高田北城高校「見送る夏」

  • 作:越智優(既成)
  • 潤色:高田北城高校演劇部
  • 演出:小池悠菜

夏休みの宿題をするため早枝子の家に集まった友人3人。早枝子の家で居候をしている従姉妹の栞莉(まり)が部屋にやってくる。栞莉はなんで居候をしているのか……。

良かった点

  • 越智優さんの難しい台本をきちんと舞台として成立させていた。
  • 部屋という空間をとても大切に扱っていて、立ちパネルを用意することなく、演技と照明をうまく使い8畳程度の空間がきちんと存在していた。
    • 特に部屋の扉の表現には気を使っていた。
  • 演出がきちんと仕事をしていた。
    • 特に間を丁寧に使い、動作による演技をよく見せていた。
  • 栞莉のお姉さんが、この物語唯一の大人として登場するのだけど、立ち振る舞いが(他の5人)と明らかに異なり、きちんと大人を表現できていた。

気になった点

  • 緊張なのか、最初台詞が早口で掛け合いになっておらず、聞き取りにくく分かりにくかった。
  • 序盤の携帯のバイブ音のSEが大きすぎてびっくりした。
  • スイカや麦茶を持ってくるシーンで、人数分のスイカやコップを持ってこないことに違和感があった。
    • 冬にスイカは無理でも、麦茶は「実際飲んだ」ほうが良かったのでは。
    • スイカではない別の果物(用意可能なもの)に変えてもよかったのでは。
  • 部屋の入り口である(装置としては存在しない)扉の表現に気を使っていたけど、それでもところどころ違和感があった。
    • 途中、4人で両側から扉を閉めるシーンが特に問題に感じました。両側から閉められる扉は普通「4枚の襖」ということになりますが、廊下と直結された4枚襖なんて普通の家にはないかと思います。
    • お姉さんが出ていくシーンや、夜のシーンで扉を開けっぱなしのシーンがあり、(台本が書かれた当時は不明ながら)今の関東で冷房入れなかったり、冷房を入れているのに扉を開けっぱなしにすることあるのか大いに疑問。
    • ここまで扉の大切にするのであれば、大変だとは思いますが大道具として作ったほうが良かった気がします。
  • 部屋は板の上にゴザか何か張り付けた畳敷きの和室という表現でしたが、畳の敷き方がおかしいのが気になってしょうがなかった。
    • 8畳の部屋で、あれだけサイズが不揃いということはあり得ないし、そもそも(現代ということを考えたら)洋室でもよかったのでは?
  • ラストシーンでラジオ体操のBGMを使用することで、強烈に朝のイメージが想起されるのですが、それは本当に意図した演出だったのでしょうか?

いろいろ

この台本は何も考えずに演じると「まるで意味が分からない上演」になるのですが、演出がきちんと仕事をしていたので舞台として成立していました。演者も含め、本の内容をきちんと解釈し、どこに時間を使うか考え、その時間で何を見せるべきかを考える。演劇において、とても重要なこの要素はしばしば見落とされるのですが、きちんと仕事をされてとても好感を持ちました。

ただそれでも、少し物足りなさを感じてしまいました。夏芙蓉とかもそうなのですが、細かいシーンを丁寧に積み重ねていって哀愁を漂わせるタイプの台本で、台本が要求する演技・演出のレベルが無茶苦茶高いというのもあるかもしれません。登場人物同士の関係やシーンひとつひとつの描写がより深く表現されないと、おそらく(全体が)うまく伝わらないんですよね……。

とはいえ、前半は高校生5人のワチャワチャ感が出てて良かったし、後半は存分に引き込まれワクワクしました。面白かったです。

twitter等でみかけた感想へのリンク

新田暁高校「全校ワックス」

  • 作:中村勉(既成)
  • 演出:新田暁高校演劇部

あらすじ

学校全体を生徒で分担してワックスがけする全校ワックス。そこでたまたま同じグループになった5人が廊下のワックスがけをしながら織りなす物語。

感想

高校演劇ではよく上演される台本ですが、さすがに台本に古さを感じつつありますね。

全校ワックスの感想には過去何度も書いていると思いますが、廊下の構造が曖昧すぎます。奥のカーテンの一部だけが割れていて、そこから少しホリが見えて出入りするのですが、奥の上手側と下手側に行くときがあって、「ゴミを捨てに行った」のに行った方向がバラバラだったり、ダンボールは奥ではなく上手から出てきたり、ワックスを2度がけするのに、舞台上手周辺だけは全くワックスがけしていなかったり……。

この作品は舞台装置なしで成り立つのですが、だからといって舞台設定をしなくて良いわけではありません。廊下の幅もきちんと考えて演じてほしかったし、逆にそうしないと廊下という舞台がきちんと成り立たない(観客に伝わってこない)のです。「下手の奥に真っ直ぐな廊下がつながっていて、たぶん見えてる分の倍ぐらいの長さがあるんだな」ときちんと伝わってきて、そこはとても良かったので、それを舞台全体に対して表現できたらもっと良かったのかなと感じました。

奥のホリと目立つように置かれたライトなのですが、舞台始まってすぐに「あー、エンディングのためのライトとホリですね……」となってしまいます。上手と下手の出入りだけでも良かったのでは? そのほうが廊下の構造として(表現上の)無理が少なかったのでは? とか色々思ってしまいました。

小道具である、ホウキやブラシ、バケツ等の扱いを慎重にそして丁寧に行っていたのは良かったと思います。ただ置く時に「軽い音」がしてしまったのがもったいないので、金属かなにかの重りを入れておくと良かったかなと思います。数センチ以下の厚みならバケツを傾けない限り中身は見えないですし、重さも十分出せます。

演技も頑張っていたと思うのですが、この台本[演技力(と演出)への要求レベルがかなり高い]んですよね。5人の微妙な心の動きと、その変化をうまく表現できないと、閑散としたよくわからない上演になってしまいます。そのための人物の読み込みも、距離感のとり方も、観客への見せ方も、ちょっと物足りなかったかなと感じてしまいました。

ライトについては苦言も書きましたが、それでもエンディングの綺麗な静止(きちんと静止するのって案外難しいのです)と逆光演出は良かったですよ。

新島学園高校「平成たばこ屋奇譚」

  • 作:大嶋昭彦(既成)
  • 演出:秋本花歩

あらすじ

学校でタバコが見つかったため謹慎になってしまったゆき子はお婆さんの家に居た。昔タバコ屋だったお婆さんの家。ゆき子はどうしてタバコを持っていたのか、謹慎から復帰することはできるのだろうか。

感想

タイトルこそ違いますが、2011年上演の「たばこ屋ラプソディー」とほぼ同内容です。

舞台の床に薄い板があり、その上に直接畳(ゴザ)が敷かれていました。それを壁で囲い下手に丸テーブルと高めの椅子3脚、下手にちゃぶ台といった舞台です。新島が部屋を作るときに全体を高く(台に)しないのは初めて見たかもしれない。

最初おばあさん3人の掛け合いから始まり、そのおばあさん3人は花札をしています。老人を老人らしく演じるのはさすがに良くできていまして、安定感があります。立て板に水のごとくおばあさん3人の掛け合いが流れていく様は見事なのですが、見事すぎて逆に入り込みにくいかなと感じてしまいました。するするとセリフが流れていく。心に止まらない、引っかからない……。

おばあさん3人に限ったことではないのですが、基礎演技力が高いだけに「間」の使い方が雑なのがどうにも気になってしまいます。台詞の応酬にも、リアクションとしての「間」があってしかるべきなのに、前の台詞が発声し終えたので次の台詞を発声している感がどうにも否めません。

途中で

  1. おばあさん二人が捌ける
  2. ゆっこが部屋に入る
  3. おばあちゃん去る
  4. 母が入る

という一連のシーンがあるのですが、ここも前の動作が完了したことをきっかけに直後に次の事象が発生します。そんなことあります?

隙間の無い転換は「人物の出入り自体をコメディ時に見せる」場合には成立しますが、そんなシーンでしたか?

良かった点は、おばあさんにお線香を上げると、母とおばあさんがユニゾンして「ありがとう」と言うシーン。あとEDの「デイ・ドリーム・ビリーバー」の生演奏(だと思うけど)ですね。

基礎演技力が高いだけに、今年も(演技力に比べて)演出が物足りなく感じてしまいました。正直なところ、前回(2011年上演)のほうが面白かったかなという印象です。