演出の役割とは?

演出不在の上演や、実質的に顧問の先生が演出している上演が非常に多いのですが、演劇における演出の役割について説明したいと思います。

演出の役割

「それぞれのシーンでどういう風に動いたり、配置したりする人」

ぐらいのイメージの人多いのではないでしょうか。ついでにBGMとか装置の配置とか。全員でアイデアを出し合って演技を付けていくことは大切ですし、 「演出:○○演劇部」というのはまさにそれを示しているのでしょう。しかしこの方法にのみに頼ることは問題があります。

演劇の『演出』という役職は映像分野では『監督』に相当します。つまり、劇に関する最高責任者で、劇に関してすべてを決定できる代わりに面白くなっかたら全部その人の責任になってしまうぐらい重い立場に居るのが『演出』です。脚本を書いた人よりも、どの役者よりも一番偉いのが『演出』なのです。

作家はお話を書くとき「全体の大まかな流れを」決めてから「細部」を決めていきます。同様に、演出とは、台本を素材として全体をどうみせるか、 例えば「悲しい」「怖い」「家族愛」「形式美」「不条理」などの演出テーマを考え、その具体的な方法論を決定します。

  • 「とにかく掛け合いでお腹が捩れるまで楽しませよう」
  • 「どこまでも美しくみせよう」
  • 「適度に笑わせつつ、最後は感動してもろおう」

こんな感じで全体プランを決め、それを踏まえて細部(各シーン)をどう作っていくのが全体目標に対してより効果的か考え、演技を決めていきます。


この「全体から細部におとしこむ」という作業がとてつもなく重用で、にも関わらずこの作業を行えてる(演出が仕事している)上演がとても少ないのです。

「全体から細部へ」という流れが抜けるために、細部(各シーン)の演技や演出だけ行ってしまうと、全体として散漫な(まとまりのない)印象となったり、テーマに対してちぐはぐな印象を受けたり、見た後で「結局何がしたかったんだろうか?」という疑問が生まれたりします。

そして演出は、本来は役者を兼任しないほうがよいのです。あくまで魅せることにこだわって、一歩も二歩も引いた視点から劇全体を眺める必要があります。当事者になってしまうと見えてこない、当事者から一歩引いた視点だからこそ見えてくるものがあるのです。「全体としてどう魅せるか?」ということは、そのシーンを賢明に演じているときは特に忘れてしまうからです。

部員不足もあるなか高校演劇において演出にそこまで求めるのはシビアだとは思います。しかし演出という役職をうまく作れないとしても、『全体としてどうみせるか』『全体の流れ、全体の強弱をどう付けるか』はみんなで常々気にしておいた方が良いでしょう。

メリハリを作ろう

高校演劇でよく見られる失敗のひとつに「全体的に一本調子で劇を演じてしまう」ことがあります。

音楽の話をしましょう。楽譜には「FF」(フォルティッシモ)に始まり「PP」(ピアニッシモ)まで、実に多くの強弱記号があります。いわゆるサビではFFで強く最初や終わりはPPで弱く、またサビに入る直前ではいきなり切り替わらないで徐々に盛り上げていきます(音の強弱以外にもテンポも変化させます)。

市販の楽曲でも、サビがとても心地よく聞こえるのは、サビ以外の部分がサビを引き立てているからに他なりません。試しにサビの部分だけ繰り返し聴いてみれば、あっと言う間に飽きてしまいます。弱く歌う部分があるから強く歌う部分が引き立つし、強く歌う部分があるから弱く歌う部分に惹かれたりするのです。


この音楽の話は、ありとあらゆる創作についての示唆を含んでいます。

演劇も同様です。観ていて「とにかく笑わせよう、盛り上げよう」という意図を感じる上演があっても、逆にそればかりだと段々と辛くなってきます。とにかく元気よくテンポ良くやることが楽しませるコツではありますが、全体から見た「そのシーンの役割」も考えずそればかりをやってしまうと問題があります。どこが重要なシーンで、どこが魅せたいシーンなのか分からなくなってしまうのです。

会話をしていても、大切なことを言うときはトーンを落としてヒソヒソ声になる。そんな風にトーンやテンポに変化を付ければいい。例えば、ずっと笑わせていた上演で、急にテンポやトーンを落とした場面をみせれば、そこでグイっと引き込むことが出来る。 逆にテンポ押さえ気味に話を進めていて、最後の山場に向かってどんどんテンポやら調子をアップさせていけば クライマックスは相当印象的に映る。

ドラマでも映画でも何でも、原理は同じですから観察してみると色々と学ぶところがあります。