまで公園もホームレスも一度も登場しないので説得力が弱いのです。取ってつけた印象が拭えません。

エピソードの説得力というのは適切な前フリによって生まれます。そして何事も説明し過ぎは格好悪いのです。ストーリーは面白いと思うのですが、それを台本にする段階でうまく消化しきれなかった印象があります。台本執筆は慣れもありますので、最初からうまく作れる人は少ないものの、前フリがうまく処理できればいい線行ったと思いますのでもったいないと感じました。

演技・演出について

わかりやすく、人物立てもしっかりした舞台だったと思うのですが、リアクションが甘かったかなという印象がありました。「台詞」に対する「台詞の反応」が甘かったように、次に何言われるか分かってて準備してた印象がありました。

みんな頑張ってたのがよく伝わってきましたが、つぐみ役の方は主役だけあって中でもかなり頑張ってたと思います。一番の脇役のおばあちゃん。テンポの遅さはよく出てたと思うんですけども、人物造形が少しステレオタイプだったかなと感じました。おばあちゃんだって認知症の自覚はありつつ、色々と想うところはあったんじゃないかな。そういう部分はあまり伝わってこなかった。

また、つぐみが耳を塞ぐといったような演技は気になりました。本当にそんなことします? 耳を塞ぐというのは、聞きたくないという記号であって演技ではないんですよ。他にもそういった記号的表示がいくつか散見されました。


さて最後にBGMのお話です。ほとんどゲームのBGM、しかもマリオの音などを結構長く使ってタイトルのファミコンに引っ掛けていました。でも実は「ファミコン」ってそういう意味ではないんですよというオチになっています。これについては一言だけ触れておきます。

「たったそれだけのために舞台のムードをすべてぶち壊すようなBGMを使ったなんてもったいない」

まとめ

本当に頑張って舞台を作りこんでいて、とても分かりやすく、お話も十分に使わってきました。上演おつかれさまでした。