まとめ感想 - 2008年度 群馬県大会

約1年ぶりの観劇でしたが、とても楽しませて頂きました。公演されたみなさん本当にありがとうございます。そしておつかれさまでした。

入賞について。今年は自信を持って「基準が違えばガラリと入賞校が変わった」と断言できます。だから入賞しなかったみなさんも落ち込む必要はまったくありません。ここのところ毎回書いていますが、上演校全体のレベルの底上げが今年も大きく感じられました。みんな本当に上手くなっています。これはすごいことです。

例えば、ほんの少し前まで「声が聞こえない」「暗転だらけ」「BGMだらけ」「不自然すぎる台詞」(実際にあり得ない説明的すぎる台詞など)といった基本的なことがクリア出来ていない上演がたくさんあり、講評でもよく指摘されていました。今年は該当する上演がまったくみつかりませんでしたし、事実講評でもこれらの指摘はほとんど無かったと記憶しています。

入賞校についての判断が難しくなったというのは、(全体のレベルがあがり)突出した学校が居なくなったと言えます。つまり、どの学校もあと少しだけ上達すれば関東に行けます。講評を聞いていて分かったと思うのですが、どの学校もまったく同じことを指摘されていました。あとはそれをクリアするかしないかだけの差です。

以下に、やや違う角度から総評として出来るだけ丁寧に解説しますので、もしよければ参考にしてください。みなさんの今後の活躍を心より期待しています。

2008年11月11日 記

新島学園高校「サボリバ」

作:大嶋昭彦(顧問創作)
演出:(表記なし)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

先生の居ない保健室にやってきた水谷(女子生徒)は生徒会長に立候補していた。選挙は6時間目。そのことで悩んでいると、保健室の奥から辻(女子生徒)がでてきた。二人はやがて選挙対策を考えはじめ…。

顧問の先生のところに上演までの状況が掲載されています。台本完成が半月ぐらい前みたいです。

感想

幕開いて、舞台上に見事なまでの保健室。左手のパネルにポスターと掛け軸。病院や保健室でよく見かける白い布貼りのしきいが在り、続いて中央奥に白いパネルで前面。右手に少し空間があり、右手に白パネル。正面には入り口の扉(白い扉のガラス窓)があり、左手手前にスチールラック(教卓)、中央にピンクのビニル貼り長椅子2つ、右手に身長計、座高計、体重計。相変わらず見事な舞台の作り込み。さすがでした。一目で保健室と分かりますし、3面をパネルで囲んできちんと保健室と分かります。だだっ広くもなっていません。

物語は、先生にそそのかされて生徒会長に立候補することになった水谷と、それにアドバイスをする辻から成ります。二人とも、声のトーンや強弱の使い分けがうまく、さすがだなと感じました。日々の練習の成果なのでしょうか。気持ちを入れて、役に入って演じるというのは気付いてしまえば簡単なことなのですが、それができるには結構難しい。あと、辻役の声いいなーとか思ってました。ただ、台詞がやや矢継ぎ早に出てくるので、もう少し間やトーンを付けてもいいんじゃないかと感じるシーンがいくつもありました(特に前半)。全体的によく演じられているだけに、もう一歩という部分が逆に目立ってしまった。たぶん練習すれば自ずと直るのでしょう。上演時間が5分残った点からも考えて本番の焦りがあったのでしょうか。

とても高い完成度で出来ていた一方、それにしてはオチなかった。水谷に会ったことで「辻が保健室から外に出た」という非常に素朴な物語なのですが(良い意味で)、辻という生徒が保健室から今まで出られなかったということが全然描かれておらず、演じ手からもそれが伝わらなかった。どうして辻は保健室に引きこもっていたの? 辻は保健室の「外の世界」をどう感じていたの、何を感じていたの? 残念ながら、劇全体からそういう思慮がまったく感じられませんでした。保健室登校である辻の持つダークな部分、影の部分。それがないと「辻さん保健室から出られてよかったね」というラストシーンにならない(説得力を持ち得ない)。演じ手の問題が講評で指摘されていましたが、台本の要因も大きいと思います。

台本について

この本は難産だったようですが、それを感じさせない完成度ではあります。しかしながら、上で指摘したオチない致命的な問題もあります。ギャグや軽快なやりとりに傾倒したなあという感じですね。本を書いていると、よくあることですが、最初に戻って修正している暇がなかったのでしょうか。

関係ない話ですが、この演劇を観ている最中、辻の正体は「対立候補である姫川なんだろな」と思っていました。ベタな展開ですが、それもありだったんじゃないかと思います。

全体的に

やっぱり新島の唯一の弱点は(例年通り)物語全体として何を見せるかという配慮の不足なんだなあと感じます。生徒のどなたかでもこれを読んでいてくだされば嬉しいのですが(毎年新島の感想を書くときは特にこの想いが強くあります)。物語全体として何を観客に表現するのか、もっとよく考えてみてください。こちらも参考までに読んで頂ければ幸い。

本作とは少し離れてしまいますが、1日目上演の、同じ保健室が舞台の高崎東高校とまったく同じ構造、そしてまったく同じ問題を持っている劇ということは興味深く感じました。保健室少女をどう描きどう見せるかですね。

劇全体は細部に拘って非常によく作られていましたし、本当によくできた演劇だと思います。関東大会でもがんばってください。

県立前橋高校「そばや」

作:仲谷 憲(生徒創作)
演出:(表記なし)
※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

「学校帰り、そばやを営む友人の家で、塾までの時間を潰してたりする少年達の話」(パンフレットより)

感想

舞台には、左手に扇風機、中央に白い布をかけただけの長テーブルと椅子5脚しかありません。シンプルな舞台装置。そこで演じられるのは、男数人のうるさく元気な演劇です。役名が、役者の名前(愛称)からそのまま取られているらしく、当て書きだと思われます。当て書きの効果か、掛け合いや会話がとてもよく演じられています。ゆるみの演技、そこにその人物が居るんだという実在感、難しい言葉で言えば演劇のリアルがとても高い完成度で繰り広げられます。本当にこんな男子生徒居るよな、そんな男どもが本当にそこで会話しているよなっていうノリです。そして、笑いを取るための、会話の裏切り方は特に秀逸でした。

男子生徒たちのテンポの良い何気ない会話から笑いを取りつつ物語は進みます。劇中2回、未来に暗転させるのですが、1回目が明るい未来で、2回目が(1回目の数年後の)暗い未来です。そうして最後には「未来は自由だ」という感じで話がまとまり、そばやからみんな塾に向かうのですが、どことなく哀愁が漂います。

気になったのは荒さでした。例えば、コップに水を入れて運んでくるシーンがあるんですが(実際にコップはない)、その動作がいい加減で到底コップがあるようには見えません。そのコップの水を飲むところも一緒。せっかくこれだけリアルを演じているのですが、細かい部分までリアルを追求してください。あと未来と現在を区別させるために、舞台上に何かを物を置いてそれを変化させるという手が使えます。例えば、白い布が古びた布になるとか。現状では、現実と未来の区別があまり付きません。役者の格好も、黒基調ではなくもっと一目で違うと分かるぐらい変えて良いようにも思います。

もうひとつ。未来のシーンでは大人になっているので、高校生ではない大人の間でやってほしかった。多少は差を付けていましたし、「時間が経ってもあの時のノリは変わらない」という考えもあるのですが、それだとしてもやっぱり「大人の間」は重要じゃないかと感じました。少し検討してみてください。

全体的に

2回目の未来の寂しさをみると、高校生の見る未来としては随分寂しくも感じました。冷静といえば冷静なんですけどね。

残念な点は、物語に筋と起伏があればもっと良くなったのにということでした。筋がないので劇全体からぼんやりとした印象しか残りません。それも良いのですが、来年・再来年と考えるならば、全体に(軽い)ストーリーを組み込むということを考えみると良いのではと感じました。その点で非常に惜しい上演だったなと思います。

最優秀賞ですが……まあ誰も(当人たちも)予想していなかった出来事だったように感じました。評価点は、その秀逸なまでの演技(演技のリアルさ、テンションの使い方、間の使い方)に他ならないでしょう。

高崎商科大学附属高校「ばななな夜 ~BananaんNight~」

作:入江郁美
演出:(表記なし)
※優秀賞

あらすじ・概要

夜の公園で時間を潰す少女二人。その二人にあやしい女から「謎の箱」があずけられた。箱の中身は、殺人事件の体の一部? 麻薬? 拳銃? そんな不安を抱えつつ少女二人と、公園へ訪れる変な人たちの心の交流を描く。

高校演劇ではよく扱われる定番台本。群馬県大会では同大会で1日目の桐生南高校、また2004年の共愛学園

感想

幕があがって夕方(のホリゾンライト)。中央に変な像、それを囲むように長いベンチ、さらに舞台上手と下手の手前奥の4ヶ所に長いレンガ造りの花壇、右手奥にくずかご、左手奥に街灯。とてもよくできた公園でした。人々が行き交い、陽が落ちて夜になり、物語がはじまるという演出もよかったと思います。

入江役はとてもトゲトゲしく演じられていたし、伊藤役もただ慌てるのではなくシーンシーンでトーンを使い分けるメリハリの演技がよくされていたと思います。妖しい女は十分妖しいし、おばあちゃんはおばあちゃんをしてたし、他の大人役たちもちゃんと大人してたし、謎の箱は金属箱できちんと目立ったいました。こういうのはとても細かいことなのですが、大切なことで、ひとつひとつの要素を丁寧に作り見せていることに大変気を遣っているのがよく分かりました。例えば、携帯をきちんと舞台上で鳴らしたところはリアルを追求した姿勢の表れで、丁寧に演劇全体を作り上げる姿勢は高く評価したいと思います。

物語の鍵となる重要な台詞をきちんとハッキリ印象付けていた点もとても良かったと思います。きっちりポイントポイントを抑えて演じられて(演出されて)いたため、全体の流れが観ている側から非常に理解しやすく、全体的な締まりが出ていました。講評では、このポイントポイントをハッキリ見せすぎ(多用しすぎ)と注意されていましたが、個人的には現状でも構わないと感じました。

全体的に

とてもよく出来ていました。昨年上演のホットチェコレートを考えると、努力が伺え着実に実力を付けていると感じます。昨年はややおざなりだった細かい作り込みや、役の色づけ性格付け解釈がきちんとされていたことは、やはり大きな評価点です。見事です。

ひとつだけアドバイス。みなさんはこの作品をどう解釈したのでしょうか。私は、悩みを抱え、世の中に対するうっぷんがある女子生徒二人が、公園での出来事を通してなんだか悩んでいるのがバカらしいと感じて帰っていく物語だと思っています。解釈は色々ですし、そこが(上演校の)オリジナリティなので違ってても当たり前です。でも、上演したみなさんの劇解釈というものがいまいち伝わってこなかった。要素要素はかなりの水準で作り上げられていたのに、劇全体として何を表現するかという解釈があまり伝わってこなかった。

仮に上に書いた解釈で話を進めます。入江と伊藤の二人が偶然出会い、気まずく感じながらも謎の箱という存在が二人を結びつけ、公園での出来事で翻弄され、箱の中身に翻弄され、最後に中身のバナナで呆れかえる。最後に呆れてバカらしく思うための(思うまでの)、入江と伊藤それぞれの心の動きはどんな感じだったのでしょうか。現在の二人の動きは、公園来客者に対する翻弄でほぼ支配されているように映りました。入江と伊藤は、公園での出来事に対して何かを感じているはずです。箱という存在に対しても何かを感じているはずですし、お互いについても何かを感じ、考えているはずです。台本には表れないその「何か」をしっかり掘り下げて表現してあげることが(必要ならば多少アレンジすればいいでしょう)、一番大切なことではないでしょうか。妖しい人や謎の箱について何を感じていたのか、入江と伊藤はそれぞれ互いをどう感じていたのか。それがどう変化したのか。そこを表現すること、表現するために劇全体を工夫をすることが大切なんじゃないかと思います。

全体としては細かい配慮に支えられた劇に感服しました。とても良かったです。

伊勢崎清明高校「くまむしくらぶ」

作:小野里康則(顧問創作)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

小学生の啓太はお風呂場に閉じこもっていた。飲まず食わずでクマムシになりたいと言っている。母親と従姉妹の仁で外に出るようにあれこれ工作するのだけど……。

※クマムシは炭化することで宇宙空間でも生きていける地上最強の生物と劇中で説明されています。

感想

舞台上、中央奥に何かあるなと思ったらどうやら風呂桶らしい(風呂桶と分かりませんでした)。棚とも椅子ともとれる装置が左右に2~3配置されている質素な舞台です。奥手が風呂場で、手前が部屋という設定みたいでした。場面転換によって右手側は学校の教室になったりしました。風呂場に閉じこもること(その風呂場から出てくること)が物語上の鍵なのですから、もう少し風呂場を意識させるセットを期待したいなと感じてしまいました。装置に扉を用意しろ労力をかけろと言っているのではなく、場所と空間の距離感を照明やちょっとした飾り、見えない壁といってものでみせる(パントマイムの意味にあらず)ことで十分提示することはできたのではないかと思います(たぶん、手前と奥で遠近法により大きさの差を出したかったのだと思いますが)。

演技は一生懸命されていました。よかったと思います。ですが一生懸命で頑張りすぎてしまった印象があります。声を客席に届けることで一生懸命だったのかもしれませんが、もうすこし声のトーンを意識して変えてみると良いと思います。早口になったりゆっくりなったり、弱く発声したり(抜き・ゆるみ)、強い口調で言ったり。そういう使い分けに気を配るともっと臨場感が増します。力を抜いた演技を少し研究すると良いのかなと感じました。プロの劇団や他校の上演が参考になると思います。単純に真似から始めてみるとよいのではないでしょうか。

最初登場したとき仁が父親にしかみえなくて、従姉妹のお兄ちゃんという設定らしいのですが、予想される設定年齢よりも高めに映り、年齢を高く見せることに苦労することの多い高校演劇と考えると不思議な気分になりました。学校で啓太が「KY、KY」といじめられるシーンでずっと「啓太はKY」という音をSEで流すのですが、役者が話す瞬間だけこのSEの音量を少し下げる音響操作をしていました。うまかったと思います。こういう細かい気配りはとっても大切です。

講評でも指摘されていましたが、姫川と啓太の和解シーンでBGMを流すのはやっぱり余計に感じました。気持ちは分かるのですが、BGMで状況(心情)を説明するという方法は、テレビの常套手段ながら演劇では禁じ手に近いものです。詳しくはこっちみてね

台本について

去年に引き続き顧問創作ということなのですが、独特な世界観だなあと感じます。物事を直接的に表現しない会話の記述はうまくされています。でも、こう言っては申しわけないけど、一言で表現すると華がない。悪い本ではないのですが、題材がやや小難しく、演じるのが難しい印象を受けます。

思うのですが、演じる生徒たちに原案(こんな内容の劇が上演したい)というのを決めてもらい、だいたいの話の流れまで考えてもらった上で、顧問の先生が創作台本を書かれてみてはどうでしょうか。その方が生徒のニーズ(上演したいという情熱)にマッチした本ができあがるように感じます。

全体的に

啓太は姫川みるくというクラスメイトに嫌われたと勘違いしいたというストーリーですが、この姫川の可愛さ(劇中曰くツンデレ)がよく出ていました。姫川をかわいく魅せるということに重点が置かれ、そのことを(すべての)役者たちがきちんと意識して観客に伝えようとしていたという姿勢が感じられとても好感が持てました。うまかったと思います。最後に啓太をお姫さまだっこするシーンなんか見せ場でしたね。

他方、主役の啓太が姫川や従姉妹の仁に完全に食われた印象があります。物語の主人公は啓太であって姫川ではありません。やや難しめの台本ではありますが、ネタ的にならず真に啓太の悩みとその解決を描くとしたらどうしたら良かったと思いますか? おそらく、啓太と仁のやりとりをもっともっと丁寧に描いて(演じて)あげることが必要だったのではないでしょうか。最初の状態の啓太と仁は、会話重ねることでだんだんと変化していったはずです。どういう風に変化していったかわかりますか? それを知るためには(台詞の)裏を読む練習と努力が欠かせません。そしてここには国語のテストの「そのときの○○の気持ちを答えなさい」のように正解もありません。役者やスタッフが一緒になって本を読み、議論を重ね、はじめて得られる答えであって、そうやって得た答えはどんなものでも正解です。これが啓太の気持ちなんだ、これが仁の気持ちなんだと役者自身の思った啓太や仁の姿を自信を持って演じると良いと思います。特に、台詞だけではなく体全体(動き)で表現すれと一層よくなります。

劇を作り上げる努力を強く感じただけに、もう一歩というところでもったいないなと感じました。台詞ではなく気持ちを演じること(「気持ちを入れる」と言ったりします)に気を付けてみると、すごく上達すると思います。大変だとは思いますが、がんばってください。