桐生第一高校「鵜の話~「鳥の物語」より」

原作:中 勘助 脚色:則巻 霰 潤色:山吹 緑
演出:岡田 愛美
※優秀賞(関東大会)

あらすじ・概要

昔々。ある村に迷い込んだ宮遣いの藤原は海女との間に子供を授かった。しかし藤原は、竜族から玉を取り返さなければならない。母である海女は決意をし「鵜」(鵜飼いの鵜です)と共に海へと竜族のもとへと行き玉を取り返したが、母は帰ってくることはなかった。やがて月日は流れ……

主観的感想

桐生第一念願の県大会、そして同時に県大会突破。音と光と朗読でみせるいつもの朗読劇です。数多くの部員を生かし、集団の動きでみせていました。

全体に粗いところがあります。嵐や雨音をSEとして使っているのですが、その音が大きすぎて台詞が聞こえません。鵜たちが踊りを見せるのですが、わざわざ見せるほど綺麗ではありません(揃っていません)。鵜が語り手になるのですが、早口で何を言ってるかよく分かりません。もっと子供たちに読み聞かせるよう話してみてください。全体に滑舌と発声がよくありません。ゆっくり話すだけでも聞き取れるようになります(13分も上演時間を余したのですから)。講評で姿勢が悪いせいであると指摘されていました。とにもかくにも台詞が聞こえないことが一番の問題ですから、関東大会までに必ず改善してほしいところです。

装置は海前の岩陰という感じで、中央に左から右まで台が渡され、その奥に青いホリを使って海を表現していました。しかしその手前にある金枠(?)が一面に置かれていて、柵ということだと思うのですが、時代設定からして金枠はどうなのでしょうか。布を使ったロープやワラの縄とかの方がそれらしいような気がします。竜族のシーンでは、その枠を90度傾けて飾りを見せ「違う場所」ということをアピールしていたのですが、あまり説得力はありませんでした。もう少し考えてほしいです。

装置の転換や場面転換で暗転して黒子を動かしていたり、スポットの光を消したりというシーンがいくつかあったのですが、完全に消える前に役者が動いてました。これは頂けません。黒子が見切れていたことも多々ありましたが、後のシーンで黒子をみせてシーンを構成しているので、最初から黒子は存在しないものと割り切り暗転しなくても(必要最低限の暗転にすれば)よいと思います。

ずいぶんひどい感想ですが、ダメだったのではなく演劇全体がハイレベルだっただけに粗が目立ってじつったのです。大人数で凝った衣装を使い(きっと相当手間がかかったと思います)、人外である「竜族」をどう表現するかはかなり難しいのですが、衣装や小道具に支えられ説得力を持っていました。シーン構成も考えられていて、どれも丁寧に作り込んできています。

最大の魅力は何と言っても話のパワーで、やはり海女の子供が母訊ねて鵜のところに来るシーンなどはうるっときました。この時系列(話)の組み立てもよくできていて、母である海女が玉を取り返しに行くシーンの一番よいところだけラストまで引っ張っています。このシーンの説得力はさすがでした。

粗を磨けば見違えると思います。そのためにはとにもかくにも台詞をきちんと届けること。そして可能ならば台詞にメリハリ(強弱)をつけること。気持ちの変化を台詞に乗せること。それが大切ではないかと思います。

2007年度 群馬県大会

伊勢崎清明高校「幻私痛」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:佐藤 杏子

あらすじ・概要

がれきの山で目覚めた女。人は誰も居ない。震災でもあったのだろうか……人を探して数日、やっと男を見つけるのだった。

主観的感想

脚本について

顧問の創作脚本です。地震(震災)後というイメージを直接的に表現せず、状況を説明するには遠い台詞から徐々に震災ということを説明するあたりきちんと基礎を押さえた台詞回しがされていました。

話は「ガレキのイメージ」とそこを彷徨う男と女、そして「自分たちは存在するのか」という実在への疑問から街の見る夢にまでたどり着く悲痛な話です。おそらく戦争か都市がひとつ消えてしまうような大災害をイメージして作られています。

しかしそれにしては台詞回しが軽妙であって、命あるモノが存在しないという背筋が凍るような状況がなかなか描き切れていません。必ずしも本のせいとは言えない面はありますが、情景をあまりに無視した台詞回しでシニカル(皮肉)にすらなっていないところに大きな問題があります。この作品(主題)は大枠としての「滅亡感」や「破滅感」があって、そこに唯一の「生」(希望)である男女が描かれてこそ成り立つものであり、大枠としての悲壮感を描くことなく登場人物の「生」にばかり着目しすぎた面は否めません。

例えば、最初から男女を登場させ、男を悲壮的な考えの持ち主(「暗」)、女を明るい未来的な考えの持ち主(「明」)と設定した上で、対話させつつ、街という状況から対話の材料を与えるという話作りならば、まったく違って見えたと思います。1つ1つのエピソードも適当に繋げたという疑問が拭えません。

「どうしたら(話の大前提である)破滅を描けるか」(伝えられるか)を台詞回しからも、エピソードからも、もっと丁寧に突き詰めてほしいと感じました。

脚本以外

台詞もそうですが、演技にも悲壮感がまるでありません。世界観である「破滅した世界」に居たらどういう気持ちになるかという思考が不足しています。役者が理解した気持ちしか観客には伝わらないのですから、その点は残念でした。また台詞が多く、対話の間が悪くなっています(「間」が無い。間を作るための時間的余裕がないぐらい台詞が多い)。気持ちの理解が不足しているため「命あるものの音が、一切消えてしまったのよ」といった台詞がどこか浮いて聞こえます。全体的に台本に台詞を言わされているように聞こえてしまいます

男はガレキの下から救い出されるとお腹に金属の棒が刺さっていました。しばらくしてから劇中の登場人物達が気付くのですが、観客は助けられた瞬間から気付いているため、理解にタイムラグが起きます。何か狙ったものならまだしも、コメディとしても成立していなので微妙な感じになってしまいました。

あれこれ言ってしまいましたが、装置のガレキ感はよくつくってあったと思いますし、役者もとても頑張って(精一杯)演じていました。その一生懸命さが気持ちのいい劇でした。少人数で大変だと思いますが、役者とスタッフが両方一緒になって「本読み(気持ちの理解)」にもっと力を入れるとうんと良くなると思います。

高崎商科大学附属高校「ホット・チョコレート」

作:曽我部 マコト
演出:高崎商科大学附属高校
※優秀賞(関東大会)

あらすじ・概要

学校を休んだキッコ。そこに来る友人ミオ。期末テスト前。キッコはもうすぐ引っ越してしまいます。「バンドはどうするんだよ?」とせがむ友人。そんな中で起こる、キッコと友人たちの青春の1ページ。

全国大会の優勝校台本です。軽妙な掛け合いの中と、友人達の微妙な心理のずれを描いた、定番の青春モノ。

主観的感想

演出面

まず段ボール。せっかく良い小道具なのに生かしきれていません。だんだんと数が増えたり、日が経つにつれ部屋の片隅に重ねて置かれたりといった、状況の変化を見せる工夫をしてほしいです。単純に無地の段ボールを使っていましたが(それが良いかどうかは別として)引っ越し屋さんの段ボールや間に合わせたようなスーパーの段ボールを使うという選択もあります。重要なアイテムなのでもう少し考えてほしいです。

登場人物の服装。多少の変化は付けていますが、みんな制服姿で似た感じでした。髪飾り(ゴム等)で変化をつけようとしていたようですが、夏という設定を変えても話の筋上何一つ問題は起きないのですから服装にバライティを付けられる冬服にするとか、帽子を被るとか、鞄を変えるとか、何か工夫がほしいところです。

お話の大きなアイテムである「オリジナルのバンドの曲」をカセットでならすのは大変良い判断だと思いました。それだけに中盤であれだけ長く使ってしまったのは大変勿体ないです。しかもうるさくも感じました。ああいうものは、焦(じ)らして焦らして聞かせないほど引きつけるのですから、EDで使うのならばEDまで肝心なところは聞かせないようにするといいと思います。

携帯の音も本当鳴らしていた(ように聞こえた)ので大変よかったです。

途中の台詞で「オリエのピッチ(PHS)にもかけたんだよ」というのがありますが、これは「携帯」に変更すべきです。台本が書かれたときと時代が違うのですから、そのままやってはいけません。台詞は必要(演出)に応じて変えるものです

演出面

キッコの部屋ですべては展開するのですが、幕が開いて部屋。左手にベッド、本棚、中央に壁、右手に本棚、入り口……と部屋にしてはやけに広いです。こういう賑やかなものでは部屋(装置)をはじめとするムード作りというはとても大切ですので、もっと狭めた方がいいです(大きな装置を作らなくても、照明の範囲を狭めるだけで違います)。こじんまりまでは行きすぎですが、部屋ひとつ、装置ひとつで作品ムードががらりと変わりすから検討してみてください。女の子の部屋なんだから飾りとかあってもいいと思います。というのも引っ越しがだんだん近づいてくる様子が今のままでは非常に分かりにくいのです。大きな物は大変ですが、小物や壁飾り等々の飾りが多くあった部屋が、がらんどうに変化するだけでも、印象的に感じます。

そしてもう一つ装置に用意してほしいのが、椅子やおもちゃ(?)など(不自然にならない範囲で)登場人物が持ってさわれてるものです。友人の家に行ったとき、その辺に転がっているもので遊んだりしませんか? 適当に置いてあるものを何気なく手に取ったりしませんか? やりすぎは禁物ですが、装置とはそういうものです。

女子6人のわいわいとした騒がしい様子がよく描かれていて、台詞も良いため良いムードが出ています。ただもう少し性格付けができるともっと良くなると思います。この登場人物は「普段はきっとこんな生活をして、こんな風に物事を考えて居るんだろう」って役者一人一人が想像力をふくらませて、台詞だけでは見えてきにくい部分を掘り下げていくと、この演劇はプロみたいに良くなります。

とにかく「台本の勝利」という感じでした。本の面白さがきちんと描けていたと思います。

吾妻高校「僕らの道標」

作:武井 とし恵
演出:田村 綾子

あらすじ・概要

剣道部のアキラはショウゴがいる限り個人戦に出ることはできない。あるとき公園で「このまま事故にあえばいいのに」と軽い気持ちで言ってしまったら、その帰り本当に事故が起きてしまう。

一方、ミサキは姉に母親の居る病院へお見舞いに誘われても行こうとしなかった。それは自分に責任を感じていたから。そして二組の関係は微妙に影響を与える。

主観的感想

母とミサキ、ショウゴとアキラという2組の「病院に居る者」と「見舞いに行かない者」で構成された台本です。なかなか言い出せず、逃げているミサキやアキラが最後には向き合うと決意するまでの物語。公園を舞台にした対話を主軸に物語りは展開します。女子6人が、男子3人、女子3人を演じる劇です。

2組のうち母とミサキの関係は、ショウゴとアキラの関係を動かすための仕掛けとして作られていて、そのためにミサキの母親が死んでしまいます。構造的に書くと身も蓋もありませんが、本の力というのは構造にどれだけ説得力を持たせるかで決まります。その点どうだったのかといいますと、どう考えても「母親の死」の方が「ショウゴとアキラ」の関係に対して大事(おおごと)であり、描く対象が「人間と人間の関係」ではなく「エピソード」や「人物そのもの」に注力したように感じます。登場人物が全般的にステレオタイプであり、人物としての深みがありません。アキラを中心としたアキラの物語という焦点がぶれていて、アキラの気持ちも描かれているのですが、それ以外の不要なものもわりと描かれていて、話の中心が見えにくいのです。

つまり何が言いたいかというと、ちょっと欲張りすぎて書きたいものを書いてしまった。もっと端的に女子の想う理想の男子像を描くことに半分注力してるから軸が定まらない。本当に理想の男子像を描くという意味では100点です。あまりによく伝わってきて微笑んでしまいました。ただそれは同時に、人物のリアリティとして30点です。

普段なら独白がダメとかいろいろ書くところですが、演技力(演出)の力もありシリアスシーンや気持ちまわしの作りは(母の死の安易さやら独白に無理があるにせよ)わりときちんと描けています。劇全体が真面目(愚直)で非常に丁寧な作りをしており、感情がわき上がる演技もちゃんと考えられていて、女子が演じる男子はちゃんと男子に見えるし(思わずキャストを確認したし)、実力はかなりのものです。

(この手の)演劇の基本は、登場人物の気持ちとその気持ちの交流(対話)だということにもっと注意して、独白を使わずに気持ちを表現するにはどうしたら良いかの2点だけ踏まえれば今よりもっと良くなります。