高崎東高校「ある日、忘れ物をとりに」

作:中村 勉
演出:表記なし

あらすじ・概要

保健室にやってきた田中(女子)。保健の先生は二日酔いで奥で休んでいる。そこへ藤原(女子)がやってくる。二人は保健室によく来る友達同士だった。

高校演劇ではよく使われる中村勉先生の台本。台本はこちらで読むことができます

感想

幕があがり左手にナナメに配置されたパネル、その前に水色とピンクのカラーボックス。冷蔵庫。右手のパネルに人体模型のポスターと保健ポスター2枚。さらにその右手に本棚、その上に花瓶。中央に長テーブルがあり、そのまわりに丸椅子が4つ。ものすごく残念だけど、保健室に見えなかった。翌日公演の新島学園も保健室が舞台で、新島はとても優れていました。

保健室の器具を借りるのはなかなか難しいとは思いますが、少なくとも部屋として意識させる工夫をしたらもっとよくなったと思います。上手から保健室に出入りするのですが、そこが一応部屋の入り口(扉)という設定で、中央のパネルとパネルの空間の奥が、保健室奥のベッドということのようでした。装置と装置の間の空間が大きめで、ポツポツと装置が置かれているように感じました。だだっ広いという印象でした。この舞台の保健室はどういう構造なのかよく考えてほしかった。その考えた構造をどうやって舞台上に部屋として見せるか工夫すれば、劇全体の印象が良くなったと思います。なんとなく装置を作って、安易に「じゃあ上手から出入りしよう」とか考えるのはまずい。先に構造を考えてほしい。また、扉はぜひとも用意してほしかったし、用意できないとしても「扉がある」と思わせる工夫がほしかった。

よく使われるだけあって本がよく出来ていて、そして演技もよく出来ていました。台詞の強弱(メリハリ)や間の使い方を意識しているのが非常によく分かりました。力を抜いて自然に台詞を発しているところなど、よく練習したと思います。自然な会話を研究したことがよく伝わってきます。なかなか大人を演じるのは難しいのですけど、保健室の先生がいまいち先生っぽくありませんでした。声とか体格は仕方ないのですが、身の振り方・しゃべり方に「落ち着き」を出すように注意するとらしくなります。

ひとつ勿体ないなーと思ったのは、藤原の

「凍ったカントリーマァムが好き」
「ブラックで飲めるようになったコーヒーが好き。保健カードの空欄が好き」
「わたしのこと、さっちゃんて呼ぶ田中理沙が好き。じっと観察してる千葉真由子が好き」

という一連の台詞でした。ここは一番大切なシーンで、だからこそ気を遣って演じているのは分かるのですが、その裏の気持ちまで見えてこなかった。藤原はどういう気持ちだったのでしょうか? どんな気持ちでどんな想いでこの言葉を言ったのでしょうか。感情を込めて言う、感情を殺して言う、もっと詩的に言うとか色々と方法はあります。ありますが、一番大切なのは藤原の気持ちで、気持ちまで作られていなかったし、考えれれているようにも思えなかった。

全体的に

とても一生懸命作っていたのは観てよく分かったし伝わって来ました。演技もとても真剣で非常に多くのことを研究していて好感も持てました。それでも観ていて物足りなさを感じずには居られませんでした。たぶん上演していたみなさん自身も、何か物足りないと感じていたのではないでしょうか。ただそれが何かが分からなかったんだと思います。

今年の講評では、繰り返し「演技とは心の動きだ」と言われてました。気持ちを込めて強弱を付け、間に気を遣いながら演じられるのは十分すごいことです。だから、その先にある「その時の登場人物の気持ち」が想像できるようになると、まったく非の打ち所が無くなります。保健室に半年通い続けた藤原は、保健室に対してどんな印象を抱いていたのでしょうか。学校に対してどう想っていたのでしょうか。そんな藤原と交流のあった田中は、藤原に対して何を感じていたのでしょうか。どう想っていたのでしょうか。自分自身についても何を考えていたのでしょうか。保健室の先生は、そんな二人をどんな想いで見つめていたのでしょうか。

こういうことは台本には何一つ書かれいません。だからこそ、それを与えることが演じる人たちのオリジナルであり、演じる人たちの表現になります。学校を辞めると決断したその日、藤原は何を感じたのでしょうか。そんな藤原を見て田中は何を感じたのでしょうか。どんな想いだったのでしょうか。それを受け入れた先生の気持ちは、一体どんなものだったのでしょうか。

「悲しい」とか「辛い」とか「寂しい」とかそういう単純な言葉ではなく、胸の中をかけめぐる想いのたけを演劇部のみんなで議論してほしいなと想うのです。どうして「寂しい」と想ったの。友人だから? 田中にとって藤原はどんな友人、藤原にとって田中はどんな友人。どこが好きだったの? なんで保健室に行きたかったの? そういうことを深く深く追求すれば何が足りなかったのか正体がおのずと見えてきます。県大会で敗れたからもういいではなく、敗れたからこそチャンスなのだと思って、ぜひ考えてほしいと願います。

おまけ

中村勉先生の本は非常に難しいのですが、それだけにやりがいがあります。何が難しいのかと言うと、登場人物の気持ちをしっかり意識せずに台詞を発すると劇として成り立たないものが多い。逆に言うと、きちんとした解釈を与えて演じてあげると(普通の台本以上に)演劇の良さが最大限生み出されます。そういう意味で良い台本選択だったと思います。