渋川高校「贋作マクベス」

作:中屋敷 法仁
潤色:渋川高校演劇部
演出:村上 直輝

あらすじ・概要

演劇部の練習。マクベスの劇に物まねを入れたいという部員達と「そんなのありえねー」というかけあいをしてから、マクベスの通し稽古がはじまる。どんどんグチャグチャに考証が破壊されていくマクベスの劇。

2003年全国大会最優秀脚本賞。本当に見事な台本。作者インタビューとかあるけど、作者は本当にマクベス好きなんだろうなあ。ドラッカーが好きな人がもしドラ書いたのと同じ印象を受けました。モノマネシーンが前フリになるとか上手すぎる。

感想

中割(内幕)を引いて中央をちょっとあけただけで装置は何もなし。男だらけの元気いっぱいのやりとりで、かけあいの上手さが際だっていました。止めやメリハリ、リアクションがしっかりと演技されていて、すぐにグイっと引き込まれる力強さ。

これもあり序盤の劇にハードボイルドやモノマネを入れたいというやりとりからもう面白くて、それが前フリになっているからマクベス自体もはちゃめちゃでもう笑いっぱなし。楽しかった。この学校もドッと受けてよく聞き取れないうちにシーンが進行してたので「笑い待ち」するとよかったと思います。

魔女が出てくるシーンで、姿は見えないけども動きや声のムードで魔女をきちんとやっていたと思います。マクダス将軍の声がききとりにくいのがちょっと気になった。女装キャラであるマクベス夫人が、最初は女装なんだけど進行するにつれてだんだん可愛く見えてくる。よく考えると一番美味しい役どころなんですよね。ただ難点は早足すぎたことで時間的には2分ぐらい余裕があったのだから、もう少し歩幅を小さく内股に歩くと女性っぽくみえると思います。テンポのために早く舞台に出入りしたい気持ちはわかりますけど(苦笑)

そのマクベス夫人が死んで暗転して夫人がはけるとき、完全に照明が落ちる前に夫人が動いていたし、夫人が完全にいなくなる前に照明がついてしまったのはミスでしょう。ちょっと焦ったのかなあ。

でもそれ以外の照明の使い方はとても適切で、気持ちやムードが深刻なときは暗めになり、平常のときは昼のように明るくなりと、登場人物の心情や物語の状況によくリンクさせて照明の光量を適切に処理していました。これも非常にうまかった。

全体的に

台本が面白すぎて、それを十二分に生かした舞台で本当に面白かった。なんか講評によると、オリジナルはもっとはちゃめちゃだったようですが、それを知らないし、これでもう過不足なく面白かったと感じました。

演劇とはなんだって感じの流れの結末で、たまたまだろうけど大会最後の上演としては最適だったと思います。

沼田女子高校「どうしておなかがへるのかな」

作:中村 勉(既成) ※台本はこちらで読めます
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

姉妹が二人で織り成す家族劇。すねて家の外にいる姉を妹が呼びにいくところからお話は始まります。家族の構成や環境が変化していく中、姉妹の間にも微妙な気持ちの変化が起こります。

感想

キャストが妹と姉の2人だけで構成される舞台です。中村勉氏作ということで他作同様、比較的難しい台本なのですが、それが非常によく演じられていました。舞台上には左手に木製のベンチ、中央に木のオブジェ、右手に家と壁と扉。「家」と「その庭」ということなのですが若干公園ぽかったかなあ。もう少し工夫の余地はあるかもしれません。

最初声が弱々しく基礎的な発声の力は弱いようですが、途中からは役者が乗ってきて少し聞き取りやすくなりました。全体的に抑えた演技となり作品にとてもよくマッチしていました。ただ、そればかりだったのが勿体無かった。発生も演技も。別に元気に騒ぐシーンがあっても作品のムードを壊さず、それどころか元気なところもきちんと見えるとしんみりがより引き立つのです。例えば、中盤の二人がじゃれ合う(おいかける)シーンで手加減が見えたのがもったいなかった。全力で走れという意味ではなくて、わざと空振りしたりする必要はなかったのではないかということです。もっと元気に、力いっぱい追いかけっこをしてほしかった。台詞なら「制服いいよね。聖和」とか元気に言ってよかったと思います。

台詞や動作のメリハリのほかに、もう一つ気を使ってほしかったのは「間」。上演時間約50分というところからも分かると思うのですが、この作品の場合、もっと台詞をゆっくり話していいし、台詞と台詞の「間」はもっともっと気を使って欲しかった。さらに言えば、動きも大切にできたらよかったと思います。ほとんど動かず話をするってのはやっぱり勿体無い。

また2つ勿体なかったところがあります。1つはラストシーン。話が終わってから、一度暗転しエンドシーンとなっていましたが、暗転したせいで気持ちが途切れてしまいました。そこの暗転は絶対やめてほしい。ラストシーンは物語全体の余韻を残す一番重要なところなのですから、暗転しなくてもいくらでも見せようはあるはずです。ラストシーンの選曲も講評で指摘されていましたが、それを工夫してほしかった。もう1つは木のオブジェ。作品全体を貫く大切な大道具なのですから、木の部分をもう少しどうにかしてほしい(申しわけないけどしょぼい)。また青々とした木が本当にこの作品に合っているのかということももう一度考えてみてもいいと思います(考えた結果青々として木であったなら問題はありません)。

あとBGMがうるさくなく、主張しすぎず、また使いすぎることもなく良いムードを引き立てていたと思います。

全体的に

抑えたトーンでしんみりとしたムードをとてもよく意識して演じ手いたことに大変好感を持ちました。過去県内で観てきた中村勉氏の台本の舞台の中では一番の完成度といっても良いと思います。本当によくここまで台本を読み込みその意図を理解したと感激しました。県内の学校は、そういうこと(台本を読み込み・理解し・解釈し・自分たちのオリジナルとして構成し・演じること)がとても苦手な傾向がありますので、その点を高く評価したい。

あとは、台本自体そういうものだから仕方ない面もありますが、中盤にどしてもたるみがでてしまいます(客席をみていると寝てた人もいた)。変なアレンジをするというよりは、動作を含めた完成度を高め引き込むしかないかもしれません。メリハリ(強弱)を少し意識して出してみるだけでも印象は違うと思う。

個人的に関東行ってほしいなあと思ったのですが、今年はハイレベルな戦いで入賞もなりませんでした。たしかに演技技術等では他校に負けていますから仕方ないのかもしれませんが残念です。しかし、誰がなんと言おうといい演劇でしたよ。

高崎東高校「ある日、忘れ物をとりに」

作:中村 勉
演出:表記なし

あらすじ・概要

保健室にやってきた田中(女子)。保健の先生は二日酔いで奥で休んでいる。そこへ藤原(女子)がやってくる。二人は保健室によく来る友達同士だった。

高校演劇ではよく使われる中村勉先生の台本。台本はこちらで読むことができます

感想

幕があがり左手にナナメに配置されたパネル、その前に水色とピンクのカラーボックス。冷蔵庫。右手のパネルに人体模型のポスターと保健ポスター2枚。さらにその右手に本棚、その上に花瓶。中央に長テーブルがあり、そのまわりに丸椅子が4つ。ものすごく残念だけど、保健室に見えなかった。翌日公演の新島学園も保健室が舞台で、新島はとても優れていました。

保健室の器具を借りるのはなかなか難しいとは思いますが、少なくとも部屋として意識させる工夫をしたらもっとよくなったと思います。上手から保健室に出入りするのですが、そこが一応部屋の入り口(扉)という設定で、中央のパネルとパネルの空間の奥が、保健室奥のベッドということのようでした。装置と装置の間の空間が大きめで、ポツポツと装置が置かれているように感じました。だだっ広いという印象でした。この舞台の保健室はどういう構造なのかよく考えてほしかった。その考えた構造をどうやって舞台上に部屋として見せるか工夫すれば、劇全体の印象が良くなったと思います。なんとなく装置を作って、安易に「じゃあ上手から出入りしよう」とか考えるのはまずい。先に構造を考えてほしい。また、扉はぜひとも用意してほしかったし、用意できないとしても「扉がある」と思わせる工夫がほしかった。

よく使われるだけあって本がよく出来ていて、そして演技もよく出来ていました。台詞の強弱(メリハリ)や間の使い方を意識しているのが非常によく分かりました。力を抜いて自然に台詞を発しているところなど、よく練習したと思います。自然な会話を研究したことがよく伝わってきます。なかなか大人を演じるのは難しいのですけど、保健室の先生がいまいち先生っぽくありませんでした。声とか体格は仕方ないのですが、身の振り方・しゃべり方に「落ち着き」を出すように注意するとらしくなります。

ひとつ勿体ないなーと思ったのは、藤原の

「凍ったカントリーマァムが好き」
「ブラックで飲めるようになったコーヒーが好き。保健カードの空欄が好き」
「わたしのこと、さっちゃんて呼ぶ田中理沙が好き。じっと観察してる千葉真由子が好き」

という一連の台詞でした。ここは一番大切なシーンで、だからこそ気を遣って演じているのは分かるのですが、その裏の気持ちまで見えてこなかった。藤原はどういう気持ちだったのでしょうか? どんな気持ちでどんな想いでこの言葉を言ったのでしょうか。感情を込めて言う、感情を殺して言う、もっと詩的に言うとか色々と方法はあります。ありますが、一番大切なのは藤原の気持ちで、気持ちまで作られていなかったし、考えれれているようにも思えなかった。

全体的に

とても一生懸命作っていたのは観てよく分かったし伝わって来ました。演技もとても真剣で非常に多くのことを研究していて好感も持てました。それでも観ていて物足りなさを感じずには居られませんでした。たぶん上演していたみなさん自身も、何か物足りないと感じていたのではないでしょうか。ただそれが何かが分からなかったんだと思います。

今年の講評では、繰り返し「演技とは心の動きだ」と言われてました。気持ちを込めて強弱を付け、間に気を遣いながら演じられるのは十分すごいことです。だから、その先にある「その時の登場人物の気持ち」が想像できるようになると、まったく非の打ち所が無くなります。保健室に半年通い続けた藤原は、保健室に対してどんな印象を抱いていたのでしょうか。学校に対してどう想っていたのでしょうか。そんな藤原と交流のあった田中は、藤原に対して何を感じていたのでしょうか。どう想っていたのでしょうか。自分自身についても何を考えていたのでしょうか。保健室の先生は、そんな二人をどんな想いで見つめていたのでしょうか。

こういうことは台本には何一つ書かれいません。だからこそ、それを与えることが演じる人たちのオリジナルであり、演じる人たちの表現になります。学校を辞めると決断したその日、藤原は何を感じたのでしょうか。そんな藤原を見て田中は何を感じたのでしょうか。どんな想いだったのでしょうか。それを受け入れた先生の気持ちは、一体どんなものだったのでしょうか。

「悲しい」とか「辛い」とか「寂しい」とかそういう単純な言葉ではなく、胸の中をかけめぐる想いのたけを演劇部のみんなで議論してほしいなと想うのです。どうして「寂しい」と想ったの。友人だから? 田中にとって藤原はどんな友人、藤原にとって田中はどんな友人。どこが好きだったの? なんで保健室に行きたかったの? そういうことを深く深く追求すれば何が足りなかったのか正体がおのずと見えてきます。県大会で敗れたからもういいではなく、敗れたからこそチャンスなのだと思って、ぜひ考えてほしいと願います。

おまけ

中村勉先生の本は非常に難しいのですが、それだけにやりがいがあります。何が難しいのかと言うと、登場人物の気持ちをしっかり意識せずに台詞を発すると劇として成り立たないものが多い。逆に言うと、きちんとした解釈を与えて演じてあげると(普通の台本以上に)演劇の良さが最大限生み出されます。そういう意味で良い台本選択だったと思います。

高崎経済大学附属高校「夏期補習~ボクとセミと時々カミナリ~」

作:長野 諒子
演出:高崎経済大学附属高校 演劇部

あらすじ・概要

夏休み。補習に集められた生徒6人。しかし先生がなかなか現れない。仕方なく、教卓の上に置かれた課題を各自解きはじめる生徒達だった。

主観的感想

脚本について

補習に集められた生徒たち。そしてどういうわけか少人数制の補習(にも関わらず先生がいない)という、(良い意味で)妙なシチュエーションを作っていて大変良い着想です。教室のみの一幕ものというのもまた良いです。話の筋としては、実は先生が生徒として隠れて(参加)してましたというもので、それに絞って構成されています。ひどい台詞回しもなく、とてもよく研究されています。

ですが、いまいち散漫としています。目立った欠点がないだけに、何が足りないのかと考えると難しいのですが、ひとつ思い当たるのは物語の焦点です。先生が生徒として紛れ込んでいるという良いシチュエーションを生かしたエピソードなりがなく、あまり関係ないところで話が展開していきます。せっかくのギミック(仕掛け)を生かし切れなかったのが勿体なかった。

何でもよいのですが、補習中の会話を生徒たちの関係や、勉強ができるとかできないとかではなく、「先生」と「生徒」の関係にスポットを当てた会話にすればよかったのだと思います。「あの先生気に入らない」でも「あの先生はえこひいきする」とか「先生と相性が悪ければ成績も変わる」とか「あの先生の授業はよく分からない」とかから始まり、先生は所詮職業とか、生徒の中に「将来先生になりたい人」を置くなどしてあーだこーだという話がぐるぐる回れば、より面白くなったかもしれません。

これは例で本当になんでもよかったのですが、とにかく先生が隠れてましたというギミック以外に「何の話でもなかった」ことがもったいなかった。多分そういったテーマとしての軸がしぼり切れてないため書くのも大変だったと思います。せっかく良い要素をたくさん持った台本であっただけに、惜しく思いました。もし良ければ、練習がてらこの本を書き直してみるといいと思います。

脚本以外

前にホワイトボード、廊下側の前と後ろ肉出入り口、時計と黒板とA1サイズのポスター、うしろにロッカーという教室というかなり手の込んだ装置です。欲を言えば廊下側に窓が欲しいところですが、大変よく作っていました。その点、椅子と机が6ペアしかないのはやや気になります。持ってくるのが大変というのは分かりますが、装置というのは演劇という嘘に説得力を持たせるための道具ですから、抜けがあるのはあまりよくないです。「普段は使われてない教室」ということ設定も良いと思うのですが、できればそれは台詞でなく装置で表現した方がよかったと思います。

机の隙間はもう1つ問題があって、人物と人物の隙間が空きすぎてしまったことです。仲の良いカップルは寄り添いますよね? 嫌いな人とは近寄りたくないですよね? お互いの距離は気持ちの関係も如実に表現します。意図的に使うと、気持ちの関係をお互いの距離によって表現することも可能です。そして、隙間のせいもあるのですが高校生が6人も揃っているのに、妙に静かで冷めたような感じです。普通高校生が6人も揃ったら(最初はともかく)溢れるエネルギーでワイワイと騒がしくなりませんか? そういう熱気のようなものがなかった。

補習問題を解くときにブルー暗転して、スポットを当てて一問一問軽快に解いていくというシーンがあるのですが暗転しないで直接スポットに切り替えた方が良いです。変な間ができてしまいます。

この学校も女子が男子を演じてましたがほとんど違和感もなく、全体によく演じられていました。なかなかの演技力です。装置の力の入りようといいどれだけの情熱を持ってこの劇を作ってきたのかよく伝わってきました。

関東学園大学附属高校「砂の城 ~彼女が僕に勇気をくれた」

作:中島 清志
潤色:関東学園附属高校演劇部
演出:(表記なし)

あらすじ

授業をサボって海辺にやってきた少年「勇気」のもとに魔女が現れる。その魔女は間違えてその少年の寿命を縮めてしまったという。それを修正するためには、少年「勇気」は少女「勇気」が手術を受けないように説得しなければならない。少年「勇気」と少女「勇気」のどちらかしか助からないのだという。そうして浜辺で会う少年「勇気」と少女「勇気」。二人は気持ちの交流をはじめ、やがて手術前日になり……。

脚本について

はりこのトラの穴掲載作品。見た印象からして、はりこだろうなーと思ったらやっぱりその通りでした。作りが高校演劇でよくある感じです。と思ったら地区大会上演ビデオの作者さんのレビューが。当たり前ですが、すごい的得てます。

主観的感想

最初のシーン、波音と台詞がかぶって声がきこえない。音響はアッタクだけ(音の最初だけ)大きく聞かせれば、あとは徐々にボリューム(フェーダー)を下げても大丈夫なのです。またギャグのシーンでBGMを少しかけるのですが、その後徐々にフェードアウトしている。そういう場面では区切りをつけるためカットアウト(ボリュームを急に下げる)の方が適切だと思います。

劇序盤に、魔女が「まあまあ、劇ってこういう所が面白いんだから」という台詞があるのですが、「劇」という単語を使った時点で観客は現実に戻されるということがまったく配慮されていません。全編通してそういう一歩引いたタッチならばわかりますが、ことシリアスな題材にはかなり不適切だと思います。例え台本に書いてあっても、自分たちで判断して削らないとダメです。

かなりキツい意見になってしまいますが、勇気(少年)の演技がいまいちです。頑張ってはいるのですが、この本において主役に要求される演技レベルは非常に高く、「自分の命と少女の命を天秤にかける迷いや苦悩」が滲み出なければならないのに、そこが出ていません。それを言ってしまえば、魔女、少女、その母親も、誰一人として表に出さない苦悩らしきものが演技から伺えませんでした(いや、少女は多少出てたかな)。与えられた役の情況を自分自身に置き換えて、どんな気持ちになるかということをもっとよく考え、ときには部員みんなで議論をし、役をきちんと作ることが大切です。

さて開始20分間、永遠と魔女と勇気少年のやり取りが続くわけですが、その時点で話の方向性がまったく見えずかなり眠くなってきます。実際、会場内で何人も寝ているお客さんが居ました。この辺は、地区大会で指摘されているにも関わらず本を修正しなかったことが最大の敗因でしょう。シナリオを書かれた方にも指摘されているのに。

【全体的に】

命というものに真正面から取り組んだ劇なんですが、それにしてはシナリオにいくらかの難があり、それにも増してドラマを演出するという視点が完全に抜け落ちたために悲惨な状況になってしまいました。テーマに対して演じ手の技量が不足したと言ってしまえばそれまでなのですが、同時に「では具体的にどうしたら良かったのか」という問いかけには非常に答えにくいものがあります。それぐらい難しいテーマです。

ちょっとキツくなりすぎてしまいましたが、そこまで酷いかと言うとそうでもなく。基礎的な演技力はきちんとあるのですから、もう少し「シナリオを読む」という作業(練習)をするだけで、より上達するのではないかと思います(県大会突破を狙えるぐらいに)。あと、勇気少女は設定上小学生なのですが、声がものすごく小学生しててよかったです。音響の方は、そこそこ適切に処理され、波音などよくムードがでていました。シリアスシーンでBGMに逃げる場面もありましたが、そこまで気になるほどではなかったように思います(ベストではありませんが)。

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 台本を読んだとき「グッ」とくる泣かせる芝居だと思った。例えば、見に行った時、それを見てない友人に説明して一言で言える芝居ってつまらない芝居だけども、「実際にみなきゃ分からないよ」と言える芝居がいい芝居で、これはそういう種類の芝居だと思う。
  • 台本で読んで、魔女と勇気少年のコントが長いのではないかと思ったが、実際に見てやっぱり長いなと思った。テーマからして最初にやわらかいコントでお客さんを引き付けておくのは正しいのだけど、15分ぐらいあってせめて7~8分ぐらいにしてほしかった。観客として何が言いたいのかわからず、なかなか本題に入らないというジレがあった。
  • 波音がやってくるのと砂のお城が崩れるタイミングがシンクロしない。水をかぶる芝居もなかった。(編補足:そういう細かいことを表現することで、)本当は見えない波や砂の城が見えてくる。
  • キャラクターの作り方をもっと丁寧に。例えば(少女勇気の)お母さん。子供が心臓病なのだから、(子供が死んでしまうかもしれない)手術が近づくにつれ、少しずつ緊迫感が増すなど雰囲気を出してほしかった。そういう細かい役作りをすることは大事。
  • 最後の手術失敗の時、お母さんが「安らかな寝顔でした」というのだけど、それは言わなくても伝わったのではないか。むしろ言わない方が伝わったのではないか。言わずに少女勇気の手紙を読むことで、お客の想像が膨らんだのではないか。
  • 最初のコントとあとのギャップの、それぞれの部分をきちんと作りましょう。