共愛学園高校「見送る夏」

作:越智 優(既成)

あらすじ・概要

夏休みの宿題をするため早枝子の家に集まった友人3人。そこに居候をしている従姉妹の栞莉がやってくる。おばあちゃんのお葬式に行けないという栞莉は……。

感想

後ろに6尺パネルを数枚立ててその手前に段差を作った畳敷きの居間、左右につながる廊下というイメージ。壁の上手側にクーラーが設置されています。今年はセットが簡素な学校が多かったのですが、結構しっかりしたセットでした。段になってる居間から降りるための階段があったのですが、使いましたっけ?

部屋感を出すために照明をある程度制限していてよかったのですが、反面、夏感との両立は難しいなという感じもしました。例えば、壁に窓があって、そこから強い光が差し込む(もしくは強い光が見える)等あれば、夏感が増したような気もします。SEやすいか(すいか本物っぽかったけどよく用意したな)以外の要素でもう少し夏感が出せなかったのかなと思いました。

ラストシーンで評価が高かったクーラーですが、踏み台を使わずに届く位置にあるのは違和感がありました。あの高さにクーラーがついているお部屋はないですよね。大変だとは思いますが、パネルをもう少し高くしてほしかったところです。

宿題をやるために集まった3人。ワイワイガヤガヤとしたリアリティが非常によくできていて、演技も力を抜いて騒ぐところ、スローテンポのところのメリハリができていました。ただ、最初や途中で「聞かせるべきキーとなるセリフ」のいくつかがガヤガヤし過ぎて聞き取れなかったのが大変もったいないところです。

姉(塔子)が訪ねてきたときの塔子とその他4人の対比(動き)は綺麗でおじぎとか面白かったです。その塔子が「茉莉、来なよ」と言うときの間(止め)の使い方は非常に緊迫感あり良かったのですが、座りながら言わなくてもよかったのではと少し感じました。塔子ですが、もう少し「たまたま通りがかったと嘘を言っている」ことの嘘っぽさが出たらよかったかな。大人っぽく見せる(演じる)ところに意識が行って他に回ってない気がしました。

全体的に

夏休みの宿題というワイワイの中に各人が抱えるものが浮かんでは消える詩のような台本なのですが、その主題というべきものに光を当てることが蔑ろにされた印象があります。そこを強調し忘れると、すごく散漫とした演劇になってしまうし、実際そうなってしまった印象もあります。細部にこだわった演出や個別のシーンはよくよく考えられていたしそこは評価したいのですが、その一方で「物語全体としてどう見せようか(どうすれば伝わるか)」という部分が弱かった感じがします。物語全体から考えると、個別のシーンの扱いや演出も変わってくる(変わるべき)だと感じました。引いた立場で全体を見渡す演出がいなかったのかな。

話自体は単純ですし、いっけん難しい台本にも見えない。でも、個々人の抱えるものをどうやって演じるか、どうやって観客に伝えるか、どうやって表面的なセリフには現れない心情を描き出すか、セリフに現れない登場人物たちの心情は一体何であるかを強く強く意識しないと「ただ宿題をした」だけで終わってしまう台本のように感じます。各シーンはよく演じられていたし、大道具なども気合入っていたのですけどね……。惜しい。

前橋南高校「狩野【kanou】」

作:原澤 毅一(顧問創作)
演出:星野ひかり
※最優秀賞(関東大会へ)、創作脚本賞

あらすじ・概要

東京の山の手にひっそりと暮らす姉妹の物語。お嬢様育ちで親の遺産で過ごす、姉のほぼ言いなりになっている妹。姉の恭子は屋敷を売り払って群馬に引っ越すと言い出すのだが……

感想

狩野って何かと思いましたが、叶姉妹を明らかにモチーフにした非常にバカバカしい台本です。原澤先生の台本は毎度よくわからなかったのですが、今回のでなんとなく楽しみ方がわかったというか本当にバカというか。今回、バカらしいことをすごく真面目そうに格好よさそうにそして舞台芸術風にも作られていますが、その本質は単なる悪ふざけ。下手に上演すれば、ただ呆れられるだけなのですが、すごいクオリティで上演するから成り立ってしまう。

幕が引かれて、椅子が2脚あるだけの非常に簡素な舞台です。椅子1つ1つにサスを当てる、もしくは2つ一緒にサスみたいな照明だけで進めていますが、横から照明をあてて顔が影にならないように配慮することは忘れていません。舞台装置はほぼ何もないのに部屋や屋敷の構造を感じさせる動きがこれまた素晴らしい。

声の演技をはじめ、人物の動きがとてもとても美しく、とても上品な上演となっています。そしていつも通り、スモークを使ったり、飾りサスを使って舞台芸術的なものも見せ、舞を見せ、脈略も何もない。ひどいもの(褒め言葉)です。ラストシーンは姉をリサイクルしてしまうという怖くかつ抽象的な終わり方でした。

全体的に

例年通りの前橋南でしたが、今年は完成度高かったように思います。もう圧倒的。文句なしの最優秀賞です。

新島学園高校「厄介な紙切れ ─バルカン・シンドローム─」

作:大嶋 昭彦(顧問創作)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

放課後の教室、数名の生徒が居るその場所に明日のテスト問題が紛れ込んだ。返すべきか、返さざるべきか。テスト用紙をめぐって繰り広げられるコメディ。

感想

舞台奥側に教壇を置いて、その方向に5列、それぞれの列に机を3つずつ。教室の前半分ということでしょう。それにしては教室の構造が少し謎ではありましたが(出入り口どこ?)。

スタート時。教室で3グループが並列して起こる会話を、その他のグループごとにストップさせて1グループだけ時間軸を進行させて見せるのは面白いなと思いました。実力を見せつてくれるなとも感じましたけど、静止タイミングや微動だにしないあたりはさすがの新島。同時並列を、同時並列にして順序を整理して見せるのも1つの方法ですが、こういうやり方もあるんだなと思いました。

相変わらずの演技力で、声がよく通り、それでいて力みすぎず、それぞれの登場人物がきちんと立っていて、非常に安心して見ていられました。また台詞のタイミングもよく整理されていて、わかり易かった。先生が少し先生っぽくないのは、仕方のない面はありますが、でも新島の実力ならもう少し頑張れますよね?

全体的に

講評の指摘がほぼ台本だったということが象徴してると思うのですが、くだらない話なんだけど演劇としてはきちんとできている。でもくだらない話。

くだららない話=ダメということはもちろんないのですが、盛り上がらない作りだなとは感じました。何も起こらず、終わって何か残るものもなく。最後にもう1つ厄介な紙切れがあればいいという講評の指摘もあり、もっともっとくだらない方向に突き抜けていればまた印象が違ったのかなと思いました。話全体がくだらない割に、細部の構成が真面目なんですよね。

新島らしい完成度の高めの安心できる芝居ではありました。

前橋南高校「箱式hollow」

作:原澤 毅一(顧問既成・「恐ろしい箱」より改題/細部改変らしい)
演出:須藤 瑞己

あらすじ・概要

突然エレベーターに閉じ込められてしまった5人。助けが来る様子もない。どうやったら外に出られるのだろうか。ざわざわと騒いでいるうちに便意を催した武田は閉じ込められたエレベーター内で……。暗転。するとなぜか木村がいなくなり、変なミュージシャンが2人入ってくる。なぜ? どうして? どうやって???

感想

中央部のみのサスで作られた空間。そこに正方形の敷物が置かれています。どうやら閉じ込められているらしい。ここがエレベーターの中というのは後の台詞で分かります。最初は密閉空間での人物交流なのですが、変なミュージシャンが入ってくる当たりからぐちゃぐちゃにしてしまう。よくこんな変哲な設定の台本を思いつくなと感心しました。

基本的にはこの密閉空間におけるドタバタ劇で、前橋南の実力を遺憾なく発揮し、間を充分に取った笑わせる演劇でした。間やメリハリの使い方がとてもうまく、力が入り過ぎない緩んだ演技がとても良くできている。他校はよく見習ったほうがいいと思います。変なミュージシャンが入るまでは、所々間の少ないところはありましたけど、その後はもうバカみたいなやり取りが繰り返され大ウケしてました。ほんとにバカですねー(褒め言葉)。そんな変な人達が増えてきても1人まともな武田が主人公なのですが、とても良い基準となっていました。変な人しか居ないと少しも面白くなくなりますからね。

終盤の火星移住ナンタラとネタバラシがされたとき、武田以外の人物が今どうしているか見せるシーンがありましたが、客席の位置によっては旅行代理店の人間が邪魔で後ろ(その後の人物たち)が見づらかったのでもう少し工夫してほしいところです。

全体的に

これだけの演技と完成度で入賞すらならなかったわけで何だろうなあと考えていましたが、こちらのブログで「『恐ろしさ』『不気味さ』に欠けていた」との指摘があり納得。講評でも指摘されていたのですが、結局何だかわからないという問題があります。ここ何年かの前橋南は理論的解釈を拒む上演だったわけですが、今年は解釈ができる上演になっています。

主人公の武田は意味もなくひどい目に遭わされて、結局最後までひどい目に遭わされて続けるのですが、解釈してみると結局だからどうしたのと。ラストシーンで武田のみを載せたエレベーターがどこかに到着して終わるのですが(それが何処であるかは示されない)、これを火星と思えば酷い話だし、元々乗っていたエレベーターの本来の行き先だと思うとギャグ話。もしくは夢オチみたいな感じ。投げっぱなしすぎ。

結局のところ投げっぱなし過ぎて、全体としてどこに焦点を当てた演劇であり物語なのかすらもわからなくなってしまっている。かといって解釈を拒むほどの(解釈しなくても良いと思わせるほどの)突き抜けた何かがあるわけでもない。「じゃあ何ですか?」という状態になってしまったということでしょう。ですから徹底的に不気味にするのは1つの戦略として正しい。

やや欠点があるものの完成度はとても高かったので、審査基準が違えば入賞していたと思います。

伊勢崎清明高校「暗鬼」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:新井 笙子・今井 楓子
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

高校の八卦掌(気功みたいの)同好会の4人。かかってきた電話と共に急に様子が変わった敦子(アツコ)。それが気になる幼なじみの美紀。それから一週間敦子は学校に来なかった。親の看病で休んでたという敦子と、先日地元のショッピングモールで金髪姿の敦子を観たという同好会の詩織と瞳。そこで見た敦子は本人だったのか。同じ頃、金髪の敦子のものとおぼしきブログが見つかり、そこには夜遊び・男遊びをするブログ主の姿や美紀の中傷が……。

台本の感想

顧問創作脚本。……正直、ちょっと微妙。

カウンセラーの先生がステレオタイプすぎるように感じます。まず台詞がうそ臭い。「~だわ」「~のね」「~わね」。こんな先生本当に居るんでしょうか。スクールカウンセラーってことは少なくとも心理学関連の勉強はしているはずで、それを踏まえると生徒とのコミュニケーションを取り方、立ち位置も他人行儀すぎて不自然。信頼関係を作り、生徒の味方そして仲間になるのが普通じゃないのかと思います。「彼女」とか「あなた」とか他人行儀に言わないで名前で呼びませんか。ブログを見せて「それが敦子である」という方向から提示することもあり得ないし、生徒が言う意見をそう易々と否定するでしょうか。(観ていると否定してばかりです)

最大の問題と感じるのが、後半のカウンセラーの先生が他の先生に「多重人格」について説明してるらしきシーン。あまりにも説明的でこれ本当に必要だったのか。よくある「お勉強しました」状態。後半のクライマックスシーンのテンポと迫力を多大に汚しつつ、「多重人格」についての知識を観客にだけ与えている。舞台上の敦子以外3人よりも詳しい知識を観客にのみ与えることに物語上何の意味があるのか。

つまり、カウンセラーの先生である必要はなかったしそれが大きな問題だと感じました。例えば、担任や生徒指導の先生が事実の究明をしているという立ち位置だったらどうだったでしょうか。先生はあくまで事実を究明しようとしても不思議ではないし、心理学的な詳しい説明を登場人物以上に与えられることもなく、そこにある敦子と(別人格のアスカ)いう存在や物語上の出来事を通して「観客と登場人物」は同時に同じだけ理解する。どこに問題があるのでしょうか。むしろ現状より好ましくないでしょうか。おまけにこうやって削れた時間で、敦子の闇が垣間見えるエピソードを作ることもできる。

「ネットパトロール」についての説明台詞についても見られますが、やや過剰に説明しがちな傾向が作者の方にはあるように感じました。話はすごく良いのですけどね。

感想

黒幕もない、装置もない。広い舞台。八卦掌のシーンからスタート。講評でも指摘されていましたが、この八卦が美しくない。端的にヘタ。「同好会だから下手なんだ」といわれればたしかにそうなのですが、舞台演出としてはやはりある程度上手いほうが良いでしょう。その他の演技にも通じるのですが、動くことに意識が行きすぎて止まる演技ができてないため美しくない。止まるべきときは綺麗に静止してください。ダラーって動くから美しくなくなる。ラストのアスカ(敦子)が去るシーンもです。

4人の人物たちの性格付けや関係性がきちんと配慮され演じられていました。緊張があったのかも知れませんが、少し「間」(反応)が早い。相手の台詞を頭で理解し、そこから言いたいことを組み立てて反応するという様子が感じられません。前の台詞が終わったから次の台詞を言ってると感じられたシーンが多々ありました(特に前半~中盤。後半は良かった)。台詞の強弱はきちんと使い分けられていましたので、余計に惜しく感じられました。あとは少し力を抜いて演技できるとキンキンしなくてよかったでしょう。講評でも指摘されていましたが、身振り手振りも頑張っているんだけどどうにも不自然に感じられました。

もう1つ気になったのが、中盤でカウンセラーの先生と生徒たちが共に客席を向きながら対話するシーン。先生が舞台奥で生徒が舞台手前である意味は何かあったのでしょうか。また、先生と生徒という互いの互いに対する演技のチャンスを殺しているのはどうなのでしょうか。それと、ここでの間もなかったですね。

全体的に

終わってみれば敦子と美紀の物語なのですが、もう少しここに演出上の焦点を当てることはできなかったのでしょうか。終わってみるまで、同好会の4人ないしは「敦子とその他3人」という構図に見えていました。「暗鬼」のタイトルからして敦子の抱えている「闇」みたいなものが物語上とても重要なポイントではあるのですが、結局敦子「闇」が垣間見える部分って何かありましたか? 終盤になるまで敦子の背景が感じられないこと、そしてもう1つ。

敦子に対して揺れている美紀の姿が見えなかった。美紀は敦子の味方でありました。しかし詩織と瞳が帰った後、出てきた敦子から「本当の事を……」と言われたシーンで一時的に怒りました。さっきまで断固として敦子を信じていた美紀はなぜ怒ったのでしょう。真実を言えなかった事情さえも察して信じるのではありませんか。これに説得力をもたせるためには、詩織と瞳の言葉に揺らぎながらも信じようとする美紀が演じられていなければなりませんし、そうでなければこの物語は成り立たないのではないでしょうか。

同様に、ブログを作ってまで敦子を貶めようとした詩織(?)はなぜそこまでしたのでしょう。おそらく、詩織は美紀に対して好意を持っていて、美紀が何よりも敦子を大事にすることに嫉妬していたのですよね。その好意や嫉妬が(台詞以外の)演技や態度に出ていたのか、ここもやはり疑問が残ります。例えば、好意を持つ相手には物理的に近づこうとするし、嫉妬する相手には節々で不満そうになりますよね。現状でもかなり頑張って人物を演じているのですが、もっともっと深く掘り下げて演じてほしいなと感じました。