新島学園高校「そうさく!」

原案:安部 史恵(生徒/創作)
脚本:大島 昭彦(顧問/創作)
演出:(表記なし)
※最優秀賞(関東大会へ) ※4年連続の関東大会

あらすじ・概要

舞台は演劇部部室。創立60周年記念祭まで1週間。そこで上演する台本がまだ決まっていない。今日までに書いてくると言った顧問は風邪で失踪。上演内容の提出を求めてくる生徒会長と副会長。どうする、どうなる!? という状況で、大急ぎで台本を作っていく。演劇部員4人ドタバタコメディ。

感想

舞台中央に対して2辺の壁を作り、右側に出入り口、左手側窓(そしてブラインド越しに奥の風景)、その他椅子・机・タンス・はしご・ポスターなどなど整理されつつもものがたくさんあるという部室のイメージを作っていました。新島は、この辺お手のものですね。いい味を出していたのが左手側のブラインドで、去っていく人影ややってくる人影、先に行った先輩を少し駆け足で追いかける後輩の姿などなど非常に効果的に使用していました。さすがです。こういう細かい作り込みのクオリティは毎度ながら感服させられます。

話は台本がない、じゃあ大急ぎで台本を作ろうというドタバタで、大きな伏線も壮大なテーマもありませんが、それがまた新島には合っているような気がします。コメディ的なかけあい(特に部員同士のかけあいの演技)を得意とし複雑な台本解釈が苦手な傾向がありますので、小難しくなくていいのではないかと。それだけに物語的なところがなく、終盤の「もう部活も終わりかあ~」みたいな部長の呟きで無理矢理にオチを付けた印象があり多少の物足りなさはあるかもしれません。

他校と比べると、役者全員の基礎的な演技力が高いことがよく分かります。比較的明るい人物像ならば、すっとそこに存在できる、すっと演じることができるのはさすがです。発声も非常によく(これも基礎訓練でしょう)、それでいて抜き(力を抜いた演技)ができている点は他の追従を許さないところです。そういう基礎的な努力の積み重ねがとても響くのだなあと改めて感じさせてもらいました。舞台や動きなどの作りこみもさすがのものです。

今回は特に「よく出来ていました」以上に感想が難しいです。良くも悪くも「新島ってこういう劇団だよね」という感じですから、あとは好みなんだと思います。4年連続の関東大会出場という県大会突破の常連ですが、だんだん他校の実力もあがっているので他校が骨のある本と演出で勝負してきたときには分からなくなりますね。安定感のある新島か荒削りでも骨のある舞台かとなりますので、基礎的な演技力で現在新島に勝る学校はないものの、物語解釈&演出力勝負となれば分からなくなってくるでしょう(もっとも、隙のない演出という意味では新島は凄まじいものがあります)。仮にそうなった場合、新島は(この路線だと)一昨年のような筋のある台本か爆発力で勝負するしかないはずですが、結局はその爆発力ってのは演出の力なのかなあとは感じます。以上完全に妄想ですが(汗)

とても安心して楽しめる演劇でした。よかった。

新島学園高校「サボリバ」

作:大嶋昭彦(顧問創作)
演出:(表記なし)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

先生の居ない保健室にやってきた水谷(女子生徒)は生徒会長に立候補していた。選挙は6時間目。そのことで悩んでいると、保健室の奥から辻(女子生徒)がでてきた。二人はやがて選挙対策を考えはじめ…。

顧問の先生のところに上演までの状況が掲載されています。台本完成が半月ぐらい前みたいです。

感想

幕開いて、舞台上に見事なまでの保健室。左手のパネルにポスターと掛け軸。病院や保健室でよく見かける白い布貼りのしきいが在り、続いて中央奥に白いパネルで前面。右手に少し空間があり、右手に白パネル。正面には入り口の扉(白い扉のガラス窓)があり、左手手前にスチールラック(教卓)、中央にピンクのビニル貼り長椅子2つ、右手に身長計、座高計、体重計。相変わらず見事な舞台の作り込み。さすがでした。一目で保健室と分かりますし、3面をパネルで囲んできちんと保健室と分かります。だだっ広くもなっていません。

物語は、先生にそそのかされて生徒会長に立候補することになった水谷と、それにアドバイスをする辻から成ります。二人とも、声のトーンや強弱の使い分けがうまく、さすがだなと感じました。日々の練習の成果なのでしょうか。気持ちを入れて、役に入って演じるというのは気付いてしまえば簡単なことなのですが、それができるには結構難しい。あと、辻役の声いいなーとか思ってました。ただ、台詞がやや矢継ぎ早に出てくるので、もう少し間やトーンを付けてもいいんじゃないかと感じるシーンがいくつもありました(特に前半)。全体的によく演じられているだけに、もう一歩という部分が逆に目立ってしまった。たぶん練習すれば自ずと直るのでしょう。上演時間が5分残った点からも考えて本番の焦りがあったのでしょうか。

とても高い完成度で出来ていた一方、それにしてはオチなかった。水谷に会ったことで「辻が保健室から外に出た」という非常に素朴な物語なのですが(良い意味で)、辻という生徒が保健室から今まで出られなかったということが全然描かれておらず、演じ手からもそれが伝わらなかった。どうして辻は保健室に引きこもっていたの? 辻は保健室の「外の世界」をどう感じていたの、何を感じていたの? 残念ながら、劇全体からそういう思慮がまったく感じられませんでした。保健室登校である辻の持つダークな部分、影の部分。それがないと「辻さん保健室から出られてよかったね」というラストシーンにならない(説得力を持ち得ない)。演じ手の問題が講評で指摘されていましたが、台本の要因も大きいと思います。

台本について

この本は難産だったようですが、それを感じさせない完成度ではあります。しかしながら、上で指摘したオチない致命的な問題もあります。ギャグや軽快なやりとりに傾倒したなあという感じですね。本を書いていると、よくあることですが、最初に戻って修正している暇がなかったのでしょうか。

関係ない話ですが、この演劇を観ている最中、辻の正体は「対立候補である姫川なんだろな」と思っていました。ベタな展開ですが、それもありだったんじゃないかと思います。

全体的に

やっぱり新島の唯一の弱点は(例年通り)物語全体として何を見せるかという配慮の不足なんだなあと感じます。生徒のどなたかでもこれを読んでいてくだされば嬉しいのですが(毎年新島の感想を書くときは特にこの想いが強くあります)。物語全体として何を観客に表現するのか、もっとよく考えてみてください。こちらも参考までに読んで頂ければ幸い。

本作とは少し離れてしまいますが、1日目上演の、同じ保健室が舞台の高崎東高校とまったく同じ構造、そしてまったく同じ問題を持っている劇ということは興味深く感じました。保健室少女をどう描きどう見せるかですね。

劇全体は細部に拘って非常によく作られていましたし、本当によくできた演劇だと思います。関東大会でもがんばってください。

伊勢崎清明高校「くまむしくらぶ」

作:小野里康則(顧問創作)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

小学生の啓太はお風呂場に閉じこもっていた。飲まず食わずでクマムシになりたいと言っている。母親と従姉妹の仁で外に出るようにあれこれ工作するのだけど……。

※クマムシは炭化することで宇宙空間でも生きていける地上最強の生物と劇中で説明されています。

感想

舞台上、中央奥に何かあるなと思ったらどうやら風呂桶らしい(風呂桶と分かりませんでした)。棚とも椅子ともとれる装置が左右に2~3配置されている質素な舞台です。奥手が風呂場で、手前が部屋という設定みたいでした。場面転換によって右手側は学校の教室になったりしました。風呂場に閉じこもること(その風呂場から出てくること)が物語上の鍵なのですから、もう少し風呂場を意識させるセットを期待したいなと感じてしまいました。装置に扉を用意しろ労力をかけろと言っているのではなく、場所と空間の距離感を照明やちょっとした飾り、見えない壁といってものでみせる(パントマイムの意味にあらず)ことで十分提示することはできたのではないかと思います(たぶん、手前と奥で遠近法により大きさの差を出したかったのだと思いますが)。

演技は一生懸命されていました。よかったと思います。ですが一生懸命で頑張りすぎてしまった印象があります。声を客席に届けることで一生懸命だったのかもしれませんが、もうすこし声のトーンを意識して変えてみると良いと思います。早口になったりゆっくりなったり、弱く発声したり(抜き・ゆるみ)、強い口調で言ったり。そういう使い分けに気を配るともっと臨場感が増します。力を抜いた演技を少し研究すると良いのかなと感じました。プロの劇団や他校の上演が参考になると思います。単純に真似から始めてみるとよいのではないでしょうか。

最初登場したとき仁が父親にしかみえなくて、従姉妹のお兄ちゃんという設定らしいのですが、予想される設定年齢よりも高めに映り、年齢を高く見せることに苦労することの多い高校演劇と考えると不思議な気分になりました。学校で啓太が「KY、KY」といじめられるシーンでずっと「啓太はKY」という音をSEで流すのですが、役者が話す瞬間だけこのSEの音量を少し下げる音響操作をしていました。うまかったと思います。こういう細かい気配りはとっても大切です。

講評でも指摘されていましたが、姫川と啓太の和解シーンでBGMを流すのはやっぱり余計に感じました。気持ちは分かるのですが、BGMで状況(心情)を説明するという方法は、テレビの常套手段ながら演劇では禁じ手に近いものです。詳しくはこっちみてね

台本について

去年に引き続き顧問創作ということなのですが、独特な世界観だなあと感じます。物事を直接的に表現しない会話の記述はうまくされています。でも、こう言っては申しわけないけど、一言で表現すると華がない。悪い本ではないのですが、題材がやや小難しく、演じるのが難しい印象を受けます。

思うのですが、演じる生徒たちに原案(こんな内容の劇が上演したい)というのを決めてもらい、だいたいの話の流れまで考えてもらった上で、顧問の先生が創作台本を書かれてみてはどうでしょうか。その方が生徒のニーズ(上演したいという情熱)にマッチした本ができあがるように感じます。

全体的に

啓太は姫川みるくというクラスメイトに嫌われたと勘違いしいたというストーリーですが、この姫川の可愛さ(劇中曰くツンデレ)がよく出ていました。姫川をかわいく魅せるということに重点が置かれ、そのことを(すべての)役者たちがきちんと意識して観客に伝えようとしていたという姿勢が感じられとても好感が持てました。うまかったと思います。最後に啓太をお姫さまだっこするシーンなんか見せ場でしたね。

他方、主役の啓太が姫川や従姉妹の仁に完全に食われた印象があります。物語の主人公は啓太であって姫川ではありません。やや難しめの台本ではありますが、ネタ的にならず真に啓太の悩みとその解決を描くとしたらどうしたら良かったと思いますか? おそらく、啓太と仁のやりとりをもっともっと丁寧に描いて(演じて)あげることが必要だったのではないでしょうか。最初の状態の啓太と仁は、会話重ねることでだんだんと変化していったはずです。どういう風に変化していったかわかりますか? それを知るためには(台詞の)裏を読む練習と努力が欠かせません。そしてここには国語のテストの「そのときの○○の気持ちを答えなさい」のように正解もありません。役者やスタッフが一緒になって本を読み、議論を重ね、はじめて得られる答えであって、そうやって得た答えはどんなものでも正解です。これが啓太の気持ちなんだ、これが仁の気持ちなんだと役者自身の思った啓太や仁の姿を自信を持って演じると良いと思います。特に、台詞だけではなく体全体(動き)で表現すれと一層よくなります。

劇を作り上げる努力を強く感じただけに、もう一歩というところでもったいないなと感じました。台詞ではなく気持ちを演じること(「気持ちを入れる」と言ったりします)に気を付けてみると、すごく上達すると思います。大変だとは思いますが、がんばってください。

吾妻高校「珈琲的休息時間 -コーヒーブレイク-」

作:小澤亜香音(生徒創作)
演出:武井 とし恵

あらすじ・概要

自殺志願者サイトで連絡を取り合い、喫茶店に集まることにした、カラス、むつ、レイの3人は……。

感想

昨年に引き続き創作台本です。昨年の台本作者が、今年は演出をしているということで結構期待して観ました。

劇は、内幕の前で3人が集合場所を打ち合わせる場面から始まります。内幕が開き、喫茶店の舞台。左手と右手のパネルに古びた(汚れた)パネルが置かれ左手手前にカウンター、その中に店員(メイド)、右手にナナメに置かれた長テーブル。舞台右袖の奥がトイレという設定。古びた喫茶店だなーという印象でした。左右のパネルの間に空間があり、疑問を感じました(お店という室内空間らしさがその隙間によって台無しにされている)。どうやら理由があったようで、その隙間を後半で使っていました。ですが喫茶店の店内という「空間」を壊してまで隙間を作るのは気になります。隙間はやめて、舞台上下のどちらかに該当シーンを演じる場所を用意した方がよかったように感じます。どの高校も比較的そうなのですが、空間を作るということにもっと力を入れると装置が映えます。

カラス、むつ、レイの3人の格好を含めよく表現できたと思います。カラスのパンクっぽい尖った感じとか、レイの大人っぽさとか。メインである、カラスもむつも、トーンや台詞の間を意識的に変えて演じていました。緩める演技はまだまだ緩め方(力の抜き方)が弱くは感じましたが、全体的には良かったと思います。

カラスの演技はトゲっぽさに重点が置かれていたのですが、本当にそれだけで良いのかよく考えてほしいなと感じました。カラスはここに来てしまったことをどう感じていたのでしょうか。いよいよ死のうという状況を前に何を感じていたのでしょうか。むつに対してどう思っていたのでしょうか。妹に対してどう思っていたのでしょうか。心の動きを表現するということに気遣えばさらに良くなったと思います。これは、むつ役にも言えます。

前半で死に方について討論するシーン。BGMを付けているのがやや気になりました。コメディのノリだと言いたかったのだと思いますが、それはBGMで説明するものではないような感じます。あとむつが幽霊という伏線は、もう少し分かりやすく見せてよかったようにも感じました。

台本について

カラス役の人が台本作者のようです。単純な自殺志願者の集まりと思わせながら、いくつかトリックがあるという面白い台本だと思います。全般的に台詞も(不自然にならず)よく書けていたと思います。ただ最初の集合場所を決めるシーンはいらなかったんじゃないかな。

気になったのは、後半の独白がやや多めな点でした。講評でも指摘されていましたが、ラストシーンのように遠回しに表現する台詞や態度というのは、独白や直接的な状況説明よりも状況や心情をうまく説明します。非常に優れたものです。ほかの部分でもカラスという人物の心の動きをいかに観客に感じさせるか(説明するかでは決してない)に重点を置いて台詞や出来事を配置したらもっと良くなったんじゃないでしょうか。直接的な言葉は嘘っぽくなりがちですので、間接的表現を多用することを気を付けて。作者には十分その実力があると思います。

全体的に

荒削りな点はありますが、生徒創作で作られた演劇。かなり気合を入れて演じられていて、とても好感が持てました。やりたい劇を演じるというのは(コンクールで入賞することよりも)大切だと思います。

シリアスながら最後に希望が持てる良い演劇だったと思います。独白の多さを感じさせない演技力と見せ方は純粋にすごいと感じました。今後の活躍を期待しています。

太田フレックス高校「先生、放課後って何時までですか?」

作:大渕秀代(顧問創作)
演出:川島 慎之介・大野 愛・深野 綾香
※創作脚本賞

あらすじ・概要

先生が校内を見回りしていると、校内で生活している女子生徒(神倉)を発見する。親に連絡するとしばらく来れないという。教師3人、職員室で待つのだが、ふとした物音から校内を探すと他にも校内で生活している生徒を数人見つけるのだった……。

基本一幕ものの、顧問創作台本。

感想

よく出来た台本です(創作脚本賞の是非については個人的に悩ましいところではありますが)。幕が開いて、3方を取り囲むようにパネル。下半分が茶色で上半分が白く塗られています。部屋らしさが十分出ています。高さもしっかり8尺あり(パネル1枚の高さ6尺だとやや低い)よくできています。中央左よりに広く窓がありカーテンが引かれ、手前にソファーが置かれその奥にあい向かいの教師卓、右手に木製テーブルとパイプ椅子が5~6個。右手の壁に木製の扉があります。とてもよく出来た部屋なのですが、どこなのかよく分かりません。第3職員室だそうですが、くつろげる部屋に教卓が置かれているという感じで、あまり職員室っぽさがない。たしかに現実には、こういう名ばかりの職員室もあるのですが。せめて木製の茶色い扉を、普通の職員室等で使う扉(白塗り+ガラス窓)にすれば違ってみえたように思います。もうひとつ、扉が開いたとき、パネルの立て付けが見えてしまうのはマイナスでした(舞台という幻想から現実に引き戻されてしまう=冷めてしまう)。

まず凄いなと思ったのが先生役3人が、きちんと先生に見えたこと。発声(や体格)もあるのでしょうが、やっぱりしっかりとした立ち居振る舞いが出来ていたおかげでしょう。とても良かったと思います。生徒たちを迎えに来る親も親っぽくなっていました。努力の成果だと思います。生徒たちも大勢でてきて、ドタバタとした非常に楽しい劇になっていました。進行と関係なく自分勝手に動き回る生徒とか、そういう個性もしっかり出ていたと思います。

特におどろいたのが神倉役でした。ラストシーン付近までほとんど無口で、親が迎えに来ていよいよ物語終演ということろで、堰(せき)を切ったように話し始めます。もうパニック気味に、泣きわめきながら頭の中を駆けめぐるよく分からない考えをそのまま口に出そうとする、とんでもなく難しい演技なんですが、うまかった。本当に泣いていたし(涙云々ではなく気持ちが)、本当にわめいていたし、その演技は舌を巻くほどでした。過去様々な泣きわめき演技を観てきましたが、これだけ上手いのは初めてです。

絶賛した後ですが、このシーン自体にはやや無理があります。迎えに来た母親に対して、なんで分かってくれないの!? という対立と悲鳴なのですが、その驚愕の演技力に支えられてはいてもここは独白であって、しかも前フリ(伏線)がない。ほとんど子供の面倒をみない嫌な(神倉の)母親というのはそのシーンでいきなり表現されるし、教師が巻き込まれた1日というリアリズムとして確かに伏線を置くことの無理が生じやすいのですが、そこは創作であって演劇。何故伏線を張らなかったのかとなる。

正直言って本作の最大の問題は台本にあると思っています。本の完成度も、よく出来た本であることも否定はしません。けれども、本作は教師たちが生徒たちに巻き込まれ、徹夜で色々な問題に否応なく付き合わされて、すべてを解決したら朝を迎えたという物語です。その最大の問題は神倉という生徒であって、朝方まで迎えに来ない神倉の母親です。そこから受ける迷惑というものが、一体どれだけ描かれているでしょうか。観客は神倉という娘の気持ちをこれっぽっちも理解できないし、抱えていた問題もまったく分かりません。……これじゃ落ちないでしょ? 大団円にならないでしょ? この本の構成上、神倉と母親の和解にカタルシスを感じないと(ほっとした気持ちになれないと)劇が終わらないし、ほっとしてもらうには「神倉は最後どうなっちゃうの」という緊張を事前に観客に与えなければならないんですよね。

全体的に

ものすごく情熱をもって劇全体が作られていたし面白かったと思います。教師は教師らしく、大人は大人らしく、生徒はまた生徒らしく、みんなきちんと個性をもって、それでいてきちんと演じられていました。本当にとっても良かった。

それだけに本は残念で(本を書いた)顧問の先生には大変申し訳ないのですが、この本は視点が教師なんですよね。色々なことあって巻き込まれた「教師の1日」であって「教師に見つかってしまった生徒の1日」じゃない。些細なのことなんだけど、大きな違いで、これ多分生徒からみたらそんなに面白くないですよ。

神倉役をベタ褒めしましたが、この演劇はそのラストシーン以外の印象がほとんどありません。神倉は、その前までの演技では何も語りませんでした。そういう意味ではとっても残念。言葉を使わなくても、身体で表現出来ることは言葉以上にたくさんあります。教師役もですが、もっと台本に解釈を加えて演じたらよかったんじゃないかな。教師たちは、神倉に対してどう思っているんだろう。心配なのかな、帰りが遅くなって邪魔だと思っているのかな、普段に問題のない生徒なのに何があったと心配になっているのかな、○○先生と一緒に残れて嬉しいと思っているのかな(下心)とか。神倉は見つかってしまったことをどう思っているんだろう。どんな気持ちで何日も学校に泊まっていたんだろう。そういうことに丁寧に気を配ってほしかった。それをするだけの実力はあると思うのです。表現する場面が必要なら、台詞やシーンを変えてでも、表現してほしかったと思います。

最後になりましたが、なんだかんだ言ってもよく出来ていた劇だと思います。情熱の入った舞台で、入賞しても不思議ではないと思っていました。