高崎健康福祉大学高崎高校「グッド・モーニング」

  • 作:三浦直之(既成)
  • 潤色:荻野恭子(顧問)

いつも最初に登校する白子が駐輪場に行くと、そこには見知らぬ同級生の姿があった。

良かった点

  • 学校の駐輪場とその周辺を四角い照明で区切って舞台空間を明確に絞っていた。
    • ただの全面照明と比較すると劇全体の印象がぜんぜん違う。
  • 謎の同級生(逆おとめ)と、白子の関係が徐々に打ち解けていく様子が素敵。
  • 演技に合わせてBGM音量を適切に調整していて見やすかった。
  • 態度で二人の関係性の変化を表現しようとしていた。

気になった点

  • おとめの性格付けは、本当にこれでよかったのだろうかという疑問が残る。
    • いかにもステレオタイプに想像しがちな引きこもり風の様子や喋り方をしていたのだけども、本当に必要だったのだろうか。
    • むしろ、もっと普通な人物像として演じたほうがリアリティが増して良くなる可能性はないだろうか。
  • 照明の関係でそう見えただけかもしれないけど、白子の自転車がピカピカに見えてしまった。
    • おとめの自転車がピカピカで、白子の自転車が薄汚れていたほうが良かった気がする。
  • ラストシーンをLINEのやり取りにして、やり取りの内容を客席の想像にゆだねていたけども、台詞のほうが良かった可能性はないだろうか。
    • おそらく台本の通りなのだと思うけど、そうすることの必然性をこの上演からは感じられなかった。

いろいろ

調べてみると高校演劇用にプロが書き下ろした台本のようです。なるほど、難しそうだ……。

「解釈」や「演出」がすこし足りなかったんじゃないかなという感じがしてしまいます。二人の関係性と、二人それぞれの心境の変化がきちんと表現されるとこの舞台は完成されと思うのですが、現状ですと全体的に散漫にな印象が拭えません。

おとめの性格以外に、具体的にどうのと述べるのが難しいのだけども、もっともっと態度から二人の関係性が見えてほしかったかな。

とはいえ、会話により観客を惹きつけていて、笑いもとれていて、楽しめる舞台でした。

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新田暁高校「ラフ・ライフ」

ある日、呼び出された教室に行ってみたら、突然「一緒に漫才をやってください」とお願いされた。次の文化祭で上映のためがんばる希(のぞみ)と薫(かおる)。女子高生4人の物語。

良かった点

  • 肩の力を入れすぎない、抜きの演技がよくできていた。
  • 動きと間で観客の笑いをとっていた。

気になった点

  • 最初に笑点のBGMと、終盤でM1の登場BGMを使っているのだけども、観客の持っているイメージが強烈な超有名曲使うことのメリット・デメリットをきちんと理解していたのか疑問が残る。
  • 台本(脚本)の序盤の引き込みがやや弱く、それを演出面でカバーしきれていなかった。
    • 「なんで漫才するの?」「なぜその漫才をする様子を見せられているの?」という疑問が観客にはあり、そこに興味を持たせる(もしくは別の方法で興味を持続させる)演出が欲しい。

いろいろ

舞台上で漫才とするということが無茶苦茶難しいことで*1、それをきちんと乗り越えられていたのかな? その一番難しい部分をきちんと配慮できていたのかな? と考えると少し疑問が残ります。配慮不足は全体に感じますが、特にM1の出囃子を使ったシーンは、この舞台の肝であり、直前のシーンを引きずって「無茶苦茶漫才をやりにくい中でそれでも漫才を行う」というとても難しくそれでいて「最も大切なシーン」でもあるのに、M1の出囃子とその音がもつ破壊力でそれらをすべてぶっ壊した判断は、はたして本当に良かったのでしょうか? 見守る二人で温かく拍手をするぐらいでよかったのではないか? と思えてなりません。

これだけ実力があるなら「もう一段上の舞台(や演技)を作ることもできたんじゃないの?」と感じる部分がありますが、全体的には面白かったし、笑いも誘えていたと思います。

*1 : 「演劇として観客に提示するリアル」と「漫才として観客に提示するリアル」は大きく異なってしまうので、配慮が足りないと観客の気持ちが離れていってしまうという問題が起きる。

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新田暁高校「全校ワックス」

  • 作:中村勉(既成)
  • 演出:新田暁高校演劇部

あらすじ

学校全体を生徒で分担してワックスがけする全校ワックス。そこでたまたま同じグループになった5人が廊下のワックスがけをしながら織りなす物語。

感想

高校演劇ではよく上演される台本ですが、さすがに台本に古さを感じつつありますね。

全校ワックスの感想には過去何度も書いていると思いますが、廊下の構造が曖昧すぎます。奥のカーテンの一部だけが割れていて、そこから少しホリが見えて出入りするのですが、奥の上手側と下手側に行くときがあって、「ゴミを捨てに行った」のに行った方向がバラバラだったり、ダンボールは奥ではなく上手から出てきたり、ワックスを2度がけするのに、舞台上手周辺だけは全くワックスがけしていなかったり……。

この作品は舞台装置なしで成り立つのですが、だからといって舞台設定をしなくて良いわけではありません。廊下の幅もきちんと考えて演じてほしかったし、逆にそうしないと廊下という舞台がきちんと成り立たない(観客に伝わってこない)のです。「下手の奥に真っ直ぐな廊下がつながっていて、たぶん見えてる分の倍ぐらいの長さがあるんだな」ときちんと伝わってきて、そこはとても良かったので、それを舞台全体に対して表現できたらもっと良かったのかなと感じました。

奥のホリと目立つように置かれたライトなのですが、舞台始まってすぐに「あー、エンディングのためのライトとホリですね……」となってしまいます。上手と下手の出入りだけでも良かったのでは? そのほうが廊下の構造として(表現上の)無理が少なかったのでは? とか色々思ってしまいました。

小道具である、ホウキやブラシ、バケツ等の扱いを慎重にそして丁寧に行っていたのは良かったと思います。ただ置く時に「軽い音」がしてしまったのがもったいないので、金属かなにかの重りを入れておくと良かったかなと思います。数センチ以下の厚みならバケツを傾けない限り中身は見えないですし、重さも十分出せます。

演技も頑張っていたと思うのですが、この台本[演技力(と演出)への要求レベルがかなり高い]んですよね。5人の微妙な心の動きと、その変化をうまく表現できないと、閑散としたよくわからない上演になってしまいます。そのための人物の読み込みも、距離感のとり方も、観客への見せ方も、ちょっと物足りなかったかなと感じてしまいました。

ライトについては苦言も書きましたが、それでもエンディングの綺麗な静止(きちんと静止するのって案外難しいのです)と逆光演出は良かったですよ。

新島学園高校「平成たばこ屋奇譚」

  • 作:大嶋昭彦(既成)
  • 演出:秋本花歩

あらすじ

学校でタバコが見つかったため謹慎になってしまったゆき子はお婆さんの家に居た。昔タバコ屋だったお婆さんの家。ゆき子はどうしてタバコを持っていたのか、謹慎から復帰することはできるのだろうか。

感想

タイトルこそ違いますが、2011年上演の「たばこ屋ラプソディー」とほぼ同内容です。

舞台の床に薄い板があり、その上に直接畳(ゴザ)が敷かれていました。それを壁で囲い下手に丸テーブルと高めの椅子3脚、下手にちゃぶ台といった舞台です。新島が部屋を作るときに全体を高く(台に)しないのは初めて見たかもしれない。

最初おばあさん3人の掛け合いから始まり、そのおばあさん3人は花札をしています。老人を老人らしく演じるのはさすがに良くできていまして、安定感があります。立て板に水のごとくおばあさん3人の掛け合いが流れていく様は見事なのですが、見事すぎて逆に入り込みにくいかなと感じてしまいました。するするとセリフが流れていく。心に止まらない、引っかからない……。

おばあさん3人に限ったことではないのですが、基礎演技力が高いだけに「間」の使い方が雑なのがどうにも気になってしまいます。台詞の応酬にも、リアクションとしての「間」があってしかるべきなのに、前の台詞が発声し終えたので次の台詞を発声している感がどうにも否めません。

途中で

  1. おばあさん二人が捌ける
  2. ゆっこが部屋に入る
  3. おばあちゃん去る
  4. 母が入る

という一連のシーンがあるのですが、ここも前の動作が完了したことをきっかけに直後に次の事象が発生します。そんなことあります?

隙間の無い転換は「人物の出入り自体をコメディ時に見せる」場合には成立しますが、そんなシーンでしたか?

良かった点は、おばあさんにお線香を上げると、母とおばあさんがユニゾンして「ありがとう」と言うシーン。あとEDの「デイ・ドリーム・ビリーバー」の生演奏(だと思うけど)ですね。

基礎演技力が高いだけに、今年も(演技力に比べて)演出が物足りなく感じてしまいました。正直なところ、前回(2011年上演)のほうが面白かったかなという印象です。