共愛学園高校「クレタ島の謎の謎」

脚本:中村 勉
演出:川合 和子

劇の概要

まずダンスに始まって、次に3名が出てメタシアターについて説明を始める。 メタシアター、劇中に関する演劇、演劇とは何であるかを 演劇によって考えていくための演劇。 それについて説明している姿も、はたして演劇なのか?  それとも劇に入る前の説明なのか?

演劇部を舞台に、先輩・後輩の間で演劇についてのやりとりと、 演劇関係の内輪ネタ、分かりやすいところで言えば 「どうせ(コンクールの)優劣なんて審査員の好みだよ」 みたいなものが多数出てくる。 演劇関係者しか笑えないネタに少々疑問を覚えながら、 そんなやりとりが約半分続く。 その後、「エチュードやります」と宣言し、 繰り返しエチュードを上演する。

主観的感想

全体的にテーマとの脈絡が感じられず、 本当に演劇の姿を追求する気があるのかな?  と疑問を感じて迎えたラスト近く、 テーマ付近の内容に触れて終わる。 出演者3人は本当によく(素晴らしく)演じられているにも関わらず、 メタシアターとしては少々軽すぎる印象。

劇中に「クレタ人のパラドックス」という台詞があります。 この言葉は「すべてのクレタ人は嘘つきだ」とクレタ人が言った。 このクレタ人は嘘つきか? 正直者か? という問いです。 類似のものとしては「この文章は間違っている」、 さてこの文章は正しいか、正しくないか? というものがあります。 この手の問題をパラドックス(逆説)と言います。 演劇というのは、現実を描いた虚構だし、 虚構なのに舞台の上で実際に起こっている現実です。 このパラドックスを、クレタ人のパラドックスに引っかけて 『演劇』の姿に迫るのが本来の狙いかなと感じました。

余談ですが、矛盾を追求し、 矛盾が抱える問題を分析することで真の姿が見えてくるというのは、 1900年代始め頃、数学(や哲学)の世界でよくやられた手法で、 クレタ人のパラドックスもこの文脈で出てきます。 背理法というのものをご存じでしょうか?  矛盾を導き出す事で、ある事実を証明する方法。 数学の世界で「どんな集合よりも大きな集合が存在する」って証明が 丁度この背理法を用いており、 矛盾によって更に大きな世界の存在を示しています。 そして、この証明法をほんのちょっと変えるだけでパラドックスが得られます。

完全な私情ですが、これを演劇に類推して 「演劇の中から、外の世界(現実)」を描けたならば、と残念に思います。 テーマに対する理解・説明がやや不足した印象を受けてました。 しかしながら、劇としての完成度は高い作品です。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 最初と最後に演じていたダンスが、 そこら辺のダンス部を超える完成度で凄かった。
  • 演じてる方は「メタシアター」が何であるか本当に分かってやっているのか?  観ている方はなんだか分からなかった。

桐生南高校「アリスは筋書きの中で踊る」

脚本:青山 一也(顧問創作)
演出:藍原 宏心

劇の概要

ある少女が学校へ。 気がつくと、そこはなぜか不思議の国で、 その少女はみんなから「アリス」と呼ばれる。 アリスと呼ばれる少女は、驚き職員室へ向かうのだが……。

主観的感想

身も蓋もなく言ってしまえば、 導入とラストの方で掛かるテープ(スピーカーの音)にあるように 「周りの大人から、こうあるようにと求められ、そう演じ続ける少女」の物語。 不思議の国という舞台を用意する事で、直接的な明言を避けながら構成されています。 ただ、その不思議の国という舞台の中にテーマ性が埋没した感じがあって、 もっと現実的な問題に関する事件を劇中で起こしても良かったのかな、と少し感じました。 実際にアリスと呼ばれる少女が筋書きの中で動かされつつ、そこに抵抗を覚える。 在り来りですが、こういう構成の方か話が見えやすい。 とはいえ、創作脚本としては全体の中でもかなりよく出来ていると感じました。

演技・演出面では、全体的に無難すぎる印象がありました。 もっと突出した点をみせても良かったのではないでしょうか。 本に対する(演じ手の)理解が甘い感じもしました。 ラストシーンは印象に残すよう演出されていましたが、 やはり全体的にあと一歩踏み込んで欲しかった。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 背面にある大きな衝立。扉の開け閉めは良かったのだけど、 閉まるときにバタンという音がしてしまうのはもったいなかった。 スポンジ等を使ってなんとかしてほかった。
  • よくまとめられ丁寧に作られているが、もう一つ何か「欲」のようなものがあれば。