桐生南高校「笠懸野」

作:伊藤 藍(顧問創作)
演出:新井里実、春山奈々
※優秀賞(次点校)

あらすじ・概要

マラソンで3位となってしまって居場所を失った男が河原に。そこに魔女のような女が現れ……。ついで同級生たちが現れるがそのとき男の姿はなく……。

台本の感想

河原での出来事と河原の記憶としての回想。笠懸地方で昔あった出来事の再現。男と同級生たちの関係も、何も説明しないまま進む舞台進行。そして最後に、男が自殺したことが明かされる。着想や構成は面白いなと思いますが、講評でも指摘があったとおり(顧問創作なので言い淀んでましたが)全体の構成から見ると個々の回想エピソードが完全に浮いてしまっていて正直なところ「要らないよね?」としかならなかった。散漫な話という印象が拭えません。

男と魔女の関係(会話)で進めてしまったほうがよっぽどすっきりするし、もっと男の深い部分を描くこともできたんじゃないかなとしか思えませんでした。マラソンで自殺は円谷幸吉がモチーフなんでしょうか。

感想

舞台の端から端まで河原の土手が表現され、奥にホリ。手前への階段が2つ。河原や手前の地面全体に落ち葉が置かれ(河原には落ち葉の絵と落ち葉を貼り付けて)いました。今年大掛かりな装置を用意したところは少なかったので、よく作ったなと感じました。でも土手にしては高さが1mちょっとしかなく傾斜が緩いので低く感じてます。仕方のないところですけど。

女のしわがれた声の演技うまかったですね。あと田中正造とか、そのあたりの回想エピソードも非常によく演じられていました。ただ人物によって滑舌や声に力が入りすぎたり、複数人で同じ台詞のところは声がずれたりして聞き取りにくかった気はします。これが現代の言葉なら問題なかったのでしょうが、古い言葉なので通常以上にきっちり聞こえないと分からないのですよね。

土手が紅葉色でホリも紅葉色にしているシーンがあるのですが、綺麗と言うよりも色が一緒で混ざっちゃってる印象が強かったので、もう少しホリの色味を変えるとかできなかったのでしょう。雷の演出は上手かったと思います。あと舞台下手の巨大なブランコとその音は非常に良く効果的に使われていました。

他方、水音のSEがループの繋ぎ目がハッキリ分かってしまい、しかもループの間隔が短いので気になってしょうがなかった。PCでフリーのWave編集ソフトを使えばこの手のループは簡単に処理できますし、別の音源を探してくることもできたと思うので(川音にしては土手の大きさと乖離している)絶対的にどうにかすべきだったでしょう。

全体的に

演技や芝居の実力はあるし、よく演じられていたのに台本が少しもったいなかったかなという印象はあります。この台本ならこうなるよねという感じです。

ただまあ、台本が散漫なところを散漫にならないように演出する配慮は可能だったかもしれません。スポットを当てるとしたら男なのかな。男とその同級生という関係性でもよかったかもしれない。やっぱり台本を直さないと難しいところがありますけど。

新島学園高校「厄介な紙切れ ─バルカン・シンドローム─」

作:大嶋 昭彦(顧問創作)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

放課後の教室、数名の生徒が居るその場所に明日のテスト問題が紛れ込んだ。返すべきか、返さざるべきか。テスト用紙をめぐって繰り広げられるコメディ。

感想

舞台奥側に教壇を置いて、その方向に5列、それぞれの列に机を3つずつ。教室の前半分ということでしょう。それにしては教室の構造が少し謎ではありましたが(出入り口どこ?)。

スタート時。教室で3グループが並列して起こる会話を、その他のグループごとにストップさせて1グループだけ時間軸を進行させて見せるのは面白いなと思いました。実力を見せつてくれるなとも感じましたけど、静止タイミングや微動だにしないあたりはさすがの新島。同時並列を、同時並列にして順序を整理して見せるのも1つの方法ですが、こういうやり方もあるんだなと思いました。

相変わらずの演技力で、声がよく通り、それでいて力みすぎず、それぞれの登場人物がきちんと立っていて、非常に安心して見ていられました。また台詞のタイミングもよく整理されていて、わかり易かった。先生が少し先生っぽくないのは、仕方のない面はありますが、でも新島の実力ならもう少し頑張れますよね?

全体的に

講評の指摘がほぼ台本だったということが象徴してると思うのですが、くだらない話なんだけど演劇としてはきちんとできている。でもくだらない話。

くだららない話=ダメということはもちろんないのですが、盛り上がらない作りだなとは感じました。何も起こらず、終わって何か残るものもなく。最後にもう1つ厄介な紙切れがあればいいという講評の指摘もあり、もっともっとくだらない方向に突き抜けていればまた印象が違ったのかなと思いました。話全体がくだらない割に、細部の構成が真面目なんですよね。

新島らしい完成度の高めの安心できる芝居ではありました。

伊勢崎清明高校「暗鬼」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:新井 笙子・今井 楓子
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

高校の八卦掌(気功みたいの)同好会の4人。かかってきた電話と共に急に様子が変わった敦子(アツコ)。それが気になる幼なじみの美紀。それから一週間敦子は学校に来なかった。親の看病で休んでたという敦子と、先日地元のショッピングモールで金髪姿の敦子を観たという同好会の詩織と瞳。そこで見た敦子は本人だったのか。同じ頃、金髪の敦子のものとおぼしきブログが見つかり、そこには夜遊び・男遊びをするブログ主の姿や美紀の中傷が……。

台本の感想

顧問創作脚本。……正直、ちょっと微妙。

カウンセラーの先生がステレオタイプすぎるように感じます。まず台詞がうそ臭い。「~だわ」「~のね」「~わね」。こんな先生本当に居るんでしょうか。スクールカウンセラーってことは少なくとも心理学関連の勉強はしているはずで、それを踏まえると生徒とのコミュニケーションを取り方、立ち位置も他人行儀すぎて不自然。信頼関係を作り、生徒の味方そして仲間になるのが普通じゃないのかと思います。「彼女」とか「あなた」とか他人行儀に言わないで名前で呼びませんか。ブログを見せて「それが敦子である」という方向から提示することもあり得ないし、生徒が言う意見をそう易々と否定するでしょうか。(観ていると否定してばかりです)

最大の問題と感じるのが、後半のカウンセラーの先生が他の先生に「多重人格」について説明してるらしきシーン。あまりにも説明的でこれ本当に必要だったのか。よくある「お勉強しました」状態。後半のクライマックスシーンのテンポと迫力を多大に汚しつつ、「多重人格」についての知識を観客にだけ与えている。舞台上の敦子以外3人よりも詳しい知識を観客にのみ与えることに物語上何の意味があるのか。

つまり、カウンセラーの先生である必要はなかったしそれが大きな問題だと感じました。例えば、担任や生徒指導の先生が事実の究明をしているという立ち位置だったらどうだったでしょうか。先生はあくまで事実を究明しようとしても不思議ではないし、心理学的な詳しい説明を登場人物以上に与えられることもなく、そこにある敦子と(別人格のアスカ)いう存在や物語上の出来事を通して「観客と登場人物」は同時に同じだけ理解する。どこに問題があるのでしょうか。むしろ現状より好ましくないでしょうか。おまけにこうやって削れた時間で、敦子の闇が垣間見えるエピソードを作ることもできる。

「ネットパトロール」についての説明台詞についても見られますが、やや過剰に説明しがちな傾向が作者の方にはあるように感じました。話はすごく良いのですけどね。

感想

黒幕もない、装置もない。広い舞台。八卦掌のシーンからスタート。講評でも指摘されていましたが、この八卦が美しくない。端的にヘタ。「同好会だから下手なんだ」といわれればたしかにそうなのですが、舞台演出としてはやはりある程度上手いほうが良いでしょう。その他の演技にも通じるのですが、動くことに意識が行きすぎて止まる演技ができてないため美しくない。止まるべきときは綺麗に静止してください。ダラーって動くから美しくなくなる。ラストのアスカ(敦子)が去るシーンもです。

4人の人物たちの性格付けや関係性がきちんと配慮され演じられていました。緊張があったのかも知れませんが、少し「間」(反応)が早い。相手の台詞を頭で理解し、そこから言いたいことを組み立てて反応するという様子が感じられません。前の台詞が終わったから次の台詞を言ってると感じられたシーンが多々ありました(特に前半~中盤。後半は良かった)。台詞の強弱はきちんと使い分けられていましたので、余計に惜しく感じられました。あとは少し力を抜いて演技できるとキンキンしなくてよかったでしょう。講評でも指摘されていましたが、身振り手振りも頑張っているんだけどどうにも不自然に感じられました。

もう1つ気になったのが、中盤でカウンセラーの先生と生徒たちが共に客席を向きながら対話するシーン。先生が舞台奥で生徒が舞台手前である意味は何かあったのでしょうか。また、先生と生徒という互いの互いに対する演技のチャンスを殺しているのはどうなのでしょうか。それと、ここでの間もなかったですね。

全体的に

終わってみれば敦子と美紀の物語なのですが、もう少しここに演出上の焦点を当てることはできなかったのでしょうか。終わってみるまで、同好会の4人ないしは「敦子とその他3人」という構図に見えていました。「暗鬼」のタイトルからして敦子の抱えている「闇」みたいなものが物語上とても重要なポイントではあるのですが、結局敦子「闇」が垣間見える部分って何かありましたか? 終盤になるまで敦子の背景が感じられないこと、そしてもう1つ。

敦子に対して揺れている美紀の姿が見えなかった。美紀は敦子の味方でありました。しかし詩織と瞳が帰った後、出てきた敦子から「本当の事を……」と言われたシーンで一時的に怒りました。さっきまで断固として敦子を信じていた美紀はなぜ怒ったのでしょう。真実を言えなかった事情さえも察して信じるのではありませんか。これに説得力をもたせるためには、詩織と瞳の言葉に揺らぎながらも信じようとする美紀が演じられていなければなりませんし、そうでなければこの物語は成り立たないのではないでしょうか。

同様に、ブログを作ってまで敦子を貶めようとした詩織(?)はなぜそこまでしたのでしょう。おそらく、詩織は美紀に対して好意を持っていて、美紀が何よりも敦子を大事にすることに嫉妬していたのですよね。その好意や嫉妬が(台詞以外の)演技や態度に出ていたのか、ここもやはり疑問が残ります。例えば、好意を持つ相手には物理的に近づこうとするし、嫉妬する相手には節々で不満そうになりますよね。現状でもかなり頑張って人物を演じているのですが、もっともっと深く掘り下げて演じてほしいなと感じました。

新島学園高校「女将さんのバラード」

原案:安藤里紗(生徒)
作:大嶋昭彦(顧問創作)
※優秀賞(次点校)

あらすじ・概要

卒業式の夜。けいおん部の3人は居酒屋をやっている純子の家に謝恩会後の2次会として集まった。遅れてやってきたエリカは彼氏と別れるという。エリカは女将さん(純子の母)に元旦那(早川)とのなれそめや別れた理由を尋ね始めた。

感想

高さ8尺(6尺ではない)のパネルで囲まれた居酒屋。左手にカウンター中央左にテーブル、中央に入り口、右手にこたつ席。一番右にトイレ。壁にはビールのポスターやらメニューやらがあり、テーブルには箸やら小さいメニューやらが置かれ、ちょうちん、神棚、カレンダー等などすばらしく作り込まれた居酒屋の舞台装置。新島は部屋を作らせたら本当にうまい。

今年も生徒原案、顧問創作という好感の持てる構成。けいおん部とかの設定は生徒でしょうか。いつもながらに非常に完成度の高い台本で、創作脚本賞あげてもいいんじゃないかといつも思うのですが、完成度より着想の方が評価されるためたまにしか脚本賞にならない。

と脱線しましたが、話自体が面白いところに演技がまたすばらしく、とても面白く楽しめました。具体的には台詞に対するリアクションがきちんとできていて、そのリアクション自体に相手に対する気持ちや人物個々の性格がよく表れていました。3人のうち1人が早川を好いてない態度や距離をきちんと演じてたり。全体的によかったのですが、特にうまかったなあと思うのは最後の女将さんと早川(元夫)がぎこちなく会話するシーンで、言葉以上に視線や態度で会話してるんですよね。二人の距離も近すぎず遠すぎずちゃんと意味を持っている。人物距離感と心の距離感もよく考えられていて、静と動をきちんと明確に使い分けている。1行の台詞の中ですらも、トーンの変化、声の強弱、メリハリがきちんとなされていて、ゆるみの演技もきちんとできている。本当に隙がない。

演出面でよかったなと思ったのは女将さんが若い頃を回想するシーンでは声のトーンを変え、早川の髪型や髪の量をも年代を追うに連れ相応に変化させている。見落としがちな細かいところをきちんと配慮することで、大人や時間の流れを的確に表現していて、講評では否定的に言われていたけど若女将と考えれば別段不自然じゃなかったし、むしろとても自然に演じられていたと思います。光の明るさと心情をリンクさせていたところもうまい処理だと感じました。

非常に細かいことですが、缶ビールは底に穴を空けることで中身を空にしておくという処理がされていたため、序盤のシーンでは「空っぽな音」がしてしまったのが残念でした。ラストシーンではそれがなかったので、多分演者も気付いてると思いますが一応指摘。サイダーも空っぽさが少し出てしまったかな。ステージの制約でなければ水入れておいてもよかったように思います(そういう演出を好まないのは知ってますが(苦笑))。

これも細かいことですが、回想シーンでバーのマスターに麻生首相のかぶりものを被せたところはもう出オチで凄まじかったけど、その声を卒業生3人の中で当ててしまうという発想はうまかった。

上演時間が4分ぐらい余っていたので「笑い待ち」してもよかったんじゃないかと。ドッとうけているときに流してしまうと台詞は聞こえなくなってしまうし勿体ない。

全体的に

見事でした。「小難しい劇さえしなければ、新島敵なしか」と思ったものの、この上演で関東いけないのかと結果をきいて恐ろしくも感じました(詳しくは全体感想にて)。

面白かったし、ラストに至る流れも不自然なところはない(ラストを取って付けた感もない)。細部まで演出されていて、何が足りなかったかという逆思考を敢えてするなら、早川と女将さんの関係にエリカが尋ね始めるより前からスポットがあたって、「女将さんと早川の関係」が「エリカとその彼」の関係と対比され、もう少し目立って表現されていればなあというところか。大人と高校生のコントラストとか、近くて遠い存在という距離感とか、純子の父や母に対する気持ちの表現とか。

とはいえ、別に現状の流れでも(個人的には)不満ないんだよなあ。とても面白かった。

伊勢崎清明高校「くまむしくらぶ」

作:小野里康則(顧問/既成)
演出:入山あやめ
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

くまむし。絶対0度に耐え、放射能にも耐え、宇宙でも死なない史上最強の生物くまむし。そんな「くまむし」になりたいという啓太はなぜくまむしになりたいのだろうか。

2年前の県大会リベンジ上演と言えるかも。

感想

舞台中央暗幕で仕切られた隙間に置かれた装置。今回は風呂場と分かりました。手前が部屋でパントマイムでガラスがあることをちゃんと表現されている。この辺からして2年前とは見違える演劇。ただ細かいところだけど風呂場の装置の台座たるベニア台が向きだしで見えたのだけはマイナス。あれぐらい簡単に隠せるんだから隠してください(苦笑)

さて、本当に2年前とは見違える演劇で、仁兄貴をはじめとして動きによる演技オーバーリアクション(台詞のメリハリ)がものすごく意識されている。その一貫としてクマムシダンサーズ(パンフ表記)によるクマムシの体による表現。長年意味もなく踊る学校を多数観ていて辟易していますが、踊り動くことでクマムシを表現するというとても重要な役割を担当し、暗転回数が多めという台本の欠点をおなじくダンサーズをうまく使って「場転自体を見せる(見せ物にする)」ことで、劇が散漫になることを防いでいる。シナリオ上避けられない「くまむし」に対する説明セリフすらもクマムシダンサーズによる体表現で見せることに成功している。非常に秀逸な演出プランで、去年の上演と比べても見違える進化をしたと言えます。見事。

他にも、教室のシーンを椅子だけで表現し椅子の下にランドセルを置くという割り切った演出もうまかったし、ラストシーンで「くまむしが顕微鏡に寄った状態で啓太に手を振った場面」が大きな意味のある見事な演出だった。全体的に演出が非常によく仕事をしており、ひとつひとつ書ききれないぐらいです。それに応えた演者も見事。

褒めてばかりも何なので。動作やオーバーな演技をうまく活用していた割に、笑いを取るシーンで「止め」をあまり使ってなかったのが少し勿体なく感じました。ここ止めれば面白いのになあってところがいくつか。それと若干オーバーアクションが少々強すぎたかも。アクションを弱くしろと言ってるのではなく、シリアスシーンの仁・母・啓太をもっと弱く演出(ゆるんだ演技)したら全体を通してより印象がよくなったと思います。

全体的に

2年前に指摘したことがほぼクリアされ、姫川が際立たなくなったのは個人的には少々残念だけども劇としてはこれが正解ですし、KYの啓太ではじまりKYの啓太で終わっているし、BGMも適切に使われていて目立ちすぎることなく、困ったなあ。書くことがない(苦笑)

無理矢理突っ込むなら、啓太は姫川さんに振られたぐらいでクマムシ目指すなよってことでその説得力の薄さであり、啓太のKYに対する悩みがさほどリアルに感じられないことであるのだけど、子供の悩みってこんなものだしね。

演出がきちんと仕事していることがよくわかる上演でした。面白かった。関東大会での健闘を祈ります。