新島学園高校「サボリバ」

作:大嶋昭彦(顧問創作)
演出:(表記なし)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

先生の居ない保健室にやってきた水谷(女子生徒)は生徒会長に立候補していた。選挙は6時間目。そのことで悩んでいると、保健室の奥から辻(女子生徒)がでてきた。二人はやがて選挙対策を考えはじめ…。

顧問の先生のところに上演までの状況が掲載されています。台本完成が半月ぐらい前みたいです。

感想

幕開いて、舞台上に見事なまでの保健室。左手のパネルにポスターと掛け軸。病院や保健室でよく見かける白い布貼りのしきいが在り、続いて中央奥に白いパネルで前面。右手に少し空間があり、右手に白パネル。正面には入り口の扉(白い扉のガラス窓)があり、左手手前にスチールラック(教卓)、中央にピンクのビニル貼り長椅子2つ、右手に身長計、座高計、体重計。相変わらず見事な舞台の作り込み。さすがでした。一目で保健室と分かりますし、3面をパネルで囲んできちんと保健室と分かります。だだっ広くもなっていません。

物語は、先生にそそのかされて生徒会長に立候補することになった水谷と、それにアドバイスをする辻から成ります。二人とも、声のトーンや強弱の使い分けがうまく、さすがだなと感じました。日々の練習の成果なのでしょうか。気持ちを入れて、役に入って演じるというのは気付いてしまえば簡単なことなのですが、それができるには結構難しい。あと、辻役の声いいなーとか思ってました。ただ、台詞がやや矢継ぎ早に出てくるので、もう少し間やトーンを付けてもいいんじゃないかと感じるシーンがいくつもありました(特に前半)。全体的によく演じられているだけに、もう一歩という部分が逆に目立ってしまった。たぶん練習すれば自ずと直るのでしょう。上演時間が5分残った点からも考えて本番の焦りがあったのでしょうか。

とても高い完成度で出来ていた一方、それにしてはオチなかった。水谷に会ったことで「辻が保健室から外に出た」という非常に素朴な物語なのですが(良い意味で)、辻という生徒が保健室から今まで出られなかったということが全然描かれておらず、演じ手からもそれが伝わらなかった。どうして辻は保健室に引きこもっていたの? 辻は保健室の「外の世界」をどう感じていたの、何を感じていたの? 残念ながら、劇全体からそういう思慮がまったく感じられませんでした。保健室登校である辻の持つダークな部分、影の部分。それがないと「辻さん保健室から出られてよかったね」というラストシーンにならない(説得力を持ち得ない)。演じ手の問題が講評で指摘されていましたが、台本の要因も大きいと思います。

台本について

この本は難産だったようですが、それを感じさせない完成度ではあります。しかしながら、上で指摘したオチない致命的な問題もあります。ギャグや軽快なやりとりに傾倒したなあという感じですね。本を書いていると、よくあることですが、最初に戻って修正している暇がなかったのでしょうか。

関係ない話ですが、この演劇を観ている最中、辻の正体は「対立候補である姫川なんだろな」と思っていました。ベタな展開ですが、それもありだったんじゃないかと思います。

全体的に

やっぱり新島の唯一の弱点は(例年通り)物語全体として何を見せるかという配慮の不足なんだなあと感じます。生徒のどなたかでもこれを読んでいてくだされば嬉しいのですが(毎年新島の感想を書くときは特にこの想いが強くあります)。物語全体として何を観客に表現するのか、もっとよく考えてみてください。こちらも参考までに読んで頂ければ幸い。

本作とは少し離れてしまいますが、1日目上演の、同じ保健室が舞台の高崎東高校とまったく同じ構造、そしてまったく同じ問題を持っている劇ということは興味深く感じました。保健室少女をどう描きどう見せるかですね。

劇全体は細部に拘って非常によく作られていましたし、本当によくできた演劇だと思います。関東大会でもがんばってください。

新島学園高校「りょうせいの話」

作:大嶋 昭彦
演出:新島学園演劇部
※最優秀賞(全国大会)、創作脚本賞

あらすじ・概要

たった3人しかいない、今の時代向きではなくなった寮とそこに暮らす寮生と寮母。やってくるOB。そんな人たちの織りなす、寮でも一幕を描いた物語。

主観的感想

脚本について

顧問創作。演劇部が練習場として使っている閉鎖された寮とそこにかける想いによって作られた本とのことです。ここのところ、全国で使われたの既成本が多かった新島が創作台本で勝負してきました。内容はというと非常に秀逸です。

話は、来年閉鎖する寮で1人残って寮から出て行くことになる主人公ケンジが、あこがれの先輩にメールで告白をといったありがちなものです。しかし、それを支える登場人物とそこにやってくる元寮生の小杉、先輩二人の寮生、そして三十路近くにもなりながら寮母をしてしまっている、ある意味で「寮」に取り憑かれてしまっているそんな人たちの織りなす物語になっています。

とにもかくにも、寮という場所に対する想いをこれでもかと詰め込んだ本です。

脚本以外

幕があがって、寮の食堂が見えます。左手に壁があり手前に電子ピアノ。切れ間(勝手に繋がる通路)があって正面にも壁。左から絵が2枚飾られ、レンジが置かれ、中央の黒板の上に時計。右手にドア、カベ、そしてちょっと古びたソファー。舞台中央にテーブルが二組。こじんまりとした寮の一室を、黄色味のあるライト(電球色)で着色した、みただけで引き込まれてしまうようなセットです。講評でも述べられていましたが、雑然とさせることもなくセットに物が置かれ、寮の一室という狭くもなく広くもない空間を見せ、それでいて2組の机、ソファー、電子ピアノといった小道具を劇中で効率的に使い人物を配置しています。録画テープをもらってでも、何がどうなってるのか研究してみる価値はあります。

そして演技にも隙がまったくありません。よくある劇団(とか小劇場)の現代劇と同じクオリティ(むしろその辺より上手いです)。例えば、最初におばあさん(外部のお客)がケンジを連れて入ってきて、寮生と寮母さんがやや緊張して、おばあさんが居なくなると「はぁー」っと肩をおろして緊張がゆるむ。外部の人間と内部の人間という区別をその体の動きだけで表現仕切っています。動きに全く隙がなく、一人一人がきちんとその劇中で動いています。

見事としかいいようがないのですが、いくつか気になったところ。まず講評で指摘されてなかったのが不思議だったのですが、すべての台詞が早口です。現状でも成り立つのですが、あと少しだけ「間」を取って話した方が良いです。動きやその他の演技・演出のクオリティに対し、台詞の「間」だけが負けています。原因は明らかで、台本の詰め込みすぎです。60分の上演時間に対して、やや台詞が多すぎます(無論間を取るためには少し削るしかありません)。そのために、演技のメリハリもいまいちの面があり、台詞に対する強弱が少なくなっています(無いのではない)。特に、小杉と寮母はもっと「大人の間」で台詞をしゃべならないと不自然であって、本来オーバーでゆっくりに話すべき台詞(例えば「えっ、何のために学校行ってるの?」とか)があまり生きていませんでした。

もう一つ気になったのはシリアスシーンが(全体のクオリティに対して)やや甘ということです。この辺は講評で指摘されていた「ケンジの恋心やその背景があまり見えてこない」ことも関連してくると思います。言ってしまえば、この恋話は寮という主題を盛り上げるための小道具に過ぎないわけですが、小道具だからっておざなりにしていい理由にはなりません。このお話に深みを持たせるエピソードや台詞を足すのは無茶ですが、演じ手の動き・動作を突き詰めるだけでそれを表現することは十分に可能なはずです。コウタとケンジの対立というこのお話唯一のシリアスシーンを軽く流すことなく、見せ場であることを意識して、もっともっと登場人物の気持ちを突き詰めることは必要でしょう。

全体的に

今まで観てきた新島の演劇の中では一番の、全国に行っても恥ずかしくない演劇です。関東という試練がないのは残念な気もしますが、あっても多分突破していただろうと思います。

新島自体の演劇のレベルは去年・一昨年と大きく変わっているか言われれば、進歩しているものの(元が高かっただけに)そこまで大きく変わってはいないと思うのです。ですが、今年はテーマを理解して演じていたことが大きかった。きちんと「寮という場所が主役なのだ」ということが、役者もスタッフもみんな意識していたことがきちんと伝わり、それこそが例年との違いなのだと思います。例年の新島の最大の失敗は「テーマに対する理解不足」でしたから(話の舞台が普段慣れ親しんだところであるといことも大きいのでしょう)。

観客を見事に舞台に引き込んで一体となっていました。寮への愛情の勝利ですね。

新島学園高校「桜井家の掟」

作:阿部 順
演出:新島学園演劇部

※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

桜井家の4人姉妹の元へ、次女の蘭が彼氏を連れてくるという。乙女を夢見る長女夏実、ワルな感じの次女蘭、食べるの大好きな三女の杏、なんでも言ってしまう四女真希という個性豊かな姉妹劇(家族劇)。連れてくる彼氏にビクビクする夏実と杏。しかし、光一はごく普通の男子だった。ほっとしたその彼の前で、突然真希は「自分たちの親は離婚して、今週いっぱいで離ればなれになる」と告げる。

脚本について

2002年度に行われた第48回全国高等学校演劇大会で千葉県立薬園台高校が上演した優秀賞受賞作。高校演劇Selection 2003下収録

主観的感想

毎年毎年、変に小難しい台本を選んでは失敗してきた感がある新島ですが、今年は新島に合った(注:見下しているのでなく、過去の地区公演を見る限り気質として合っていると思う)台本でドタバタコメディ。掛け合いの間や登場人物の個性付けなど、非常によく出来てました。まあ、ほとんど地区公演の修学旅行と被る人物と配役だったような気もしますが、その意味でも余計役作りはしやすかったのではないかと思います。非常に面白かったです。

前半、少しだけ間か詰まっている(ほんのちょっと間がほしい)と感じる場面はありましたが、全体的にいい掛け合い(間)をしていました。掛け合いの妙(テンポ作りなど)はさすがです。途中、三女(か四女)のほほを叩くシーンでスローモーションで暗転したのですが、あれは意味がわかりませんでした。遊び心としては好きですが、あまり効果的な演出ではなかったように思います。

装置は部屋をきちんと作ってきていてさすが。ただ扉が若干ぐらついていたのが気になりました。講評によると、あれだけ激しく扱ってもびくつかないのは大変な労力ということですが、でも少しグラついてしまったのが残念。また階段の部分がセットで切れ目になっているのですが、階段を挟んで舞台奥側と手前側に隙間が見えるのが残念でした。奥側にもう1枚パネルをおいてほしいと思います。

さてここまではいいのですが、相も変わらず新島の問題はテーマとその解釈(演出)です。毎年のように演出不在の新島は、例年全編を通して何かの1つのテーマを描くということが大変苦手で、今回の家族劇というニュアンスで劇をみたときに光一の存在がどっちつかずになっています。姉妹劇(家族劇)なのに話の中心、スポットは常に「蘭とその彼である光一」に当たっているわけで、「あくまで4姉妹が主役なんだ」という主張(演出)がまるで見えてこないのです。ラストシーンで姉妹みんなでケーキを食べ、それをバックから(姉妹の)親とおぼしき人影が見つめるのですが、その前のシーンでは光一が居るのに、最後の最後で奥(台所?)に引っ込んでいて出てこない。なぜ出てこないんだという疑問と共に、このラストシーンに来てようやく主役は4人姉妹だということが分かるのです。逆に言えば、最後にそのシーンをみないと主役がどっちだか分からないのです。

ラストシーン前では、彼氏(光一)のことは噂させる程度にしておくべきだったのではないかと思います(引っ越しの手伝いには来ているけど何か買い出しに言ってるとか、用事で帰ったとか)。

【全体的に】

音の処理や光の処理はさすが新島という感じで、安定感がありました。演技や舞台装置、その他すべてを含め本当に安定した作りになっていると思います。とにかく間の使い方が適切で、他校にはぜひ参考にしてほしいと感じました。地区公演と違い作り込んでいる様子で(逆に言えば地区公演は若干手抜き感があるわけですが……)、全体の作りはさすがでした。

これだけ実力があれば、あと必要なものはテーマの解釈とその演出なんですけどね……。これ、地区公演含め昔から何度となく書いてきている割に進歩がないのでダメかもしれませんが(である限り関東突破もダメだと思いますが)。参考までに、検索して見つけた青山先生の評はこちら。私より的確でしょう。

審査員の講評

【担当】鈴木 尚子 先生
  • この作品は全国大会の台本だと後で知った。既成本でも、地元地名を取り入れ丁寧に作り込んでいた。
  • 時計の針が進んでいたり、カレンダーに×が増えたり、取り外したものの跡が残っていたり、最後のケーキがリアルだったりと、細かいところまで手を抜かず非常に丁寧な作りだったと思う。
  • 照明、音響、装置なども適切でよく作ってあった。
  • 窓があってその向こうにキャラクターの細部まで見えたのはすごい。
  • 四人姉妹が姉は姉として、妹は妹としてキャラが立っていた。
  • 光一の母の豹変ぶりとか、こっちの度肝を抜くような、かといって違和感を感じることもない全体的なアンサンブルの良さはさすがだった。
  • 光一の父がフィリピンパブの人と電話するシーンでは、さわやかすぎた感じがする。もっとギトギトした感じが出てもよかったのではないか。
  • 今後の4人姉妹を想像させる、よくい作品。
  • 欲を言えば、声が重なるところなどでそれぞれの役者がもう少し声が出たりパワーが出たりするとよかったかな(編注:記憶曖昧)。
  • あとカナヅチ、ノコギリとかは(編注:視覚的に)もっと分かりやすい方がよかった。

新島学園高校「開運ラジオ」

脚本:平田 俊子
潤色:新島学園高校演劇部
演出:(表記なし)

あらすじ

突然現れたエレベータ、そこの乗り込む少女は「9825階」を指定した。エレベータ(ごっこ?)からおばあさん、そして子供たちところころ変わる情景の先には何があるのか。

脚本についての説明

市販の劇曲集に収録された脚本を使用しているようです。検索すると、結構多くの劇団で上演されています。どうやら、ラジオのチューニングのようにめまぐるしく変わる情景から何かを描き出す作品のようです。「ようです」というのは上演を見た限りでは伝わってきませんでしたということです。

主観的感想

桐南同様に、声が聞き取れない。エレベーターガール(別役ハルエ)、昼子、2人目のお婆さんが特に聞き取りにくく何を言っているのかわからない。全体的に仕上げて来ているにも関わらず致命傷です。新島は、昨年度末の公演から期待していたのですが、スタッフを見比べてみると大半が居なくなっている(=卒業?)と、つまりはそういうことのようです(引き続き居るのは3名のみ)。で、おまけに演出不在と……。

本は難しい本です。その代わり、きちんとやれば上位を狙えるそういう本だと思います。ということはそれ相応の意気込みがあった証拠であって、至らない点は当人(昨年度を知っている人たち)が一番よく分かっていると思いますが、絶対的に演技力不足、そして演出の欠如です。まず始まって野原のエレベーターという設定なのですが、パンフレットを読まない限り「野原」ということは全く伝わってきません。最初のエレベーターごっこも、本物のエレベーターが「ごっこ」という言葉とともに消失したのか、本当にエレベーターごっこだったのか分かりません。とにかくあれもこれも全部分かりません。台本を読んでいませんから推測になってしまいますが、この本は現実(リアリティ)と非現実(バーチャル)の微妙なライン(境界)を保たないと成り立たないように感じるのですが、だとすればその点(上演する側がきちんと)理解していたのか疑問です。

【全体的に】

台詞が聞こえないことに輪を掛けて演出的思考の欠如、そして難しい台本。当然の帰結として「何がやりたかったのか理解できない」ということになりました。舞台をみれば一生懸命頑張ったことはよく伝わってきましたし、情熱も分かります。だからそれだけに惜しいという思いが見ている側としてはやはりどうしても強くなってしまいます。

台本を潤色(アレンジ)するとき、舞台装置を作るとき、そして何より劇を作るときに「演出的」思考を絶対に忘れちゃだめです。これは本当に大切なことです(参考、昨年度の県大会全体的な感想)。ちょっとそこに気を付けるだけで、もの凄く見違えるのではないかとそんな風に感じました。

審査員の講評

【担当】石村
  • 舞台装置。花や生け垣のオブジェがパラパラと置いてあって、花も目立って、生け垣も目立ってという感じでしたが、全体としてオブジェの変化が欲しかった(編注:均一ではなくある程度狙ってアンバランスにした方がいい)。
  • エレベーターガールの動きが面白かった。
  • 観客を選ぶ象徴的な劇で、いかに観客を伝えるかということに挑戦していたと思う。
  • 言葉が次々と続いていくのだけど、伝わりにくかった。
  • いろいろと考えさせられる劇で、よく作っていたと思う。
【補足】光瀬
  • エレベーター内の壁を表現するのに途中パントマイム――正確には無いものをあるように見せるイリュージョンマイム――を使っていたが、これは言葉がなくても伝えるという演劇とは異質のスタイル。であるのに、本物のタオルが存在するといった混乱がある。他にも、ああいう(リアリティのある普通の)服装の人はそういうこと(パントマイム)などはしない。
  • 他の表現スタイルを取り入れるとき、ここまでは演劇のライン、ここまではパントマイムのラインというそういうボーダーをハッキリさせることが演出でありセンスだと思うが、そういう配所が足りなかった。(※)

※補足:表現のスタイルによって「文法」というものが存在します。例えば、演劇においては、明かりの外(スポットの外など)は例え目に見えていても「見えないもの」という観客と上演者側の(暗黙の)約束事がありますが、このような約束事を「文法」といいます。例えばミステリ小説において頻繁に殺人事件が起きて主人公達が巻き込まれることは文法のひとつであって観る側も読む側も納得しているために誰も疑問に思いません。この種の文法は表現媒体によって無数に存在します。複数の文法を取り混ぜる際に「文法がごちゃ混ぜになる」という弊害が生まれ、この部分の調整・配慮しないと「この場合はどっちの文法(常識)を持ってくるの?」といった類の混乱が起こります。この文は、それが問題だといっています。

新島学園高校「BANKA 2004」

脚本:相澤真美 + 古川女子高校演劇部
潤色:新島学園演劇部
演出:(表記なし)

あらすじ

帰宅した、ひなたは家庭科の実習で作りかけの浴衣(朝顔柄)の手伝いを姉に頼む。 そして二人は、お婆ちゃんの77歳の誕生日、7月7日。プレゼント何が欲しい?  と言われたお婆ちゃんは「昔に戻りたい」と答える。 その言葉に応えるるため、ひなたとその姉は、 色々な人の協力を得てその実現を計画する。

【ネタバレ】

1980年代、70年代、60年代……と当時の流行や時代を表すモノと共に、アト ラクションを交えて時代を逆行。やがて時代は戦中に。 竹槍、そして空襲の音。そこで突然リアルな時代に交錯する。 防空壕へ向かおうとするひなりに「行ってはいけない」と懇願する祖母。 祖母の回想。 戦中に母の朝顔柄の浴衣を直して妹のチエにプレゼントした。 空襲により防空壕に逃げたとき、忘れた浴衣を取りに戻ろうとするチエに代わり、 姉であるその祖母が取りに戻った。そして防空壕は空爆により……。 そして現実に戻り、完成した朝顔柄の浴衣を着るひなた。平和な日常。

脚本について

2001年の全国大会において古川女子高校が上演。同校、生徒創作脚本。

参考
http://www.i-stage.org/furukawajyoshi2000.html
http://members.at.infoseek.co.jp/keichan3sai/hukuoka/hutukame.htm
http://www.sala.or.jp/~tetu/Books200206.html#020413

主観的感想

笑わせようとしているのだけど、いまいち笑えない。 理由がちょっと分からない。 間が悪いのか、テンポが押しっぱなしなのか。 笑いはメリハリと間で決まりますから、その辺が不慣れなのかも知れません。

どうやら、上記リンク先を読んでみると、 絶妙な笑いで引きつけつつ戦争の話に真面目に取り組んだ作品という様子。 ですか、結局その引きつけがないせいか、 全体としてやはり少し散漫な作りが全体の印象を悪くしたように感じます。

【全体的に】

最後にスライドで(現代の)戦争の場面が出てくるのですが、 そこまで戦争に取り組みたいのならば、 あのギャグはテーマと乖離しすぎな気がします。 戦争という難しいモチーフを扱う場合、 「どう魅せるか」考えないと纏まりがない感じになってしまいます。 他校でも言えることですが、この点、最大限考慮して演出すべきです。 何がテーマだったのかよく分からなかった……というのが正直な感想。

審査員の講評

【掘】
  • みんな十分に台本の内容を理解して、楽しんで演じていたと思う (見ている人間が楽しくなるために、まず演じている側が楽しまなければ……)。
  • 途中スライドを使っているけども、少々安易な感じがする。 お婆ちゃんへの誕生日プレゼントを送る(登場人物達の)想いとして スライドを見せることは本当に適切だったのか考えてみてほしい。
  • この作品は過去に東北大会でも見ているが、 過去に遡ってお婆ちゃんを楽しませるバーチャルから、 唐突にリアルな戦前に行くところが最も難しい。 「なんだあそこだけ本物?」と思われないように注意する必要がある。
【原】
  • 都合3回、この学校のこの演劇を観ているが、 その度に課題だった点がどんどん改善されて良くなってきている。
  • 安田講堂のパネル(舞台装置)が奥まっていて、少々見づらい。
  • 主役から脇役まで全員頑張っていて、まとまり感があった。
【中】
  • 最初と最後の居間のシーンが、居間っぽく見えない。 位置関係や大きい冷蔵庫が置かれているなど (この冷蔵庫は最後に必要なのは分かるけども)。 家の上手と下手に台が置いてあるが、意図がよく分からなかった。
  • 大きい、スイカが(審査員の中で)好評でした。
  • 衣装がリアルな部分と、多少適当さが感じられる部分があった。 大切なアイテムとなる朝顔柄の浴衣の色が1940年代が赤で、 現代が青になっているが、どうせなら両方同じにしてもよかったのではないか。