前橋南高校「外箱:Hen-Pin」

作:大友 佳栄(生徒創作)
演出:吉澤のん、石井大樹
※創作脚本賞

あらすじ・概要

物流倉庫の返品受付E区画。通称ゲロ部屋にいる作業員と、そこにやってきた事務方の手伝いと……。

台本の感想

えっ「これ本当に生徒創作なの!?」。また原澤先生が書いたんじゃないの?と思ってしまいました。先生のアドバイスがどれくらい入っているのかわかりませんが、それを差し引いても非常に完成度の高いとても面白い台本です。

着想が面白く、掛け合いもよくできていて、コメディかなと見せかけておいて「実はホラーでした」っていう。よくできてるなあと思いながら観ていました。

感想

黒幕にダンボールが置かれたステージ。1つの事務机。

さすがに演技がうまく、きちんとリアクションができていて、台詞も詰め込みすぎず「間」もちゃんと使われていて、とても安心して観ることができました。

途中「豚」の返品が出てきたあたりから人が狂っていくのですが、ここが少しもったいなかった。狂っている側の視点で舞台上には「人」を置いてしまったので、観ている側はどっちが狂っているのか分からない。分からせないことの気持ち悪さをあえて出したのかもしれませんが、それにしても「狂い」を見せることがこの台本のキーポイントではあるのですから、全体通して見た時にイマイチだったと言わざる得ません。

つまり、台本の持つ「怖さ」みたいものを活かしきれてなかったと感じました。狂うシーンでは、もっと怖くしていいんじゃないの? 講評では外向きに狂っていたと言われていましたが「狂気」が感じられなかったとも言えると思います。舞台上に「狂気」が見え隠れして成り立つ台本ではないのかな? どこが正常でどこに異常が生まれているのか。方法はいくらでもあると思いますが、もう少し配慮が欲しかった。

完成度は高く、観ていて面白かったし、入賞するんじゃないかなと思っていました。本当にあとちょっと、もう一歩だったと思います。

前橋南高校「狩野【kanou】」

作:原澤 毅一(顧問創作)
演出:星野ひかり
※最優秀賞(関東大会へ)、創作脚本賞

あらすじ・概要

東京の山の手にひっそりと暮らす姉妹の物語。お嬢様育ちで親の遺産で過ごす、姉のほぼ言いなりになっている妹。姉の恭子は屋敷を売り払って群馬に引っ越すと言い出すのだが……

感想

狩野って何かと思いましたが、叶姉妹を明らかにモチーフにした非常にバカバカしい台本です。原澤先生の台本は毎度よくわからなかったのですが、今回のでなんとなく楽しみ方がわかったというか本当にバカというか。今回、バカらしいことをすごく真面目そうに格好よさそうにそして舞台芸術風にも作られていますが、その本質は単なる悪ふざけ。下手に上演すれば、ただ呆れられるだけなのですが、すごいクオリティで上演するから成り立ってしまう。

幕が引かれて、椅子が2脚あるだけの非常に簡素な舞台です。椅子1つ1つにサスを当てる、もしくは2つ一緒にサスみたいな照明だけで進めていますが、横から照明をあてて顔が影にならないように配慮することは忘れていません。舞台装置はほぼ何もないのに部屋や屋敷の構造を感じさせる動きがこれまた素晴らしい。

声の演技をはじめ、人物の動きがとてもとても美しく、とても上品な上演となっています。そしていつも通り、スモークを使ったり、飾りサスを使って舞台芸術的なものも見せ、舞を見せ、脈略も何もない。ひどいもの(褒め言葉)です。ラストシーンは姉をリサイクルしてしまうという怖くかつ抽象的な終わり方でした。

全体的に

例年通りの前橋南でしたが、今年は完成度高かったように思います。もう圧倒的。文句なしの最優秀賞です。

太田フレックス高校「DOUBLE妄想RUNNING」

作:大渕秀代と太フレ演劇部(顧問・生徒創作)
演出:長谷川 瑛美
※最優秀賞(関東大会へ)
※創作脚本賞

あらすじ・概要

ステージ中央でランニングしている男。電話がかかってきて、どうやら演劇の役を降ろされそうになっているのか。ラジオを聞きながら、妄想しながら進むランニング。

感想

ランニング中の妄想という設定がまずすごい。そして舞台中央でのサスの中でランニングし、過ぎゆく車や信号、すれ違う人などの対象物を動かすことで移動していることを表現する。そして1時間ほとんどひたすらに走る。妄想やラジオが少しずつ男の悩みという主題を浮き上がらせていく構成も面白い。説明しすぎないことにとても配慮がされていて、それでいながら主題を忘れてない。4年連続創作脚本賞ですが、大渕先生、3年前とは見違えるほどうまくなったなあ。あれから相当努力されたんだろうと思います。

さてシナリオ褒めたのですが、ひたすら走るという無理難題をきちんと演出し演劇として成り立たせたことも同じぐらいすごい。妄想とのチェンジでポンチョみたいな布をかぶった集団が出てくるのですが、これが非常に効果的でした。上手い処理。ただ、ランニング中であることを説明するために永遠と走ってる音をスピーカーから流すのはどうなんでしょう。個人的には煩くて気になりました。特に最初はミスかとも思いましたし。

細かいことですが、サスだけだと顔が暗くなったりすのでちゃんと横から光(SS)を当ててる配慮もさすがだなあと思いました。(違う目的での光だったら恥ずかしけど(汗))

演技は過不足無く、良く演じられていました。この上演に合った演技だったと思います。1つ挙げれば、演劇部女子が出てきた妄想シーンでの、互いの言葉の投げかけが「きちんと考えて次の言葉を出している」ように演じられていました。特に女子の方。うまかった。

全体的に

もう着想と、それを舞台化した見事な演出力の時点で勝利と言ってよいでしょう。納得の最優秀賞・創作脚本賞です。

しかし1つ問題を挙げるとすれば、男の悩みが多すぎて結局どれだったのか絞りきれてなかったと感じました。主題に対してあまり触れずほんわかと浮かび上がらせる構成ですから、その主題たる悩みが多すぎるとどれに着目していいのか観客としては悩みます。1つに絞れとは言いませんが、「部活の役」がメインであることを分からせる演出、その他の悩みを部活の役の件に結び付ける演出がされたらより印象的な舞台になったと感じました。今のままだと、ラストシーンになるまで主題の代表格が「部活のこと」って分からない(伝わってこない)のですよね……。つまりラストシーンの印象が弱い。

太田フレックス高校「他部ぅ」

作:大渕 秀代(顧問創作/創作脚本賞)
演出:富澤 直樹、温井 希味

あらすじ・概要

夜の図書館。そこへ集まる生徒たち。生徒たちはひそかに部活を始めることにした。タブーへ挑戦する部活、その名も「他部ぅ」。

感想

図書館。左から中央にかけて3つの低めの本棚、右手に大型(高さ3mぐらい)の本棚。中にはぎっしり本が収められ(本にみえる本でないものだったようでこの辺の美術は見事)、手前に大きめのテーブルが置かれていました。その割に窓が縦型の装置が付けられているだけで、見てて倒れやしないかとひやひやしたし、素直にパネルと窓は置けなかったものでしょうか。

台詞のやりとりや間、トーンの変化、そしてリアクション(反応)がよく研究されていて良かった。でも、ややうそっぽいリアクションが所々に見え隠れして、たぶん「こんな感じでい・い・ん・だ・よ・ね?」っていう自信がないリアクションをしていたせいではないかと思います。これは演出や他の役者が見て、他人が直していくといいと思います。あとは練習なのかもしれないけども。

昼休みに体育教師を図書館に呼び出すシーンがありましたが、そのときみんな私服だったのが気になりました(夜は学校関係ないと理解していた)。太田フレックスは制服がないみたいで、おそらくそれを想定したものだとは思いますが、それだと裕子が一人で制服を着ているのは混乱の元です。もちろん制服のない学校で制服を着ることに問題はありませんが、観客にとって一般的でないことはなるべく分かりやすく提示して理解を得る必要があります。私服登校自体がそもそもあまり一般的ではないわけで。

なんどか暗転するのですが、服装が変化していってるところは芸が細かいなあと感じました。克也が本当におとこに見えた。すごい。ただ横向いたときに声が聞き取りにくかったのがちょっと難点だったけど。男役とかは発声やりにくいのはありますが、真横向かないかそれでも聞こえる努力をするか何かしら頑張ってほしい。

もうひとつ去年の上演で使ったボックスを図書館に置かれているという設定でたびたび登場させてるのですが、全く必然性を感じませんでした。ラストシーンは別にロッカー(掃除用具入れとか)とかトイレでもよかったわけですよね。舞台上にあんなでかい装置を動かすと邪魔でしょうがないし、暗転時でもガラゴロ音がするし、図書館という作り上げた空間に不相応に大きいからその空間自体をブチ壊すし、なんでこんなの出したんだろう?と疑問に感じずには要られません。

台本の感想

3年連続創作脚本賞という。たしかに着想は面白いからなあ大渕先生の本は(苦笑)

とはいえ、今年は去年までとは見違える完成度でした。正直、大渕先生の本ということで肝を冷やしてましたが、上演を見て取り越し苦労だと分かりました。荒っぽいところはなくはなかったけども、今年は納得の脚本賞。

最初のシーンの下校放送や司書先生のシーンが要らないとずっと思っていたのですが、ラストシーンみるとこのシーンがフリだと分かり少し納得はしましたが、序盤夜の図書館へ来る人間がどんどん増えていくということを説明するためか2~3回暗転処理するのが、気になりました。序盤のテンポが悪く感じられたので、もう少し工夫できないかなあ。少なくとも下校放送は説明的すぎるので要らない気がする。

人が増えていく感じは「2日に1人のペースです」という台詞でしか説明されてないわけで、それだったら最後の1人がやってきたときの会話のやりとりの中で「○○さんはいつからココ(図書館)に来てるの?」で済んだしその方が分かりやすかったんじゃないかと。その最後の1人が美奈でもよかったわけですよね。その最後の1人が「その日の最初」に来れば済む話ですよね(他の人で練習していよいよとも解釈できる)。体育教師を呼び出す下りも昼間シーンを挟むためにテンポを悪化させてて気になりました。別に夜、あの場所で呼び出してもよかったんじゃないかと。

個人的に暗転は極力減らしたいと考える人なので、好みではありますが一意見として。

全体の感想

ラストシーンから考えると、図書館へ来た相手に対する裕子の表情やうれしさ、見つけたときの気持ちが劇からあまり伝わってこなかったのが残念なところ。それと裕子が常軌を逸する狂気を内包する感じとか、裕子がそれぞれの人物に対してどう思って、何を感じて、何を考えていたのか、もっとフォーカスしてもよかったんじゃないかと。ついでに、そこにつながる動機や本への執着も。例えば本を他人が触ったりしたときの反応や、本をバカにした風に言われたらどう反応するのかとか、見当たらないと取り乱したり、どうして本に執着するようになったのかってエピソードとか(独白はダメ)。

もっともそれがなくてもラストシーンの流れは本当に恐怖でした。去年はホラーとして成立してなかったからものすごい進化であるわけで、成功だったと思います。会場内も気持ち悪いという意味でしばらくざわついてました。良かったというか本当に気持ち悪かったよ(苦笑)

太田フレックス高校「BOX DIVERS」

作:大渕 秀代(顧問創作)
演出:(表記なし)
※創作脚本賞(2年連続)

あらすじ・概要

舞台の上に箱が5つ。ここはレンタルビデオ店だろうか。中からでてきた人たちが、なぜか観ていたビデオの姿に変身していた。自分の本当の名前が思い出せない。これはどうなってるんだろう。そのうち1つから宇宙人がでてきて、その子のために子供に戻って親を捜そうとする。子供に戻るためのビデオテープを再生しているところに泥棒が入ってきて、子供たちに囲まれる泥棒。

そんなやりとりの中、これはビデオテープが人間に影響を及ぼして人間の心を支配する実験だということがあかされる。この実験はどうなってしまうのか、登場人物達はどうなってしまうのか。

感想

舞台上には灰色の人が入れる大きな箱が5つおいてあります。シンプルですが箱は結構大きく、かなり作るのは大変だったようです。パンフレットによると総合芸術を目指しましたってことなのですが……。

細かいところから見ていくとBGMの音割れがひどかったり、演技があまり緩めてないのでお客さんが引き込めてなかったりとか、最初の伊達政宗やら魔法少女やらに変身したところの格好がいまいちしょぼかったり(特に伊達政宗は刀が。予算の都合もあるとは思いますが、おみやげもの程度のものは用意してほしかった)、ものすごくがんばって作っているんだけども、パンフレットの総合芸術ってところから考えるならばそれぞれに少しずつ難点があるなあという印象でした。

発声と早口が問題で一部の台詞が聞き取れなかったり、コメディ的なかけあいのシーンでは台詞と台詞の「間」の使い方がやや甘くいまいち笑いがとれなかったり(もっと時間をとって演じればちゃんとやる実力はあったように思います)、演技の台詞というより動作にメリハリがなく「ゆるゆる、ぬる~っとした動作」に感じたところがあったりというのも気になりました。メリハリというのは動きを意識的に止めたり、台詞のトーンを意識的に落とすことで生まれます。止めることで動作が目立つ、緩めることで強さが目立つ。参考までに。

全体的に

これは何の物語なのかなと考えながら観劇していましたが、話はサイコホラーのようでした。昨年同様難解(奇怪?)な台本を丁寧に作り込んではいたのですが、それだけに残念で仕方ない。はっきり言って本が悪い。原案は生徒なのかなどうか分かりませんが、とにかく最初の着想(構想)に対して肉付けの段階で余計な要素が多すぎて作り込みで破綻している印象です。そして登場人物がみんなステレオタイプの薄っぺら。その人物に対して親近感を持ったり、広がりを持ってみさせるためのエピソードが何もない。例えば、挫けたり、頑張ったりというエピソードがない。感情移入しないからサイコホラーなのに怖くないし、面白みが半減してしまう。観客視点でのスポットの当て方、人物の立たせ方が台本としても演出としても考慮されないので、よく分からないものになってしまった。

去年もその傾向がありますが今年は輪をかけてひどく、執筆者の顧問の先生には申しわけないですがここを指摘しない訳にはいきません。もちろんダメダメなのではなくて、ある程度のクオリティは担保された台本であるのですが、着想の面白さを十分に生かせなかったのが勿体ないという印象です。どんな台本だって多かれ少なかれ欠点はあるのですけども、人物像のステレオタイプを演劇に翻訳する仮定で克服せよという課題なのだとしても、これはいくらなんでも難題すぎると思います。

演出の面で例をあげれば、途中で幻想的なBGMを鳴らして箱を動かしているシーンがあります。このシーンはたしかに幻想的で総合芸術っぽい感じです。ですが「そのシーンはこの物語りに必要か?」ということを部員自ら自問してほしかった。観客に対し、物語をより楽しむ上で何の効果を狙っていましたか? そういう配慮がない。よく意味もなく踊る学校がありますが(劇団キャラメルボックスの影響らしいですが)、何にせよそういうぽいものを何も考えず単純のはめ込むことは劇全体をクオリティを下げることはあっても上げることはありません。

以上辛口にはなってしまいましたが、舞台はものすごく真摯に作られていたし演技もがんばっていました。決して取り組み問題があった訳じゃないし、努力が足りなかったわけでもない。演技力が致命的に足りないとかそういうこともない。むしろレベルは高いほうです。箱に入って子供に戻るシーンでキャストを入れ替えてしまうなど(それも自然な形で)よく工夫もされている。そういう数え切れない努力がたくさんあって、舞台をよくしようという情熱が見える。だからそれだけに惜しくてたまらない。

演劇部の人が読んでいたら参考にしてほしいのですが、演劇というのは1に台本・2に演出です。顧問の先生のしかも2年連続創作脚本賞を取るような台本にNoを突きつける選択肢は生徒には存在しないかと思いますが、大渕先生の台本には「人物に深みがない」という高校演劇台本としては致命的欠陥があります。高校演劇と限定したのは、普通の劇団が上演するならば台本解釈と演出という過程を経てこの問題はクリアされるからです。演劇の原案として考えれば魅力的でも台本のとおり演じるとなると問題だらけ。拒否権発動が事実上無理な以上、よく台本を吟味し、アレンジして、どういう料理にするかぜひ検討してみてください。観客の前にどういう「舞台」という名の料理を提供するか、この料理は「観客からみたらどんな味になるか」ということにものすごく拘ってみるといいと思います。細かい舞台の作り込みというのは、まず「どういう料理を提供するか」決まってから考えた方がいいです。それだけで見違えるんじゃないかと思います。

演劇に対する姿勢や努力はとてもよく分かりますので、これからもがんばってください。