新田暁高校「ラフ・ライフ」

ある日、呼び出された教室に行ってみたら、突然「一緒に漫才をやってください」とお願いされた。次の文化祭で上映のためがんばる希(のぞみ)と薫(かおる)。女子高生4人の物語。

良かった点

  • 肩の力を入れすぎない、抜きの演技がよくできていた。
  • 動きと間で観客の笑いをとっていた。

気になった点

  • 最初に笑点のBGMと、終盤でM1の登場BGMを使っているのだけども、観客の持っているイメージが強烈な超有名曲使うことのメリット・デメリットをきちんと理解していたのか疑問が残る。
  • 台本(脚本)の序盤の引き込みがやや弱く、それを演出面でカバーしきれていなかった。
    • 「なんで漫才するの?」「なぜその漫才をする様子を見せられているの?」という疑問が観客にはあり、そこに興味を持たせる(もしくは別の方法で興味を持続させる)演出が欲しい。

いろいろ

舞台上で漫才とするということが無茶苦茶難しいことで*1、それをきちんと乗り越えられていたのかな? その一番難しい部分をきちんと配慮できていたのかな? と考えると少し疑問が残ります。配慮不足は全体に感じますが、特にM1の出囃子を使ったシーンは、この舞台の肝であり、直前のシーンを引きずって「無茶苦茶漫才をやりにくい中でそれでも漫才を行う」というとても難しくそれでいて「最も大切なシーン」でもあるのに、M1の出囃子とその音がもつ破壊力でそれらをすべてぶっ壊した判断は、はたして本当に良かったのでしょうか? 見守る二人で温かく拍手をするぐらいでよかったのではないか? と思えてなりません。

これだけ実力があるなら「もう一段上の舞台(や演技)を作ることもできたんじゃないの?」と感じる部分がありますが、全体的には面白かったし、笑いも誘えていたと思います。

*1 : 「演劇として観客に提示するリアル」と「漫才として観客に提示するリアル」は大きく異なってしまうので、配慮が足りないと観客の気持ちが離れていってしまうという問題が起きる。

twitter等でみかけた感想へのリンク

新田暁高校「全校ワックス」

  • 作:中村勉(既成)
  • 演出:新田暁高校演劇部

あらすじ

学校全体を生徒で分担してワックスがけする全校ワックス。そこでたまたま同じグループになった5人が廊下のワックスがけをしながら織りなす物語。

感想

高校演劇ではよく上演される台本ですが、さすがに台本に古さを感じつつありますね。

全校ワックスの感想には過去何度も書いていると思いますが、廊下の構造が曖昧すぎます。奥のカーテンの一部だけが割れていて、そこから少しホリが見えて出入りするのですが、奥の上手側と下手側に行くときがあって、「ゴミを捨てに行った」のに行った方向がバラバラだったり、ダンボールは奥ではなく上手から出てきたり、ワックスを2度がけするのに、舞台上手周辺だけは全くワックスがけしていなかったり……。

この作品は舞台装置なしで成り立つのですが、だからといって舞台設定をしなくて良いわけではありません。廊下の幅もきちんと考えて演じてほしかったし、逆にそうしないと廊下という舞台がきちんと成り立たない(観客に伝わってこない)のです。「下手の奥に真っ直ぐな廊下がつながっていて、たぶん見えてる分の倍ぐらいの長さがあるんだな」ときちんと伝わってきて、そこはとても良かったので、それを舞台全体に対して表現できたらもっと良かったのかなと感じました。

奥のホリと目立つように置かれたライトなのですが、舞台始まってすぐに「あー、エンディングのためのライトとホリですね……」となってしまいます。上手と下手の出入りだけでも良かったのでは? そのほうが廊下の構造として(表現上の)無理が少なかったのでは? とか色々思ってしまいました。

小道具である、ホウキやブラシ、バケツ等の扱いを慎重にそして丁寧に行っていたのは良かったと思います。ただ置く時に「軽い音」がしてしまったのがもったいないので、金属かなにかの重りを入れておくと良かったかなと思います。数センチ以下の厚みならバケツを傾けない限り中身は見えないですし、重さも十分出せます。

演技も頑張っていたと思うのですが、この台本[演技力(と演出)への要求レベルがかなり高い]んですよね。5人の微妙な心の動きと、その変化をうまく表現できないと、閑散としたよくわからない上演になってしまいます。そのための人物の読み込みも、距離感のとり方も、観客への見せ方も、ちょっと物足りなかったかなと感じてしまいました。

ライトについては苦言も書きましたが、それでもエンディングの綺麗な静止(きちんと静止するのって案外難しいのです)と逆光演出は良かったですよ。

新田暁高校「メレンゲな昼下がり」

  • 作:青山 一也(既成)
  • 演出:斎藤 愛翔

あらすじ・概要

ある日の昼下がり、ダラダラと会話をする夫婦のお話。

感想

検索すれば台本が出てきますが、エチュードのような内容で日常のゆるっとした会話が続きます。上演時間約30分。

舞台奥の上下の白板を立てて、ブラウン管テレビとか、棚とか、服掛けとか置かれたお部屋の設定。空間の広さに対してものが少ないので、閑散とした印象もありました。

男と女が出てきますが、講評でも言われてたとおり夫婦には見えなかった。格好とか工夫するだけでも変わったと思いますが、二人の演技(関係性)が母親に食事をねだる息子って感じでした。夫婦の距離感や会話トーンではないよね。夫婦という関係を前提に演技を組み立てるか、いっそ親子に変更してもよかったのではないでしょうか。いずれにせよ、普段から仲が良いとか、実はよく喧嘩する関係とか、女の方が強いとか、そういう関係性を作り込んでそれが見えてくると良かったかと思います。

概ね「観客が男の台詞を理解する前に女が反応している」ので不自然でした。男の言葉を理解しないで反応していることになるので……。男の方はちょっとおとぼけな感じで演じていて、女の方は比較的しっかりした感じの演技だったのですが、人物の演じ分けはこれで本当に良かったのか少し考えてほしいと思います。男を普通に演じても良かったのでは。

ゆったり感を出したいからと、全体をゆったりさせてしまうと「ただただ間延び」してしまいますので、メリハリを付けて進行させてもよかったと思います。

部員2名とのことで色々大変ではあったと思いますが、今後もがんばってください。

新田暁高校「靴下スケート」

  • 作:中村 勉(既成)
  • 演出:半田 実

あらすじ・概要

部屋いっぱいのゴミ袋。それは中学生、加奈子の部屋だった。そこへやってくる大学生の家庭教師、優子。

感想

開幕……のベルが鳴ってから2分開幕しない! 何かトラブってるのかとソワソワしました(苦笑)

幕が上がり、薄汚れた白壁(風のパネル)で囲まれた部屋に、いっぱいの黒いゴミ袋。200個ぐらいあったのかな。小道具もこの中に一緒に隠されているので(ゴミとして)、これ用意と配置相当に大変だったろうなうと。

中村勉さんの台本*1ということで、これまた難しい内容でしたが、すごく丁寧に演じられていたと思います。間を慎重に使い、二人の掛け合いをとても重視して、リアクションにもかなり気を使っていました。良かったと思います。

気になったのは「黒いゴミ袋」。よく探してきたなというのもありますが、今時黒いゴミ袋でゴミを出せる自治体があるとは思えない。膨らみ方もほとんど一緒。そして中に入っているものが「軽くてカサのあるものなんだろうな」ってのが見えちゃった。つまり嘘が見えてしまった。

ゴミに埋もれてた椅子と机が、新品同様に綺麗だったことも不思議でした。壁が薄汚れてる部屋にある椅子と机としては不自然。ちょっともったい無いけど汚して欲しかったかな。そして劇中でさんざんゴミと戯れた後の、最後のシーンで「汚れるから」と作業着に着替えるシーン。これも説得力がないですね……。

細かいところだと、BGMが少しうるさく感じられた部分があったのと、大学生の優子はもう少しだけ落ち着きがあると雰囲気が出て良かったかなと思いました。


かなり丁寧に作られていたし、ラストシーンでゴミ投げ合うところとか序盤との対比になっていてよかったと思います。でも、見ていてどこか物足りない。それはなんなんだろうと考えると、二人の距離感に変化が感じられなかったからだと思います。それは心の距離であるし、分かりやすくは物理的な距離でもあります。

加奈子は「優子が邪魔で邪魔でしょうがなかった」し、優子は「(受け持つ受験生として)面倒くさいハズレを引いてしまった」ぐらいに思っていたはずです。そう考えると、二人は最初からお互いに「相手に対して興味を持ち過ぎ」だったし、「相手の話をちゃんと聞きすぎ」だったと思うのです。

この二人の距離感に対する配慮が足りなかったのではないかと感じました。

難しい台本に挑み、よく研究して上演されていたと思います。上演おつかれさまでした。

新田暁高校「おかしの家」

作:青山 一也(顧問創作)
演出:根岸 祐里

あらすじ・概要

童話作家のさよこおばさんが亡くなった。その遺品整理にやってきた孫娘たち6人。整理していると高価なものが次々と出てくる。こんな高価な遺産、誰が相続するんだろう? そういえば、おばさんには娘が居たらしい……。

感想

全体にパネルを立てた部屋。奥が廊下。上手に勝手口、下手にテーブルと椅子、小物入れ(棚)。ハンガーがあったり、帽子掛けがあったり、和風っぽい家具があったり、ムードのあるいい装置でした。最初薄暗い照明で始まって、人が入ってきて明るくなった時点でほんと魅力的に映りました、期待大。これが掴みってやつなんでしょうね。もっとも講評では「広すぎる」って指摘もありましたけどリビングダイニングならこんなもんかなとも。

力の抜けた良い演技。ただ前半、一部の台詞が聞き取りにくい部分もありましたが、全体的には安心して見られる演技でした。そしてきちんと動きまで性格付けされていて、特に主役の動きがとても美しい(そういう性格の人物)。またそれぞれの動きが全体としてうるさくならないよう、とてもよく整理されている。見る側への配慮がとてもきちんとされている。これだけでもちゃんと演出が仕事していると分かります。人間関係がちゃんと見えてくるのが面白いです。講評で指摘されたとおり「誰と誰が姉妹なのか」とか分かりにくい面はありますが、それって別に早々わからせる必要はないよねって個人的には思います。ただ、それぞれの関係をもっと掘り下げたほうがいいという講評の指摘は一理あります(描写しろというのではなく、それを作りこんだ上で演じてほしいという意味だと思う)。

カギのかかった引き出しを開ける時の開かない演技もうまかった。

さて、その引き出しから「背守(せもり)」が出てくるのですが、これが劇中での重要アイテムになります。この劇には重要なキーワードが3つあって「背守」「童話」「おかしの家」です。……多くありませんか? ラスト付近で「おばさんの童話ってたくさんの人に読まれてるけど、おばさん自身はたった一人のために書いたんじゃないかな」って台詞があり、これが革新に迫る非常に良い台詞なのですが、この後のラストシーンで「おかしの家の話」をしてムードを壊し、最後にサスで強調されるのは童話ではなく背守。ここがちぐはぐなんです

背守は劇中で一番触れられているメインアイテムだと思うのですが、おかしの家は開幕部屋に入った時に一言触れただけ。童話については多少触れられているものの、童話の中身までは触れられていない。お涙頂戴が必ずしも正義ではありませんが「おばさん自身はたった一人のために書いたんじゃないかな」っていうものすごく良い台詞があり、後ひと押しでみんな感動するだろうってムードができてる。にも関わらずそれを活かしきれていない。

大胆な意見ですけども引き出しに入っていたものは(特別な)童話でよくないですか?。その童話をみつけて、あらすじを会話するシーン等があるだけでもラストの印象が違うと思います。童話ならラストシーンでサスを当てた時にも本なのでわかりやすい(背守だと見えません)。もうひとつ問題があって、このお話、おばさんが童話作家であるということのリアリティが薄い。童話作家ってそうそう簡単になれるものではないので確率論としてのリアリティがどうしても小さくなるところに、しかもお金持ちとなると更に疑問が残ってしまいます。お部屋も童話作家っぽくない(演出的配慮としてのリアル)。どういう経緯でなったのか、どういう経緯でお金持ちだったのか、おばさんの思いを浮かび上がらせつつ、おかしの家を絡めてそれを劇中で説明できていれば……というのはちょっと高望みしすぎでしょうか。

ラストシーンといえば、鍵を持ってきた亜紀が部屋から去り際に少し立ち止まり軽く振り返るところとか、もうたまらなかった。言葉ではなく動きで語らせる。本当によく配慮された素敵な演劇をたっぷり楽しめました。クオリティ高かったですよ!