前橋南高校「蝉丸NOW」

作:能「蝉丸」より原澤毅一翻案(顧問翻案)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

受験を前にしていらだつ高校生が、女性のポスター、タバコ、音楽などに現実逃避するといった様子を言葉を使わずに表現した舞台。

感想

去年の能世界との交流に続く第2弾。台詞を排除して、舞台表現を繰り広げます。地味な背面パネル(壁)に扉を付けて部屋を表現しています。中央に机、壁にポスターなど。劇は言葉がなく淡々と進んでいきます。時々様子を見に来る母親。その母親の目を盗んで「東工大合格」と書かれたポスター裏の女性ポスター(マリリンモンロー?)を見つめたり、たばこを吸ったり、音楽にノってみたり。

登場人物の顔をみんな白く塗られ、現実っぽさを消しています。時折、舞台下手から能の格好をした白装束の人たちが出てきて踊りを踊り、また去っていきます。言葉がなくても、音と体だけでここまで表現できるだということを去年同様見せつけられる演劇です。

気になったのは時折出てくるその能っぽい人たちの背筋でした。BGMに能を流し、白い装束でキリっとしたムードを演出しているのに、背筋が曲がって頭が前かがみに出ています。背筋が曲がると動作が美しくない。現実世界と、人知を越えた能のような人の対比が重要なのに、その異界の者が「美しくない」のではどうにも困ってしまいます。日本古来の美しいな動作。美しい動作のためには、何よりも背筋を伸ばすことです。

ものすごく頑張って作り込んでいるのに、ただ背筋が伸びていないだけで、ものすごく勿体なく感じてしまいました。

全体的に

もうひとつ残念なのは、今年はその異界の者に全く主人公が気付きませんでした。気付かないということは交流がないということで、交流がないと存在しないのと同じになってしまいます。演劇という固定観念すらもぶち壊す意図なのかもしれませんが、そこまでの印象は感じられず(形式美であると納得するほどのものもなく)、そして劇としては何も中身がないため、とても中途半端(意味の解釈に困る)という状況になりました。

とってもよく作り込んでいるし、細かい部分まで拘っているのだけれども、惜しいかな「もう1、2…3歩」ぐらい足りなかったと言わざる得ません。「筋」などない「美」だというのならば、もっととことん美を追求してほしいと思います。というか、来年あたりは普通の演劇をしたいんじゃないですか? 表現したいことを表現することに頑張ってください。応援しています。