沼田高校「馬鹿でもわかるラブソング」

作:小野 知明(創作)
演出:星野 一成

あらすじ

典男は父親である馬之助と二人暮らし。そこに家庭教師がやってくのだが、典男は本当はミュージシャンになりたかった。友人と家庭教師をそそのかし、自分の身代わりをさせて、ひっそり家を抜け出してオーディションを受ける典男だったが……。

主観的感想

【脚本について】

昨年、一昨年に引き続き小野知明氏(現3年生みたいです)創作の演劇です。サマーフェスティバル上演作品のようですね。一昨年のハードボイルド昨年のホームステイものからして正直脚本は期待してなかったのですが(失礼)、今年はまともな台本でした。かなり進歩してます。

全編コメディでよい意味で弾けています。お寒いこともなく十分にドタバタしたお話でした(今年上演の中では一番ドタバタ劇だったかも)。テーマ的なものやドラマ的な部分では不足する感じはあるものの、話筋もまともでこれでありと思わせる面白い本でした。

【劇について】

県内の高校演劇を見渡せば女子ばかりという状況の中で、年々実力と質を上げてきている男子校。今年もその活きの良さ健在で十分に楽しくドタバタしてました。ここ3年では一番よかったんじゃないかと思います。典男の部屋を照明装置の関係でしぼることができなかったのか、無駄にだだ広くなってしまったのが残念ですが、その広さも使ってドタバタしてました。天井スポット(サチ)を使うときに半歩下がって顔が見えるようにするなど、細かい配慮もなされていたと思います(昨日の上演校ではなかった)。

ただ全体に荒っぽさのようなものがあったのが残念です。例えば、ギャグの作り(演出)がイマイチ甘く、「もう少しタイミングとリアクションを練れば」というシーンがいくつかあり、全体として演技に締まりがない。みんながみんなテンションの高いキャラクター(人物)になっていて、役ごとの人物像の違い(性格の違い)や色付けみたいなものが全くされていなかったのが原因だと思います。静かな人物が居てこそうるさい人物が目立つということを覚えておくといいと思います(人物配置の妙とは要するに対比ですから)。

ほかには、ラストシーンで重要なメッセージがラジオから流れるのですが、そのラジオの音が聞き取りにくいのは最大のマイナスポイントです。一番大切なところなんですから、聞こえないなんてもっての他。録音環境が悪いのです。部屋鳴りだと思うのですがキンキンしています。高いマイクや録音機材はたしかにお金かかりますし用意出来なくても仕方ないのですが、『声を録音するときは、できるだけ広い部屋でカーテンなどを閉めて、可能ならば録音する人物の四方を厚手の布で覆う』などするだけで、安いマイクでも比較的まともに録音することができます(できればせめてカラオケマイク程度とスタンドは欲しいところですが)。

【全体的に】

2年前に比べかなりレベルが上がっているだけに、細かい作り込み不足という面で勿体ない感じがしました。せっかくここまで来たのですから、勢いもありつつ、作り込みも忘れない(手抜きをしない)という意気込みで頑張ってほしいと思います。そうすれば関東大会も十分に狙えると思いますので。

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 台本をみたとき面白かった。くだらないことを必死になって一生懸命やることの大切さみたいのがあり好感が持てる。
  • だけど、今は一生懸命くだらないことをやっているのだけど、その上の命がけでくだらないことをやってほしい
  • 例えば、10万円では納得しなかった家庭教師に、ポッキー1年分を渡すことで納得させるというシーンがラストにあったけども、家庭教師は芝居中ずっとポッキーを食べていて、それは大変だろうけど死ぬ気で食ってほしい。
  • そういう意味でまだまだやれることは沢山あったと思う。
  • 隣に軍事オタクが住んでいるという発想が面白い。今回は、テープのメッセージと爆弾ぐらいだったけど、もっとこっちの家と関わって例えばバズーカ砲を持ってくるとかそれぐらいやるともっと面白いと思う。
  • もう1点。これをきちんと芝居として成立させるにはどうするか。今やってるのはアクションであって、演劇はアクションではなくリアクション。自分が何かするのではなく、相手に対して自分がどうしていくかがリアクション。父のキャラ(やほかのキャラ)に対するリアクションをすることで芝居として成立させることができる。(編注:これはものすごく大切なことを言っています。お笑いでボケと突っ込みが必要なのは、ボケも大切ですがボケに対するリアクションである突っ込みがあって初めて笑いが伝わる。演劇ならば、ある台詞や行動に対して、それについての返答や反応を示す行為があってこそ初めて登場人物同士が存在し交流し、二人の関係が見えて、そこにリアルな空間が生まれる。→参考になるサイト

桐生南高校「ハムより薄い」

原作:逢坂 みえこ 『ベル・エポック』(YOUNG YOU漫画文庫・集英社刊)
脚色:青山 一也
演出:桐生南高校演劇部

※優秀賞(次点校)

あらすじ

32歳の独身女性5人が雑談をしている。最近あった話、結婚している人も居たり、結婚してない人も居たり。そんな雑談の中で喧嘩をして、やがて……。

脚本について

漫画原作ということで、どの程度原作通りなのかは謎ですが、まあでも青山先生の本だなーという印象でした。

主観的感想

女性5名がテーブルを囲み、雑談という形で劇は進行します。始まってまず、相変わらず聞き取りにくい人が……。紫(ゆかり)役か茜役かなー。声が被ってしまうと(まあ聞かせなくてよい台詞なのかもしれませんが)何だかよく分かりません。ダンスをしながらBGMと共に役者が場転をやってしまう荒業にはちょっくらしてやられました。そしてここも使っていた「2時間後」という台詞による時間経過。流行なのかな。

往年の男子がほとんど抜けて(新入生は居ますが)、女子メインのお芝居。桐南は地区公演を含めると何回見続けてるんだという感じですが、その中では一番の出来だったと思います。一歩間違えば危険な「止め」を積極的かつ意欲的に使っていて、間の使い方が非常に慎重でシリアスとギャグの間も使い分けていました。例年の詰め込みすぎから内容を若干少なめにして、その時間を間の処理に回してあり大変よかったです。昔から比べればどんなに進歩したことか、とか感じてしまってはダメなのかもしれませんが(苦笑)。

一部声質が似通って聞き取れないのは健在だったものの(これでも前から比べればずいぶん良くなった)、緑(みどり)の間延びした感じとか、去年から定着感のある葵役の勝ち気な性格とかよく出てました。逆に言えば、桃子はお嬢様キャラなんですがもっとお嬢様お嬢様していた方がよかったと思うし、紫役と茜役は人物像がかなり弱かったですね。音のつけかたや照明の処理はほぼ適切で(良くも悪くも普通)今年の桐南はやけに(装置が)簡素だなーと油断していたら、ラストシーンの夜の公園はなかなか凝っていました。

とまあ結構褒めましたが、じゃあいいとこだらけかと言うとそうでもなく。まず、間(止めを含む)の処理がまだ甘い。例年に比べたら大分良くなったし大体正しい間なんですが、いまいち微妙にずれてるんですよね。具体的にどれというのは難しいのですが。ここまで来ると、演じ手だけでは詰めるのは難しく演出が仕事(見て判断して指示を出すこと)しなきゃならないのですが。ここで大体いいやで終わらせるか、完璧に合うまで調整するかが最終的な質を大きく左右します。関東大会やその上を狙うなら必ずやってほしいと思います(他校にも言えることです)。

あと前半の回想シーンにおいて、女性5人中1名が席を離れ中央で男1名と共に回想の様子を上演するのですが、回想シーンの前に言葉で説明しているので何で回想しているのかよく分かりません。おまけに回想中に他の4人が、思い思いの行動をとっています。ここの処理が全く意味が分かりません。まず、前後の繋がりから想像するに言葉で話す代わりに回想シーンを挟んだものと思われますが、非常に伝わりにくい。「それがさ…」などの台詞と共に回想に入ればわかるのですが、それがない。しかも予め何があったか説明してから回想シーンに入るので、それだったら最初から全部説明してしまえばよかったのではないかと感じてしまいます。(事前に起こったことを大体説明しているので)あそこで回想シーンを構成する必然性が分からないのです(画面に変化を付けるという演出上の必然性はわかるのですが、それはお客には関係のないことです)。

また回想中に、残りの4人が思い思いの動作をしている点もかなり疑問が残ります。話の主軸の外で性格付けされた人物がそれぞれの行動をするのは大切です。大切ですが、ここのシーンは回想です。しかも言葉で説明しているシーンに代えた回想です。回想シーンに入る寸前まで仲良く話を聞いていた4人が、回想シーンに入った途端に話も聞かず思い思いの行動を始め、回想シーンから戻るとすぐに回想シーン内の出来事に言及し興味深そうにわいわいと会話を続けることの不自然さが分かりますか? 結局残り4人は話を聞いてたのですか、聞いてなかったのですか? こんなことは演出がきちんと居ればすぐに気づけたはずです。

さて話の方ですが、茜と紫かな(記憶曖昧)が喧嘩して紫が出て行ってしまうのですが、そのあとで紫とその家族の回想シーンを挟みます。このシーンは、紫が実は結婚できないことを家族から言われ抑圧されていたという腹を立てた理由付けに相当するものなんですが、それがまた観客に対して真に伝わって来ません。むしろシーン自体が取って付けた感じがして、そこを端折って公園シーンに飛ばすか(そこで出せば済むでしょう)、それより前の雑談の中に伏線として折り込んだ方がいいように感じました(むしろ両方ですね)。

その他、5人がずっと出ずっぱりなので変化が乏しいのが気になりました。演劇という特性上、人の出入りはどうしても必要てす。お茶を汲みに行くのでも、トイレでも、遅刻しているでも、人の出入りがないのは寂しかったと思います。ラストのオチは、女の友情はハムより薄いということなんですが、その辺も押しがいまいち甘い。少し投げっぱなし感があり、オチとして完全に締めるか、この先を想像させるか、そういう含みがほしいと感じました。

【全体的に】

桐生南は何回も見ているだけに長文になってしまいましたが(しかもかなり辛口になってしまいましたが)、観てきた中では一番出来が良かったと思うし、面白かったには面白かったです(だから優秀賞をもらったのでしょう)。実際会場も結構笑っていましたし、あっというまに60分過ぎ去って魅入ってしまいました。でもさらに上を目指すならば、やっぱりこの辺はクリアしていかないとなあとも思います。

※顧問の先生による簡単な評はここで読めます

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 32歳の独身女性5人。高校生には難しい役で、よく頑張っていたけどもう一歩というところ。32歳にしては少し元気すぎる感じがして、リアルな32歳というのはもっとけだるさみたいのがあると思う。あのテンションの高さで話す32歳は居ないよなーと感じて惜しかった。
  • 酔っぱらったり、見合いした経験はないはずなのにがんばって演じていた。
  • 全体的にはよく作ってあって、ダンスを使った暗転やブルー暗転など考えられていた。
  • 音響は少しうるさすぎた。ちょっと耳障りかなと思った。
  • 女の友情はハムより薄いという漫画ベースで脚色してある台本だけど、台本をよく読んで研究して演じていた。おつかれさまでした。

前橋南高校「コックと窓ふきとねこのいない時間」

作:佃 典彦
演出:(表記なし)

※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

猫のビッシースミスお抱えのコックは、ビッシースミスさまの帰りを何年も待っていた。そこにやってきた女と、その様子を眺める窓ふき。そんな3人が繰り広げるやりとりと、やがて明かされるビッシーの真相は……。

脚本について

1993年にB級遊撃隊という劇団により上演された劇のようです。→参考資料。いかもにプロの作風で、テーマや物語や笑いに主軸を置きがちな高校演劇創作とはひと味もふた味も違います。

主観的感想

四月当初、我が演劇部は1人しかいませんでした。新入生も1人も入りませんでした。気の毒に思った男2人が手をさしのべたのが運の尽きで、今こうしてなんとか劇として成り立つところまで持ってくることができました。素人の男ばかり3人で見苦しい点もございましょうが――(以下略)

以上、上演パンフレットより引用。開幕直後、どこが素人ですかという驚きの演技力をみせました。男ばかり3人ということからも分かるとおり、女役を女装でやっています。全体にシリアスな劇でありながら、本当に演技力だけでみせたという凄さには乾杯です。本当に素人のなせる技なのか、顧問の力なのか真相は闇の中ですが、役の読みこなしが大変優れています。言葉だけでなく動作や動きで表現するなど、演じるということの本質を実に的確に抑えていて、まさにそこに居る登場人物という絵も言われるリアリティがあります。

とかいいながら、恥ずかしながら優勝するなんてこれっぽっちも思っていませんでした。部員数が少ないということで、昨年度関東大会の松本筑摩高校(部員2名)を否応でも思い出して比べてしまったのですが、装置がいまいち。舞台はビッシースミスの部屋という設定ですが、舞台を広く使っているために物と物の間に必要以上の空間が出来て散漫な感じです。また窓ガラスも入ってなく、小道具も少なく、もう少しどうにかしてほしいところ(欲をいえばやっぱり部屋はパネルで囲ってほしいです。→舞台装置を作り込むときに変にリアルに作りすぎるとこの劇には合わないので注意が必要ですが)。

また、最大の問題はやはり台詞の間です。掛け合いシーンでの台詞と台詞の間がわずかに早いのです。一時的なものかと気になって、ずっと間を注意して聞いてたんですがやっぱり全部早い。相手の台詞に反応して、心の動きが起き、その反応(リアクション)としての言葉の返答(台詞)を発するべきなのですが、そこが若干早い。演技自体はかなりのものであるだけに、一度気になり出すと気になって気になって仕方ありませんでした。現在の状態で間を適切に取るともしかすると上演時間をオーバーしてしまうかもしれませんが、逆に言えばそこをきちんとしない限り関東大会は突破は難しいと思います。

あと女子が居ないために、男が女装として女を真面目に演じる潔さはとても好感を持ちました。最初は飾り気のない簡素な上着と簡素なスカート(手作りかな?)で、すぐにピンクのジャージ姿に着替えるのですが、着替える意味がわかりません。女装を真面目にするんだったら、ウィッグを付けて化粧をしなければならないのと同じレベルで女性としての記号であるスカートを脱いじゃいけません。ただでさえ高校演劇に置いては女装は笑いネタとして使いやすいのですから、真面目にやっているということを示すためにも、活用出来る記号は最大限活用すべきです(もちろん変にならない範囲で)。着替えないのはもちろんのこと、できれば元々の服装を多少飾り気のあるそれらしい作りにして、服としての質をよりあげてほしいと思います。多分、ウィッグが落ちてしまわないようヘアバンドをするために、それに合った服装に着替えたのだと思いますが、ウィッグはいくらでも別の方法で固定できるはずですよ。

その他、ラストの幕を降ろすのが若干遅かったのが気になりました。

【全体的に】

ほんとに演技が上手かったの一言に尽きると思います。さすがに部員不足からか、他の装置やらには手が回りきっていませんが、次は関東大会ですからその辺のクオリティーもあげて関東の上を目指してほしいと思います。

審査員の講評

【担当】鈴木 尚子 先生
  • 非常に面白かった。3人しかキャストが居ない中で1人1人が誠実に役を演じていた。
  • 女装して笑いをとったり、女装した人物そのものに話のスポットが当たったりと、演劇における女装はあざといものが多いのですか、女性そのものを実に誠実に演じていたと思う。
  • コックは理性があって猫を待っているという気品があり、その様子が最初から最後までブレなかった。そしてそんなコックと他の二人の間で自然と笑いが起こる。
  • 本当はもっと狭い空間の方がよかったのかな。
  • どの登場人物も、昔はどんな人だったんだろうとか過去とかを感じるリアリティがあった。
  • フランスパンをコックと女がまわして食べるシーンは官能的だった。
  • ビッシースミスのためにコックがメニューを書くときの至福感がよく表現されていた。
  • それだけに途中コックが台詞をとちったのは勿体なかった。
  • 音響は音量が適切だった。
  • ラスの照明が居ない猫に話しかけているコックの様子をうまくかもし出していた。

伊勢崎清明高校「ダン・パラ」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:重村 成美

あらすじ

公園に散らかされたダンボール。一つのダンボールの中に入った少女は、やってきた少年に「拾ってください」と声をかける。拾ってくれる人なんか居ないと言う少年にぬいぐるみを手渡す少女。「ほら、あなたついさっきまでぬいぐるみを拾うなんて思ってなかったでしょう? だから拾ってくれる人だって居るかもしれないのです」。そうやって少年も、少女と共に道行く人に「拾ってください」と声をかける。やがて少年の父親もそこに加る。そこへやってくる市役所の人間。「1週間以内に撤去してください」という役所の人に連れられてきたのは、役所に雇われている少年の母親、父と少年を捨てた母親だった。

脚本について

生徒創作っぽくないなと思ったら、やはり顧問創作でした(パンフレットには記載なし)。少女と公園を中心に、ダンボールのパラダイス(楽園)を描いた気合の入った台本です。不思議な少女を中心として、少し変なお話がとても丁寧に描かれています。

主観的感想

聞きなれない高校名だなと思ったら、旧伊勢崎女子高校(昨年度共学化)だそうです。

とにもかくにも主役の少女(=演出)の演技力や存在感がすごすぎる。演技力で言えば「少女 >> 少年と父 >> 役所の人>母親」という感じで、高校演劇という枠を外しても十分な演技で(まさに舌を巻くという感じ)、その影響で他の役者が見劣ってしまった感じすらします。

舞台装置ですが、公園ということが分かりにくい。公園でブランコなどの遊具を囲んでいる手すりみたいなものを用意し、凝ったつくりの大きなトイレを配置するなどしていたのですが、いまいち。手すりならフェンス(金網)やコンクリ塀(ブロック塀)の方が分かりやすかったように思うし、トイレも大きい割には存在感があまりなく、逆に街頭などにように「いかにも」といった装置がない。全体として物は多いのに整然とし過ぎている(雑然さや遊びがない)という印象がありました。舞台装置は、装置そのものの選別や空間配置の問題が半分、登場人物が公園内の物体の存在にまったく触れないという問題が残り半分です(装置に対しての反応、まさにリアクションがなかったわけですね)。

音響。大きすぎます。母親を殴った後のBGMは大きすぎて台詞が聞き取れませんし、全体的にBGMの使用量も多めです。演劇は演技力で見せるものですのでBGMに安易に頼ってはいけません(→参考)。照明は使いこなしていたと思います。夜、昼の転換を含めて。天井スポット(サス)のとき、少し下がって顔を見えるようにする配慮もありました。

役所の人の格好。もっとそれらしい格好、例えば完全な作業着(役人が災害活動などで着るような服)か、またはスーツなどを着せるべき。メイン3人と立場を異にする2人の役人(母親含む)という立場なのですから、ぱっと見メイン3人とさして変わらない格好をしているのは問題です。見るからに違う服装をさせることで、この2グループは対立関係だということを言葉以上に明確に示すことができます。

結果的に家族劇、親子劇だったと思うのですが、それにしては親子関係におけるドラマがありません。これは本の問題でもあり、役者や演出の問題でもあります。少女にスポット当てるダンボールの楽園として、それを下支えする家族ドラマがまったく見えてこない。語られるのは「母親に捨てられた」という事実だけで、エピソードがないため観客は共感しませんし、ラストシーンもほとんど記憶に残りません。

一番の問題は少女そのもので、少女の正体や公園に居た理由が何もありません。別に深いドラマが必要というのではなく、例えば「少女は実は悪魔でした」とかでいいんですよ。そうすれば背筋がゾっとする終わり方になり、より強くダンボールの楽園が記憶に残ったと思うのです。何でもいいのですが、とにかくせめて何か最後に暗示させるものぐらいほしかったと思います。ラストシーンで、少女が悪魔的に微笑んで楽しんでるとか、そういうのでも十分だったわけですから。

【全体的に】

とにかく画(え)として綺麗で感傷的な舞台でした。逆に言えばそれしかなかったことが最大の問題。前に似たような劇をみたことあるなーと上演中ずっと気になっていたのですが、桐生第一ですね。舞台芸術として凝っていて実に細かいところまで配慮されているのに、大枠で空回りという点で同じです。

少女とダンボールがとても印象深い舞台で、いまだに色濃くイメージは残っているし、そういう意味では大成功だと思うのですが、絵画じゃなくて演劇なんだから観客を楽しませなきゃ(笑いのことではない)しょうがないわけです。そのための演劇であり、舞台であり、役者であり、台詞であり、ドラマ(60分の物語)なわけなんですから。この舞台、観客は一体どこを楽しめばよかったのですか?

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 見終わって、脳裏に焼きついている感じがする。何日か経った後に思い出す芝居。
  • 台本を読んで、これを芝居として成り立たせるためには少女にカリスマ性が絶対必要で、それがないと成り立たないと思った。実際舞台は少女にそれがあって舞台として成り立っていた。
  • 選曲や明かりも良かった。ちょっとボリュームは大きかったかな。
  • 見ながらずっと思っていたのだけど、みんなよく稽古しているし、こういうニュアンスで伝えようってのも分かったけど、やってる人が思っているほどお客さんに届いてないと思う。
  • 見ながらどうしてかと、こういう理由なんじゃないかと思ったのは、例えばトイレも細かいところまで手が込んでいて、ダンボールもきちんと配置していて、きちんとしすぎていて、こちらが入れる隙間がない。芝居はお客さんを招き入れる隙間がないと楽しめない。
  • 例えば、パーティーとか、知り合いの家とか、綺麗過ぎてその場に入りにくいときってあるじゃないですか。入っちゃっていいのかなって。この劇は綺麗過ぎて入りこめていないと感じた。舞台はパーティーのホストなんだから、お客さんを招き入れなくちゃいけない。
  • 後半になったときはお客さんは芝居に集中していたので、前半がきっちりしすぎたのかなと思う。
  • この芝居は「芝居をみた」という感じはするものの、「芝居を体験した」とは感じない。お芝居なんだから体験させなくちゃいけない。
  • 物語の着地点が分かりにくい。少女が人間ではないとか、そういうのがあってもよかったのではないか。

大泉高校「パラれ・夢!!!」

作:中村 ひかり(創作)
演出:(表記なし)

あらすじ

パラパラ同好会は部員が少なく廃部寸前。1年生獲得のためにも、部活紹介になんとしても参加したい。ところが、生徒会は先生の命により同好会を端からつぶそうとしていて、残すはパラパラ同好会だけに。サークル見学に来る1年生と、それを邪魔する生徒会。パラパラ同好会は無事部活紹介に参加し、1年生を獲得できるのか?

主観的感想

【脚本について】

登場人物はそのままに、大泉高校もそのままで、パラパラ同好会という架空の同好会を中心に繰り広げられる、私達の私達による私達のための作品です。

以上パンフレットより。配役そのものが本名で、架空の同好会を置いて作って演劇です。昔関学がやったような、活きの良さがある本。話運びも構成もベタベタの王道ですが、だからこそ「そういう元気さ」が基本となる本で、構成についてどうのというのはありません。

台詞回しなども、元の人物の性格を前提とした配役と思われ、特に無理もなく、結果いかにも高校演劇らしい舞台となっていますが、それはそれでいいのではないかと思います。

【劇について】

まずスタートしてタイトルと作者紹介も終わらないうちに幕を上げ始める。おいおい。そして最初の暗転に入るときも、突然照明が切れるという感じで、おいおい。時間ギリギリなのかもしれませんが焦りすぎです。登場人物が早口で話すのですが、早口をするには滑舌が悪い感じです。そして舞台装置。部室なんだから狭くしてほしいなー。しかも上手と下手と奥の幕の切れの3箇所から人が出入りしているので、一体この部屋はどういう構造なんだ? という疑問で一杯。パラパラ同好会部室が、ホワイトボードを回転させたり、装置の一部を回転させることで生徒会室になるのは上手かったと思います。

BGMを結構多用するのですが大きすぎてよく聞こえません。最初だけ大きく聞こえるようにしてボリュームをしぼる、または中域のレベルを下げて声を聞こえやすくするという手もあります(ミキサーにイコライザが付いているはずです)。生徒会長が「いい子をやってきたけど、パラパラ同好会にかけてみよう」というラスト付近のシーン。その後のシーンでBGMは不要ですし声も聞こえません。音楽で誤魔化しちゃいけません、演技でみせてください。

ラストシーンはカタルシスで、ある意味お涙シーンになっています。ここに至る作りはベタなりによく出来ていたし、ウルっときた人も結構居たとおもうのですが、その重要なキーパーソンである「踊れない踊れないよく分からない」と連呼していた「ともみ」がラストシーンのパラパラをきちんと楽しそうに踊れているのは大問題でしょう。せっかくのラストシーンが台無しです。あそこは、ぎこちなさそうに照れながら、それでも精一杯に踊るシーンです。

細かいところで、携帯電話の音をリアルに使っているのとか、天井スポット(サス)を使う際に少し下がったところとかそういう配慮はされていました。

【全体的に】

作りが粗っぽく、良くも悪くも愉快で楽しい高校演劇でありそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。しかし、ベタベタでありながら涙を誘う作りは大した物だったと思います。その点、よく出来ていました。

ただ芝居としてみたとき、とりあえずもう少し演劇らしい本を選んでやってみてくださいとしか言いようがありません。演劇は観客に向けて上演するもの(媒体)ですから、パンフレットにあるように自分たちが楽しければいいではこれ以上はどうしょうしもないのです。自分たちが楽しむことは創作としての基本精神ですが、自分たちが楽しむためにやることは間違えです。劇を通して伝えたかったことはなんですか? リアルな自分たちの持つ空気感や想い、そして日常を描きたかったのではないですか? それは十分に伝わりましたか?

日常の自分たちを伝えるために、自分たち自身をリアルに描くのだったら、そもそも丸1日ビデオで撮影すれば終わる話なんですよ。そんな押し付けでは伝わらないから演劇という言葉があり、役者が居て物語があるのです。描きたい想いを純化させ丹念に物語りとして紡ぎ、それを役者と共に丁寧に解釈し伝えるための工夫をすることで初めて伝わるし演劇として成り立つのです。難しい話に聞こえるかもしれませんが、伝えるということをもう一度考え直してほしいなと思った演劇でした。基礎的な演劇の力は充分にあるのですから。

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 先ほど桐生南高校は32歳の独身女性を演じていましたが、では等身大の大泉高校生を演じるのは楽だったかと考えると、決してそうではなかったように思います。
  • パラパラ、もう少し練習できてたらよかったなと感じました。
  • それぞれの個性が出ていて、ラストでみんなの成長を想像できた。
  • 大泉高校に本当にパラパラ同好会があったらどうなったかなと想像させてよかったと思います。
  • 女子高生は特に、興奮して話すと何だかよく聞き取れないので、その辺配所してほしかった。
  • 仲間割れとかよくある話で、全体として味のある演劇でした。