伊勢崎工業高校「あの大鴉、さえも」

脚本:竹内 銃一郎
演出:當間 聡美(兼 主演)

あらすじと概要

親方に頼まれ大きなガラスを届けようとする3人の独身者(男1+女2)。言われたとおり白い壁が沿ってみても行き止まり。もしかすると、壁の向こうに住人がガラスの受け取り人なのか。その住民は誰なのか。

主観的感想

県大会上演時とあまり違いありません。会場の関係もあるのか声がとても聞き取りやすく、演技なども詰めてきてはいるのですが、それでもいまいち持ち手が揃っていなかったり、男役(ヒゲ?の方)の演技がイマイチ弱い。声の味というか、ドスというか、濁りというかそういう肉体労働者の泥臭さみたいなのが(見た目だけでなく演技でも)出たらよかったかなと感じます。本も県大会ときより「男→女」の配役を意識した変更を加えてきており、また状況も明瞭になっているイメージはありましたが、まあやっぱり難しいのは難しいかな……と。

水をかけたときのSEがしょぼいと県のときに苦言を呈したわけですが、関東大会では水をかけるSEそのものがなくなっていました。なくても十分伝わる演技ならよかったのですが、見ていて伝わってきませんでした。頑張ってるけど「何か物足りない」「何か物足りない」と感じさせる演劇で、じゃあそれは何かと言われると難しいのですが、やはり前回同様「台本をそのままやってしまった」(演出という『意図』が感じられない)という一言に尽きるように感じました。

審査員の講評

【担当】青木
  • 一番最初で緊張感があったと思うが、軽い感じの始まりで、装置と衣装のトーンも合っておりよかったと思う。間の取り方とかも上手いなと感じた。
  • 壁が時代っぽいなあと感じた。蛇口がデフォルメされており、水が出る工夫もされていた。どうせなら勝手口の張り紙もデフォルメして観客に内容が見えるぐらいにしてもよかったのではないか。
  • いまいち効果音のバランスが取れておらず統一感がない感じがした。
  • 見えないガラスを運ぶという不条理劇だったきと思うが、最初ガラスを持って出てくるときに「遠くから運んできた」という感じがしなかった。どれくらいの距離を、どれくらいの厚さ重さのガラスを運んできたのか役者3人で統一して、そうしいう疲労感のようなものを感じさせる出だしにしたらよかったのではないか。
  • テンポがずっと軽妙で途中で飽きてきてしまった。アクションで一度待たせるとか、乗るシーンをもっとおもしろおかしくずくとか、不規則な方が不条理感が出たのではないか。そのため、大胆に台本の一部を切り取ってもよかったのではないか。
  • 台詞が伸びてうねっていたが、若い人が演じるのだから言い切ってしまってもよかったのではないか。
  • ラストシーンは、その向こうにまだ壁があるという演出だったが、どこまでも続いてるいて何も見えないというイメージの方が個人的な好みかなと感じた。

共愛学園高校「破稿 銀河鉄道の夜」

脚本:水野 陽子
演出:窪田 有紗

あらすじと概要

高3のカナエは、放課後の演劇部部室で一人本読み。そこへやってきたサキがカナエの進路を心配するが、カナエは曖昧な返事を返すばかり。サキが三者面談でいなくなると再び「想稿・銀河鉄道の夜」の台本(以下銀鉄)を読み始める。演劇部には、上演後の台本を破り捨てるという伝統があったが、カナエは2年前に上演したその台本を捨てずにそれをもっていた。そこへ現れる親友のトウコと、そのまま銀鉄の話で盛り上がる。銀鉄におけるジョバンニとカンパネルラのシーンを二人で振り返る。トウコからカナエへの投げかけにだんだんと考えを変えていくカナエ。「その台本を捨てよう」と。二人で破りそしてトウコはカナエの元を去っていった。そう、カナエは今はもう居ない人物だった。

主観的感想

こちらも伊工同じく県大会上演時とあまり違いありません。ただ、県大会の講評で指摘されていた男子生徒の声はきちんと用意してきました。県内では敵なしという感じの共愛ですが、関東大会では……どちらかと言うと見劣りしてしまった感じの印象でした。さて、県大会と比べという話になりますが、演技が県大会上演時より小さくなっていたように感じました。県大会の時の方がもっと伸び伸び演じていたと思うのですけど(特に雑巾を投げ合うシーンとか)気のせいでしょうか。

その他、間延びして本題に入る前に(約20分で)飽きるなどは県大会同様でした(テーマ出てくるまで約26分)。やっぱり、同じ「演劇部」という舞台、同じく昔死んだ部員の幽霊(?)ということで、2校前の秩父農工科学高校の「サバス・2」と比較してしまったのですが、完敗に近いかな。部室にいる生徒というリアリティがほとんどないんですよね。関連して、元台本のまま、関西弁のままにする意味はあったのかなと。台本はもっとアレンジしてよかった(すべきだった)ように思います。

全体的に県大会のときと同じ印象ですね。技術は上手いんだけど中身は空っぽ。劇全体から上手く作ろう、上手く作ろう以外の意志が感じられないのです。上辺の技術を上達させることは演じる上で大切なことではありますが、もっと大切なことが他にあるはずです。気持ちの問題、どうして演じるのか、なんのために演じるのか、その劇を通じて見ている人に対し一体何を『表現』したいのか。もちろん常連校としての意地もプライドもプレッシャーもあるかと思いますが、でもその一番大切な表現を楽しむという原点をどうか忘れないでほしいなと切に思った次第でした。

審査員の講評

【担当】内山
  • 演劇部部室ということですが、演技エリアを狭めるというのは有効な方法だと思いました。小道具の配置なども雑然としてよかった。
  • にも関わらず役者の声が大きすぎて、エリアの狭さにそぐわない感じがしました。大きな声を出すと投げかけになってしまい人間関係が遠くなってしまいます。
  • 台詞の応答が1テンポまたは半テンポ早い。間を努力しているのは分かったが、会話というのは単語に反応して考えて息を吸ってといった応答するまで間があるはずで、全体的に間が一定または早すぎた印象がある。
  • トウコの出かたですが、横から出てきたのは勿体なかった。装置を狭く作った状態では、舞台袖は「装置=舞台の外」になってしまい、作られた空間である装置の中から出てくるべきだった。ドアでもいいかも知れないが、何かしら「非日常」の場所を作りそこから出入りすればよかったと思う。
  • 終始関西弁で話すのだけど、よくわからなかった。
  • あくまでひとつの手段として、壁を外した空間を作りもっとリアリティを失わせた装置を用意するという手もあったと思う。

共愛学園高校「破稿 銀河鉄道の夜」

脚本:水野 陽子
演出:窪田 有紗(兼 主演)

※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

高3のカナエは、放課後の演劇部部室で一人本読み。そこへやってきたサキがカナエの進路を心配するが、カナエは曖昧な返事を返すばかり。サキが三者面談でいなくなると再び「想稿・銀河鉄道の夜」の台本(以下銀鉄)を読み始める。演劇部には、上演後の台本を破り捨てるという伝統があったが、カナエは2年前に上演したその台本を捨てずにそれをもっていた。そこへ現れる親友のトウコと、そのまま銀鉄の話で盛り上がる。銀鉄におけるジョバンニとカンパネルラのシーンを二人で振り返る。

トウコからカナエへの投げかけにだんだんと考えを変えていくカナエ。「その台本を捨てよう」と。二人で破りそしてトウコはカナエの元を去っていった。そう、カナエは今はもう居ない人物だった。

脚本について

この本は演劇界では結構有名なものみたいです。1996年の全国大会において兵庫県立神戸高等学校が上演した生徒創作台本のようです(高校演劇Selection'98収録)。検索してみると高校演劇においてもよく使われる台本で、たしかにその完成度の高さは唸るものがあります。と思ったら(この本について)こんな話をみかけました。

主観的感想

伊工同じく、県内でもこの2校は演技力の格が違います。声はもとより、「アクション」や「止め」や「間」の使い方が非常にうまく、照明やBGMの処理も的確で、もうそれだけでも唸ってしまいますし、さすがに良い台本を選んできています。

さて、舞台は演劇部の部室なのですが、まず気になったのは電柱(演劇のセットを物置に代わりにしているという設定)が部屋の天井よりも高いはどうだろうと思ったのですが、講評によると「どこかファンタジーを感じさせる舞台(意訳)」ということでしたので、これで良いみたいです。

スポットで2回ほど微妙に位置がずれていまして(破いた原稿を足で動かそうとしてたので不思議だったのですが、後でライトをあてる位置に動かそうとしたみたいです)、もったいないといえばそうなのですが、位置のことを気にしすぎて演技が小さくならなかった証拠と好意的に解釈しました。昨年度ラストシーンのバナナでの打ち合いでは、まさに(演じてる)当人たちが楽しむという基本がなかったのですが、今回はカナエとトウコが雑巾を投げあうシーンなど、形で演じるのではなく楽しむということが抑えられていて非常に良かったです。

あとは、トウコがカナエの元を去るシーンで効果的にBGMを使っているのですが、もう少しだけ小さくしないと台詞が聞こえません。

【全体的に】

共愛というと(一昨年、昨年と)台本選びのセンスが良く完成度も高いが、一方で狙いが微妙にずれているというイメージがあってあまり期待はしていなかったのですが、今年はそのイメージを崩されました。見終えた瞬間「最優秀賞だな」と確信しましたし、結果発表のときに喜んでいる姿を見ては「聞くまでもなく最優秀賞」とすら感じました。誰が審査しても文句なく、今年の最優秀賞だと思います。

昨年度と比べても驚くべき成長ぶりで、一昨年、昨年と苦言を呈され続けたダンスシーンは今年は潔くあきらめてましたし、演出や演技という意味においても、より一歩も二歩も掘り下げてきていたように感じました。ですが、その一方で「ではこれで関東大会を勝てるか?」と訊かれたら(関東大会の他校の実力は分からないものの)難しいのではないかと感じます。「間違えなく面白かった。しかし何か物足りない」というのが愚直な感想です。

結局のところカナエが銀鉄(のシナリオ)に執着する想い、進路に対して迷いをもっているという想いが、あまり描かれていないのだと思います。シナリオの構成を汲み取る限り、抑圧、悩みといったカナエの後ろめたさ、何かを引きずっているという描写を重ねてこそ、最後の開放に力や意味が生まれるのに、その辺がおざなりになったためにラストシーンがいまいちパッとしないと言えるのではないでしょうか(もちろん引きずっているのはトウコのことですが)。

昨年度も似たようなことを書いたように思いますが、まずラストに魅せたいものは何であるかを考えて、そこから逆算して「そのためには事前に観客に何を伝えるべきか、理解してもらうべきか」を考え、必要な演出を考えるという作業がどうしても必要になります。この本の場合は「トウコという過去に別れをつげる」ことがクライマックスなのですから「トウコといち過去を引きずっている」という描写がどうしても必要です。演じるほうが理解してるのは分かりますが、それを観客も理解できるようにきちんと工夫してください。

※もしかすると共愛の演劇というのは、参考にする舞台の資料(映像?)というものが残っていて、そこからデッドコピーしているのではないかという仮説を思いつきました。もし違っていたら大変失礼なこととは思いますが、そう仮定すると毎年毎年これほどの完成度でありながらこれほどまでに「独自の物語の解釈」が存在しないことを明快に説明できます(結局今年も「脚本≫演出」であって「演出>脚本」とはなっていない)。以下はその根拠のない仮定が正しいとした上でのお話で関係者の方々にはますます失礼な話になってしまいますが(ごめんなさい)、観ていて上演の目的がうまく演ずることにあるように思えてならないのです。コンクール的にそれは正義なのですが、演劇の本質は「伝える」ことでうまく演じることは「手段」でしかありません。そこを逆転させてしまうと、やはり今回感じたように「よくできている。だけど(何だか分からないけど)何かがつまらない」となってしまうのだと思います。もしそうであるとすれば、演出から役者、裏方のスタッフ1人1人に至るまで、勝つために演じるのではなく、表現するために、伝えるために演じるのだと考えを改める必要があるように感じます。人は形では感動しません。人は心で感動します。形を真似るのではなく自分たちの心を込める作業をどうか忘れないでほしいと思います。もちろん不安はあると思いますが、そうすることでたくさん観客の、その中のたった1人でいいから感動させてみてほしいと個人的に切に願います(それはきっと勝つことよりもとても素晴らしいことです)。以上、仮定の上でのお話で大変失礼いたしました。関東大会、期待しています。

審査員の講評

【担当】光瀬
  • 大変すばらしい舞台装置で、具体性があるわけではないが何か起こることを期待させてくれた。
  • 3人の演技が声、間ともに上手かったが、年代が似通っているだけにみんなが頑張ってしまうと声質が似てしまいよく聞き取れなくなってしまった。
  • サキについて。彼氏が居るわけだから、恋した少女というのをもっと出した方がよいと思う。恋をしていれば、例え彼が居なくてもいつでも彼が居るように楽しそうな感じになると思うのだけど、そういう面があまり出ていなかった。そういう部分を強調して見せていいと思う。
  • トウコについて。カナエを受け入れる器が見えなかった。一緒に騒いでしまうと(カナエと)同じ次元になってしまう。(最終的にトウコはカナエを諭すわけだから)カナエよりも大きな器、例えば(自分の意志ではなく)何者かに動かされているというムードやどこか達観したようなムードを出したらよかったのではないか。過去に、ある宗教家の家に泥棒が入ったという演劇に関わった(?)ことがあるが、そこではその宗教家は神の意志で泥棒を追いかけているということにした。そういう風に、何しからバックがあるとか、異質さを出すとかするとよかったと思う。
  • 個々のシーンで本筋から離れてギャグにいってもちゃんと帰ってきていた。
  • 前半の雑巾を投げ合うシーンでは、本当に本人たちが楽しんで投げ合っているのがよく分かった。本当に起こっているという(何にも勝る、そして演劇として大切な)説得力があって大変良かった。
  • コント的なところで、話したあとに二人で笑うシーンがあるのだけど観客を置いていってしまった感じがする。
  • 窓の外の野球を見るシーン、まさに「いいシーン」なのだけど。こういう「いいシーン」はさらりと流すと観客が勝手に感動してくれるので参考にしてください。
  • サキの彼氏役(の声を)女性が演じていたが、あれは絶対に男じゃないといけない。何をどうしてでも(どんなコネや強引な手を使ってでも)男の子を連れてくるべきだった(編注:一瞬、共愛は女子校だから無理では……と思いましたが、今は共学のようです)。
  • BGMに名曲(ニューシネマ・パラダイス)やサンボマスターを使っていたが、両方というのはちょっと気になった。どっちかでいいのでは。また、ちょっと使って音楽の力を拝借するというよりは、大胆に思い切り使うというのではよかったのではないか。ラストシーンはサンボマスターだけでよかったのでは?(編注:他にもこの演劇に対してニューシネマ・パラダイスの音楽をBGMとして使用した例があるようで、参考にしたのかも知れません)

桐生高校「DisHarmony」

脚本:山本 雅之(生徒創作)
演出:小林 祐佳(兼 主演)

あらすじ

ある日の帰り大谷先生(女)は奇妙な露天商(お婆さん)に呼び止められる。「何か買っていかないか?」と。そして「願いが叶う本」をタダでもらって帰り、その本の開けると悪魔が現れた。悪魔は「誰か一人を殺す」という願いを叶える本なのだと、大谷に説明する。そして「誰かを殺さなければ自分が死ぬ」のだと。大谷は学校の生徒、教職員たち、彼氏に対して少なからず恨みを持っている(ことを回想する)。

でも誰かを殺すなんて選べない。「さあさあ、恨みがあるんなら誰を」とゆさぶりをかけられると、最後に悪魔を指名するのだけど……。

主観的感想

【脚本について】

悪魔のささやきと、日頃の恨みというありがちの構成です。ありがちということは無難ということで、それ自体問題はありません。ですが、いちいち回想するたびに暗転するので少々テンポが悪いことと、出てくる登場人物が「全部が全部ステレオタイプ」(いかにもありがちなキャラ立てで現実には到底いそうもない感じの人物像)なので、どうにも笑い出したくなってしまいます。

ステレオタイプな人物を使うなとはいいませんが、大谷以外全員ステレオタイプにされてしまうと、感情移入しずらいと言いますか、話全体が陳腐に映ると言いますか、もうちょっと考えようね……と感じてしまいます。周り中から追いつめられた境遇を出すという(シナリオ構成上の)方向性は全く間違っていませんが(むしろそう構成したことは十分に評価出来ますが)、そのための手段をかなり安易に選びすぎたかなと感じました。(参考:創作脚本を書かれる方へ

【脚本以外】

シナリオ上の(要請する)人物がステレオタイプなのでもちろん演じる方もそうするわけですが、実際にはそのステレオタイプを演じきるほどの演技力もないために、観ていて苦笑いしかできないという状況でした。もし相当の演技力と迫力をもってして演じきれば、それはそれですごいものになったとは思いますが……。

3幕や5幕で内幕を引いてその裏で舞台の転換を行っているのですが、その作業音が「ガラガラ」「ゴロゴロ」(幕の前で劇が進行中に関わらず)聞こえきます。これはひど過ぎます。最初のシーンで大谷先生がバッグをもっているのですが(おそらく帰宅途中)、その中身が空であるように見えます。つまり帰宅途中らしさがありません。また大谷先生が「~だわ」「~わよ」「~わ」を多用するのも不自然です。

【全体的に】

あまり深く考えることなく、こういうときはこう、ああいうときはああ、と先入観だけで劇やシナリオを組み立ててしまったという印象を受けました。もっとよく調べて、考えて、他の(うまい)演劇を参考にして、という作業をすると改善されるのではないかと感じます。そういう意味で総じて勉強不足、演技についても努力不足といえるのではないでしょうか。

審査員の講評

【担当】石村
  • 声がアニメの発声のような感じがする(光瀬氏)という意見がありました。距離感がなくて相手との距離が10cmでも5m同じような声の出し方をしていた。
  • 照明の外で演技してはダメです。位置を失敗したら照明の中に移動しないと。
  • 舞台装置があっさりしすぎ。
  • 最初のシーンで黒幕に黒い衣装というのはコントラストとして少し考えた方がいいかと。
  • ストーリーとしては大谷先生が徐々に追いつめられていくというものですが、勢いのようなものがあって真に迫る。
  • 大谷先生が振られた男を恨んでいたが、あんな男だったら別に振られてもいいのではと思った。
  • 最初の老婆と悪魔が(役者は同じ人でしたが)同一人物だとはっきりわかる構成でもよかったのではないか。
  • 最後の方の悪魔が大谷先生にとりつくシーンで暗転してしまうという処理は安易な感じがした。
  • 最初の露天が置いてあるものが庶民的な感じがした。全体の装置や衣装もややチープに感じた。
  • 中幕で舞台を分けたり、サス(サーチスポット?)をあてて独白するというのは安易であるけど、安易いうことは分かりやすいという面もある。
  • ただ、芸術性としては安易すぎると落ちてしまう。
  • 音響が印象に残らなかった。

渋川女子高校「青の壁を越えて」

脚本:町田 愛実(生徒創作)
演出:町田 愛実(兼 主演)

あらすじ

仲良し(?)女子高生3人、由紀は歴史オタ、霞(かすみ)は引きこもりキャラ、望(のぞみ)は活発な感じの子。帰り道、由紀は事故にあいそうになって電柱に頭をぶつける。そしてそのまま、西ドイツの諜報部員(?)のペコが憑依(?)してしまった。そんな3人の巻き起こすおかしな学園生活。その中で、ペコはマリアを探すのだけど……。

主観的感想

【脚本について】

ライトな学園コメディです。霞という引きこもりキャラが、日本引きこもり協会(NHK)ならぬ世界引きこもり協会の教祖という位置づけのギャグキャラなのですが、これがまたとてもいい味を出しています。笑いの半分以上はこの霞という登場人物の力ではないかというほど、見事な笑いを導いてくれます。そして、時代錯誤なためほふく前進をするようなペコ(でも見た目は女子高生)、その二人に振り回される望というのが基本の構図です。

この3名の人物配置が実にうまい。コメディに走ったときによくある失敗は全員ギャグキャラにしてしまうために基準が分からなくなり(おかしいことがその舞台の中での普通になってしまい)、全く笑えなくなってしまうことです(実際過去の県大会で見られました)。望という普通な人物を一人置くことによって、霞やペコの異質感がより際だち笑いに結びつけていたと思います。

それに比べてストーリー構成の方は問題があります。まず戦中ドイツのペリという人物を持ってきたことに作品ムードとの大きなギャップがあり、それは良いとしても処理の仕方がまずい。コメディに「コメディだけだと話にならないので無理矢理お話をくっつけました」という印象以上の何かを受け取るのは現状では難しいと思います。なぜなら、ペリの思いを描くなどの処理がなくドラマが上辺だけで進行するからです。

もしパンフレットに書かれた「越えられない壁なんてあろうか」というものを比喩的テーマとして解釈するならば、壁を越えられないということをもっと強烈に印象づけなければなりませんし、メイン3人の中に比喩的な壁(越えられないもの)を設定する必要もあるかと思います。その辺、明らかに考察不足です。(参考:創作脚本を書かれる方へ

【脚本以外】

メインの舞台設定がおそらく廊下だと思われるのですが、3枚のパネルがあり左右が「ハ」の字に曲げてあって、中央が窓、それぞれのバネルの間には空間があります。はっきり言って廊下とは飲み込めませんでした。中央のパネルは教室のドアにもみえましたし、ハの字に曲がっていることからも廊下とは捉えられませんでした。またパネルも(6尺なので)やや低いように感じました。空間も出入り口に見えたのですが、途中暗転して退かすための空間省略の意味合いだったようです。もう少しどうにかしてほしかったところです。

演技ですが、最初のほうは緊張していたのか、体が暖まっていなかったのか若干聞き取りづらい台詞があったのですが、時間が経つにす声も通ってきて、また3人の人物もよく味が出てて楽しめました。特に教祖様キャラ(霞)がよい味を出していて、面白かったです。細かいことですが、霞が途中で「さっきの謎かけの答え」といういうのですが、これは「昨日の謎かけの答え」の誤りだと思います。劇進行上は「さっき」でも劇中では「昨日」ですから。この手のミスは以外に見落としがちなようで、毎年1校ぐらい見かけます。

【全体的に】

もっと間をうまく使えばもっと笑えたかな、という感じはするもののこれで十分とも思います。そういう意味で(今年一番)笑わせて頂いた劇でした。ですが、心理ドラマとしてはやはり演出面・演技面からも不足していて、結果「あー面白かったね、教祖様」の一言で片づいてしまうのは少々残念です。ドラマをみせるとこと、構成することをもう少し考えてみると、もっと良くなると思います。

審査員の講評

【担当】原澤
  • (タイトルの)青の壁の壁というのはベルリンの壁でいいのかな?
  • 幕が開いたとき地味な舞台だなと思ったが実際にはそうでもなかった。
  • 渋女ってこんな学校だったけなと思わせるほど、引きこもりキャラは強烈でした。カスミはどこかで会ってたんじゃないかなと思うぐらいに。
  • 人物の作り分け、台詞のやりとりはよく出来ていた。
  • 登場人物の掛け合いはよかったが、中後半までそれで引っ張り切れたかと言われれば疑問が残る。
  • 全体として憑依の話でどう決着するのかと思いましたが、ラストはよく分からなかった。よくわからないことが狙いだとすれば、どっち付かず。(編注:おそらく最初のシーン=ベルリンからペリの心が時空を越えて現代に来て、また再び戻っていったというラストだと思います。「想いは時代も壁も越えたのだ」というテーマではないかと思います)
  • 台本には勢いがあるが、舞台はもやもやとして終わってしまった。
  • ペコと彼女(マリア)の間の関係がよく伝わってこなかった。
  • 渋女の生徒って面白いなという感じで、どうせならもっと徹底的にやってほしかったかなと感じた。