大泉高校「845」

  • 作:狩野 英佑(顧問創作)
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

ビルの屋上にやってきて自殺をしようと思ったサエコは、端っこの妖精スーに話しかけられた。

シナリオの感想

端っこの妖精が死ぬのを止めるという導入は良いのですけど、その後をラストまで引っ張るものがないのがちょっと残念でした。展開もゆっくりめなので「この先どうなるんだろう?」がなくて、途中で興味を持続するのが難しくなってきます。中盤を引っ張るちょっとした謎とか闇とか用意できなかったのかなと少し思いました。

設定としては「妖精=元人間=死神」で満月をさがしてまんまかな?

スーがサエコを引き止めるシーンが間延びしている印象があったので、そこをもっとコンパクトにして、その後の展開を倍ぐらいに膨らませたほうが、もっと面白くなったようか気がしました。あとはもっとコメディに振るのも手だった気がします。

感想

黒幕が引かれ、中央に黒い三角形状の広い台(高さ50cmぐらい)が正面に角を向けて設置されています。中央だけの空間をライトで区切っていました*1。ビルの屋上の隅っこという設定らしいです。ライトでの空間の区切り方がうまいですね。

LEDフットライトも置いてました。下から照らすことで屋上感を出したかったんだと思いますが、シーリングライトのほうが明るいのでそこまで下から照らされてる感はなっかたですね。シーリングライトを消すか照度をさげるとか、代わりにフロントライトを使うのではダメだっかのかな?

この舞台を成立させる上で高さ50cmの台をいかに屋上と見せるかが重要になりますが、配慮不足に感じました。まず台の構造。まわりに黒っぽい布を画鋲かなにかで貼っていて、上も黒っぽかったのですが、背景も黒、ライトの当たらない周囲も黒、ビルの屋上も黒だとまず空間自体がよく分かりません。白くしろとまでは言わないまでも、もう少し明るい色にしたほうがよかったと思います。更に言うなら、管理人以外の人が外に出れる構造の屋上なら(ほぼ)必ず柵が設置されてませんか?

そして、役者の演技。高いビルの屋上という動きをしていましたか? 落ちたらヤバい場所と思って演じていましたか? 動きの素早さ、移動するときの慎重さの欠如は「高さ50cmの台」だと思って演じていることが見て取れます。ここがとてももったいなく感じました。

もうひとつ気になったのがサエコの服装で、Yシャツに黒ズボンで「男のサラリーマン?」かと思ったら女性設定のようで、違和感がありました。レディーススーツとか、ブラウス+黒系スカートとかにすべきだったと思います。

終盤のサエコが母を占って、その後電話をするシーンですが、二人共椅子に座ったままでそのまま電話をしてしまうと、客の理解としては「目の前で電話している」ことになりますので、母が席を立って、同時に母側のライト一度消すなりしたほうが良いです。


役者さんの演技ですけど、スーさん歌上手いですね。発声もよかったと思います。全体的にゆっくりと間を大切にして演じられていたと思います。ラストシーンは「ええーっ」て感じで、後味の悪さがちゃんと出ていたと思いました。上演おつかれさまでした。

*1 : そういえば、たしか去年まではやっている高校はなかったと思うのですが、ようやく今年からシーリングライトを中央だけ、一部だけ付けたり消したりしている学校が何校もありました。会場側が今年から対応したのでしょうか?

大泉高校「どっちの選択?」

作:江原慎太郎・大泉高校演劇部(顧問・生徒創作)

あらすじ・概要

委員会決めで残ったクラスメイト4人と委員長。早く決めて帰りたいんだけど……

感想

正直なところ台本が微妙かなと感じました。演出の問題もあるかと思いますが「選択」というテーマを際立たせるシナリオ構成にはなってなくて、なんとなく流れて行ってなんとなく終わったという印象です。

間とか動作とか気にして作られていたのですが、緩急が少ない印象を受けました。台詞のテンション(発声のテンション)がほぼ一定だったように感じられます。劇全体のテンションもほぼ一定で上演開始20分ぐらいで飽きてきてしまいました。

教室のセットはちゃんと作ってきてた印象がありますが、教室の構造は少し謎が残りました。見間違えでなければ、上手と下手の両方から出入りしてませんでしたか?

細かいことですが、入学間もないはずなのに服装がけっこう自由だったり、入学間もないはずなのに赤点うんぬんといった電話がかかってきたり、リアリティが足りない印象でした。最後、幕が降り切る前にBGMが止まっていたのも気になりました。

「選択」というテーマをちゃんと演出的に配慮して上演されていたら、また違った印象を受けたかもしれません。

大泉高校「お部屋探し」

作:江原慎太郎(顧問創作)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

初夏、場所は大学生協。そこではこの時期になっても下宿部屋が決まらない3人の学生が。一人は大きな和太鼓を置く部屋がほしいという。もう一人コドモオオトカゲ(全長1m~3m)を飼いたいという。そこへ訪れたヨシダは、ほんの出来心で「みんなで一緒に住めばいい」と言うのだが。

感想

幕上がり、左手に扉のある白いパネル(高さ8尺)、水平になり右手までパネル(高さ6尺)。手抜きしないで8尺で統一してほしかった。左手に、壁に2方机にもう2方を囲まれたカウンターがありPCが置かれ、中に職員一人。中央のパネルにグリーンの掲示板、右手にスクール棚があり中に色とりどりのファイル。右手にホワイトボードで手前に机。ムードがよく出ていました。特にファイルが置かれていたのがそれっぽかったと思います。

ハイテンションでわいわいぎゃーぎゃーと部屋についてモメる3人と、それを無理矢理でもまとめようとするヨシダ。それを傍観者として完全に楽しんでいる職員。これらが織りなすハイテンションコメディが楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。もう3人は早口で何言ってるか分からないぐらいなのですが(ほとんどの台詞はきちんと聞き取れる)、何言っているかわからないぐらいのテンションというリアルがありました。早回し(早口)と、それにヨシダが口を挟んで「場が止まる」(止め)の行き来かがものすごく上手く演じられていて、とっても面白かった。間(止め)の使い方が秀逸すぎるぐらい秀逸。最初のややポカーンという印象から、だんだんツボにハマリ、観客をグイグイと引き込んでいきます。

登場人物の服の色を意識して変えてあり、また(台詞上の)性格付けもしっかりしていて、やっていることはハチャメチャで。さあどうなるんだとなったところで一緒に住む話がボツになりそうになって、ヨシダが焦り初める。「なぜ、みんなで一緒に住もうと思ったのか」が語られ大団円。コメディーからシリアスへ流れて落ちる典型であり、うまくできていました。シリアスシーンでも「止め」がとても冴えていました。あの会場の静寂感は忘れられません。

気になったところ。ホワイトボードで、ホワイトボードに書くシーンがありますが、ぜんぜん見えません。赤字は特に見えませんでした。極太の水性マジックを使えばまだ見えると思うのですが(もしすでに使っていたらごめんなさい)。

全体的に

非常に面白い公演で入賞しないのが不思議なぐらいでした。同じように感じた人もたくさんいるんじゃないかな。上演時間1分オーバーしたように感じたので(たぶん)、それが入賞しなかった原因でしょうか。また脚本賞をとっても不思議じゃなかったと思います(「放課後~」の方がウケがいいのは分かりますが……)。

楽しんで演じられていることが非常によく伝わってきて、本当に良かったと思います。講評では、ヨシダの「一緒に住もうと思った理由」に前フリがないこと、理由の弱さが指摘されていました。残念ながら指摘は的を射ていて、たしかに納得はできませんし、それもあり上演後に「絶対入賞」とも思えなかった。しかしギャグものと考えれば今の劇は十分アリです。

本作を観て思い出したのは、2003年の県大会で上演された堅ゆでたまごの中へという演劇でした。ハードボイルドという設定で、事件解決(謎追究)をするのですが、全編がギャグでオチまでギャグという会場大爆笑の演劇で、優秀賞を取りました。最優秀賞ではなかった。本作の「お部屋探し」も全編ギャグものです。上演後にまず「とても面白かった」のですが、面白かった(笑った)という印象以上のものを残すことが難しいとも感じました。それが高校演劇関東大会という枠の中ではたまたま評価されなかったと考えると良いと思います。とってもよく出来ていたし、県大会を突破できなかったと落ち込む必要は何一つありません。たまたま評価されなかった、アンラッキーと思えばいい。上演は非常に面白かったし、完成度も完璧に近かった。個人的には最優秀賞です。自信をもっていい。

蛇足

たしかに高校演劇コンクールでは、高校生『らしさ』のある作品が受ける傾向にあります。ギャグでも良いのですが、何かしら主題が描かれたもの。それはたしかに物語構成として重要な要素です。オチに対する伏線の弱さを指摘する講評も理解はできます。ですが、本作は言ってみれば「とにかく面白く」を狙って作られたものであって、そこに最後落とすためのラストを付けたものです。なまじ、そこがシリアスな内容だったために伏線不足や取って付けたという点を指摘されたのだと思いますが、そこすらもギャグとして片付けてしまう(ぶっ飛ばしてしまう)という手はあったと思います。コンクールとして入賞するかは別問題になるでしょうが、少なくともオチが云々と言われることはないと思います。

それにしても、これはやっぱり台本が読みたいな。

大泉高校「総合的な学習」

作:江原 慎太郎(顧問創作)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

総合的な学習の発表練習。さやはお葬式のマナーについての発表練習を友人達と一緒に行っていたのだけど……。

主観的感想

ぱっと幕が開いて、左手にお葬式のマナーという垂れ幕。その右に発表用の台(ミニ教卓)。中央に花に囲まれた台、右側にはパイプ椅子で生徒たちが並びます。役者がそのまま本名で登場するという当て書きされた台本です。どうやら、シーンごとに順番に積み上げていった感じです。最後にさやが自殺しようとして、それを止めて終わるのですが、全体的にぱっとしません。新島のあとだけに、その差は余計に大きく映りますね。

台詞が早口でキンキンして何を言っているのかよくわかりません。みんなテンションを上げちゃったので抜けができてないと思います。「止め」や「間」はよく研究して積極的に使っていましたが、メリハリは使えていませんでした。強弱やメリハリをうまく使うようにするとうんと良くなります。遺書の朗読や死にたいする考え方、捉え方、気持ちの動きの無理など色々と気になるところはあるのですが、ひとつだけ大切なことを書いておきます。

話を聞いていない生徒たちという様子が非常によく出来ていました。ワイワイギャーギャーのリアルな女子高生がよく表現されています。そこが一番の問題でした。リアルすぎて劇になっていなかった。講評で「もし自分の高校の制服を使っていたのなら、それは絶対変えた方がいい」という指摘がありましたが、それもおそらく同じことを言っています。当て書きであまりに素で作ってしまったために、劇になってない。演じていない。制服もいつもの制服、おしゃべりもいつものおしゃべり、ただ場所が舞台の上になっただけ。普段の雑談を観客にみせたところで面白いとは思ってもらえない。普段の高校生活をビデオにとって垂れ流しても誰も楽しんでもらえない。

とても伝えるのが難しいのですが、まず演じることからはじめてください。観客のために演じてください。ありのままの自分たち見てもらいたい気持ちは痛いほどよく分かります。けれども、今のままでは観客はあなたたちのことを見てはくれないのてす。

お昼休み。みんなで食べる昼食。自分のこと、今日あったこと、昨日見たテレビ、昨晩届いたメール。友人と雑談をするとき、あなたは友人の方を向いて話すはずです。あんまり興味のなさそうな目をしていてたら話を切り上げるかもしれないし、興味津々で「それでそれで」と返してきたらテンションをあげて話すと思うのです。今度は、観客の方を向いて演技をしてください(舞台上で実際に客席を向けと言っているのではないですよ)。どうしたら観客の方を向いて演技ができるかよくよく考えてみてください。そうすると観客もあなたたちを見てくれるようになります

大泉高校「パラれ・夢!!!」

作:中村 ひかり(創作)
演出:(表記なし)

あらすじ

パラパラ同好会は部員が少なく廃部寸前。1年生獲得のためにも、部活紹介になんとしても参加したい。ところが、生徒会は先生の命により同好会を端からつぶそうとしていて、残すはパラパラ同好会だけに。サークル見学に来る1年生と、それを邪魔する生徒会。パラパラ同好会は無事部活紹介に参加し、1年生を獲得できるのか?

主観的感想

【脚本について】

登場人物はそのままに、大泉高校もそのままで、パラパラ同好会という架空の同好会を中心に繰り広げられる、私達の私達による私達のための作品です。

以上パンフレットより。配役そのものが本名で、架空の同好会を置いて作って演劇です。昔関学がやったような、活きの良さがある本。話運びも構成もベタベタの王道ですが、だからこそ「そういう元気さ」が基本となる本で、構成についてどうのというのはありません。

台詞回しなども、元の人物の性格を前提とした配役と思われ、特に無理もなく、結果いかにも高校演劇らしい舞台となっていますが、それはそれでいいのではないかと思います。

【劇について】

まずスタートしてタイトルと作者紹介も終わらないうちに幕を上げ始める。おいおい。そして最初の暗転に入るときも、突然照明が切れるという感じで、おいおい。時間ギリギリなのかもしれませんが焦りすぎです。登場人物が早口で話すのですが、早口をするには滑舌が悪い感じです。そして舞台装置。部室なんだから狭くしてほしいなー。しかも上手と下手と奥の幕の切れの3箇所から人が出入りしているので、一体この部屋はどういう構造なんだ? という疑問で一杯。パラパラ同好会部室が、ホワイトボードを回転させたり、装置の一部を回転させることで生徒会室になるのは上手かったと思います。

BGMを結構多用するのですが大きすぎてよく聞こえません。最初だけ大きく聞こえるようにしてボリュームをしぼる、または中域のレベルを下げて声を聞こえやすくするという手もあります(ミキサーにイコライザが付いているはずです)。生徒会長が「いい子をやってきたけど、パラパラ同好会にかけてみよう」というラスト付近のシーン。その後のシーンでBGMは不要ですし声も聞こえません。音楽で誤魔化しちゃいけません、演技でみせてください。

ラストシーンはカタルシスで、ある意味お涙シーンになっています。ここに至る作りはベタなりによく出来ていたし、ウルっときた人も結構居たとおもうのですが、その重要なキーパーソンである「踊れない踊れないよく分からない」と連呼していた「ともみ」がラストシーンのパラパラをきちんと楽しそうに踊れているのは大問題でしょう。せっかくのラストシーンが台無しです。あそこは、ぎこちなさそうに照れながら、それでも精一杯に踊るシーンです。

細かいところで、携帯電話の音をリアルに使っているのとか、天井スポット(サス)を使う際に少し下がったところとかそういう配慮はされていました。

【全体的に】

作りが粗っぽく、良くも悪くも愉快で楽しい高校演劇でありそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。しかし、ベタベタでありながら涙を誘う作りは大した物だったと思います。その点、よく出来ていました。

ただ芝居としてみたとき、とりあえずもう少し演劇らしい本を選んでやってみてくださいとしか言いようがありません。演劇は観客に向けて上演するもの(媒体)ですから、パンフレットにあるように自分たちが楽しければいいではこれ以上はどうしょうしもないのです。自分たちが楽しむことは創作としての基本精神ですが、自分たちが楽しむためにやることは間違えです。劇を通して伝えたかったことはなんですか? リアルな自分たちの持つ空気感や想い、そして日常を描きたかったのではないですか? それは十分に伝わりましたか?

日常の自分たちを伝えるために、自分たち自身をリアルに描くのだったら、そもそも丸1日ビデオで撮影すれば終わる話なんですよ。そんな押し付けでは伝わらないから演劇という言葉があり、役者が居て物語があるのです。描きたい想いを純化させ丹念に物語りとして紡ぎ、それを役者と共に丁寧に解釈し伝えるための工夫をすることで初めて伝わるし演劇として成り立つのです。難しい話に聞こえるかもしれませんが、伝えるということをもう一度考え直してほしいなと思った演劇でした。基礎的な演劇の力は充分にあるのですから。

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 先ほど桐生南高校は32歳の独身女性を演じていましたが、では等身大の大泉高校生を演じるのは楽だったかと考えると、決してそうではなかったように思います。
  • パラパラ、もう少し練習できてたらよかったなと感じました。
  • それぞれの個性が出ていて、ラストでみんなの成長を想像できた。
  • 大泉高校に本当にパラパラ同好会があったらどうなったかなと想像させてよかったと思います。
  • 女子高生は特に、興奮して話すと何だかよく聞き取れないので、その辺配所してほしかった。
  • 仲間割れとかよくある話で、全体として味のある演劇でした。