桐生南高校「プレシオスの鎖」

作:栗田 綾菜(顧問創作)
演出:滝沢 香月

あらすじ・概要

文化祭を控えた生徒会室。その中でだんだんと居場所を失っていく知夏。文化祭後、やがて知夏は学校に来なくなってしまった……。

感想

下手に机とホワイトボードと椅子。生徒会室という設定らしい。上手に高さ1mちょっとで2m四方ぐらいの台と2方向に階段。ここが知夏の部屋という設定らしい。上手側の舞台は抽象を扱いますよってアピールになってますね。

ラストシーンのすてきな星空の照明と、知夏と明希の魅せる演技と演出。「本当の幸いを見つけるように願うから!」。上演終了後、口元を抑えて涙ぐむ人がいっぱいいたし、多くの人が照明が素敵だったと口々に言っていました。それだけ観客に届いた素敵な上演で、もうそれで十分、何か言う必要はないですよね! ってことにしたいです。それだけ素敵な舞台だということはもう大前提とした上で更にどこをよく出来るかってお話です。

この台本、時間軸がわざとずらしてあり、かつ抽象要素を加えて成立させています。ペラペラという効果音的台詞は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜の本」をめくる音だし、銀河鉄道の夜の中の文章と舞台上の台詞を交互に入れる場面すらもあります。この交互という演出、狙いはわかりますが現状ではどっちつかずの中途半端でイマイチだっと言わざる得ません。別に1行単位で交互に挟まなくても良いし、何行かまとめてぐらいのほうが伝わったと思うんですけどね。他にも台本上にあまり演劇向きではない要請がいくつかあると思われ、そういう部分は思いきって整理したほうが良かったのではないかと感じました。

講評でも指摘されていましたが、机の落書きについて「○ぬ」なのか「○の」なのかって伏せ字の状態で台詞を掛け合うところ。あまりに分かりにくいので、ここはちゃんと「死ぬ」「死の」とか言うべきだったと思います。声の演技が非常にうまかったのですが、反面、動きが雑だった印象を受けてしまいました。またラストシーンで花火を上げるという意味で背面のホリに色を投影するのですが、最初の色が赤で、花火の音が出る前なので「ギョ」っとしてしまいました。赤ホリって夕日じゃなければ、もっぱら血なんですよね。

生徒会室のシーンで文化祭後、生徒会長が感極まって泣くシーンがあるのですがフリが全くない。観客の気持ちがついていかない。それは知夏についても言えて、講評で指摘のあったとおり「舞台上では何も起こっていない」ので、やっぱり観客の気持ちがついていかない。知夏が鎖に繋がれて、それを振りほどいていく演出は面白いのですが、そういう舞台上での出来事の積み重ねが全くないためにとても説明的な表現に映ってしまいます。

タイトルにもなっているプレシオスの鎖というのは宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくるモチーフで、解説をちょっと引用してみます。

「プレシオス」がギリシア語であるとすると、「プレシオスの鎖」が意味するものは、自分にとって身近なものへの執着、親しい者と愛着によってつながっている状態、と考えてよいと思います。ジョバンニにとっては「カムパネルラとどこまでもいっしょに行きたい」という願いがそれにあたります。しかしなぜ「プレシオスの鎖」は、解かれねばならないのか。(中略)

妹のとし子は賢治にとっていちばん近しい・自分に似た存在であったと思われます。それゆえに愛着を感じるのですが、近親者への愛着は、「むかしからのきょうだい」である「みんな」(全ての生き物)の幸福のことを忘れて、自分の愛するものだけが幸福になればよいと祈ることに通じます。

それゆえ、「みんな」の幸福のためには、「プレシオスの鎖」は、解かれねばならない、身近な者への執着は断ち切られねばならない、ということを、ブルカニロ博士は、夜空の「プレシオス」(おそらく賢治が創作した架空の星座でありましょう)に喩えて、ジョバンニに諭したのでありましょう。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」のであります。
Yahoo知恵袋より引用

ここから読み解くに「私の本当の幸いはみんなの本当の幸いではない(みんなの幸せのために、自分は幸せになれない)」ということに気づいた知夏は自殺した。他にどうすることもできなかったから。自分の幸せは逃げること(自殺)でしかなかった。舞台上では何も起きないという欠陥はあるけども、これはとてもおもしろい台本なのです(創作脚本賞かなと思った)。

しかし、どうしたらいいんでしょうね。いっそ生徒会室での文化祭の下りは要らないんじゃないかな。もっと別の、明希と知夏の関係、知夏と世界(日常)の関係を表現できるエピソードをいくつか入れて、全体をもう少しだけ抽象に振って練りなおしたら変わるのかな。

台本の問題に足を引っ張られた感はあるのですが(個人的な話ですが途中完全に飽きてしまいました)、それでも台本の良さを最大限に活かし非常によく作りこまれた舞台で、少し雑な部分は差し引いてもとても素敵でした。ラスト付近でブザーと汽笛を合わせる演出はにくいよね。この台本、練りなおしてもう一回やってくれないかなって本気で思ってます。上演おつかれさま!

新田暁高校「おかしの家」

作:青山 一也(顧問創作)
演出:根岸 祐里

あらすじ・概要

童話作家のさよこおばさんが亡くなった。その遺品整理にやってきた孫娘たち6人。整理していると高価なものが次々と出てくる。こんな高価な遺産、誰が相続するんだろう? そういえば、おばさんには娘が居たらしい……。

感想

全体にパネルを立てた部屋。奥が廊下。上手に勝手口、下手にテーブルと椅子、小物入れ(棚)。ハンガーがあったり、帽子掛けがあったり、和風っぽい家具があったり、ムードのあるいい装置でした。最初薄暗い照明で始まって、人が入ってきて明るくなった時点でほんと魅力的に映りました、期待大。これが掴みってやつなんでしょうね。もっとも講評では「広すぎる」って指摘もありましたけどリビングダイニングならこんなもんかなとも。

力の抜けた良い演技。ただ前半、一部の台詞が聞き取りにくい部分もありましたが、全体的には安心して見られる演技でした。そしてきちんと動きまで性格付けされていて、特に主役の動きがとても美しい(そういう性格の人物)。またそれぞれの動きが全体としてうるさくならないよう、とてもよく整理されている。見る側への配慮がとてもきちんとされている。これだけでもちゃんと演出が仕事していると分かります。人間関係がちゃんと見えてくるのが面白いです。講評で指摘されたとおり「誰と誰が姉妹なのか」とか分かりにくい面はありますが、それって別に早々わからせる必要はないよねって個人的には思います。ただ、それぞれの関係をもっと掘り下げたほうがいいという講評の指摘は一理あります(描写しろというのではなく、それを作りこんだ上で演じてほしいという意味だと思う)。

カギのかかった引き出しを開ける時の開かない演技もうまかった。

さて、その引き出しから「背守(せもり)」が出てくるのですが、これが劇中での重要アイテムになります。この劇には重要なキーワードが3つあって「背守」「童話」「おかしの家」です。……多くありませんか? ラスト付近で「おばさんの童話ってたくさんの人に読まれてるけど、おばさん自身はたった一人のために書いたんじゃないかな」って台詞があり、これが革新に迫る非常に良い台詞なのですが、この後のラストシーンで「おかしの家の話」をしてムードを壊し、最後にサスで強調されるのは童話ではなく背守。ここがちぐはぐなんです

背守は劇中で一番触れられているメインアイテムだと思うのですが、おかしの家は開幕部屋に入った時に一言触れただけ。童話については多少触れられているものの、童話の中身までは触れられていない。お涙頂戴が必ずしも正義ではありませんが「おばさん自身はたった一人のために書いたんじゃないかな」っていうものすごく良い台詞があり、後ひと押しでみんな感動するだろうってムードができてる。にも関わらずそれを活かしきれていない。

大胆な意見ですけども引き出しに入っていたものは(特別な)童話でよくないですか?。その童話をみつけて、あらすじを会話するシーン等があるだけでもラストの印象が違うと思います。童話ならラストシーンでサスを当てた時にも本なのでわかりやすい(背守だと見えません)。もうひとつ問題があって、このお話、おばさんが童話作家であるということのリアリティが薄い。童話作家ってそうそう簡単になれるものではないので確率論としてのリアリティがどうしても小さくなるところに、しかもお金持ちとなると更に疑問が残ってしまいます。お部屋も童話作家っぽくない(演出的配慮としてのリアル)。どういう経緯でなったのか、どういう経緯でお金持ちだったのか、おばさんの思いを浮かび上がらせつつ、おかしの家を絡めてそれを劇中で説明できていれば……というのはちょっと高望みしすぎでしょうか。

ラストシーンといえば、鍵を持ってきた亜紀が部屋から去り際に少し立ち止まり軽く振り返るところとか、もうたまらなかった。言葉ではなく動きで語らせる。本当によく配慮された素敵な演劇をたっぷり楽しめました。クオリティ高かったですよ!

伊勢崎清明高校「あさぎゆめみし」

作:小野里康則(顧問創作)
演出:岩田 里都

あらすじ・概要

中学の遠足登山の最中で谷に落ちてしまった啓太と姫川、そして熊谷。さてどうしよう。

感想

くまむしくらぶの啓太と姫川が成長して中学生になりましたというお話。「くまむしくらぶ」を知ってると「啓太と姫川、変わらないな」と少しニヤニヤできます。虫好きはまだ変わらないのか(苦笑)

人物がステレオタイプなのは相変わらずなのですが、台詞の間が悪いかなという印象です。リアクションがとれてない感じです。全体的にギャグの流れなのにあまり笑いが取れてないのはその辺が原因だと思います。

舞台装置の高いところと、全体を広げて落ちた後の場所を切り替えてるあたりはうまく処理してたなと思います。

説明的な台詞がやや目立ち、BGMもやや説明的で、体を打って動けないはずの人物が気づいたら普通に歩いていたり、色々と細かいところが気になりました。

頑張って演じられていたとは思います。

前橋南高校「狩野【kanou】」

作:原澤 毅一(顧問創作)
演出:星野ひかり
※最優秀賞(関東大会へ)、創作脚本賞

あらすじ・概要

東京の山の手にひっそりと暮らす姉妹の物語。お嬢様育ちで親の遺産で過ごす、姉のほぼ言いなりになっている妹。姉の恭子は屋敷を売り払って群馬に引っ越すと言い出すのだが……

感想

狩野って何かと思いましたが、叶姉妹を明らかにモチーフにした非常にバカバカしい台本です。原澤先生の台本は毎度よくわからなかったのですが、今回のでなんとなく楽しみ方がわかったというか本当にバカというか。今回、バカらしいことをすごく真面目そうに格好よさそうにそして舞台芸術風にも作られていますが、その本質は単なる悪ふざけ。下手に上演すれば、ただ呆れられるだけなのですが、すごいクオリティで上演するから成り立ってしまう。

幕が引かれて、椅子が2脚あるだけの非常に簡素な舞台です。椅子1つ1つにサスを当てる、もしくは2つ一緒にサスみたいな照明だけで進めていますが、横から照明をあてて顔が影にならないように配慮することは忘れていません。舞台装置はほぼ何もないのに部屋や屋敷の構造を感じさせる動きがこれまた素晴らしい。

声の演技をはじめ、人物の動きがとてもとても美しく、とても上品な上演となっています。そしていつも通り、スモークを使ったり、飾りサスを使って舞台芸術的なものも見せ、舞を見せ、脈略も何もない。ひどいもの(褒め言葉)です。ラストシーンは姉をリサイクルしてしまうという怖くかつ抽象的な終わり方でした。

全体的に

例年通りの前橋南でしたが、今年は完成度高かったように思います。もう圧倒的。文句なしの最優秀賞です。

新島学園高校「厄介な紙切れ ─バルカン・シンドローム─」

作:大嶋 昭彦(顧問創作)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

放課後の教室、数名の生徒が居るその場所に明日のテスト問題が紛れ込んだ。返すべきか、返さざるべきか。テスト用紙をめぐって繰り広げられるコメディ。

感想

舞台奥側に教壇を置いて、その方向に5列、それぞれの列に机を3つずつ。教室の前半分ということでしょう。それにしては教室の構造が少し謎ではありましたが(出入り口どこ?)。

スタート時。教室で3グループが並列して起こる会話を、その他のグループごとにストップさせて1グループだけ時間軸を進行させて見せるのは面白いなと思いました。実力を見せつてくれるなとも感じましたけど、静止タイミングや微動だにしないあたりはさすがの新島。同時並列を、同時並列にして順序を整理して見せるのも1つの方法ですが、こういうやり方もあるんだなと思いました。

相変わらずの演技力で、声がよく通り、それでいて力みすぎず、それぞれの登場人物がきちんと立っていて、非常に安心して見ていられました。また台詞のタイミングもよく整理されていて、わかり易かった。先生が少し先生っぽくないのは、仕方のない面はありますが、でも新島の実力ならもう少し頑張れますよね?

全体的に

講評の指摘がほぼ台本だったということが象徴してると思うのですが、くだらない話なんだけど演劇としてはきちんとできている。でもくだらない話。

くだららない話=ダメということはもちろんないのですが、盛り上がらない作りだなとは感じました。何も起こらず、終わって何か残るものもなく。最後にもう1つ厄介な紙切れがあればいいという講評の指摘もあり、もっともっとくだらない方向に突き抜けていればまた印象が違ったのかなと思いました。話全体がくだらない割に、細部の構成が真面目なんですよね。

新島らしい完成度の高めの安心できる芝居ではありました。