太田フレックス高校「他部ぅ」

作:大渕 秀代(顧問創作/創作脚本賞)
演出:富澤 直樹、温井 希味

あらすじ・概要

夜の図書館。そこへ集まる生徒たち。生徒たちはひそかに部活を始めることにした。タブーへ挑戦する部活、その名も「他部ぅ」。

感想

図書館。左から中央にかけて3つの低めの本棚、右手に大型(高さ3mぐらい)の本棚。中にはぎっしり本が収められ(本にみえる本でないものだったようでこの辺の美術は見事)、手前に大きめのテーブルが置かれていました。その割に窓が縦型の装置が付けられているだけで、見てて倒れやしないかとひやひやしたし、素直にパネルと窓は置けなかったものでしょうか。

台詞のやりとりや間、トーンの変化、そしてリアクション(反応)がよく研究されていて良かった。でも、ややうそっぽいリアクションが所々に見え隠れして、たぶん「こんな感じでい・い・ん・だ・よ・ね?」っていう自信がないリアクションをしていたせいではないかと思います。これは演出や他の役者が見て、他人が直していくといいと思います。あとは練習なのかもしれないけども。

昼休みに体育教師を図書館に呼び出すシーンがありましたが、そのときみんな私服だったのが気になりました(夜は学校関係ないと理解していた)。太田フレックスは制服がないみたいで、おそらくそれを想定したものだとは思いますが、それだと裕子が一人で制服を着ているのは混乱の元です。もちろん制服のない学校で制服を着ることに問題はありませんが、観客にとって一般的でないことはなるべく分かりやすく提示して理解を得る必要があります。私服登校自体がそもそもあまり一般的ではないわけで。

なんどか暗転するのですが、服装が変化していってるところは芸が細かいなあと感じました。克也が本当におとこに見えた。すごい。ただ横向いたときに声が聞き取りにくかったのがちょっと難点だったけど。男役とかは発声やりにくいのはありますが、真横向かないかそれでも聞こえる努力をするか何かしら頑張ってほしい。

もうひとつ去年の上演で使ったボックスを図書館に置かれているという設定でたびたび登場させてるのですが、全く必然性を感じませんでした。ラストシーンは別にロッカー(掃除用具入れとか)とかトイレでもよかったわけですよね。舞台上にあんなでかい装置を動かすと邪魔でしょうがないし、暗転時でもガラゴロ音がするし、図書館という作り上げた空間に不相応に大きいからその空間自体をブチ壊すし、なんでこんなの出したんだろう?と疑問に感じずには要られません。

台本の感想

3年連続創作脚本賞という。たしかに着想は面白いからなあ大渕先生の本は(苦笑)

とはいえ、今年は去年までとは見違える完成度でした。正直、大渕先生の本ということで肝を冷やしてましたが、上演を見て取り越し苦労だと分かりました。荒っぽいところはなくはなかったけども、今年は納得の脚本賞。

最初のシーンの下校放送や司書先生のシーンが要らないとずっと思っていたのですが、ラストシーンみるとこのシーンがフリだと分かり少し納得はしましたが、序盤夜の図書館へ来る人間がどんどん増えていくということを説明するためか2~3回暗転処理するのが、気になりました。序盤のテンポが悪く感じられたので、もう少し工夫できないかなあ。少なくとも下校放送は説明的すぎるので要らない気がする。

人が増えていく感じは「2日に1人のペースです」という台詞でしか説明されてないわけで、それだったら最後の1人がやってきたときの会話のやりとりの中で「○○さんはいつからココ(図書館)に来てるの?」で済んだしその方が分かりやすかったんじゃないかと。その最後の1人が美奈でもよかったわけですよね。その最後の1人が「その日の最初」に来れば済む話ですよね(他の人で練習していよいよとも解釈できる)。体育教師を呼び出す下りも昼間シーンを挟むためにテンポを悪化させてて気になりました。別に夜、あの場所で呼び出してもよかったんじゃないかと。

個人的に暗転は極力減らしたいと考える人なので、好みではありますが一意見として。

全体の感想

ラストシーンから考えると、図書館へ来た相手に対する裕子の表情やうれしさ、見つけたときの気持ちが劇からあまり伝わってこなかったのが残念なところ。それと裕子が常軌を逸する狂気を内包する感じとか、裕子がそれぞれの人物に対してどう思って、何を感じて、何を考えていたのか、もっとフォーカスしてもよかったんじゃないかと。ついでに、そこにつながる動機や本への執着も。例えば本を他人が触ったりしたときの反応や、本をバカにした風に言われたらどう反応するのかとか、見当たらないと取り乱したり、どうして本に執着するようになったのかってエピソードとか(独白はダメ)。

もっともそれがなくてもラストシーンの流れは本当に恐怖でした。去年はホラーとして成立してなかったからものすごい進化であるわけで、成功だったと思います。会場内も気持ち悪いという意味でしばらくざわついてました。良かったというか本当に気持ち悪かったよ(苦笑)

前橋南高校「荒野のMärchen」

民間伝承より原澤毅一翻案(顧問創作)
演出:黒澤 理生
※最優秀賞(関東大会へ)
※Märchen(メルヒェン)=ドイツ語で昔話、口承文芸のこと。

あらすじ・概要

開幕。スモークに中央スポットと、上下白い服装の人物が6人。6人は追いつめられた状況らしく言い合っている。そんなところに、マントを被った西部ガンマン風の人物が現れ。暗転。

場面が変わって田舎の(昭和の?)女子高生4人。TVの話やらおばあさんにきいた昔話やら。その昔話と、白い人物たちの劇かやがてリンクしていく……。

感想

民間伝承とハーメルンのバイオリン弾きに荒野のガンマンと田舎の女子高生っていうモチーフをごちゃまぜにしてぐちゃぐちゃにバラし、再構成した演劇。言い訳程度の解釈の余地を残しながら、例年同様「解釈などできない」劇になっています。個人的には相性が悪い、いつもの前橋南の劇です(苦笑)

男が何人もでてきて、かけあいと勢いでうまく笑いを取っていて、静と動のメリハリ、間の使い方、細かい演出が細部まで行き渡って非常に完成度になっています。光の効果もうまく、笑いもよく取れていたけども、やっぱり解釈はできない(笑)。

不条理というか理不尽というか、なんでもありな構成と、とりあえずガンマン格好いいなあというそれだけ。「そこに意味などないのだ」が一貫された演劇でありました。表層表現がかなり現実サイドだったので表面的には笑って楽しめたけど、例年と一緒は一緒。

完成度は相変わらず見事で、今年も入賞しそう(予想通り最優秀賞でした)。

桐生第一高校「タマキハル」

作:秋野トンボ・山吹 緑(顧問創作)
演出:坂本 美優

あらすじ・概要

いじめに合っていたミホは飛び降りようとした瞬間にタイムスリップ。猫のタマを案内役に戦時中のひいおじいちゃんの姿、昭和初期に戻り命を見つめ直す。

感想

良くも悪くも桐生第一劇団という感じで、県内ではめずらしく大人数の演劇部。舞台には左手に黒板があり、右手にロッカーがあり、奥に1mぐらいの段があり、場面転換して途中で横幅3mぐらいの長い木製の階段を付けたりしました。最初のシーンでは机を中央に12個も並べ、次々と登校する生徒達が教室でガヤガヤしているシーンは非常に臨場感があり、こういう作り込みは本当に凝っています。ロッカーも場面転換でひっくり返すと壁になったりと、大がかりな装置含めて本当に凝って作っています。でもその一方で、時代が現代なのに机が完全に木製だったり(金属製の骨組みではなく骨組みまでパイプではない)、何のためにあるのかよくわからない段差とその階段など、演出的考慮の穴は相変わらず。

自殺を思いとどまるため戦中などのシーンを回想して戦中やら戦後間もない必死に生きた時代を描きたいというコンセプトは分かるのですが、それぞれのシーンに厚みがないため、よくある安っぽい自己啓発ドラマ(アニメ)になってしまっています。それを特に工夫無く構成してしてしまった演出も含め問題があります。人の心はあの程度のことでは動かない。人の心を動かすのは人であって、人というのは人物を出してあからさまなエピソードを書けば終わるものではない。登場人物の心を如実に描き出し、観客に共感を生み感情移入をさせてこそドラマは成立します。

例えば、戦中の「徴兵」して列車に乗るシーンだけ見ても誰も感情移入なんてしません。別れる相手との関係性(仲の良さ)や死にたくないとい迷いや本音をたくさんのエピソードを積み重ねて丁寧に描き出してこそやっとその別れに共感出来ます。10分ぐらいそのシーンだけ振り返って「戦争の別れ。ほら悲しい出来事でしょう?」とか言われても誰も共感しません。登場人物に対する共感や感情移入をどうやったら引き起こせるのか。台本作者も演出も、もっとよくよく考えるべきです

比較的発声や演技もよくできている方ではあるのですが、まだまだな面もあります。例えば何組か登場する恋愛関係の二人。二人はほんとに恋していますか? 恋いこがれて相手を本当に大切だと思って、すべてを自分のものにしたいと思うかもしれない欲や大切にしたい優しさや思いやり。そういうものが混ざり合う中での相手と自分の気持ちとのせめぎ合いを演じるときに持てている? 残念ながらあまり恋人同士には見えなかった。街を歩いている高校生のカップルが、会話が聞こえなくてもカップルにみえるのはなぜ? そういうことを少し考えてみてほしい。そういうところまで演じられると演技はより進化すると思います。

全体的に

桐生第一の公演は何度も見ていてもうこれが桐生第一の味なのだろうけども、やっぱり問題だと感じる点はしつこく問題だと言い続けたい。

シーンひとつひとつを構成していく手法や、意味もなく踊ってみたり、そういうのがやりたいんだろうなあーというのは分かるし否定もしない。でも60分これを見た観客個人の感想としては勘弁してれとすら感じる。毎回毎回ものすごく凝っていて、ものすごく努力していて、ものすごく一生懸命作っているのに、その一生懸命の方向性が「私たちはこうだっ!!」でしかない。それもそれで突き抜ければすごいのだけど(今年の前橋南のようにそこまで観客を無視して突き抜けることに極めているわけでもない。かと言って、舞台の上で一方的に観客に話しかけているだけでは観客との会話は成立しません。

もう一度よく考えてみてください。観客と対話して初めて舞台は完成するのです。観客に一方的に話しかけるならビデオやラジオでいいのです。どうかそこを見落とさないでほしい。個々の技術と質と演技力とそういうものが全部備わったとても実力のある演劇部だけに、とにかくその点が惜しくて惜しくてなりません。

桐生南高校「やさしいひと」

作:青山 一也(顧問創作) ※台本はこちらのサイトで読むことができます
演出:徳田 彩香
※優秀賞

あらすじ・概要

両親が居ない後藤家5人兄弟姉妹の元へ大輔という男性がやってきた。(同性愛である)兄のために彼氏候補として次女はるかが連れてきて、一緒に暮らすことになる兄弟たちと大輔。少しずつ変化するみんなの気持ちの中で、やがて家族同然となり兄と大輔は距離を縮めていく。そんな中、はるかはだんだんと不機嫌になり……。

感想

結構期待してみました。一軒家のリビングのイメージで真ん中にテーブル、壁には柱のハリがあり高さもしっかり8尺ぐらいある。奥に廊下で階段が少しみえ、右手側にお勝手。左手側に窓。部屋の奥が玄関なんだろうなあとか、そういうのを想像させるいい装置でした。

物語は次女はるかが、兄に「今日、会ってほしい人がいるんだけど……」というところからはじまり、大輔がやってきたことによる兄弟の変化が主軸になっています。ベース作だという「本日は大安なり」を観ているのですが改作というよりはまったく違う劇という印象をうけました(台本を読み比べるとたしかに似てます。月日が経って忘れたのか、はたまた演技力の差か)。こういうセクシャルマイノリティを嘘っぽくなく書けるのは青山先生らしいところですね。説明台詞を排除してあり台詞だけただ読んで上演しても観客に何一つ伝わらないまさに演劇らしい演劇台本になっています。

観てびっくりしました。すごい良かった。ちゃんと演出が仕事してるのね。ここまで演出が仕事した舞台は県内では久々に見た気がします。動作や台詞の間、動きのひとつひとつに至るまで努力と工夫を重ねきちんと計算されているのがよく分かりました。タイミングが絶妙。そして役者が個々に人物を掘り下げ、台本の台詞をそのままやるのではなくアレンジし、台本とは異なる人物像を作り上げいるのもよかった。役者が台詞に頼ることなく態度や視線・動きで表現し、動作と停止を含めてきちんと演じている。特にお兄さんよかったなあ。動作も声の張り上げとかも、ものすごくよかった。たしかに役者さんによって声が聞き取りにくかったり、若干演技の甘い場所はありましたが、そこは書かなくても分かっているのでしょう。

気になったところは、講評でも指摘されていましたがやはりテーブルクロス。どんどん左にずれていってしまった。アドリブで直せるとよかったと思います。もうひとつ、途中で1ヶ月や半年などの時間経過があるのですが、部屋や服装がほとんど変化しないのがやはり気になりました。テンポよく転換するので仕方ない面はありますが、テーブルクロスを変えるとか(ずれないように重ねておいて上を1枚取るとか)、小物が増えてるとか、カレンダーをめくる以外に何か工夫がほしかった。カレンダーも「月」が客席からも見えやすいカレンダーを選ぶ(もしくつは作る)などの工夫があってよかったと思います。物語上半年や1年も経過する必然性は無いのだから「春から夏にかけて」のように季節の変化を出しやすい設定をしてしまう手も選択肢としてあったでしょう。

クオリティ高いんだけどさらに上を目指すなら、関係というものにもっと注目してほしかった。兄と大輔の引かれ合う間柄というのがもっと見えてほしかった。(台本のとおりなんだけど)中盤「さん付け?」と気になってしまった(さん付けから名前に変わるのはもう少し早くする選択肢もあったのかも)。例えば家族の前では視線を気にするだろうけど、特に二人きりになるシーンならちょっと好意みたいのが透けていいと思う。台詞じゃない恋心。もうひとつ、兄とはるかの関係。はるかが兄を慕う様子がもっと態度に出たらよかった。おなじことは他の兄弟にも言えて、そんな3人のことを(何も考えてないというのを含めて)他の兄弟はそれぞれどう思っていたんだろうかと感じてしまいました。もちろん現状でも演じていたんだけど、そういうのがもっと見えてほしかった。

こういう関係を描くのはいかにも仲良さそうなシーンよりそうでない日常シーンの方がはるかに向いているので、中盤3つのエピソードを1つ絞り膨らませ、二人の距離が縮まったきっかけエピソードを挿入するといいのかも。それを見ている家族の態度で、それぞれの気持ちも描けるし。

全体的に

本当によく出来ていて上映終わったときにほろりと来て、上演1分オーバーにも関わらずラストを巻きで終わらせなかった判断にまたほろり(苦笑)。客席に目の赤い人もちらほらみかけましたし。たぶん上演時間オーバーは、観客の「笑い待ち」をきちんとしたためなんじゃないかな。

お世辞抜きで今大会で一番よかったと思います。過去に見た桐南の上演の中でも一番良かったと思います。ほんとに関東大会行ってほしかった。行って全くおかしくない上演だったとそう思います。

伊勢崎清明高校「ショータイム」

作:小野里 康則(顧問創作)
演出:入山あやめ・小林 楓

あらすじ・概要

海に住むルカは得体のしれないものに誘拐されてしまった。得体の知れない者たちは、棒のようなものを振り何かをさせたいようだ。同じく誘拐されたトラはうまく課題をこなせるものの、ルカはうまくこなすことができない。元の海に戻りたいルカたちだったが、お目見えの時がせまり……。

感想

小道具ぐらいしかないほとんど何もないステージに腕にエラをつけたルカたちが、カラフルな色をした得体の知れない生き物(赤や青という色)にさらわれる。その者たちとは言葉が通じない(「うー」とか「あー」とかしか言わない)。途中までよく分からなかったのですが、どうやら人間達に捕まりイルカショーの訓練をさせれるイルカたちを比喩しているようです。もうすこしその比喩であることを分からせる判断もあってもよかったかなと思いますが、どちらが良いかは悩ましいですね。

比喩的で難しい内容をよくがんばって演じていました。まして声が出せない人たちの演技というのは態度でするしかないわけで、そういう面での演劇らしさがあってよかったと思います。

ただ演劇は表現であって伝わってこそと考えたときは、もっと工夫がほしい。比喩表現も伝わなければ意味がない。ここはこういう比喩なんだよっていうだけでは舞台を作る側が楽しんでるだけで終わってしまいます。ラストシーンをみて解釈するならば、得体の知れない者たち(以下人間たち)に無理矢理振り回されて、いやいやながらも少しだけ気持ちを通わせてしまうという物語りです。であるならルカたちと人間たちの関係をもっともっと丁寧に作り込んでほしかった。ルカたちの人間たちへの気持ち、人間たちのルカたちに対する気持ち、そういうものを態度で示す。とても難しいけども、でもそれをしないとこの演劇は成立しない。

もうひとつ重要な要素はルカがこなせなかった課題。あれはもっと難しいものにしないと、ワザと失敗しているのがあからさまで見ている側が引いてしまう。難しい課題であれば観客は自然と応援します。がんばれっ、がんばれっと。この「がんばれ」があると無いでは演劇全体から受ける印象が全然違います。うまく観客から「がんばれ」という気持ちを引き出すことが出来れば、最後のシーンでルカが「もう一度挑戦したい」と言うことも、そこで成功したとき「よかった!!」という気持ちも観客と共有することができます(カタルシスという奴です)。本当に難しくなってしまいラストシーンで2度3度挑戦したってそれはそれで演劇上何ら問題無いのですから(むしろその方が良いぐらいなのですから)、何かそういう課題を用意できなかったものかと非常にもったいなく感じました。

この2点がクリアされれば、見違える舞台となっただろうに惜しく感じました。突然救いにやって来る「エール」という存在の意味も意義もよく分からず最後まで疑問符だけが残ったんですが、その存在を無くしてもこの劇は十分成り立つのではないかと思います(現状だと明らかに要らない)。例えば海に面した水族館が地震などの出来事で救われるという設定でもいいわけですから。

劇全体としてきちんと丁寧に作っていました。よかったです。