新島学園高校「そうさくⅢ」

  • 作・潤色:大嶋昭彦(既成/顧問)
  • 演出:渡邉 宥介
  • 優秀賞

あらすじ・概要

舞台は演劇部部室。創立70周年記念祭まで1週間。上演する台本がまだ決まっていない。顧問は風邪で早退して逃げられた。上演内容の提出を求めてくる生徒会長と副会長。急いで台本を作らなければならなくなった部員たちは……。

感想

2009年の上演時は最優秀賞。設定は60周年で今回は70周年。今回「Ⅲ」なので多分「2」もあったんだと思いますが、どうなんでしょう。

舞台ですが、黒幕を引いて部屋の2面の壁を用意しています。下手から衣装かけ(衣装あり)、コルクボード、ブラインド(後ろがすけし通る人や空の色が見える)、スチールラック、上手面には出入り口、部の標語、そしてなぜか赤いハシゴ。

県大会常連だけあって安定した作りと演技です。服を青、緑、赤で分けたり、人物を分かりやすくする配慮もしてあります。舞台装置は例年どおり作り込んでます。ブラインド越しの空色を「青」「オレンジ」「白」と変えて時間を表現するのもにくいです。

基本はコメディ劇で、随所で笑ったりできる楽しい舞台でした。本当に基礎的な演技力の高さを感じさせます。生徒会副会長の女子の動きや立ち振舞がキリってしていて、よく性格出てて面白かったです。漂う「みんなとは違うんだ、巻き込まれてるだけなんだ」感。

なんで最優秀賞じゃないんだとなると、コメディにしてはそこまで笑えなかったことでしょうか。この台本って中身のほぼないコメディだけの本なのですが、コメディ演出って難しいんですよね。例え間やタイミングが完璧でも、動きが伴わないと面白くない。キャラ立ちも必要だったり緩急や裏切りがちゃんとできてないと面白くない。

全体的にエネルギッシュで細かい完成度の高い上演でした。おつかれさまでした。

12/2追記

ようやく思い出したのですが、2009年の上演ではコメディの中でも部長の想いに焦点が当たっていて、「状況に翻弄される部長」という主役としての存在感があり、また人物も主役として立派に立っていました。しかし、今回の上演では台本が変更された影響もあるかと思いますが、部長が主役ではなく一部員という立場(演出)になり、コメディ色が強くなっています。

つまり「状況に翻弄される部長たち」という主軸が「状況に翻弄されるコメディ」に置き換わり主軸がどこかに行ってしまいました。しかしながら「爆発力があり、とんでもなく面白い」というほどコメディに振り切ってもいない。とすると、結局この上演は「笑えたは笑えたけど何だったんだろう」となってしまう。そこが能力はあるのに最優秀賞に至らなかった原因かなと感じました。

台本を読み込み、観客に何を楽しんでもらうのか。何を観客に表現するのか。それをもっと徹底的に突き詰めていく(議論する)ことが新島には必要なのかもしれません。

三条東高校「例えばジャニスのソウルフルナンバー」

脚本:大島 昭彦
演出:藤石 愛巳
※優秀賞(全国フェスティバル)

あらすじと概要

夢の世界と現実の世界と。夢の世界にいるもう一人の僕。そんな抽象的なイメージの中で現実と夢を行き来しながら描かれるものは。

主観的感想

非常に難しい抽象劇です。夢の中の僕と現実の僕。現実のフラストレーションが夢に昇華され、夢での出来事がまた現実に跳ね返る。主人公(高校生?)の日々の思いのかけらを拾い上げ描いていく作品なんだと思います。夢の中で工事現場監督かと思えば、学校の先生だったり、クラスメイトの(武者小路)祐子と親しくなったと思ったら夢だったり……。

優秀賞(フェスティバル)とのことですが、残念ながらとてもそうは感じられませんでした。全体に早口であり、間が悪く、テンポが一定でメリハリがない。リアクション(動作)もメリハリがない。そういう演技の基本や細かい嘘をきちんと積み上げてこそ、夢とも現実ともおぼつかない独特の空間にリアリティ(というと変ですが説得力とでもいいましょうか)が生まれるのですが、そこがないがしろにされ、劇空間としての成立が失敗したのではないかと思います。

台本を解釈なく(または解釈不足で)演じたという印象が非常に強く、台詞が役者を置いてきぼりにして一人歩きし、テーマを描ききれなかったという印象がぬぐえません。真に迫らないんですよね。主人公の「僕」が最初と最後で変わったんだということを、僕の内面として魅せてほしかったと思います。

細かい点

  • 演技力にかなりの疑問を感じます。間などはそうなのてすが、「うわぁ…、なんで武者小路さんがここにいるわけ」「花火大会の日に街の巡回なんてつまわらいわね」など、説明台詞をやや棒読みした感じがあり、台詞を書き換えたり内面から言葉を発するという努力が不足した印象があります。気持ちで演じてください。その言葉はどういう心の動きから出でいるのか考えることを、もっともっと大切にしてください(詳しくは資料室を参照してください)。
  • 主人公僕と祐子が会話しているシーンを、他のクラスメイトが覗き見するというシーンがあるのですが、主人公と祐子が親しく会話しているという感じにはどうにも見えません。ほとんど動きなく向き合って楽しい会話なんて現実にはあまりありません(向き合うというのは、基本として敵対の関係です)。親しく話すということをなんとなくで演じてませんか? 自分が親しく談笑するときどんな感じですか? あのシーンで実際に心の中で言葉を交わしてみましたか? 言葉を交わしてみてから、その言葉を(舞台上で)省略するというプロセスを取りましたか?
  • 最後の方で主人公僕と祐子のキスシーンがあるんですが、まるきり嘘です。キスに至るということは、本当に好きになった結果でなければならないのです。役作りというのは、役の中で相手を好きになることから始まります。ドラマで共演した男女が現実でも恋愛してしまうのは、ドラマの中で本当に好きになる(という役作りをする)ので、それが現実に影響して恋愛してしまうのです。役をきちんと作るということは、こういう内面を作ることを意味します。厳しいかも知れませんが、少なくとも舞台の上に居るときは本当に好きにならなければいけないのですよ。
  • 工事現場のSEが舞台にマッチしておらず説明的でうるさい印象を受けました。電車のSEもしつこかったように思います。

審査員の講評

【担当】オーハシヨースケ さん
  • ソウルメイキング(河合隼雄の言葉)ドラマだったと思う。魂にまつわる物語を現代人は失っているというが、まさに神話(個人の神話?)についての話(編注:記憶曖昧)。
  • ひとつひとつの言葉を味わうということをよくやっていたと思う。
  • 本音と建て前、現実と非現実をうまく演じ分けていた。
  • ジャニスジャップリンの歌が途中で終わってしまって、もっと聞いていたかった。
  • 舞台装置は左右のバランスを考えて使うともっとよかったと思う。やや右に寄っていた。