高崎女子高校「夢追い便所2010」

作:田村 団

あらすじ・概要

トイレでありながら、鬱積した感情を発散することができるシステム「ベンキング ジャスミン」。ストレスを夢の中で発散するための便器。夢見るトイレで夢の中へ自由に羽ばたこう!

2002年県大会にて高女上演作品。演劇部潤色(脚色)の模様。

感想

もう変すきる台本(笑)。最初のシーンでベンキングをTVショッピング風に進める番長と二人のアシスタント。とにかく変すぎる。台詞回しやかけあいも変すぎる。もうおもいっきり楽しんでるなあってのはよう分かるんだけど、残念ながら変すぎて笑えない。本当にもったいない。人物(や状況)として基準となる「普通」が配置されてないから「変」が際立たないし面白くない。これは台本の欠陥だなあ。

女子校なので女子しかいないのですが、番長が男のセールスマン役を自然に演じてたなあと関心しました。動きの大きさも配慮された演技でとてもうまく男してた。入澤という少年(大学生)もちゃんと少年してたと思います。

反面アシスタントの一人が、いわゆるおかまキャラ(KABAちゃん辺りを想定したおねえキャラ)なんですが、どうみても女子にしか見えない。ここが成り立たないからギャグや話の流れが最初から半分成立しない。これ男が演じてれば相当面白かったろうに勿体ない。そもそも女子に女装男子を演じさせることに無理がありすぎることは最初から分かりきっていて、どうして再現できない配役を持ってきたのかが不明。それなら再現可能な男装女子キャラを同じニュアンスで使えばよかったのではないかと思います。申し訳ないけど明らかな(そして致命的な)ミスと言わざるえない。

(井上陽水の)夢の中へを何度も使ったり、説明的なBGMを使うのは明らかにネタ演出だと理解はできても、これまた全体が変すぎるところに変な要素をさらに追加してため面白さにはつながらない。狙ってやっているという気持ちは分かるんだけど成立していないので悪ふざけの域を出ない。

それとは別に、ラストシーンで入澤が立ち上がるところがスポットの外に出ているのがもったいなかった。一番大切な「入澤が立った」という大切なシーンなのにスポット外で幕落ちていくのは非常にもっないないミスでした。まさか狙ってやった……とは思えないけども。

全体的に

毎年どこかしらに書いてる気がしますが(こちらのブログの先生頻繁に書かれています)、変なものを変にみせても面白くありません。普通な人が少し変なことをしたり、変な人がひょいと普通のことすると面白い。意表を付かれて裏切られるから面白いのであって、多くの場合はその行為自体が面白いわけではないのです。その重大な勘違いが引き起こした結果の上演という感じで、ものすごくよく作ってきているだけに勿体なかったなあ。あとおねえキャラの失敗か。

やりたいことや気持ちは分かるんですけどね。(観客の反応という)現実は現実です。それは誰かが説明しないといけない。(本来なら講評で言ってほしかったなあ……)

太田市立商業高校「お葬式」

作:亀尾 佳宏

あらすじ・概要

おじいちゃんのお葬式。実感の湧かないトモコは友人2人と公園へ遊びに行く。やがて公園で、メダカのお葬式をしようということになり……。

感想

おさげの少女トモコと、格好いい少年のユウタ、ランニング姿の恰幅のいいヒロシ。この3人が織りなすドタバタ劇で、台詞のかけあいすごく楽しむことができました。素直に面白かった。公園でお葬式を始めるあたりから「次は何をしてくれるだろう」というワクワクで支配され、それを裏切らない笑いが楽しかった。どれもがとても秀逸。

台本の台詞が面白いこともありますが、かけあいが秀逸で台詞に対する反応(リアクション)がきちんと出来ていたこと、3人の人物の性格付けがきちんとされていたこと(演じられていたこと)、間を意識的かつ積極的に活用していたことが面白さを増大させたと思います。台本のダブルミーニング(1つの言葉で2つの意味をもつ言葉)を積極的にギャグ利用していたのは面白かったけど、それをちゃんと活用できてたのもうまかった。

そしてランニング姿のヒロシの圧倒的存在感が(笑)。もともとの体格もありますが、それに加えて演技とかも非常にうまい。ギャグキャラなのでヒロシの素朴さ(至って真面目であるという演技)が出ないとまったく笑えなくなります。この学校はそれをちゃんと演じていた。きわだって一人の演技がうまかったわけではなく、みんな演技がうまかったのだけど、おいしいところは全部ヒロシが持って行ってたなあ。

演技でいえば、ユウタの声が聞き取りにくいシーンが多かったのが残念でした。少年役ってことで難しいところはあるのでしょうが、テンション高く発声するシーンで(聞こえることが必要な台詞では)少しだけトーンを抑えてでも聞き取りやすくしてほしかった。

問題といえば、公演の装置がちょっと殺風景だったなあ。ゴミ箱、砂場、ちっぽけなベンチ、水道が広い舞台に散漫に置かれていたため公園らしく映らなかった。トイレ、街灯、フェンス、噴水などなど方法は色々ですが、もう少し公園らしく見せる工夫があったらもっと良くなったと思います。

全体的に

メダカがザリガニに食われて、弱肉強食からメダカのお葬式になり、色々なもののお葬式になり、子供達のギャグの流れでおじいさんのお葬式の式を挟み(このときトモコは止まっている)、夕方の公園でおじいちゃんのことを考えるトモコたち。「おじいちゃん焼かないで」というのは強く気持ちが出ているシーンで印象深かった。陽の落ち方と心情変化がリンクしていくのも良い演出です。

けれども、トモコの「おじいちゃん」や「おそうしき」に対する気持ちの変化がみえてこなかったのが残念な点です。最初と最後だけで、中盤が飛んじゃってるんだよね。最初と最後だって、本当のところどう思っているのかまではみえてこない。トモコの心情は最初と最後でどう変化したの? 最初のトモコの心情は? 最後に至るまでに何があったの? ここがうまく演出されたなら、言うこと無しだったなあ。

本の良さはともかく、演技の上手さが際立った上演でした。面白かった。

伊勢崎清明高校「くまむしくらぶ」

作:小野里康則(顧問/既成)
演出:入山あやめ
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

くまむし。絶対0度に耐え、放射能にも耐え、宇宙でも死なない史上最強の生物くまむし。そんな「くまむし」になりたいという啓太はなぜくまむしになりたいのだろうか。

2年前の県大会リベンジ上演と言えるかも。

感想

舞台中央暗幕で仕切られた隙間に置かれた装置。今回は風呂場と分かりました。手前が部屋でパントマイムでガラスがあることをちゃんと表現されている。この辺からして2年前とは見違える演劇。ただ細かいところだけど風呂場の装置の台座たるベニア台が向きだしで見えたのだけはマイナス。あれぐらい簡単に隠せるんだから隠してください(苦笑)

さて、本当に2年前とは見違える演劇で、仁兄貴をはじめとして動きによる演技オーバーリアクション(台詞のメリハリ)がものすごく意識されている。その一貫としてクマムシダンサーズ(パンフ表記)によるクマムシの体による表現。長年意味もなく踊る学校を多数観ていて辟易していますが、踊り動くことでクマムシを表現するというとても重要な役割を担当し、暗転回数が多めという台本の欠点をおなじくダンサーズをうまく使って「場転自体を見せる(見せ物にする)」ことで、劇が散漫になることを防いでいる。シナリオ上避けられない「くまむし」に対する説明セリフすらもクマムシダンサーズによる体表現で見せることに成功している。非常に秀逸な演出プランで、去年の上演と比べても見違える進化をしたと言えます。見事。

他にも、教室のシーンを椅子だけで表現し椅子の下にランドセルを置くという割り切った演出もうまかったし、ラストシーンで「くまむしが顕微鏡に寄った状態で啓太に手を振った場面」が大きな意味のある見事な演出だった。全体的に演出が非常によく仕事をしており、ひとつひとつ書ききれないぐらいです。それに応えた演者も見事。

褒めてばかりも何なので。動作やオーバーな演技をうまく活用していた割に、笑いを取るシーンで「止め」をあまり使ってなかったのが少し勿体なく感じました。ここ止めれば面白いのになあってところがいくつか。それと若干オーバーアクションが少々強すぎたかも。アクションを弱くしろと言ってるのではなく、シリアスシーンの仁・母・啓太をもっと弱く演出(ゆるんだ演技)したら全体を通してより印象がよくなったと思います。

全体的に

2年前に指摘したことがほぼクリアされ、姫川が際立たなくなったのは個人的には少々残念だけども劇としてはこれが正解ですし、KYの啓太ではじまりKYの啓太で終わっているし、BGMも適切に使われていて目立ちすぎることなく、困ったなあ。書くことがない(苦笑)

無理矢理突っ込むなら、啓太は姫川さんに振られたぐらいでクマムシ目指すなよってことでその説得力の薄さであり、啓太のKYに対する悩みがさほどリアルに感じられないことであるのだけど、子供の悩みってこんなものだしね。

演出がきちんと仕事していることがよくわかる上演でした。面白かった。関東大会での健闘を祈ります。

桐生第一高校「タマキハル」

作:秋野トンボ・山吹 緑(顧問創作)
演出:坂本 美優

あらすじ・概要

いじめに合っていたミホは飛び降りようとした瞬間にタイムスリップ。猫のタマを案内役に戦時中のひいおじいちゃんの姿、昭和初期に戻り命を見つめ直す。

感想

良くも悪くも桐生第一劇団という感じで、県内ではめずらしく大人数の演劇部。舞台には左手に黒板があり、右手にロッカーがあり、奥に1mぐらいの段があり、場面転換して途中で横幅3mぐらいの長い木製の階段を付けたりしました。最初のシーンでは机を中央に12個も並べ、次々と登校する生徒達が教室でガヤガヤしているシーンは非常に臨場感があり、こういう作り込みは本当に凝っています。ロッカーも場面転換でひっくり返すと壁になったりと、大がかりな装置含めて本当に凝って作っています。でもその一方で、時代が現代なのに机が完全に木製だったり(金属製の骨組みではなく骨組みまでパイプではない)、何のためにあるのかよくわからない段差とその階段など、演出的考慮の穴は相変わらず。

自殺を思いとどまるため戦中などのシーンを回想して戦中やら戦後間もない必死に生きた時代を描きたいというコンセプトは分かるのですが、それぞれのシーンに厚みがないため、よくある安っぽい自己啓発ドラマ(アニメ)になってしまっています。それを特に工夫無く構成してしてしまった演出も含め問題があります。人の心はあの程度のことでは動かない。人の心を動かすのは人であって、人というのは人物を出してあからさまなエピソードを書けば終わるものではない。登場人物の心を如実に描き出し、観客に共感を生み感情移入をさせてこそドラマは成立します。

例えば、戦中の「徴兵」して列車に乗るシーンだけ見ても誰も感情移入なんてしません。別れる相手との関係性(仲の良さ)や死にたくないとい迷いや本音をたくさんのエピソードを積み重ねて丁寧に描き出してこそやっとその別れに共感出来ます。10分ぐらいそのシーンだけ振り返って「戦争の別れ。ほら悲しい出来事でしょう?」とか言われても誰も共感しません。登場人物に対する共感や感情移入をどうやったら引き起こせるのか。台本作者も演出も、もっとよくよく考えるべきです

比較的発声や演技もよくできている方ではあるのですが、まだまだな面もあります。例えば何組か登場する恋愛関係の二人。二人はほんとに恋していますか? 恋いこがれて相手を本当に大切だと思って、すべてを自分のものにしたいと思うかもしれない欲や大切にしたい優しさや思いやり。そういうものが混ざり合う中での相手と自分の気持ちとのせめぎ合いを演じるときに持てている? 残念ながらあまり恋人同士には見えなかった。街を歩いている高校生のカップルが、会話が聞こえなくてもカップルにみえるのはなぜ? そういうことを少し考えてみてほしい。そういうところまで演じられると演技はより進化すると思います。

全体的に

桐生第一の公演は何度も見ていてもうこれが桐生第一の味なのだろうけども、やっぱり問題だと感じる点はしつこく問題だと言い続けたい。

シーンひとつひとつを構成していく手法や、意味もなく踊ってみたり、そういうのがやりたいんだろうなあーというのは分かるし否定もしない。でも60分これを見た観客個人の感想としては勘弁してれとすら感じる。毎回毎回ものすごく凝っていて、ものすごく努力していて、ものすごく一生懸命作っているのに、その一生懸命の方向性が「私たちはこうだっ!!」でしかない。それもそれで突き抜ければすごいのだけど(今年の前橋南のようにそこまで観客を無視して突き抜けることに極めているわけでもない。かと言って、舞台の上で一方的に観客に話しかけているだけでは観客との会話は成立しません。

もう一度よく考えてみてください。観客と対話して初めて舞台は完成するのです。観客に一方的に話しかけるならビデオやラジオでいいのです。どうかそこを見落とさないでほしい。個々の技術と質と演技力とそういうものが全部備わったとても実力のある演劇部だけに、とにかくその点が惜しくて惜しくてなりません。

桐生南高校「やさしいひと」

作:青山 一也(顧問創作) ※台本はこちらのサイトで読むことができます
演出:徳田 彩香
※優秀賞

あらすじ・概要

両親が居ない後藤家5人兄弟姉妹の元へ大輔という男性がやってきた。(同性愛である)兄のために彼氏候補として次女はるかが連れてきて、一緒に暮らすことになる兄弟たちと大輔。少しずつ変化するみんなの気持ちの中で、やがて家族同然となり兄と大輔は距離を縮めていく。そんな中、はるかはだんだんと不機嫌になり……。

感想

結構期待してみました。一軒家のリビングのイメージで真ん中にテーブル、壁には柱のハリがあり高さもしっかり8尺ぐらいある。奥に廊下で階段が少しみえ、右手側にお勝手。左手側に窓。部屋の奥が玄関なんだろうなあとか、そういうのを想像させるいい装置でした。

物語は次女はるかが、兄に「今日、会ってほしい人がいるんだけど……」というところからはじまり、大輔がやってきたことによる兄弟の変化が主軸になっています。ベース作だという「本日は大安なり」を観ているのですが改作というよりはまったく違う劇という印象をうけました(台本を読み比べるとたしかに似てます。月日が経って忘れたのか、はたまた演技力の差か)。こういうセクシャルマイノリティを嘘っぽくなく書けるのは青山先生らしいところですね。説明台詞を排除してあり台詞だけただ読んで上演しても観客に何一つ伝わらないまさに演劇らしい演劇台本になっています。

観てびっくりしました。すごい良かった。ちゃんと演出が仕事してるのね。ここまで演出が仕事した舞台は県内では久々に見た気がします。動作や台詞の間、動きのひとつひとつに至るまで努力と工夫を重ねきちんと計算されているのがよく分かりました。タイミングが絶妙。そして役者が個々に人物を掘り下げ、台本の台詞をそのままやるのではなくアレンジし、台本とは異なる人物像を作り上げいるのもよかった。役者が台詞に頼ることなく態度や視線・動きで表現し、動作と停止を含めてきちんと演じている。特にお兄さんよかったなあ。動作も声の張り上げとかも、ものすごくよかった。たしかに役者さんによって声が聞き取りにくかったり、若干演技の甘い場所はありましたが、そこは書かなくても分かっているのでしょう。

気になったところは、講評でも指摘されていましたがやはりテーブルクロス。どんどん左にずれていってしまった。アドリブで直せるとよかったと思います。もうひとつ、途中で1ヶ月や半年などの時間経過があるのですが、部屋や服装がほとんど変化しないのがやはり気になりました。テンポよく転換するので仕方ない面はありますが、テーブルクロスを変えるとか(ずれないように重ねておいて上を1枚取るとか)、小物が増えてるとか、カレンダーをめくる以外に何か工夫がほしかった。カレンダーも「月」が客席からも見えやすいカレンダーを選ぶ(もしくつは作る)などの工夫があってよかったと思います。物語上半年や1年も経過する必然性は無いのだから「春から夏にかけて」のように季節の変化を出しやすい設定をしてしまう手も選択肢としてあったでしょう。

クオリティ高いんだけどさらに上を目指すなら、関係というものにもっと注目してほしかった。兄と大輔の引かれ合う間柄というのがもっと見えてほしかった。(台本のとおりなんだけど)中盤「さん付け?」と気になってしまった(さん付けから名前に変わるのはもう少し早くする選択肢もあったのかも)。例えば家族の前では視線を気にするだろうけど、特に二人きりになるシーンならちょっと好意みたいのが透けていいと思う。台詞じゃない恋心。もうひとつ、兄とはるかの関係。はるかが兄を慕う様子がもっと態度に出たらよかった。おなじことは他の兄弟にも言えて、そんな3人のことを(何も考えてないというのを含めて)他の兄弟はそれぞれどう思っていたんだろうかと感じてしまいました。もちろん現状でも演じていたんだけど、そういうのがもっと見えてほしかった。

こういう関係を描くのはいかにも仲良さそうなシーンよりそうでない日常シーンの方がはるかに向いているので、中盤3つのエピソードを1つ絞り膨らませ、二人の距離が縮まったきっかけエピソードを挿入するといいのかも。それを見ている家族の態度で、それぞれの気持ちも描けるし。

全体的に

本当によく出来ていて上映終わったときにほろりと来て、上演1分オーバーにも関わらずラストを巻きで終わらせなかった判断にまたほろり(苦笑)。客席に目の赤い人もちらほらみかけましたし。たぶん上演時間オーバーは、観客の「笑い待ち」をきちんとしたためなんじゃないかな。

お世辞抜きで今大会で一番よかったと思います。過去に見た桐南の上演の中でも一番良かったと思います。ほんとに関東大会行ってほしかった。行って全くおかしくない上演だったとそう思います。