沼田高校「馬鹿でもわかるラブソング」

作:小野 知明(創作)
演出:星野 一成

あらすじ

典男は父親である馬之助と二人暮らし。そこに家庭教師がやってくのだが、典男は本当はミュージシャンになりたかった。友人と家庭教師をそそのかし、自分の身代わりをさせて、ひっそり家を抜け出してオーディションを受ける典男だったが……。

主観的感想

【脚本について】

昨年、一昨年に引き続き小野知明氏(現3年生みたいです)創作の演劇です。サマーフェスティバル上演作品のようですね。一昨年のハードボイルド昨年のホームステイものからして正直脚本は期待してなかったのですが(失礼)、今年はまともな台本でした。かなり進歩してます。

全編コメディでよい意味で弾けています。お寒いこともなく十分にドタバタしたお話でした(今年上演の中では一番ドタバタ劇だったかも)。テーマ的なものやドラマ的な部分では不足する感じはあるものの、話筋もまともでこれでありと思わせる面白い本でした。

【劇について】

県内の高校演劇を見渡せば女子ばかりという状況の中で、年々実力と質を上げてきている男子校。今年もその活きの良さ健在で十分に楽しくドタバタしてました。ここ3年では一番よかったんじゃないかと思います。典男の部屋を照明装置の関係でしぼることができなかったのか、無駄にだだ広くなってしまったのが残念ですが、その広さも使ってドタバタしてました。天井スポット(サチ)を使うときに半歩下がって顔が見えるようにするなど、細かい配慮もなされていたと思います(昨日の上演校ではなかった)。

ただ全体に荒っぽさのようなものがあったのが残念です。例えば、ギャグの作り(演出)がイマイチ甘く、「もう少しタイミングとリアクションを練れば」というシーンがいくつかあり、全体として演技に締まりがない。みんながみんなテンションの高いキャラクター(人物)になっていて、役ごとの人物像の違い(性格の違い)や色付けみたいなものが全くされていなかったのが原因だと思います。静かな人物が居てこそうるさい人物が目立つということを覚えておくといいと思います(人物配置の妙とは要するに対比ですから)。

ほかには、ラストシーンで重要なメッセージがラジオから流れるのですが、そのラジオの音が聞き取りにくいのは最大のマイナスポイントです。一番大切なところなんですから、聞こえないなんてもっての他。録音環境が悪いのです。部屋鳴りだと思うのですがキンキンしています。高いマイクや録音機材はたしかにお金かかりますし用意出来なくても仕方ないのですが、『声を録音するときは、できるだけ広い部屋でカーテンなどを閉めて、可能ならば録音する人物の四方を厚手の布で覆う』などするだけで、安いマイクでも比較的まともに録音することができます(できればせめてカラオケマイク程度とスタンドは欲しいところですが)。

【全体的に】

2年前に比べかなりレベルが上がっているだけに、細かい作り込み不足という面で勿体ない感じがしました。せっかくここまで来たのですから、勢いもありつつ、作り込みも忘れない(手抜きをしない)という意気込みで頑張ってほしいと思います。そうすれば関東大会も十分に狙えると思いますので。

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 台本をみたとき面白かった。くだらないことを必死になって一生懸命やることの大切さみたいのがあり好感が持てる。
  • だけど、今は一生懸命くだらないことをやっているのだけど、その上の命がけでくだらないことをやってほしい
  • 例えば、10万円では納得しなかった家庭教師に、ポッキー1年分を渡すことで納得させるというシーンがラストにあったけども、家庭教師は芝居中ずっとポッキーを食べていて、それは大変だろうけど死ぬ気で食ってほしい。
  • そういう意味でまだまだやれることは沢山あったと思う。
  • 隣に軍事オタクが住んでいるという発想が面白い。今回は、テープのメッセージと爆弾ぐらいだったけど、もっとこっちの家と関わって例えばバズーカ砲を持ってくるとかそれぐらいやるともっと面白いと思う。
  • もう1点。これをきちんと芝居として成立させるにはどうするか。今やってるのはアクションであって、演劇はアクションではなくリアクション。自分が何かするのではなく、相手に対して自分がどうしていくかがリアクション。父のキャラ(やほかのキャラ)に対するリアクションをすることで芝居として成立させることができる。(編注:これはものすごく大切なことを言っています。お笑いでボケと突っ込みが必要なのは、ボケも大切ですがボケに対するリアクションである突っ込みがあって初めて笑いが伝わる。演劇ならば、ある台詞や行動に対して、それについての返答や反応を示す行為があってこそ初めて登場人物同士が存在し交流し、二人の関係が見えて、そこにリアルな空間が生まれる。→参考になるサイト

伊勢崎清明高校「ダン・パラ」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:重村 成美

あらすじ

公園に散らかされたダンボール。一つのダンボールの中に入った少女は、やってきた少年に「拾ってください」と声をかける。拾ってくれる人なんか居ないと言う少年にぬいぐるみを手渡す少女。「ほら、あなたついさっきまでぬいぐるみを拾うなんて思ってなかったでしょう? だから拾ってくれる人だって居るかもしれないのです」。そうやって少年も、少女と共に道行く人に「拾ってください」と声をかける。やがて少年の父親もそこに加る。そこへやってくる市役所の人間。「1週間以内に撤去してください」という役所の人に連れられてきたのは、役所に雇われている少年の母親、父と少年を捨てた母親だった。

脚本について

生徒創作っぽくないなと思ったら、やはり顧問創作でした(パンフレットには記載なし)。少女と公園を中心に、ダンボールのパラダイス(楽園)を描いた気合の入った台本です。不思議な少女を中心として、少し変なお話がとても丁寧に描かれています。

主観的感想

聞きなれない高校名だなと思ったら、旧伊勢崎女子高校(昨年度共学化)だそうです。

とにもかくにも主役の少女(=演出)の演技力や存在感がすごすぎる。演技力で言えば「少女 >> 少年と父 >> 役所の人>母親」という感じで、高校演劇という枠を外しても十分な演技で(まさに舌を巻くという感じ)、その影響で他の役者が見劣ってしまった感じすらします。

舞台装置ですが、公園ということが分かりにくい。公園でブランコなどの遊具を囲んでいる手すりみたいなものを用意し、凝ったつくりの大きなトイレを配置するなどしていたのですが、いまいち。手すりならフェンス(金網)やコンクリ塀(ブロック塀)の方が分かりやすかったように思うし、トイレも大きい割には存在感があまりなく、逆に街頭などにように「いかにも」といった装置がない。全体として物は多いのに整然とし過ぎている(雑然さや遊びがない)という印象がありました。舞台装置は、装置そのものの選別や空間配置の問題が半分、登場人物が公園内の物体の存在にまったく触れないという問題が残り半分です(装置に対しての反応、まさにリアクションがなかったわけですね)。

音響。大きすぎます。母親を殴った後のBGMは大きすぎて台詞が聞き取れませんし、全体的にBGMの使用量も多めです。演劇は演技力で見せるものですのでBGMに安易に頼ってはいけません(→参考)。照明は使いこなしていたと思います。夜、昼の転換を含めて。天井スポット(サス)のとき、少し下がって顔を見えるようにする配慮もありました。

役所の人の格好。もっとそれらしい格好、例えば完全な作業着(役人が災害活動などで着るような服)か、またはスーツなどを着せるべき。メイン3人と立場を異にする2人の役人(母親含む)という立場なのですから、ぱっと見メイン3人とさして変わらない格好をしているのは問題です。見るからに違う服装をさせることで、この2グループは対立関係だということを言葉以上に明確に示すことができます。

結果的に家族劇、親子劇だったと思うのですが、それにしては親子関係におけるドラマがありません。これは本の問題でもあり、役者や演出の問題でもあります。少女にスポット当てるダンボールの楽園として、それを下支えする家族ドラマがまったく見えてこない。語られるのは「母親に捨てられた」という事実だけで、エピソードがないため観客は共感しませんし、ラストシーンもほとんど記憶に残りません。

一番の問題は少女そのもので、少女の正体や公園に居た理由が何もありません。別に深いドラマが必要というのではなく、例えば「少女は実は悪魔でした」とかでいいんですよ。そうすれば背筋がゾっとする終わり方になり、より強くダンボールの楽園が記憶に残ったと思うのです。何でもいいのですが、とにかくせめて何か最後に暗示させるものぐらいほしかったと思います。ラストシーンで、少女が悪魔的に微笑んで楽しんでるとか、そういうのでも十分だったわけですから。

【全体的に】

とにかく画(え)として綺麗で感傷的な舞台でした。逆に言えばそれしかなかったことが最大の問題。前に似たような劇をみたことあるなーと上演中ずっと気になっていたのですが、桐生第一ですね。舞台芸術として凝っていて実に細かいところまで配慮されているのに、大枠で空回りという点で同じです。

少女とダンボールがとても印象深い舞台で、いまだに色濃くイメージは残っているし、そういう意味では大成功だと思うのですが、絵画じゃなくて演劇なんだから観客を楽しませなきゃ(笑いのことではない)しょうがないわけです。そのための演劇であり、舞台であり、役者であり、台詞であり、ドラマ(60分の物語)なわけなんですから。この舞台、観客は一体どこを楽しめばよかったのですか?

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 見終わって、脳裏に焼きついている感じがする。何日か経った後に思い出す芝居。
  • 台本を読んで、これを芝居として成り立たせるためには少女にカリスマ性が絶対必要で、それがないと成り立たないと思った。実際舞台は少女にそれがあって舞台として成り立っていた。
  • 選曲や明かりも良かった。ちょっとボリュームは大きかったかな。
  • 見ながらずっと思っていたのだけど、みんなよく稽古しているし、こういうニュアンスで伝えようってのも分かったけど、やってる人が思っているほどお客さんに届いてないと思う。
  • 見ながらどうしてかと、こういう理由なんじゃないかと思ったのは、例えばトイレも細かいところまで手が込んでいて、ダンボールもきちんと配置していて、きちんとしすぎていて、こちらが入れる隙間がない。芝居はお客さんを招き入れる隙間がないと楽しめない。
  • 例えば、パーティーとか、知り合いの家とか、綺麗過ぎてその場に入りにくいときってあるじゃないですか。入っちゃっていいのかなって。この劇は綺麗過ぎて入りこめていないと感じた。舞台はパーティーのホストなんだから、お客さんを招き入れなくちゃいけない。
  • 後半になったときはお客さんは芝居に集中していたので、前半がきっちりしすぎたのかなと思う。
  • この芝居は「芝居をみた」という感じはするものの、「芝居を体験した」とは感じない。お芝居なんだから体験させなくちゃいけない。
  • 物語の着地点が分かりにくい。少女が人間ではないとか、そういうのがあってもよかったのではないか。

大泉高校「パラれ・夢!!!」

作:中村 ひかり(創作)
演出:(表記なし)

あらすじ

パラパラ同好会は部員が少なく廃部寸前。1年生獲得のためにも、部活紹介になんとしても参加したい。ところが、生徒会は先生の命により同好会を端からつぶそうとしていて、残すはパラパラ同好会だけに。サークル見学に来る1年生と、それを邪魔する生徒会。パラパラ同好会は無事部活紹介に参加し、1年生を獲得できるのか?

主観的感想

【脚本について】

登場人物はそのままに、大泉高校もそのままで、パラパラ同好会という架空の同好会を中心に繰り広げられる、私達の私達による私達のための作品です。

以上パンフレットより。配役そのものが本名で、架空の同好会を置いて作って演劇です。昔関学がやったような、活きの良さがある本。話運びも構成もベタベタの王道ですが、だからこそ「そういう元気さ」が基本となる本で、構成についてどうのというのはありません。

台詞回しなども、元の人物の性格を前提とした配役と思われ、特に無理もなく、結果いかにも高校演劇らしい舞台となっていますが、それはそれでいいのではないかと思います。

【劇について】

まずスタートしてタイトルと作者紹介も終わらないうちに幕を上げ始める。おいおい。そして最初の暗転に入るときも、突然照明が切れるという感じで、おいおい。時間ギリギリなのかもしれませんが焦りすぎです。登場人物が早口で話すのですが、早口をするには滑舌が悪い感じです。そして舞台装置。部室なんだから狭くしてほしいなー。しかも上手と下手と奥の幕の切れの3箇所から人が出入りしているので、一体この部屋はどういう構造なんだ? という疑問で一杯。パラパラ同好会部室が、ホワイトボードを回転させたり、装置の一部を回転させることで生徒会室になるのは上手かったと思います。

BGMを結構多用するのですが大きすぎてよく聞こえません。最初だけ大きく聞こえるようにしてボリュームをしぼる、または中域のレベルを下げて声を聞こえやすくするという手もあります(ミキサーにイコライザが付いているはずです)。生徒会長が「いい子をやってきたけど、パラパラ同好会にかけてみよう」というラスト付近のシーン。その後のシーンでBGMは不要ですし声も聞こえません。音楽で誤魔化しちゃいけません、演技でみせてください。

ラストシーンはカタルシスで、ある意味お涙シーンになっています。ここに至る作りはベタなりによく出来ていたし、ウルっときた人も結構居たとおもうのですが、その重要なキーパーソンである「踊れない踊れないよく分からない」と連呼していた「ともみ」がラストシーンのパラパラをきちんと楽しそうに踊れているのは大問題でしょう。せっかくのラストシーンが台無しです。あそこは、ぎこちなさそうに照れながら、それでも精一杯に踊るシーンです。

細かいところで、携帯電話の音をリアルに使っているのとか、天井スポット(サス)を使う際に少し下がったところとかそういう配慮はされていました。

【全体的に】

作りが粗っぽく、良くも悪くも愉快で楽しい高校演劇でありそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。しかし、ベタベタでありながら涙を誘う作りは大した物だったと思います。その点、よく出来ていました。

ただ芝居としてみたとき、とりあえずもう少し演劇らしい本を選んでやってみてくださいとしか言いようがありません。演劇は観客に向けて上演するもの(媒体)ですから、パンフレットにあるように自分たちが楽しければいいではこれ以上はどうしょうしもないのです。自分たちが楽しむことは創作としての基本精神ですが、自分たちが楽しむためにやることは間違えです。劇を通して伝えたかったことはなんですか? リアルな自分たちの持つ空気感や想い、そして日常を描きたかったのではないですか? それは十分に伝わりましたか?

日常の自分たちを伝えるために、自分たち自身をリアルに描くのだったら、そもそも丸1日ビデオで撮影すれば終わる話なんですよ。そんな押し付けでは伝わらないから演劇という言葉があり、役者が居て物語があるのです。描きたい想いを純化させ丹念に物語りとして紡ぎ、それを役者と共に丁寧に解釈し伝えるための工夫をすることで初めて伝わるし演劇として成り立つのです。難しい話に聞こえるかもしれませんが、伝えるということをもう一度考え直してほしいなと思った演劇でした。基礎的な演劇の力は充分にあるのですから。

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 先ほど桐生南高校は32歳の独身女性を演じていましたが、では等身大の大泉高校生を演じるのは楽だったかと考えると、決してそうではなかったように思います。
  • パラパラ、もう少し練習できてたらよかったなと感じました。
  • それぞれの個性が出ていて、ラストでみんなの成長を想像できた。
  • 大泉高校に本当にパラパラ同好会があったらどうなったかなと想像させてよかったと思います。
  • 女子高生は特に、興奮して話すと何だかよく聞き取れないので、その辺配所してほしかった。
  • 仲間割れとかよくある話で、全体として味のある演劇でした。

館林女子高校「ANTI-」

作:江原さゆり(創作)
潤色:館林女子高校演劇部
演出:江原さゆり

※創作脚本賞

あらすじ

お掃除ガールズの3人は、いつも部屋を掃除する。清潔にして、そして防腐剤がないと死んでしまう人間だった。そこにやってくる自称サムライの二人(サムライの格好ではない、女子2名)、自称普通じゃない女。彼女たちはお掃除ガールズの邪魔をし、防腐剤を狙うのだが……。

主観的感想

【脚本について】

腐ってしまう人間という着想(題材)は非常に面白いのだけど、話が全体的に散漫。題材を生かし切れなかったという感じです。お掃除ガールズ3人の「腐る」ことに対する危機感がなく、最大のキーワードである「防腐剤」だけが一人歩きしたという感じです。ほかの人たちはなぜ邪魔をするのか、腐る人間と腐らない人間の差とは何なのか、どうして腐ってしまうのか、という点が不足しています。

例えば、腐らない人間と腐る人間で、どちらが正常でどちらが異常かを互いに言い合うとか、防腐剤は腐らない人間の血から作られるとか、そういう工夫があればかなりの良作になったと思われます。お掃除ガールズ自体は人物像として厚みが足りず、劇では常に3人出っぱなしでしたが、途中一人、二人いなくなるなどの組み合わせを使って、互いのことを噂し合えば深みが出たのではないかと思います。

ほか、話作りや台詞回しに特に大きな問題や初歩的なミスはなく、その点はよく出来ていました。構成に若干難ありですね。

【劇について】

普通の演技なんだけど、なぜか演技が非常にぬるい。だれるというか飽きるというかそういう感じがしました。演技にメリハリがなくずっと一本調子だったことが原因だと思います。演じるテンションとテンポが60分通してずっと一定でした。オーバーに演じるところはオーバーに演じて、弱く演じるところは弱く演じるなどメリハリを付けないと必要以上につまらなく感じてしまいます。

また登場人物がすべて薄っぺらく、演じ手としても特に役作りをしている様子かありませんでした。例え台本上で個性がなくても、役として演じるときに個性付けするべきです。あと舞台を転換しない暗転のとき、BGMを一区切り使って暗転したいたと思うんですが(記憶曖昧です)、意図が不明でした。すぐに切り替えてしまえばよかったと思うのですが。

【全体的に】

何と言っても、腐る人間という題材を生かし切れなかった、その一点につきると思います。それに加えて、変化が少なかったなーと思います。ブラシでひたすら床を掃除しているだけ。掃除の演技を見せるなら、他にも色々あったと思うのですが。

ひとつ、演出が主演してないことは評価したいです。

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 台本を読んですごく面白いと思った。日常と非日常、腐っていくとか、防腐剤とかキーワードが散りばめられていて、不条理劇だったと思うのだけど、どう芝居にするかがポイントで、観念的なものがどれだけ演劇という具体的なものとして観客に伝わってくるかなと思った。
  • 実際に劇を見て、言いたいことがお客さんにダイレクトに伝わってないのではないかと思った。伝えるためには工夫が必要。
  • お掃除ガールズが、普通じゃない女やサムライズという「異物」を排除せずに受け入れているという状況に違和感を感じた。ここで拒否をして対立が出来ることで全体が見やすく(分かりやすく)なったのではないかと思う。
  • 全体的にテンポ(間)が遅い。もっとここは食い気味に(台詞をかぶせ気味に)言ってほしいというシーンもあった。
  • ふつうの女がゴミ箱からゴミを散らかすシーンで、その散らかすゴミのなかに「なぜ掃除をしているのか」「ここはどこなのか」というヒントをキーワードとして書いておけば面白かったのでは?
  • タイトルが「ANTI-」ということで、この後ろには何か付くのだと思うけど、本来アンチという言葉には主張がある。例えばアンチ巨人というのは「巨人ではなく○○が好き」というふうに、AではなくBであるという主張がある。しかし、この劇ではAではないけど(編注:腐らない人間ではないけども)、Bだという主張がないために対立構造がない。対立構造がないから分かりにくくなる。(編注:対立構造を作ることは、物語を分かりやすく伝えるための常套手段です)。

高崎女子高校「Story of story」

作:川口 麻美(創作)
演出:川口 麻美

あらすじ

高校生小説家の奈央(なお)が、文芸部部室で書けなくて悩んでいる。まわりには賑やかな友達。部員の恵介(けいすけ)と話しているとき、奈央は恵介の姉、遙(はるか/小説家)の幽霊が見えて……。遙は、作品が書けなくて困っている奈央に、自分の代わりに自分の作品を書かないかと言うのだけども。

主観的感想

【脚本について】

雑然とした部室でのやりとりからはじまって次第に奈央に焦点を当てていく様子や、文芸部部室であることや高校生作家であることなどを決して無理して説明せず、自然な会話の中で情報が出るようにかなり注意深く書かれています。今年はどの高校の創作脚本もかなり初歩的なミスがなくレベルが高かったのですが、その中でもこの辺の会話の処理や人の出入りをうまく使い変化を付けたのは秀逸です(個人的には創作脚本賞かなと思ってました)。

じゃあ手放しで絶賛できるかというと残念ながらそうでもなく。途中遙(はるか)が昔書いた小説を朗読するシーンがあり、朗読代わりに劇中劇が始まるのですが、これが結構長い。しかも、「物語についての物語」という作品テーマからして、そこに出る劇中劇(内容)の必要性が全く感じられません。もっと時間を減らして、普通に朗読+αぐらいにしておけばよかったように感じます(朗読劇みたいな感じで)。そもそも、そこに時間と労力を割くならば「物語を生み出す側の苦労や苦しみ」(奈央)と「物語はすらすら書けるのに書くことができない苦しみ」(遙)という対立をより明確にし、もっと深く描くべきだったのではないでしょうか。二人が互いの言葉を交わし、ときに争ってこそ、本当に物語りについて何か描くことが出来たのではないかと思います。

【劇について】

まず初っぱな声が聞こえない(聞き取りにくい)。幕開けて、ゴミっとした部室の様子はよく作られていて、この辺はさすが。前半、リアクションの間(台詞に対する反応の台詞)がわずかに早いところがいくつか。時間がないのか、練習慣れなのか分かりませんが、もったいない感じはしました。関連して気になったのは、「頭を打ったらしい」→「そこ腹っすよ」という掛け合いが被せ気味だったのですが間があった方がいいと思うし、逆に部室からみんな居なくなったとき「みんな帰っちゃった暇だなー」という台詞は、もう少し暇そうにしてから言った方がいいと思います。

物語のキーポイントである遙ですが、最初みんなと同じように制服を着て部室にいて、後々実は幽霊でしたという感じになり、その後、白い衣装に着替えています。観た感想としては、「実は…」という感じの意表がなく自然な流れで「あー幽霊なんだ」となるんですけど、そこに妙な違和感がありました(例えば、昨年の共愛昨年関東大会の秩農とかの幽霊の処理の仕方に比べると)。遙と奈央と恵介のシーンやその前の段階で、もう少し気を配って遙という存在の違和感を慎重かつ十分に出してから幽霊という設定を出してほしかったと思います。あと、幽霊であることを見やすくするためにその後のシーンで着替えさせたのだと思うのですが、それだったら最初から着替えさせててもいいような感じもするし、それよりも元から白衣ではない別の記号を(一人だけ夏服とか、目立つアクセサリとか、色々やりようはあったと思うんですけど)持たせておくほうが自然だったように感じます。

【全体的に】

県大会常連組の高女ですが、一時期の質は維持出来ず年々下がり気味。去年は県大会を逃しており今年はリベンジという感じです。そういえば上演時に着ていた女子制服は高女のではなく健康福祉大付属の制服にみえたのですが(12/24訂正、見間違え&勘違いでした)。高女の制服は黒の上下なので、男子生徒の制服(学ラン)と区別が付きにくいという配慮だと思うのですが、こうこう細かい気配りはさすがでした。

それに限らず、照明、装置(大道具・小道具)、台詞回しなど、本当に細かいところまで気を配って完成度を高めていた一方で、話(テーマ)を中心とした演出・構成という面ではひとつ、ふたつ物足りないという印象です。思うに、多分、劇中劇でやったようなストーリーが本当は好きでやりたかったんだと思いますが(だとすると割り切れてなかったかな)。

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 舞台は文芸部で劇中劇もあるなと期待していた。
  • 綺麗なパネルに段ボールなどのアクセントで雑然ともしていて良かった。特に壁の電気スイッチの処理は照明とのタイミングもバッチリで、また電気を切っても切れたことは分かりながら真っ暗にはならないなどよく出来ていた。
  • 劇中劇のとき、上手、下手から捌けるのは、少し気になった。また劇中劇において部室が見えてしまうのは気になった。
  • 朗読から劇中劇に移行するとき、台詞のハモりからうまく劇に移行した。
  • 文芸部の部室のカレンダーが10月から2月に変わったりとか、実に細かいところまでよく出来ていた(手抜きが全くない)。
  • 劇中劇のとき、奈央と恵介が着替えて出てくるのだけど、髪型がそのままなのが気になった。帽子を被るとか何か工夫をしてほしかった。
  • 遙が最初制服で、次に白い衣装(ゆうれいの格好)になったのですが、その遙の想いはきちんと奈央に伝わったのかなという疑問が残る。
  • 音響が大きすぎて台詞をかき消してしまったところがあったのが残念。
  • 台詞を喋るとき、キーワードに気持ちを込めるあまり、それ以外の部分で聞こえにくくなっていた(編注:多分たくさん話してるようなシーンだと思う)。
  • 全般的には創作でよく頑張っていて、いい芝居ができていた。