桐生南高校「やさしいひと」

作:青山 一也(顧問創作) ※台本はこちらのサイトで読むことができます
演出:徳田 彩香
※優秀賞

あらすじ・概要

両親が居ない後藤家5人兄弟姉妹の元へ大輔という男性がやってきた。(同性愛である)兄のために彼氏候補として次女はるかが連れてきて、一緒に暮らすことになる兄弟たちと大輔。少しずつ変化するみんなの気持ちの中で、やがて家族同然となり兄と大輔は距離を縮めていく。そんな中、はるかはだんだんと不機嫌になり……。

感想

結構期待してみました。一軒家のリビングのイメージで真ん中にテーブル、壁には柱のハリがあり高さもしっかり8尺ぐらいある。奥に廊下で階段が少しみえ、右手側にお勝手。左手側に窓。部屋の奥が玄関なんだろうなあとか、そういうのを想像させるいい装置でした。

物語は次女はるかが、兄に「今日、会ってほしい人がいるんだけど……」というところからはじまり、大輔がやってきたことによる兄弟の変化が主軸になっています。ベース作だという「本日は大安なり」を観ているのですが改作というよりはまったく違う劇という印象をうけました(台本を読み比べるとたしかに似てます。月日が経って忘れたのか、はたまた演技力の差か)。こういうセクシャルマイノリティを嘘っぽくなく書けるのは青山先生らしいところですね。説明台詞を排除してあり台詞だけただ読んで上演しても観客に何一つ伝わらないまさに演劇らしい演劇台本になっています。

観てびっくりしました。すごい良かった。ちゃんと演出が仕事してるのね。ここまで演出が仕事した舞台は県内では久々に見た気がします。動作や台詞の間、動きのひとつひとつに至るまで努力と工夫を重ねきちんと計算されているのがよく分かりました。タイミングが絶妙。そして役者が個々に人物を掘り下げ、台本の台詞をそのままやるのではなくアレンジし、台本とは異なる人物像を作り上げいるのもよかった。役者が台詞に頼ることなく態度や視線・動きで表現し、動作と停止を含めてきちんと演じている。特にお兄さんよかったなあ。動作も声の張り上げとかも、ものすごくよかった。たしかに役者さんによって声が聞き取りにくかったり、若干演技の甘い場所はありましたが、そこは書かなくても分かっているのでしょう。

気になったところは、講評でも指摘されていましたがやはりテーブルクロス。どんどん左にずれていってしまった。アドリブで直せるとよかったと思います。もうひとつ、途中で1ヶ月や半年などの時間経過があるのですが、部屋や服装がほとんど変化しないのがやはり気になりました。テンポよく転換するので仕方ない面はありますが、テーブルクロスを変えるとか(ずれないように重ねておいて上を1枚取るとか)、小物が増えてるとか、カレンダーをめくる以外に何か工夫がほしかった。カレンダーも「月」が客席からも見えやすいカレンダーを選ぶ(もしくつは作る)などの工夫があってよかったと思います。物語上半年や1年も経過する必然性は無いのだから「春から夏にかけて」のように季節の変化を出しやすい設定をしてしまう手も選択肢としてあったでしょう。

クオリティ高いんだけどさらに上を目指すなら、関係というものにもっと注目してほしかった。兄と大輔の引かれ合う間柄というのがもっと見えてほしかった。(台本のとおりなんだけど)中盤「さん付け?」と気になってしまった(さん付けから名前に変わるのはもう少し早くする選択肢もあったのかも)。例えば家族の前では視線を気にするだろうけど、特に二人きりになるシーンならちょっと好意みたいのが透けていいと思う。台詞じゃない恋心。もうひとつ、兄とはるかの関係。はるかが兄を慕う様子がもっと態度に出たらよかった。おなじことは他の兄弟にも言えて、そんな3人のことを(何も考えてないというのを含めて)他の兄弟はそれぞれどう思っていたんだろうかと感じてしまいました。もちろん現状でも演じていたんだけど、そういうのがもっと見えてほしかった。

こういう関係を描くのはいかにも仲良さそうなシーンよりそうでない日常シーンの方がはるかに向いているので、中盤3つのエピソードを1つ絞り膨らませ、二人の距離が縮まったきっかけエピソードを挿入するといいのかも。それを見ている家族の態度で、それぞれの気持ちも描けるし。

全体的に

本当によく出来ていて上映終わったときにほろりと来て、上演1分オーバーにも関わらずラストを巻きで終わらせなかった判断にまたほろり(苦笑)。客席に目の赤い人もちらほらみかけましたし。たぶん上演時間オーバーは、観客の「笑い待ち」をきちんとしたためなんじゃないかな。

お世辞抜きで今大会で一番よかったと思います。過去に見た桐南の上演の中でも一番良かったと思います。ほんとに関東大会行ってほしかった。行って全くおかしくない上演だったとそう思います。

桐生南高校「ばななな夜 ~BananaんNight~」

作:入江郁美
構成:青山 一也
演出:桐南演劇部

あらすじ・概要

夜の公園で時間を潰す少女二人。その二人にあやしい女から「謎の箱」があずけられた。箱の中身は、覚醒剤? 爆弾? 拳銃? そんな不安を抱えつつ少女二人と、公園へ訪れる変な人たちの心の交流を描く。

高校演劇ではよく扱われる定番台本。群馬県大会では同大会での2日目の高崎商科大学付属、また2004年の共愛学園

感想

まず幕が開いて、中央に金色の謎な格好をした像。像のまわりを四角く囲むように長い木箱状の椅子。街灯、月。レンガ模様を描いたパネルと個人園芸などでよく使う長板をクロス貼りした板が、2つ1セットになって舞台の上手と下手に配置。舞台左手側のレンガの上に柿の枝っぽオブジェ(でも物語設定は初夏でしたっけ?)と下にくずカゴ。なんとなく散漫な印象を受けました。劇が始まって10分、演技からも同じくなんとなく散漫な印象を受けました。

装置を客観的に見ればやや空間が開けっ広げと言えますが、感触として「ほら公園っぽいでしょう?」という感じに取れてしまいました。たぶん一生懸命に作ったんだと思うんですが「ここは間違えなく公園だ」と(装置が)主張していない。いかにもそれっぽいものをそれっぽい配置にしてあるのですが、1度でも舞台正面から見て「これ本当に公園に見える?」と真剣に議論してみましたか? 人数や予算の関係で作れる装置に限界があることは承知しています。でも同じ労力でもっと公園を作ることはできたと思います。残念ながら「それらしいものをなんとなく配置した」という印象が強くありました。

そういう配慮の不足は演技にも感じられました。過去の県内の公演では「声が聞こえない」ということがよくありました。それを考えれば、台詞がきっちり聞き取れた発声は立派です。それだけに勿体ないのは、台詞に強弱をつけることが不足していたことでした。調子が一定なので、観てる側が飽きやすくなります。メリハリを付けようと努力しているのは分かったのですが、もっともっとオーバーにして問題ないと思います。声のトーン(テンポ)をもっともっと意識的に、真面目なところと掛け合いで裏を付くところを明瞭に変えてあげると、劇全体にぐっと魅力が生まれます。

入江役の役者さん。たぶん根が優しいんでしょう、その影響で入江がやさしいいい子になっていました。入江というキャラクターの解釈については色々あって構わないのですが、少なくとも何か(社会や彼氏等に対して)気に入らないことのある「トゲトゲしさ」を表現しなければなりません。舞台を観た人が、上演後に入江役の人に会場でみかけたとき「突っかかれそう。怖い」って思うぐらいの印象が(舞台上の)役として表現されてないとマズいのです。どうやって演じたらそういう人間として映ると思いますか? 同じようなことは伊藤役にも言えます。親から電話かかってきたら緊張して、ちょっとしたことを入江に言われておどおどして、根は真面目で。舞台に居る間ずっと緊張しっぱなし(の演技)なので、どこで本当に緊張しているのか分かりにくくなっていました。ゆるみの演技ができたらすごくよくなったと思います。

ストリートミュージシャン役として出てくる男子は、その点、メリハリがよく出来ていました。多少荒っぽいところはありましたが、止めも使っていてなかなかだったと思います。おばあちゃん役は「腰を曲げていればおばあちゃん」という先入観以上の何かがなかなか伝わってきませんでした。高校生がおばあちゃんを表現する最も的確な方法は、体の動かし方を注意することです。運動神経が悪くみえれば、おばあちゃん(おじいちゃん)になります。手足の動き、歩行するときの足の速度、体の動きにもっと気を遣ってあげると良いです。これはおばあちゃんに限らず、大人を演じるときもそうです。年齢を表現するのは、台詞ではなく、見た目はそこそこ重要ですが、それ以上に体の動かし方(と話のトーン)です。

全体的に

翌日公演された高商短付属の同じ「ばななな夜」を観て感じたとは思いますが、同じ演目でありながら幕が開いたときからしてもう「違う」という印象を受けました。その違いの原因は何だと感じたのでしょうか。経験の差? 部員数の差? 準備期間の差? 予算の差? 一番違ったもの(足りなかったもの)はそれではありません。

例えば、この演目の鍵となる「謎の箱」。この劇では全く目立っていませんでした。たしか濃い灰色に塗られた木製箱だったと思います。時に服の色に沈み、時に通学バッグの裏に隠れて、舞台に置かれても他の小物に混ざってよく見えない。最も重要な小道具が一番目立たない。おまけに、登場人物が箱自体を非常に軽そうに扱います。実際軽いのでしょうが、普通考えて「拳銃」が入っているかもしれない箱をあんなに粗末に扱うのでしょうか。これも(台本の指定が)箱だから(指定通り)箱を用意したとしか感じられなかった。

「この箱の中身はなんなんだろう?」「この箱は最後にはどうなっちゃうんだろう?」って観客に感じさせるにはどうしたら良いと思いますか。どうやったら箱をもっと意識してくれると思いますか。そういった、私たちの舞台は観客にどう映るだろう、私の演技は観客にどう映るだろう、どう感じてもらえるだろう、という配慮が欠如したことが一番の敗因だと感じています。

色々言いましたが、主力が1年生とは思えない劇の完成度と真面目な舞台作りは素晴らしかったと思います。あとは、なんとなくではなく、この舞台(演技)は自信を持ってこうなんだ! と言い切れるようになれば、今よりずっと観客を引きつけることができると思います。健闘を祈っています。

桐生南高校「べいべー」

作:青山 一也(顧問創作)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

新生児室に揃った4人の赤ちゃん。一人は天然ボケ、一人は不良、一人は性同一性障害、一人は気難しい。この4人が大人に内緒でドタバタを繰り広げて。

主観的感想

脚本以外

脚本以外を先に述べます。開幕して父と母が「私たちの赤ちゃん」がどうのと言うのですが何を言っているかよく分かりません。声が聞き取れません。そもそもシーンとして必要ないと思います。完全に省略して直後の台詞から始まっても通じます。

生後数日の赤ちゃんなのに大人のように動き回り、そしておしゃべりをするという一幕もののコメディです。動きで魅せるということ、性格付けをきちんとするということ。この2つにきちんと気配りをして演じられていました。動きにほとんど隙がありませんでした。そして何より演じてる当人(役者)たちが心底楽しんで演じていたのがよくよく表れていました。

BGMの処理、アタックだけ大きめに聞かせ戻したりきちんとしていました。ただ、若干下げるのが早かったので人によってはトチったと勘違いしたかもしれません。そこだけちょっと注意です。細かいところですが医者とナースが「僕の胸に飛び込んでおいで」というシーンで一時的に大きくして盛り上げてもよかったと思います(これはコメディの典型的な音の使い方です)。

基本的にコメディなのですが、笑いに対する間の取り方や相づち(合いの手)が非常によく出来ていて、そんな細かいところまで本に書かれていたのかどうかは定かではありませんが、アレンジして演じていたのなら大したものだと思います。昔に比べて本当に力を付けてきたと思います。

「これは入賞もあるな」と思いました。結果的には入賞しなかったんですが、してもおかしくはなかったと思います。というのも、全体として非常によく台本を理解して演じており、よく審査基準となる台本の要請を満たしたかという点において、台本の求める(以上の?)完全な笑いの取り方をしていました。本当に素晴らしかったのです。

これだけ読むと大絶賛ですね。上演をみながらいつも気付いたことをメモに取るのですが、メモには上のような内容しか書かれていません。ただ一行を除いては。その一行は「30分が限界かな……」です。

脚本について

今回の上演をみて素直に感じたことは、ただ一言「台本の限界」です。青山先生の書かれる台本は好きですしコメディとして秀逸なのはいつも感服するところです。ただただ今回ばかりは残念なことに、コメディとして完成度が高まれば高まるほど中身がすっからかんになってしまいました。終盤40分ぐらいになると多少シリアスなシーンが入って、一人の両親のやや複雑な家庭環境が出されるのですが、それをラストに向けて解決しているのかと思いきや10分ぐらいで話を収束させ、違うところでオチて物語が終わります。「あれ?」と思いました。

30分が限界と書いたとおり、永遠とコメディをされても30分で飽きてきます。普通そこまでで物語の主軸に対する伏線を張っておくのがこの手の演劇の典型です。実際にこの本でも伏線が貼られていますが、後にならないとそれが伏線とわからない(伏線がわからないのは良いことなのですが、分からなすぎる)ために観客の印象としてはコメディしか残りません。

作者の青山先生のブログを読むところによれば、

『べいべー』には「大人への皮肉」が数多く含まれています。要するに、子供から大人へあかんべえをしているお芝居なんです。

なのだそうですが、であるならばそれら重要な台詞を笑いの「間」の中に書いてはダメです。いや書いてもいいのですが、笑いの「間」に書く限り笑いとしてしか伝わりません。笑いの「間」に書いて成立するものに唯一「ブラックジョーク」がありますが、ブラックという通りもっと「真っ黒」じゃないとまるで成り立ちません。

仮にこれらの皮肉が成立していたとしてどう変わっていたかと考えると、大分印象が変化しますがそれはそれでひとつの問題があります。あまりに多くのことを皮肉として使いすぎたために、話として収集が付かなくなってしまうのです。物を書くとき、ましてたった60分の本であるなら、最終的に話の軸を1点に絞り込む必要があります。4人の赤ちゃん(べいべー)のそれぞれを描くという手法には時間が足りず、主役をきちんと決め、軸を決め、そこに向けて削ぎ落とす(取捨選択する)作業がどうしても必要になります。

大分偉そうな発言になってしまいますが、桐生南の上演はいつも多かれ少なかれ「オチを取って付けた感」がします。コメディで始まり、そのうちにうっすらオチが見えてきて、最後はそのオチのゴールに向けて走るという印象です。ひとつだけ要望するなら、オチが決まったなら今度はオチから最初に向けて、後ろから前へ読んで修正(アレンジ)してほしいのです。オチに対して相応しくなかったら捨てる覚悟をしてから。それで随分違うのではないでしょうか。

全体的に

やっぱり今年も演出不在です(表記がないという意味ではなく居ないという意味)。笑わせること(能動)に対する追求、間、掛け合いは秀逸でしたが、それ以外はどうだったのかというとやっぱり弱かった。

大切なのは「観客に対して何を表現すればよいのか」ということ。演劇は残念ながらお笑い番組ではありません。もう今なら理解できると思いますが、演劇は「表現」なのです。表現とは「表したいもの」があって、それを観客と「共感」したいから生まれるのです。面白いものをみせて(観客に与えて)「笑わせる」のと、観客を引き込んで面白い気分にさせて(笑いたい気分にさせて)「笑いが起こる」のは天と地ほど違います。笑わせるのではなくて、楽しませる結果として笑いが起こる。

例えば友人と会話をしていて、突然変な顔をすれば笑うかもしれませんし、笑わないかもしれません。同じように会話をしていて、最近あった面白い出来事を話すとき、あなたはどんな風に話しますか? きっと「ああなって、こうなって、そしてこうやったら」と話すと思うのです。聞いているほうは、話に聞いた情景を想像して、あなたの話を想像の中で追体験して、そして笑います。話しているあなたと一緒になって笑います。「笑います」は「泣きます」でも「怒ります」でも何でも構いません。

演劇の本質は、観客との共感(シンパシー)にあります。表現全部の本質が共感にあると言っても過言ではありません。自分たちのことがまかなえる実力を持った今、次のステップとして観客をどうやって引き込むか考えてみてください。自分たちは一体何を表現したいのか、それを観客に伝える(観てもらう)ためにどうしたらいいのか。例え朝イチの上演になっても眠い目を閉じさせないためにはどうしたらいいのか。寒くて寒くて観てるのが辛い会場だったとしても自分たちの劇に集中してもらうにはどうしたらいいのか。「この台本を使って(文字通り利用するのです)何を表現するのか」そういう部分をすべてのスタッフと役者一人一人がもっともっと丁寧に考えてみてください。

桐生南高校「ハムより薄い」

原作:逢坂 みえこ 『ベル・エポック』(YOUNG YOU漫画文庫・集英社刊)
脚色:青山 一也
演出:桐生南高校演劇部

※優秀賞(次点校)

あらすじ

32歳の独身女性5人が雑談をしている。最近あった話、結婚している人も居たり、結婚してない人も居たり。そんな雑談の中で喧嘩をして、やがて……。

脚本について

漫画原作ということで、どの程度原作通りなのかは謎ですが、まあでも青山先生の本だなーという印象でした。

主観的感想

女性5名がテーブルを囲み、雑談という形で劇は進行します。始まってまず、相変わらず聞き取りにくい人が……。紫(ゆかり)役か茜役かなー。声が被ってしまうと(まあ聞かせなくてよい台詞なのかもしれませんが)何だかよく分かりません。ダンスをしながらBGMと共に役者が場転をやってしまう荒業にはちょっくらしてやられました。そしてここも使っていた「2時間後」という台詞による時間経過。流行なのかな。

往年の男子がほとんど抜けて(新入生は居ますが)、女子メインのお芝居。桐南は地区公演を含めると何回見続けてるんだという感じですが、その中では一番の出来だったと思います。一歩間違えば危険な「止め」を積極的かつ意欲的に使っていて、間の使い方が非常に慎重でシリアスとギャグの間も使い分けていました。例年の詰め込みすぎから内容を若干少なめにして、その時間を間の処理に回してあり大変よかったです。昔から比べればどんなに進歩したことか、とか感じてしまってはダメなのかもしれませんが(苦笑)。

一部声質が似通って聞き取れないのは健在だったものの(これでも前から比べればずいぶん良くなった)、緑(みどり)の間延びした感じとか、去年から定着感のある葵役の勝ち気な性格とかよく出てました。逆に言えば、桃子はお嬢様キャラなんですがもっとお嬢様お嬢様していた方がよかったと思うし、紫役と茜役は人物像がかなり弱かったですね。音のつけかたや照明の処理はほぼ適切で(良くも悪くも普通)今年の桐南はやけに(装置が)簡素だなーと油断していたら、ラストシーンの夜の公園はなかなか凝っていました。

とまあ結構褒めましたが、じゃあいいとこだらけかと言うとそうでもなく。まず、間(止めを含む)の処理がまだ甘い。例年に比べたら大分良くなったし大体正しい間なんですが、いまいち微妙にずれてるんですよね。具体的にどれというのは難しいのですが。ここまで来ると、演じ手だけでは詰めるのは難しく演出が仕事(見て判断して指示を出すこと)しなきゃならないのですが。ここで大体いいやで終わらせるか、完璧に合うまで調整するかが最終的な質を大きく左右します。関東大会やその上を狙うなら必ずやってほしいと思います(他校にも言えることです)。

あと前半の回想シーンにおいて、女性5人中1名が席を離れ中央で男1名と共に回想の様子を上演するのですが、回想シーンの前に言葉で説明しているので何で回想しているのかよく分かりません。おまけに回想中に他の4人が、思い思いの行動をとっています。ここの処理が全く意味が分かりません。まず、前後の繋がりから想像するに言葉で話す代わりに回想シーンを挟んだものと思われますが、非常に伝わりにくい。「それがさ…」などの台詞と共に回想に入ればわかるのですが、それがない。しかも予め何があったか説明してから回想シーンに入るので、それだったら最初から全部説明してしまえばよかったのではないかと感じてしまいます。(事前に起こったことを大体説明しているので)あそこで回想シーンを構成する必然性が分からないのです(画面に変化を付けるという演出上の必然性はわかるのですが、それはお客には関係のないことです)。

また回想中に、残りの4人が思い思いの動作をしている点もかなり疑問が残ります。話の主軸の外で性格付けされた人物がそれぞれの行動をするのは大切です。大切ですが、ここのシーンは回想です。しかも言葉で説明しているシーンに代えた回想です。回想シーンに入る寸前まで仲良く話を聞いていた4人が、回想シーンに入った途端に話も聞かず思い思いの行動を始め、回想シーンから戻るとすぐに回想シーン内の出来事に言及し興味深そうにわいわいと会話を続けることの不自然さが分かりますか? 結局残り4人は話を聞いてたのですか、聞いてなかったのですか? こんなことは演出がきちんと居ればすぐに気づけたはずです。

さて話の方ですが、茜と紫かな(記憶曖昧)が喧嘩して紫が出て行ってしまうのですが、そのあとで紫とその家族の回想シーンを挟みます。このシーンは、紫が実は結婚できないことを家族から言われ抑圧されていたという腹を立てた理由付けに相当するものなんですが、それがまた観客に対して真に伝わって来ません。むしろシーン自体が取って付けた感じがして、そこを端折って公園シーンに飛ばすか(そこで出せば済むでしょう)、それより前の雑談の中に伏線として折り込んだ方がいいように感じました(むしろ両方ですね)。

その他、5人がずっと出ずっぱりなので変化が乏しいのが気になりました。演劇という特性上、人の出入りはどうしても必要てす。お茶を汲みに行くのでも、トイレでも、遅刻しているでも、人の出入りがないのは寂しかったと思います。ラストのオチは、女の友情はハムより薄いということなんですが、その辺も押しがいまいち甘い。少し投げっぱなし感があり、オチとして完全に締めるか、この先を想像させるか、そういう含みがほしいと感じました。

【全体的に】

桐生南は何回も見ているだけに長文になってしまいましたが(しかもかなり辛口になってしまいましたが)、観てきた中では一番出来が良かったと思うし、面白かったには面白かったです(だから優秀賞をもらったのでしょう)。実際会場も結構笑っていましたし、あっというまに60分過ぎ去って魅入ってしまいました。でもさらに上を目指すならば、やっぱりこの辺はクリアしていかないとなあとも思います。

※顧問の先生による簡単な評はここで読めます

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 32歳の独身女性5人。高校生には難しい役で、よく頑張っていたけどもう一歩というところ。32歳にしては少し元気すぎる感じがして、リアルな32歳というのはもっとけだるさみたいのがあると思う。あのテンションの高さで話す32歳は居ないよなーと感じて惜しかった。
  • 酔っぱらったり、見合いした経験はないはずなのにがんばって演じていた。
  • 全体的にはよく作ってあって、ダンスを使った暗転やブルー暗転など考えられていた。
  • 音響は少しうるさすぎた。ちょっと耳障りかなと思った。
  • 女の友情はハムより薄いという漫画ベースで脚色してある台本だけど、台本をよく読んで研究して演じていた。おつかれさまでした。

桐生南高校「通勤電車のドア越しに」

脚本:金居 達
翻案:青山 一也(顧問)
潤色:金居 達
演出:桐生南高校演劇部

あらすじ

発車間際の電車に飛び乗った黒木(OL)は、突然開いた反対側のドアに首を挟まれてしまった。電車も止まったまま。たまたま一緒に乗り合わせた後藤(女性部長)と井出(部下/女性)はドアを開けようとするが開きそうもない。そんな中やりとりされるコメディ。車掌を呼びに行く上司と部下、そこへ通りがかる小学生。やがてやってきた車掌は扉を開ける気が全くなく、自分の話をして去っていってしまう。やがて先ほどの小学生もやってきて……。

脚本について

脚本を書かれた金居達さんは(パンフレットと漢字は違いますがこちらが正しいようです)高校時代に県内で演劇をなさっていた方のようで、現在は劇団を主宰なさっているようです。またこの本は静岡の浜松海の星高等学校も上演しています。内容的には「コメディ+ちょっといいお話」という演劇のひとつの定型です。

主観的感想

昨年度の地区発表会から期待していた(想い入れの強い)桐生南ではありましたが、心苦しいながら正直なところ期待はずれだったと言わざるを得ません。なんと言っても致命的なのはメインの女性3人の声がよく聞き取れなかったところ。ホールが反響しやすいこともあるとは思いますが、通常でも聞き取りにくく、まして2人以上台詞がかぶると何を言っているのか全くわかりません。頑張って発声しているのはわかるのですが、(講評にあったとおり)そのせいもあって似たり寄ったりの声質になってしまい声の色がなかったのが一因かもしれません。

コメディの間や止めを意欲的に使っていて、この点だけでも大きく成長していると評価したいのですが、その一方でせっかく考えたコメディも声が聞き取りにくいことから内容の理解がワンテンポ遅れてしまい、笑い損なう=笑う要素を理解したときには先に進んでいて笑うに笑えないという事態に陥ってしまいました。とにかくハイテンションで笑わせっぱなしにしてやろう、という意気込み(方向性)は間違ってないと思うのですが(そうしてこそ成り立つ劇だと思います)、そこが失敗してまったせいで劇自体の印象が悪くなってしまったことは否めないと思います。

舞台装置は電車という大がかりなものをよく作り込んでいました。月夜もうまく(綺麗に)表現したなあという感じで好感を持ちました。一方で、装置をあれだけ作り込んだからこそ車輪が気になるという声も聞かれましたし、車両の空間が妙にだだ広く感じたりもしました。動作(アクション)の関係もあるのでしょうが、もう少し車両の見える部分を狭めてこぢんまりとさせてやるほうが、劇に味が出たように思われます(例えばそうすることでほかのお客が見えない部分に居るという演出も使えたと思います。それが必要かは別として)。

途中小学生が電車の前を通るのですが(見た目が見事な小学生っぷりでした)、そのとき通った場所は「駅のホーム」なのか「線路脇の道路」なのかよくわかりません。黒木は電車に乗り込んだあと首を挟まれたわけですから、そのまま駅に停車したまま動いてないと思われるのですがOLが乗り込むような駅が片側ホームの田舎駅……? というのもやや疑問が残り、その辺気にし始めると疑問だらけになってしまいます(完全にフォローするのは無理ですが)。途中、車掌がダンスをやってたという設定が出てくるのですが、その割にうまくなかったりするのも笑いのネタにするなどのフォローがほしかったところ。

【全体的に】

ラスト10分はお約束の心理劇で幕を閉じるわけですが、この辺も伏線不足。もっと前半から抑圧なり悩みなりの描写がほしかったところです(笑いに走りすぎ)。繰り返しになってしまいますが、声が聞き取りにくかったせいで演出意図をくみ取ることも(まして考察することも)難しくなっているように感じます。上演時間60分ギリギリ(またはオーバー?)で、去年もそうだったと思いますが若干詰め込み過ぎではないでしょうか。おそらく演技を付けていく段階で量が増える傾向にあるのでしょうから、脚本の段階で上演時間より少なめにしておけば、演出(演技の付け方)の幅も増えるように感じます。

と色々言いましたが、開かないドアが間違って開いたりしないかとハラハラしたもののきちんと表現されていましたし、笑わせどころはきちんと押さえていて去年と比べたらすごい成長です。よく頑張ったと思います。個人的なことですが、やはり地区大会を(桐生南だけでも)見に行くべきだったのかも知れません。ひとつだけ(生徒に)アドバイス。「こうしよう」「あうしよう」という前向きな思考だけでなく、時に「これでいいのか?」「何か足りなくないか?」と立ち止まって振り返ることも大切であると心に留めておきましょう。今後も期待しています。

審査員の講評

【担当】光瀬
  • 舞台装置を大変よく頑張りましたが、頑張ったところは目立ちます。今回の横長装置は一番目立たせなくてはいけない黒木が正面を向いていて目立っていなかった。装置は演劇のためにあるのにその役目を果たしていない。そのせいで、途中黒木の状態がエロいという話があったが観ている方には少しもエロくなかった。正面を向けずに斜めにしてはどうだったか。
  • 車掌の回想シーンでは(コメディなのだから)電車から飛び出してしまってもよかったのではないか。
  • ドアの開閉も、手で動かしているのが見えているのだから、暗転しないでそのままやってしまっても良かったのではないか。
  • ホールの特性もあるのでしょうけど、年代の近い3人の女子が同じように頑張った声を出してしまうと、声質が似てしまって聞き分けられない。例えばまき(編注:小学生役)が裏で話している声はまったく分からなかった。声の音色を出すようにした方がよい。
  • 車掌が早口で説明を言うときは、感情を入れないで「敢えて棒読みにする」という演出もあったのではないか。
  • 演技のテンポが一定で間の変化がない。もっと間やトーンやテンションなどに変化を付けないと単調になる。
  • せっかくギャグをやっているのですが「とりあえず触っておく」の「とりあえず」で登場人物の方が笑ってしまうと、観客は笑えなくなってしまう。
  • 黒木が母になったときの変化がない。職場の顔と母の顔というように劇中で人物像が変化する場合は目立つので、この劇の場合は「母になった黒木」というのを目立たせるとよかったのでは。
  • 扉(ドア)を開けようと力を入れるときのふんばる声で電車のアナウンスがかき消されるというシーンがあったが、実際には聞こえない部分のアナウンスを飛ばして(消して)いた。そうではなく、実際にアナウンスがかき消される方が(演劇としての)リアリティがある。本当に起こっている現象は演技していることよりも大変よく目立つので、そういう部分では本当に起こっているというリアリティを出すべき。
  • 扉を開けようとするとき、本当に力を入れているのがよく分かって、この点は良かった。
  • 途中、車掌の話と関連してダンスがあるが、どうせなら黒木が踊れないようなダンスにして、一人話に置いて行かれている構図を出す方がよかった。
  • 黒木が最後に謝る理由がよくわからなかった(観客に伝わってこなかった)。