桐生第一高校「問題の無い私たち」

  • 作:久保静江+観音寺第一高校演劇部(既成)
  • 潤色:山吹緑+桐生第一高校演劇部
  • 演出:小暮きらら、松村桃花、植松真紗紀

あらすじ・概要

開幕、高校演劇の審査員シーンから始まります。「ネット台本はNG」「等身大の芝居を」などのダメ出しをされる部員たち。それから1年が経ち、再び高校演劇の大会がやってきてた。

感想

調べてみると、2014年の全国大会の台本だそうです。

最初の講評シーン、リアリティがありすぎてびっくりしました。特に先生役の見た目。

「えっ、何、上演なのに、講評始まっちゃった??」

上演だと分かっているのに軽い混乱状態。ただ、もっと嫌味たっぷりに演出したら笑えたんじゃないかなとも。あとちょっと早口だったかな。

さて中幕が空いて、舞台装置が見えます。下手にテーブルや四角い箱。椅子とテーブル2セット。上手側に、黒いフレーム場の3段の段差。更に上手に低い棚で後ろはホリ。部室という設定らしいのですか、もっと部室っぽいゴミゴミした部屋感を出せなかったのかな? ホリを使っているところもですが抽象劇っぽく感じます。でも、この劇は完全にリアルに振らないと面白くない。

全体的に演技が早口で聞き取りにくい。聞き取りにくいので進行の把握が遅れます。理解が追いつきません。かなりもったいなかったですね。もっとゆっくり話した方が良いシーンがたくさんありました。

常に結構な人数が舞台上に居る集団劇なのですが、動きはよく整理されていました。集団の中でのそれぞれの動きなどはよく考えられていたと思います。でもリアクションがあまり出来ていませんでした。準備している(順番待ちしている)様子すら感じられてしまった。

気になったところ。

  • 相手を指さして叫んだり、両手を挙げて呆れたりという「型」の演技が多く見られました。リアルじゃない。
  • 照明ミスがちょっと多かったかな。
  • 客席に出るシーンではピンスポットを使って照らした方が良い。
  • お菓子の箱、明らかに中身が空だったんだけども、空にした意味が分からない。全くリアルじゃない。
  • ラストシーンで踊るのなら、もう少し綺麗に踊ってほしい。

この上演を見て、台詞回しは酷いし、無理な独白ばかりあるし、シナリオ進行のための無茶なシーンばかりで酷い台本だなと思いました。いわゆるネット台本かなとすら思いました。ですが、それはすべてわざとだということが、上に書いたサイトの感想を読んで分かりました。少し長いですが引用します(太字強調は当方による)。

ただ、そんな審査員批判、よくある演劇部モノで終わらないのが、本作のすごさ。

途中、「勝つために演劇をすることと、楽しんで演劇をすることの、どちらが正しいのか」「放射能汚染から逃れるために転校してきた男子生徒の悩み」「病弱な弟に家族の愛情が集中し、孤独を感じる女子生徒の悩み」「ほのかな部内恋愛」など、もはや高校演劇でさんざんやり尽くされたテーマを登場人物たちが延々と吐露しはじめた時は、結局、ここも審査員の求める高校演劇の型を踏襲するだけかと危惧しました。

が、最後にそのすべてを投げ打って、それぞれの登場人物たちが吉本新喜劇や宝塚、ミュージカルなど自分の好きな演劇の衣裳を身にまとい、『コーラスライン』の音楽に乗せてラインダンスを披露。そして、緞帳が半分まで降りたところで全体がストップモーションし、「ま、これも顧問が作ったんですけどね」とすべてをぶち壊す一言で幕となります。

すべては作り手の巧妙かつ狡猾な仕掛けの中で踊らされたと気づいた瞬間に、なぜか湧き上がる圧倒的な爽快感。客電がついた瞬間、異様などよめきで場内が揺れました。

第60回全国高等学校演劇大会に行ってみた。【2日目】 | ゲキ部! -Official Site-

本上演の問題は、中盤の「登場人物たちが問題を投げ捨てた」感がしないことです。投げ捨てたというよりも、強引に解決しました「ちゃんちゃん」みたいに取れてしまいました。もっと投げ捨てたとはっきり分かる演出をしてほしかったし、部長はもう少し「登場人物たちの悩み」を取り入れることに執着して欲しかったかなと思います。執着を表す台詞表現はたしかにあるんだけども、舞台上にいる部長という人物が異様に執着しているという印象がなぜか薄く感じられました。

そしてラストシーンの「ま、これも顧問が作ったんですけどね」という最重要台詞が抜け落ちていることです。(桐生第一の)顧問が書いてないから削ったのかもしれませんが、「他校の顧問が書いたんですけどね」と言い換えたり、代わりのものを用意したりせず、その台詞を単に削ったということはこの台本の意図を全く理解していないということになります。

パンフレットによると5年ぶりの県大会だそうです。桐生第一は真剣にすごく手間をかけて舞台をいつも作られているのですが、それでも5年ぶりになった最大要因をあえて指摘するなら、そういう全体を見通す視点の欠如、観客視点の欠如です。桐生第一ほど「実力があるのにもったいない」と毎回感じる高校もなかなかありません。*1


色々書いてしまいまたが、舞台に真撃に取り組む姿勢は素直に評価したいです。とても頑張って、そして終盤はとても楽しんで演じられていたと思います。特に踊りは楽しさが伝わってきました。上演おつかれさまでした。

*1 : そしておそらくそれは顧問の先生(?)に欠けている部分です。上演は生徒のみなさんのものです。顧問の先生に頼り切ることなく、生徒のみなさん自身でちゃんと劇を作り上げてください。当サイト内の過去の桐生第一の感想を読むだけでもヒントになるかと思います。

伊勢崎興陽高校「お引っ越し」

  • 作:笠原 彰(既成)
  • 潤色:江原 慎太郎(顧問)
  • 優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

狭くてボロくて雨漏りするような家に住む、女だらけの一家のお引っ越し。引っ越しが間近に迫りながら、そこで交錯する人間模様。

感想

舞台下手に大量に積まれた段ボール。舞台中央に1つだけ置かれた「わたし」と張り紙された段ボール。その上手側にお姉ちゃんと書かれ積まれた段ボール、さらに上手にお母さんと書かれ積まれた段ボール。舞台中央にテーブル1つという感じで舞台全体を使っています。極めて不自然でした。

  • 台詞にある狭くてボロくて雨漏りするような家にしては広すぎる。しかもこれ以外に次女の部屋等があるっぽい。
  • 段ボールに直接書かず、邪魔な張り紙(しかも上だけで止めている)をしてラベルを書くことが不自然。
  • その不自然さを演出として許容したとしても、このラベルは一体誰が書いたものなのか? ラベルの内容から三女が書いたと解釈するのが自然なのだけども、自分が梱包した段ボールに自分でラベルを貼らない不自然さやラベルに「わたし」と書くことの不自然さが際立つ。*1
  • 下手に積まれた大量の段ボールは、ほぼすべてに張り紙がしてあり、「ポスター」とか趣味系のものが並んでいて(中にはネタっぽいものもあり)、生活用品など当然あるべきものが見当たらない。
  • 引っ越し当日ではないのに、家具が全くない。

結構頑張って段ボールとか用意したと思うのですが、残念ながら引っ越し前日というリアリティが欠如しています。また講評でも指摘されていましたが、片付けてをサボってると起こられても、部屋に何も散らかってないのでもう片付けるところないじゃん? という問題もあります。

さて、母親と長女と三女、なんとなく雰囲気似てる。家族っぽくて良かったです。掛け合いとか面白いし、間の使い方も結構頑張っていたと思います。母親はちょっと早口だったかな。もう少し落ち着きがあっても良かったかも知れません。

劇中、古いバット(とグローブ)が出て来るシーンがあるのですが、バットが新品同様。汚しておいてほしかったかな。

講評でも指摘されていましたが、最後のカントリーロードのBGMがカットオフされるのは不自然でした。しかも歌詞の途中の変なところで突然切れるのは良くない。「あの街にー、続いていくー、気がするー、カントリーロード」の部分まで十分聞かせてフェードアウト。幕の落ちるタイミングもそれに合わせた方が良いでしょう。

間や緩急の使い方は、よく気を配っていたと思うのですが、演技、特に動きが「型」だったなと思います。相手に向かって行く演技。怒られて縮こまっている演技。挙げればキリがないのですが、それらしい演技をただしていたという印象がとても強い。かと言って、コメディ劇というわけでもない(コメディに振り切った上演でもない)。

つまり、舞台装置からも、演技からもリアリティが感じられない。それが最大の問題だと思いました。*2

台本にいくつか問題はありますが、それでも台本の作りを考えると父親や家族の関係にもっと焦点を当てて上演してあげるか、それらをすべて投げ捨ててコメディに振り切って上演する必要があるように感じました。関係性(や距離感)が上演から示されたという感じがあまりしなかったので、ラストシーンの印象もなんかもやっと……。

とはいえ、きちんと笑いが取れる演技をしていて、家族感もあり良かったと思います。上演おつかれさまでした。

*1 : おそらく父親不在を暗喩したかったのだと思いますが、だとしても不自然すぎました。

*2 : 最優秀賞の学校でも書きましたが、今年の審査基準は「舞台上で本当に起こっていると感じられたか」だそうです。その基準でこの高校を優秀賞に選んだ審査員の感覚はやはり疑問です。

新田暁高校「靴下スケート」

  • 作:中村 勉(既成)
  • 演出:半田 実

あらすじ・概要

部屋いっぱいのゴミ袋。それは中学生、加奈子の部屋だった。そこへやってくる大学生の家庭教師、優子。

感想

開幕……のベルが鳴ってから2分開幕しない! 何かトラブってるのかとソワソワしました(苦笑)

幕が上がり、薄汚れた白壁(風のパネル)で囲まれた部屋に、いっぱいの黒いゴミ袋。200個ぐらいあったのかな。小道具もこの中に一緒に隠されているので(ゴミとして)、これ用意と配置相当に大変だったろうなうと。

中村勉さんの台本*1ということで、これまた難しい内容でしたが、すごく丁寧に演じられていたと思います。間を慎重に使い、二人の掛け合いをとても重視して、リアクションにもかなり気を使っていました。良かったと思います。

気になったのは「黒いゴミ袋」。よく探してきたなというのもありますが、今時黒いゴミ袋でゴミを出せる自治体があるとは思えない。膨らみ方もほとんど一緒。そして中に入っているものが「軽くてカサのあるものなんだろうな」ってのが見えちゃった。つまり嘘が見えてしまった。

ゴミに埋もれてた椅子と机が、新品同様に綺麗だったことも不思議でした。壁が薄汚れてる部屋にある椅子と机としては不自然。ちょっともったい無いけど汚して欲しかったかな。そして劇中でさんざんゴミと戯れた後の、最後のシーンで「汚れるから」と作業着に着替えるシーン。これも説得力がないですね……。

細かいところだと、BGMが少しうるさく感じられた部分があったのと、大学生の優子はもう少しだけ落ち着きがあると雰囲気が出て良かったかなと思いました。


かなり丁寧に作られていたし、ラストシーンでゴミ投げ合うところとか序盤との対比になっていてよかったと思います。でも、見ていてどこか物足りない。それはなんなんだろうと考えると、二人の距離感に変化が感じられなかったからだと思います。それは心の距離であるし、分かりやすくは物理的な距離でもあります。

加奈子は「優子が邪魔で邪魔でしょうがなかった」し、優子は「(受け持つ受験生として)面倒くさいハズレを引いてしまった」ぐらいに思っていたはずです。そう考えると、二人は最初からお互いに「相手に対して興味を持ち過ぎ」だったし、「相手の話をちゃんと聞きすぎ」だったと思うのです。

この二人の距離感に対する配慮が足りなかったのではないかと感じました。

難しい台本に挑み、よく研究して上演されていたと思います。上演おつかれさまでした。

県立前橋高校「ON AIR」

  • 作:古澤 春一(既成)→台本はこちら
  • 翻案:群馬県立前橋高等学校演劇部
  • 演出:加藤 奏汰
  • 最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

あおぞら高校文化祭にて放送される校内放送「あおぞらラジオ」。しかしその放送にはとある秘密があった。

感想

舞台上にはラジオの放送卓と、卓上の小型ミキサーやペットボトル(水)などが置かれ、ひと目で放送ブースとわかります。その中で進行する一人芝居になります。台本とは高校名とか主人公の名前とか変えて、ラジオドラマやはがきなどかなり脚色されているようです。

この役者さんが発声がよくFMラジオチックな魅力のある男の一人喋りを聞かせてくれます。聞いているだけでも心地よい不思議な時間が流れます。途中のラジオドラマシーンなどでは3人分の登場人物を即座に演じ分け、それでまた違和感なく進行します。とても素晴らしいです。

迷いがなく滞りもなく、立板に流れに水のごとく流暢に喋りと舞台が進行し、この演劇はどこに行くんだろう?と思わせてくれます。途中のラジオドラマでは完全に笑いを取り、観客の心を掴みます。さすがの最優秀賞です……と終われればよかったのですが(苦笑)


文化祭の生放送ラジオという建前で進行しているため、見ていてものすごい違和感を覚えます。

  1. 放送中にサブブース(放送スタッフ)とやり取りしている様子が全くない。
  2. はがきを、淀みなく流暢に読み続ける。
  3. 進行表(タイムテーブル)を確認している様子も、時計を確認している様子もない。

このうち1番目は問題ありません。実際には一人でやっている録音というオチにつながるので、この違和感は正常です。

しかし問題は2番目、3番目です。実際に10分でもいいので、どんなに準備しても良いので「生放送ラジオ」(無編集本番)というものをやってみると分かるのですが、一度も「えーっと」みたいにならず進行することなど不可能です。それは実際のラジオの生放送(一人喋り)を聞いてみればすぐに分かることですが、次のはがきを探したり、次の進行を一瞬考える「間」だったり、時計や進行表を確認して時間配分をどうするかという「迷い」があります。

はがき等は、字のうまい下手もあり簡単に読めないこともありますし、フォーマットが決まっているわけではないので、ラジオネームを書く場所も人によってバラバラです。裏側にラジオネームを書く人も入れば、表側に書く人もいますし、そもそもラジオネームを書かない人も居ます。このようなラジオネームを探す「間」なんて、実際のラジオを聞いていれば飽きるほど見かけるシーンです。

しかもこれらの「間」はプロが行って、サブに数人のスタッフがいる状態でも起きます。放送部員とはいえ素人がサブのスタッフが居ない状態で行って「間」が発生しないことはあり得ません

つまり「本当に放送している」というリアリティがまるでないのです。これがこの演劇の最大の問題点です。*1

リアリティの欠如は以下の点でも見られます。

  • 卓上で操作してないのに、SEやBGMがタイミング良く鳴っている。*2
  • ラジオドラマの効果音が、ラジオドラマの効果音の付け方ではなく演劇の効果音の付け方になっている。*3

上演を見ているだけで、とても練習されて、いっぱいいっぱい努力されているのはよく分かるんです。それは本当によく分かるのですが「練習して練習して練習して、もう全部、台本の最初から最後まで頭に入った状態で、一度それをすべて忘れてリアクションをする(初めて経験したことだと見せる)」という、演劇の基本要素をクリアできていないことも悲しいながらまた事実です。ラジオ生本番というのもは、完全に練習されて流れるように演じてしまってはいけないのです。

「一言一句すべての台本が用意されたラジオ放送であり、主人公は並々ならぬ情熱でそれをすべて頭に入れた」

という反論が成り立つかどうか。それは、その意見を(多数の)観客が「妥当だ」と判断できるかどうかで考えると良いです。個人的意見としては「そんなものはラジオ放送とは言わないし、それを納得させる説得力は舞台になかった」と思います。

関東大会前に本物の生放送ラジオやラジオドラマをよくよく研究されることを切に願います。


色々述べてしまいましたが、一人舞台という難しいものに挑戦し、それを見事に演じきり、ものすごい量の練習を重ね、滞りのない舞台を完成させたことはすばらしいと思います。ちゃんと笑えたり、観客を楽しませたりする劇を上演するというのは簡単なことではありません。上演おつかれさまでした。

*1 : 今年の審査基準は「舞台上で本当に起こっていると感じられたか」だそうですが、その基準でこの高校を最優秀賞に選んだ審査員の感覚は甚だ疑問です。

*2 : 設定上は存在しないサブのスタッフが仮に居るとしても、きっかけ合わせをしている様子がまるでない

*3 : おそらく、まともにラジオドラマを聞いて研究するということを行っていない。

共愛学園高校「七人の部長」

  • 作:越智 優(既成)
  • 演出:飯塚 ゆき子
  • 優秀賞

あらすじ・概要

部活動の予算編成会議のために集まった7人の部長たち。学校の都合で去年よりも更に減らされた予算をこのまま了承するのか。話し合いが始まった……。

感想

高校演劇における超有名台本で、観るのは4回目です。

舞台奥に黒板を配置して、その手前にテーブル。テーブルのまわりに椅子をばらばらと乱雑に配置した舞台でした。途中、みんなが黒板の方を向いて進行する場面もあり、向き合ってる1人を除いて6人の役者が観客におしりを向けながら進むという、ある種異様なシーンも何度も登場。それでもちゃんと台詞が聞き取れるのはすごい。

問題は講評で指摘されていたとおり早口なことでしょうか。発声がかなりしっかりしているので、それでもほとんどの台詞は聞き取れるのですが、「掛け合いの妙を楽しませる台本」なのに台詞の理解がワンテンポ遅れるので、ぜんぜん笑いが取れていない。リアクションも取れてません。

5分残しての上演ということから考えるに緊張してしまったのかな? 演者が他の人のペースに巻き込まれるということもよくありますし、みんなでどんどん巻いてしまったのかなと思いました。練習ではちゃんと笑える上演だったのかもしれません。でも、残念ながら本番が全てなのですよね……。

人物の動きやリアクションも気になってしまいました。

  • 誰かが話そうとすると、みんな顔を向けて少し前かがみ
  • 何か説明されると、みんな顔を縦に振ってうなずく
  • 大きい声にはみんな体を引いて反応

などなど記号の動作ばかり。全部コメディの演出なのですよね。しかし、こういう演出をしてしまうと人物の会話としての面白さを殺してしまいます。この台本の「笑い」はあくまで演劇の笑いであって、漫才コントやTVコメディの台本ではありません。野球部なら野球部の、演劇部なら演劇部の、生徒会長なら生徒会長の、それぞれの人物がきちんと生きて、それぞれの背景や立場を理解していき、そこに成り立つ会話が面白いという作りなのです。要するに、笑うには登場人物のリアリティが必要なのてす。しかしこの演出はリアリティを殺す演出です。

もうひとつ問題が誰が何部かよくわからないことです。全員同じ制服姿です。スカートの下にジャージを着ている人も居ましたが、ほとんど目立たない。せめて持ち物に差をつけて座っている椅子の近くに置くという方法もあったと思うんですが、それもない。実際に「本当の学校で部長の会議をしたらみんな制服」にはなりますが、そのリアリティを追求して分かりやすさを犠牲にする。でも動きの演出はコメディでリアリティを殺す。このちぐはぐは何なのでしょうか。

もし「自分たちオリジナルの七人の部長」への強いこだわりがあったのだとしたら、「七人の部長」からコメディ要素を排除してシリアスな劇に仕立てあげることもできたんじゃないかと少し思ってしまいました。もちろん台詞や掛け合いの面白さは残しつつ、笑いを取らない、徹底的にリアリティに拘った演出をするとかですね。


とはいえ、他の「七人の部長」では「笑い」を取りに行くことに一生懸命になって終盤シーンがおざなりになることが多いのですが、これだけしっかりと伝わってくる終盤はめずらしかったと思います。よく出来てました。演劇部の下りあたりから明らかに気合入りまくりなのは「もう正直だなー(苦笑)」って。

あとこの台本、いかんせん賞味期限切れな気がします。「レンタルビデオ」とかネタとして出されるアニメの作品名とか、さすがにもう古すぎる。ちょっと昔の現代劇って一番演出しにくく、それでも間違えなく良い台本ですから本作を演じたい気持ちはわかるのですけども、その違和感を払拭できる演出にはなっていなかったんじゃないかと思いました。

その他、超有名台本ならではの難しさはあったと思いますが、そこに本気で挑戦した心意気は買いたいですね。上演おつかれさまでした。