桐生第一高校「赤いろうそくと人魚」

原作:小川未明
脚色:壌 晴彦
演出:桑原 真未

あらすじ・概要

人魚の子供をさずかったろうそく売りの老夫婦。可愛い娘にそだった人魚がろうそくに絵を描き、それが評判となったのだけども、ある日その人魚を南蛮の人間に売り渡してしまい……。

感想

幕が開いて木組で舞台全体に組まれた足場や段差。奥をぽっかりと空け海、そして波を表現。山や月夜も表して桐一らしいきれいな装置作り。本作は地区公演で以前みているのですが(もちろん当時の人たちは現桐一には居ない)良くも悪くも劇団桐一そのままでした。見た感想も去年と似てるかもしれない

舞台美術は本当によく凝ってるんだけど、それだけって印象が……。突っ込みどころがありすぎるので箇条書きで。

  • 踊る必然性がない。よしんばミュージカルしたいのだとしても、踊りも未熟でミュージカルもどきにすらなっていない。
  • ミュージカル的演出のところで、スピーカーから歌を流した意味がわからない。録音なのにさして上手くない。ミュージカルしたいなら舞台上で存分に歌ってください。せめてそれぐらいしてください。
  • ろうそくが評判になるシーンで村人が押し寄せるシーンをミュージカル風にみせていましたが、その後左右からの照明で止まるシーン。語り部が語り始めるのに、語り部に光が当たっていない。しかも村人も和服、語り部も和服で混ざって語り部がどこに居るかすら分からない。語り部の服装に変化をつけてもいいし、そうでなくとも(スタッフ多いのだから)随時ピンスポという手もあったのでは? 語り部が舞台上を移動する意味がそもそもあったの? 舞台脇でよかったんじゃないの?
  • 南蛮の人買いと老夫婦が会話するシーンを天井からのスポットを上手下手に1つずつ置き見せていたけど、両方とも背中にライトがあたって観客に向いた体前面がすべて影になってるのはいかがなものか。こんなときのための前ライトじゃないの?
  • 黒子が黒子として登場するときに、目の部分を白いボール紙で隠すのは意味がわからない。黒子が目立ってどうする。黒子なら黒子らしく振る舞う。他のシーンでその姿だからと手抜きしない。
  • おじいさんとおばあさんが元気すぎる。特におばあさんは背筋がピンと伸びて、しっかりとした足取りでテンポ良く歩くため全くおばあさんに見えない
  • 人魚を拾って、育って15年ぐらい経っただろうと想像されてるのに、老夫婦が少しも歳を取った様子がない。もし1年ぐらいで育ったという設定なら、そういう表現が必要。
  • 人魚の娘を売ってくれと言われたとき、老夫婦が心変わりし過ぎ。そこを舞台上で表現しないから見てる側は相当な違和感を受ける。観客をそこをみたいのだから。

桐生第一の演劇はいつもそうで、表記はあるのに演出不在。ちなみに今回はおばあさん役が演出のようです。

全体的に

光の処理やミュージカル的演出とかやりたいとこは分からなくはないですが、それが観客まで届かないのでこういう感想になってしまいました。かなりの苦言になってしまいましたが、近くの席にいた高校生の方がよっぽど辛辣なことを言ってましたし、嘘で褒めても意味がないので偽ざる感想として書きました。

でも、比較論に過ぎませんが去年よりはよかったと思います。45分ですが一応最後まで見られた。去年は感じられなかった観客に伝える努力は感じられた(実際に伝わったかどうかはともかく)。去年よりは観客に向き合ったのかもしれない。例年よりは楽しんで演じてたようにも感じられし、語り部は語り部としてちゃんと舞台上に存在していた(もう少し工夫できたとは思うけども)。さらに以前からの比較ならば、台詞はきちんと聞き取れたし、話の流れもきちんと理解出来た。それはたしかに重要な進歩だと思います。

いつも思うのですが、小難しいことしないで素直に現代劇やったらどうなんでしょう。現状だと語り部を使うことで重要なシーンから逃げているように感じます。そこをやらないから舞台を作る上でもっとも大切な演出的や演技の掛け合いがいつまで経っても成長しないし、何年経っても同じところをぐるぐる回っているように感じてしまうのかなあと、個人的な意見を申しておきます。頑張ってるのはよく分かるのですけどね……。

桐生南高校「76.9 闘争本部」

宗田理「ぼくらの七日間戦争」より
脚色:伊藤藍(顧問)・桐南演劇部

あらすじ・概要

ぼくらの七日間戦争をモチーフに、学生闘争をベースとした生徒たちの教師や社会への反抗としての闘争の話。ある日、メールで集められた(集まった)5人の生徒達は、川原の廃工場で闘争を決意する。

台本の感想

ぼくらの七日間戦争は映画しか知りませんが、七日間戦争(映画)の面白いところは、学生闘争をモチーフにしながら「僕たちの学校生活」という日常に矮小化して、それでいて「社会である教師達をやっつける」ドタバタにあると思うのです。(映画は)勧善懲悪とはいかないまでも、それに近い作りの作品だと記憶しています。

それに比べると「学生闘争」に随分と偏向した作りになっていて、それでいて学生闘争を掘り下げているわけでもない。かと思うと、物語後半で登場人物達が急に独白で、学校や社会への不満を語り出すという理解に苦しむ作りです(独白の問題についてはこちらを参照)。

ラストシーンから推察される物語の重要要素である「生徒たちの学校への反抗心」「大人との対抗」が全く描き出されておらず、それが災いして生徒たちが何のために廃工場に集まったのかも、どうしてそこに留まるのかも全く分からない。3日間の楽しい想い出も成長も何も描かれていない。そもそも人物像が非常にステレオタイプであり(全員だけど特に加瀬)、個々の人物が立っていない。個々の人物が何を考えているか分からない。伝わってこない。

そして数々の疑問。「あの程度のメールでどうしてみんな集まるの?」「この平成の時代に、闘争とか重たいものにそんな気軽に参加しちゃうの?」「電波ジャックがそんなに簡単にできちゃうの?」「河原の廃工場に簡単に入れるの?」「チャーンメールや公式サイトみたいなすぐ足が付く方法を使っててどうしてすぐに見つからないの?」「ラスト付近でなんで今更退学とか気にするの?」「警察いるのにどうして校長が突入の合図をするの?」等々。1つ1つはちょっとしたことでも、積み重なると完全なご都合主義となり、話のリアリティを欠如させる結果になってます。

そもそもなんで「闘争」に機軸を置いたのかがよく分かりません。もっとライトに矮小化されたセカイ系(ぼくとぼくのまわりがセカイの全てだという形の物語形式。近年流行)で闘争すればよかったんじゃないですか?

顧問の先生には申しわけないけども、台本に重大な欠陥があると言わざる得ません。七日間戦争の下敷きに面白いシーンをつまみ食いして構成したい気持ちは分かりますが、面白いシーンはその他の面白くないと思っているシーンがあるから面白く感じられるだけなのですよ……。

感想

シナリオは別とすれば、完成度は高めだったと思います。廃工場には見えなくもないようなパネル(ちゃんと高さ8尺程度)に窓や鉄の扉。扉のバリケードが安っぽかったり、ゴミ箱やロッカーが置かれている意図が理解しかねたりはしますが、それなりの舞台装置になっていました。

ギャクに絡んだかけあいの間や止めはよく出来ていて笑わせてもらいました。それにしては演じずらい人物像だったのかもしれないけど、そこに役者の解釈や想像がもっと入っていれば台本をカバーできたようにも感じられます。

ただ一部の台詞(岡野とか)が聞き取りにくかったのは問題だったかなあ。あと重要な役割をになっているまことが比較的早口なので何を言っているかよく分からない。ゆっくり強く発声する選択肢もあったのでは?

とてもがんばって演じられていましたが、それにしては台本が……とそれに尽きると思います。台本をすべて書き直すぐらいの心構えで脚色してればまた違ったかもね。

渋川高校「贋作マクベス」

作:中屋敷 法仁
潤色:渋川高校演劇部
演出:村上 直輝

あらすじ・概要

演劇部の練習。マクベスの劇に物まねを入れたいという部員達と「そんなのありえねー」というかけあいをしてから、マクベスの通し稽古がはじまる。どんどんグチャグチャに考証が破壊されていくマクベスの劇。

2003年全国大会最優秀脚本賞。本当に見事な台本。作者インタビューとかあるけど、作者は本当にマクベス好きなんだろうなあ。ドラッカーが好きな人がもしドラ書いたのと同じ印象を受けました。モノマネシーンが前フリになるとか上手すぎる。

感想

中割(内幕)を引いて中央をちょっとあけただけで装置は何もなし。男だらけの元気いっぱいのやりとりで、かけあいの上手さが際だっていました。止めやメリハリ、リアクションがしっかりと演技されていて、すぐにグイっと引き込まれる力強さ。

これもあり序盤の劇にハードボイルドやモノマネを入れたいというやりとりからもう面白くて、それが前フリになっているからマクベス自体もはちゃめちゃでもう笑いっぱなし。楽しかった。この学校もドッと受けてよく聞き取れないうちにシーンが進行してたので「笑い待ち」するとよかったと思います。

魔女が出てくるシーンで、姿は見えないけども動きや声のムードで魔女をきちんとやっていたと思います。マクダス将軍の声がききとりにくいのがちょっと気になった。女装キャラであるマクベス夫人が、最初は女装なんだけど進行するにつれてだんだん可愛く見えてくる。よく考えると一番美味しい役どころなんですよね。ただ難点は早足すぎたことで時間的には2分ぐらい余裕があったのだから、もう少し歩幅を小さく内股に歩くと女性っぽくみえると思います。テンポのために早く舞台に出入りしたい気持ちはわかりますけど(苦笑)

そのマクベス夫人が死んで暗転して夫人がはけるとき、完全に照明が落ちる前に夫人が動いていたし、夫人が完全にいなくなる前に照明がついてしまったのはミスでしょう。ちょっと焦ったのかなあ。

でもそれ以外の照明の使い方はとても適切で、気持ちやムードが深刻なときは暗めになり、平常のときは昼のように明るくなりと、登場人物の心情や物語の状況によくリンクさせて照明の光量を適切に処理していました。これも非常にうまかった。

全体的に

台本が面白すぎて、それを十二分に生かした舞台で本当に面白かった。なんか講評によると、オリジナルはもっとはちゃめちゃだったようですが、それを知らないし、これでもう過不足なく面白かったと感じました。

演劇とはなんだって感じの流れの結末で、たまたまだろうけど大会最後の上演としては最適だったと思います。

高崎商科大学附属高校「見送る夏」

作:越智 優

あらすじ・概要

夏休みの宿題をするため早枝子の家に集まった友人3人。そして、早枝子の家に居候している従姉妹の茉莉。わいわいがやがや、遅々として進まない宿題と暑い夏、そして茉莉はなぜ居候しているのか。そこへ茉莉の姉がやってきて……。

感想

舞台中央に畳が置かれた6畳程度の空間。丸ちゃぶ代と木製の棚とクラーラーとテレビ。なぜ部屋部分以外の照明を思い切り明るくしていたのがもったいないと思いました。照明を中央部だけに限ればそれだけでグッと部屋っぽくなったのかもしれません。夏っぽさとしては全体が明るいのはアリなのですが、雨のときに(明るさの)差がついたらよかったなあ。物語の大切な空間としての「部屋」がないがしろにされた印象があります。

友人達の一部が声が聞き取りにくかったのですが、4人+茉莉のワイワイガヤガヤとした年代相応の元気さがよく出ていたと思います。服装のかぶりにも配慮され、叫びから止めに流れるテンポの取り方も考えられていました。途中携帯は実際に鳴らしてたのかな? あとまんじゅうを実際に食べていたところなど必要なリアルの追求は評価したい。

しかし、演者には申しわけないですが、塔子(茉莉の姉)に振れないわけにはいきません。ものすごく頑張って演じているのはよく分かるのですが、残念ながら一人浮いていました。茉莉たち子供に対する唯一の大人の役割なので非常に重要で、他の人物を演じることに比べても難しいのですが(だから他の人より下手ってわけではないのですよ)、台詞のトーンで大人っぽさを意識しすぎたために真に迫って来なかった。重みがでてなかった。

台詞を速く言わないよう注意して演じられていたんだけども、それでもやや速くだったことと、1行の台詞の中での強弱(と速さの変化)がついてなかったこと、リアクションができてなかったこと、相手の台詞を受けての発声でなく順番で台詞を言っていたことが災いして「台詞を読んでいる印象」が強くなってしまったことが原因に感じます。1行の台詞の中にも気持ちの変化や思考の変化が入っているので、そこがもう少し出せたらなあと惜しく感じました。

じゃあ他の4人ないし5人は完璧だったかというとそうでもなくて、にぎやかなリアルが追求されていてよく演じられていた反面で人物の演じ分け(性格付け)まではみえてこなかった。茉莉はシナリオの立場として違うものの、4人は仲良しの4人であって1人1人までは区別ができなかった。台詞の裏にある関係性まで出てきたらもっとよかった。細かいところでは、笑いや面白さを見せるやりとりはもうちょっとオーバーな演技でよかったと思います。

全体的に

劇全体として夏の1コマというシナリオですが「演出意図はなんですか?」と聞かれて、たぶん答えられないんじゃないでしょうか。

夏をテーマに茉莉を含め色々なことがごちゃごちゃと入った台本なので、これといって軸の通った筋立てはされていません。だからこそ、何を見せるかという意識を明確にもって演じないと「なんだったんだ?」という印象が強く残ってしまい薄っぺらく感じてしまいます。儚さ? 哀愁? 過ぎ去るもの? 何かあったのかなあ。

よく努力され、とても頑張って演じられていただけに、それがもったいないと感じました。

前橋市立前橋高校「夏芙蓉」

作:越智 優

あらすじ・概要

卒業式の日、深夜の教室。千鶴のもとへやってくる友人3人。何か言いたげで、それでも賑やかに4人で楽しむ千鶴たち。おかしを食べて談笑も盛り上がったところで、友人達が帰ろうとする。それを引き留めた千鶴は……。

高校演劇では非常に有名な台本です。

感想

左手に教壇、机がまばらに4つ。右手にも壁、そして黒板。教室をがんばって再現しているのだけど、致命的に机が足りない。演者に必要な机しか置かないという配慮は分かりますが、それに対する説得力が不足しています。最低でも10セットぐらい用意してらよかったのではないかと。加えて照明が明るすぎ。深夜の教室なのだから、もう少し明るさを控えて、教室以外の部分に照明が当てないようにすべきだったと思います。さらに言えば教室を舞台いっぱいに広げる必要も、教室全体を照明の中に収める必要もないわけで(全体感想も参考に)。

以前観た新潟高校の劇はもうおぼろげにしか覚えてませんが、それに比べるととてもよく出来ていたと思います。例えば、教室で友人達とちゃんと「にぎやか」にしているところなどは評価高いです。

台詞のかけあいはよく研究されていて、人物も服装を含めよく性格付けされ元気があってよかったのですが、笑いを狙ってところで台詞の間やアクション(体)をうまく使うともっと笑いが取れたと思います。台詞はとてもよく聞こえて、分かりやすいのだけども、これだけのレベルで演技できるならさらに上を目指してゆるみの演技もできたらいいかなと。力の入ってない台詞の発声。

そんな感じで、若干物足りなさはありましたが、ラストにかけての流れは見事でぐいぐいと引き込まれてしまいました。ラストシーンで「ちぃ、私たち一緒に卒業したよ」という台詞をいうシーンは特に秀逸だったと思います。それだけに、なぜそこで幕を降ろさないとずっこけてしまいました(笑)。客席でも拍手の準備してた人がいて、拍子抜けてしましたよ(苦笑)

全体的に

劇全体に対してうまく間を配分し1時間ぴったりに収めたのはうまい配慮だったと思います。

さらに上を目指すにはと考えるとやはり演出。この台本は、前半のシーンにおける「微妙なズレ(違和感)」を目立たさせずにそれでいて観客が認識できるように提示するという非常に難しいことを要求されます。その「ずれたパズルのピース」のような違和感を、劇全体のムードに反映することができていたかというと難しい。日常として観客に認識させながら、それでいてどこか非日常的な一コマと観客に認識させる必要があったのではないかと。

「幽霊である」ということをこれ以上前フリし過ぎるとあからさまになり過ぎてそれはそれで興ざめしてしまうので、それ以外のことで非日常性を表現することはできなかったのかな。それはちょっとした舞台装置かも知れないし、登場人物の格好や小道具に対する微妙な違和感かもしれないし、はたまた照明の処理かもしれない。具体的にどう改善するべきかは難しいのだけど、現状だとあまりにも日常過ぎた。

加えて全体の流れを通してのシーンの緩急をきちんと演出していたなら(個別のシーンの演出に目が行きがちですが、それと同じぐらい大切なことです)もっと良くなったのかも知れないなあと感じました。演出の仕事です。