伊勢崎清明高校「ショータイム」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:入山あやめ・小林 楓

あらすじ・概要

海に住むルカは得体のしれないものに誘拐されてしまった。得体の知れない者たちは、棒のようなものを振り何かをさせたいようだ。同じく誘拐されたトラはうまく課題をこなせるものの、ルカはうまくこなすことができない。元の海に戻りたいルカたちだったが、お目見えの時がせまり……。

感想

小道具ぐらいしかないほとんど何もないステージに腕にエラをつけたルカたちが、カラフルな色をした得体の知れない生き物(赤や青という色)にさらわれる。その者たちとは言葉が通じない(「うー」とか「あー」とかしか言わない)。途中までよく分からなかったのですが、どうやら人間達に捕まりイルカショーの訓練をさせれるイルカたちを比喩しているようです。もうすこしその比喩であることを分からせる判断もあってもよかったかなと思いますが、どちらが良いかは悩ましいですね。

比喩的で難しい内容をよくがんばって演じていました。まして声が出せない人たちの演技というのは態度でするしかないわけで、そういう面での演劇らしさがあってよかったと思います。

ただ演劇は表現であって伝わってこそと考えたときは、もっと工夫がほしい。比喩表現も伝わなければ意味がない。ここはこういう比喩なんだよっていうだけでは舞台を作る側が楽しんでるだけで終わってしまいます。ラストシーンをみて解釈するならば、得体の知れない者たち(以下人間たち)に無理矢理振り回されて、いやいやながらも少しだけ気持ちを通わせてしまうという物語りです。であるならルカたちと人間たちの関係をもっともっと丁寧に作り込んでほしかった。ルカたちの人間たちへの気持ち、人間たちのルカたちに対する気持ち、そういうものを態度で示す。とても難しいけども、でもそれをしないとこの演劇は成立しない。

もうひとつ重要な要素はルカがこなせなかった課題。あれはもっと難しいものにしないと、ワザと失敗しているのがあからさまで見ている側が引いてしまう。難しい課題であれば観客は自然と応援します。がんばれっ、がんばれっと。この「がんばれ」があると無いでは演劇全体から受ける印象が全然違います。うまく観客から「がんばれ」という気持ちを引き出すことが出来れば、最後のシーンでルカが「もう一度挑戦したい」と言うことも、そこで成功したとき「よかった!!」という気持ちも観客と共有することができます(カタルシスという奴です)。本当に難しくなってしまいラストシーンで2度3度挑戦したってそれはそれで演劇上何ら問題無いのですから(むしろその方が良いぐらいなのですから)、何かそういう課題を用意できなかったものかと非常にもったいなく感じました。

この2点がクリアされれば、見違える舞台となっただろうに惜しく感じました。突然救いにやって来る「エール」という存在の意味も意義もよく分からず最後まで疑問符だけが残ったんですが、その存在を無くしてもこの劇は十分成り立つのではないかと思います(現状だと明らかに要らない)。例えば海に面した水族館が地震などの出来事で救われるという設定でもいいわけですから。

劇全体としてきちんと丁寧に作っていました。よかったです。