松本筑摩高校「回転木馬とジェノサイト」

脚本:木村 哲
演出:加藤 真記

あらすじと概要

少女トモコ失踪事件の調査を頼まれた探偵(男)とその秘書(女)。手がかりは唯一、意味不明な手紙のみ。回転木馬、ジェノサイド? 1+1は2ではない世界? 鏡の向こう? 哲学的なタームにまみれながら、事件の真相に迫る探偵たちのたどり着いた結論は……。

主観的感想

パンフレットによると、部員たった2名が関東大会に!? 一体どういうものを見せてくるれるのかとワクワクドキドキしながら開幕を待ちました。昔の顧問が残した本(台本)ということで、内容的にはやや難しめでしたが、それでもよく内容を理解してどう見せるか考えて本当に頑張っていました。部員数が少ないなんて何の言い訳にならないのだと思い知らされた演劇です。

二人で一体どう見せるのかと思ったのですが、舞台を左右二つに切って右手側に探偵事務所でありコンビニの事務所であり、特に学校の職員室となるデスクの置かれたセット。左側には象徴的なモチーフを光で演出した何もない空間。基本的に男が探偵役のときは、女は少女の母親、男が担任の先生のときは、女が探偵秘書というように左右の装置と場面を切り替えながら、そのときの人の出入りに時間差を作ることで「暗転」の時間を極限まで減らした見せ方には見事としか言いようがありません。

気になった点としては事務所の裏がパネルだったのですが、6尺だったのでやや低く感じたところでしょうか(あと3尺高くだそうです、他校はみんなそうしてました)。また、男の方の声の演技にメリハリがもうちょっとほしかったところ。動きなどは大きくできていてとても良かったんですが、声の方がやや物足りなく感じました。あとは、探偵からコンビニ店員、はたまたトモコの親友と変わったときに、服装以外の演技としての変化も出たらよかったなぁーと思いました。

とはいえ、人数が2人しかいないということで、場面(舞台)転換をなくし暗転時間を極力0にするように工夫するなど、制約から創作は生まれるという言葉を体現しているような、演出的な取捨選択のセンスが非常に優れた本当に良い演劇で、役者の演技としても難しい本をきちんと解釈し伝えようという心意気を感じる良い劇でした。

審査員の講評

【担当】若杉
  • 二人の演技のレベルが大変高く、丁寧に作られていた。感動したが、完成度が高いだけ余計に「こしたらよかったのに」「ああしたらよかったのに」と感じてしまった。
  • 一人が何役もしているわけですが、衣装とかヘアスタイルとか演技の声とかをもっと変化が付けば、内容がより伝わったんじゃないかと感じた。そのせいか、ストーリーがよく伝わってこなかった。
  • また演技はよく頑張っていたが、照明や効果が手薄になってしまった。
  • 衣装の色味を変えてみるとか、事務所の小物を変えてみるとか、人手が足りなかったのだとは思うけど、ここまでできたのだからもっと工夫できたのではないかと感じてしまった。
  • これで演技以外に力が入れば、総合芸術としての舞台がもっとよくなったと思う。

岡谷南高校「変身」

原作:フランツ・カフカ
脚本:スティーブン・バーコフ
演出:小松 佑季子

※優秀賞

あらすじと概要

父と母と妹と。主人公グレコーザムはある朝目覚めると毒虫に変わっていた。稼ぎ頭で家族たちを支えていた優しい兄の変貌に、動揺する家族たち。兄が出勤しないためにやってくる会社の上司。どうしようどうしようと苦悩する兄。

主観的感想

舞台の写真がないのが残念で仕方ありませんが(どこかにアップされてないんだろうか)、幕が上がって、まず壮大な舞台装置に驚きました。毒虫というモチーフを巨大な金属製オブジェで、その中にいる兄の動きを通して毒虫に見せるというまさしく「唸る」演出。家族3人も、具体的に掛け合うのではなく、舞台に対して等間隔に置かれた3つの椅子の上で、とことんまで抽象的な動きを見せることで場面を想像させる。また照明や効果音を実に有効に使って、毒虫になった兄や家族とのかけあいをコミカルな動作で描いていく。ここまで芸術的な高校演劇があるとは、ほんとにびっくりしました。

個人的な話になりますが、ストーリー性のないものや起承転結のないもの、テーマ性のないもの、小難しいものはあまり好きではありません。つまり好きではないタイプの劇だったのですが、にも関わらず「これはすごい」と感じ、芸術として有りだと感じさせてくれたことに本当にびっくりしました。動作の演技において徹底的な省略と記号化そして誇張がされており、音については加工処理がとてもうまくされていました。

お話自体は、まあ救いのない悲劇というか「実に演劇らしい」内容で、それを「面白いかどうか」という尺度で考えた場合、評価は難しいところですが、こういうのも演劇だよなと感じさせてもらいました。ただ一つ、バイオリンのソロのシーンの効果音がソロではないものを使っていたので気になりました。ここまで作ったのだから、ソロバイオリンを何としても用意してほしかったなと欲を言えばそんなところです。

審査員の講評

【担当】西川
  • 幕が開いた瞬間にびっくりました。巨大な虫のオブジェが舞台一杯に広がっていて。
  • ある朝起きたら突然大きな毒虫に、家族の大黒柱がとつぜん要らない存在になってしまい、その兄が瞬間に家族に希望が見えるというまさに不条理劇だったと思う。
  • 装置がとてもうまいなーと感じた。そして音も照明もタイミングを外さない。
  • この芝居は台本を読んでも状況説明が多く書かれており、大変難しい。それらの状況を台本を読んでいない観客に伝えなければならないのだけども、成功していると感じた。
  • 他の審査員から出たのですが、形でもって型にはめていく演出を取っていたが、この方法では空間が無機的になっていく。その状況において家族の心理が兄から離れていくという描写が十分だったのかと考えると疑問を感じる。
  • 全体としては心理劇であるわけで、今回はこういう演出をとったわけだけども、もっと他の考え方で心理劇をきちんと描くという方法もあったのではないかと感じた。

伊勢崎工業高校「あの大鴉、さえも」

脚本:竹内 銃一郎
演出:當間 聡美(兼 主演)

あらすじと概要

親方に頼まれ大きなガラスを届けようとする3人の独身者(男1+女2)。言われたとおり白い壁が沿ってみても行き止まり。もしかすると、壁の向こうに住人がガラスの受け取り人なのか。その住民は誰なのか。

主観的感想

県大会上演時とあまり違いありません。会場の関係もあるのか声がとても聞き取りやすく、演技なども詰めてきてはいるのですが、それでもいまいち持ち手が揃っていなかったり、男役(ヒゲ?の方)の演技がイマイチ弱い。声の味というか、ドスというか、濁りというかそういう肉体労働者の泥臭さみたいなのが(見た目だけでなく演技でも)出たらよかったかなと感じます。本も県大会ときより「男→女」の配役を意識した変更を加えてきており、また状況も明瞭になっているイメージはありましたが、まあやっぱり難しいのは難しいかな……と。

水をかけたときのSEがしょぼいと県のときに苦言を呈したわけですが、関東大会では水をかけるSEそのものがなくなっていました。なくても十分伝わる演技ならよかったのですが、見ていて伝わってきませんでした。頑張ってるけど「何か物足りない」「何か物足りない」と感じさせる演劇で、じゃあそれは何かと言われると難しいのですが、やはり前回同様「台本をそのままやってしまった」(演出という『意図』が感じられない)という一言に尽きるように感じました。

審査員の講評

【担当】青木
  • 一番最初で緊張感があったと思うが、軽い感じの始まりで、装置と衣装のトーンも合っておりよかったと思う。間の取り方とかも上手いなと感じた。
  • 壁が時代っぽいなあと感じた。蛇口がデフォルメされており、水が出る工夫もされていた。どうせなら勝手口の張り紙もデフォルメして観客に内容が見えるぐらいにしてもよかったのではないか。
  • いまいち効果音のバランスが取れておらず統一感がない感じがした。
  • 見えないガラスを運ぶという不条理劇だったきと思うが、最初ガラスを持って出てくるときに「遠くから運んできた」という感じがしなかった。どれくらいの距離を、どれくらいの厚さ重さのガラスを運んできたのか役者3人で統一して、そうしいう疲労感のようなものを感じさせる出だしにしたらよかったのではないか。
  • テンポがずっと軽妙で途中で飽きてきてしまった。アクションで一度待たせるとか、乗るシーンをもっとおもしろおかしくずくとか、不規則な方が不条理感が出たのではないか。そのため、大胆に台本の一部を切り取ってもよかったのではないか。
  • 台詞が伸びてうねっていたが、若い人が演じるのだから言い切ってしまってもよかったのではないか。
  • ラストシーンは、その向こうにまだ壁があるという演出だったが、どこまでも続いてるいて何も見えないというイメージの方が個人的な好みかなと感じた。

共愛学園高校「破稿 銀河鉄道の夜」

脚本:水野 陽子
演出:窪田 有紗

あらすじと概要

高3のカナエは、放課後の演劇部部室で一人本読み。そこへやってきたサキがカナエの進路を心配するが、カナエは曖昧な返事を返すばかり。サキが三者面談でいなくなると再び「想稿・銀河鉄道の夜」の台本(以下銀鉄)を読み始める。演劇部には、上演後の台本を破り捨てるという伝統があったが、カナエは2年前に上演したその台本を捨てずにそれをもっていた。そこへ現れる親友のトウコと、そのまま銀鉄の話で盛り上がる。銀鉄におけるジョバンニとカンパネルラのシーンを二人で振り返る。トウコからカナエへの投げかけにだんだんと考えを変えていくカナエ。「その台本を捨てよう」と。二人で破りそしてトウコはカナエの元を去っていった。そう、カナエは今はもう居ない人物だった。

主観的感想

こちらも伊工同じく県大会上演時とあまり違いありません。ただ、県大会の講評で指摘されていた男子生徒の声はきちんと用意してきました。県内では敵なしという感じの共愛ですが、関東大会では……どちらかと言うと見劣りしてしまった感じの印象でした。さて、県大会と比べという話になりますが、演技が県大会上演時より小さくなっていたように感じました。県大会の時の方がもっと伸び伸び演じていたと思うのですけど(特に雑巾を投げ合うシーンとか)気のせいでしょうか。

その他、間延びして本題に入る前に(約20分で)飽きるなどは県大会同様でした(テーマ出てくるまで約26分)。やっぱり、同じ「演劇部」という舞台、同じく昔死んだ部員の幽霊(?)ということで、2校前の秩父農工科学高校の「サバス・2」と比較してしまったのですが、完敗に近いかな。部室にいる生徒というリアリティがほとんどないんですよね。関連して、元台本のまま、関西弁のままにする意味はあったのかなと。台本はもっとアレンジしてよかった(すべきだった)ように思います。

全体的に県大会のときと同じ印象ですね。技術は上手いんだけど中身は空っぽ。劇全体から上手く作ろう、上手く作ろう以外の意志が感じられないのです。上辺の技術を上達させることは演じる上で大切なことではありますが、もっと大切なことが他にあるはずです。気持ちの問題、どうして演じるのか、なんのために演じるのか、その劇を通じて見ている人に対し一体何を『表現』したいのか。もちろん常連校としての意地もプライドもプレッシャーもあるかと思いますが、でもその一番大切な表現を楽しむという原点をどうか忘れないでほしいなと切に思った次第でした。

審査員の講評

【担当】内山
  • 演劇部部室ということですが、演技エリアを狭めるというのは有効な方法だと思いました。小道具の配置なども雑然としてよかった。
  • にも関わらず役者の声が大きすぎて、エリアの狭さにそぐわない感じがしました。大きな声を出すと投げかけになってしまい人間関係が遠くなってしまいます。
  • 台詞の応答が1テンポまたは半テンポ早い。間を努力しているのは分かったが、会話というのは単語に反応して考えて息を吸ってといった応答するまで間があるはずで、全体的に間が一定または早すぎた印象がある。
  • トウコの出かたですが、横から出てきたのは勿体なかった。装置を狭く作った状態では、舞台袖は「装置=舞台の外」になってしまい、作られた空間である装置の中から出てくるべきだった。ドアでもいいかも知れないが、何かしら「非日常」の場所を作りそこから出入りすればよかったと思う。
  • 終始関西弁で話すのだけど、よくわからなかった。
  • あくまでひとつの手段として、壁を外した空間を作りもっとリアリティを失わせた装置を用意するという手もあったと思う。

新潟高校「夏芙蓉」

脚本:越智 優
潤色:新潟高校 演劇部
演出:岸 なつみ

あらすじと概要

卒業式のあと、夜中の教室。千鶴は、みんなを待っていた。やってくる友人達、舞子、サエ、玉井。何か話したいことがあり気なのに、何も言おうとしてない千鶴。そんな千鶴をよそに、わいわいと夜中の教室で騒ぎ始める3人たち。やがて千鶴もそこに加わって……。

検索してみると、中学・高校演劇において比較的よく扱われる脚本のようです。

主観的感想

終始真面目なお話作りなのですが、演技がなあ……という印象でした。友人達が和んで楽しんでるという印象がないんですよね。淡々と台詞を交換しているという感じにしか映りませんでした。特に秩父農工の演技を同じ日にみただけに、その差を歴然と感じてしまうというか。もっとオーバーにやっていいし、声からも楽しんでる様子が出ているとよかったと思うのですが……。例えば、普通に考えて友人同士が集まったら机をくっつけて話とか、椅子を近くに持ってきてとかあると思うんですが、そういう自分が友人達と話しているときに置き換えるとか昼休みの教室を観察するとか、とても単純なことだけど大切なことを見落としているように感じました。

舞台装置ですが、教室を横に見立てた作りで右手側に黒板なのは分かるのですが、向かって正面が一面の白壁。教室として通常は廊下側なら出入り口が、窓側なら窓があると思うのですが。出入りは向かって左側から行っていたのですか、いっそのこと壁すらなく演技で「あたかもあるように」みせてしまっても良いわけでしたし、どうにかならなかったのかと感じました。またラストシーンで白い花が花瓶に挿されていたのですが、そのもっとも象徴的な構図の真後ろに白衣に白セーターを着た先生が立つため花がぼやけるというのは失敗だと思います。そもそも白衣を着せたこと自体が安易だと思います(先生と記号的に見せたかったのでしょうが)。

劇を見ていると、千鶴がずっと何か思い詰めたかのような感じで進み、3人が「実は幽霊でした」という話の展開が起こるまで実に45分。そこに至るまで動きも本当に少なく、正直なところ見ていて飽きてきます。そのシーンに至るまでにいかに楽しそうに、そして観客を引きつけておくかが勝負なのですから、そういう演出的配慮がほしかったところ。あと基本的には、フリのような素振りをみせれば見せるほど、その量だけドンでん返しを観客は期待します。実は幽霊でしたでは納得しないんですよ、あれだけ意味深に振ってしまうとね。

すごく真面目に丁寧に作り込んできているだけに「勿体ないなあ」とひたすら感じた劇でした。次は「全体の演出」を念頭に頑張ってください。

審査員の講評

【担当】若杉
  • ストーリーをとっても大事に作ってありいい芝居だった。
  • 千鶴が最初から何もかも分かりすぎちゃっていて、おきゃにも思わせぶりな態度をみせるからオチが最初から見えてしまっている。みんなが出てきてかられ千鶴が一人何もかも分かっている感じで、みんなが出てきたら一緒になってはしゃぐとか、幽霊だってことを忘れて楽しんじゃうとか、そういう生きた千鶴という姿を見たかった。
  • 幽霊である3人の女子も、もっと騒いじゃっていいんじゃないかな。18年の楽しさがスパークして輝いて、それに乗せられ千鶴もはしゃげばもっとラストが劇的になったと思う。
  • 千鶴が最初から「人は必ず死ぬんだ」と悟っているのではなく、あの時間を通して千鶴が「人は必ず死ぬんだ」と感じるのではまったく違う。テーマに縛られすぎて逆に足下を掬われたという感じがした。