大泉高校「14歳の国」

脚本:宮澤 章夫
演出:大泉高校演劇部

主観的感想

本自体は結構有名な作品らしい。どうも少年事件などを受けて作られたようで、 全国各地の学校演劇でも使われドラマ化もされた模様。 劇の最初と最後で、凝ったムービーをパソコン&プロジェクターで流したのですか、 そのムービーに本編(劇)が負けてしまったように感じます。

誰もいない教室で始まる、教師5人による持ち物検査。 狙いとしては、そこから矛盾や少年(14歳)について見つめなおそう、 14歳が分からない大人を描き出そうというものらしいのですが、 観た感想としては「なんだか分からない」。役者、演出に大いに不足ありでしょうか。 音響ひとつとっても安易なBGM選択が見られ、 よく知られた曲は「その曲のイメージが強すぎるので注意が必要」であることを気にしてない様子。 舞台上の机も数が多すぎて役者が演じにくそうでした。

演出意図として、この演劇は一体何を描き出したかったのか、 どこを主題として捉え、どの点を浮き彫りにしたかったのかちょっと伝わってきませんでした。 局所的な演技も重要であるけれども、一番大切なのは「どこを全体として描き出すか」であって、 その最も重要な点が抜けてしまっているのが残念。 と思ってスタッフクレジットをみると演出責任者不在のようで……。 物語性があまりなく、断片的な会話とイメージで綴られる比較的難しい台本であるようですが、 それを料理仕切れなかったのかなという印象を持ちました。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 間の強弱をつけないと、全体的に淡々としてしまう。劇全体が特に変化なくのっぺりと語られている。
  • 教室に対して廊下の位置関係が逆では? 黒板(が存在する位置)を通り抜けて人物が行き来するのは問題あり。
  • 先生が音楽室に居るという意味で、遠くからピアノの音が聞こえるシーンが何度かあるが、 CDか何かのピアノをそのまま流しているので「遠くから音がしている」「ピアノを弾いている」という印象が持てなかった。
  • 次から次に机の物を物色したり何かを見つけているが、 そのとき観客の間というものを考えて欲しかった。 あれやこれやとコロコロと切り替わっていくために、考えが追いつかない。

共愛学園高校「クレタ島の謎の謎」

脚本:中村 勉
演出:川合 和子

劇の概要

まずダンスに始まって、次に3名が出てメタシアターについて説明を始める。 メタシアター、劇中に関する演劇、演劇とは何であるかを 演劇によって考えていくための演劇。 それについて説明している姿も、はたして演劇なのか?  それとも劇に入る前の説明なのか?

演劇部を舞台に、先輩・後輩の間で演劇についてのやりとりと、 演劇関係の内輪ネタ、分かりやすいところで言えば 「どうせ(コンクールの)優劣なんて審査員の好みだよ」 みたいなものが多数出てくる。 演劇関係者しか笑えないネタに少々疑問を覚えながら、 そんなやりとりが約半分続く。 その後、「エチュードやります」と宣言し、 繰り返しエチュードを上演する。

主観的感想

全体的にテーマとの脈絡が感じられず、 本当に演劇の姿を追求する気があるのかな?  と疑問を感じて迎えたラスト近く、 テーマ付近の内容に触れて終わる。 出演者3人は本当によく(素晴らしく)演じられているにも関わらず、 メタシアターとしては少々軽すぎる印象。

劇中に「クレタ人のパラドックス」という台詞があります。 この言葉は「すべてのクレタ人は嘘つきだ」とクレタ人が言った。 このクレタ人は嘘つきか? 正直者か? という問いです。 類似のものとしては「この文章は間違っている」、 さてこの文章は正しいか、正しくないか? というものがあります。 この手の問題をパラドックス(逆説)と言います。 演劇というのは、現実を描いた虚構だし、 虚構なのに舞台の上で実際に起こっている現実です。 このパラドックスを、クレタ人のパラドックスに引っかけて 『演劇』の姿に迫るのが本来の狙いかなと感じました。

余談ですが、矛盾を追求し、 矛盾が抱える問題を分析することで真の姿が見えてくるというのは、 1900年代始め頃、数学(や哲学)の世界でよくやられた手法で、 クレタ人のパラドックスもこの文脈で出てきます。 背理法というのものをご存じでしょうか?  矛盾を導き出す事で、ある事実を証明する方法。 数学の世界で「どんな集合よりも大きな集合が存在する」って証明が 丁度この背理法を用いており、 矛盾によって更に大きな世界の存在を示しています。 そして、この証明法をほんのちょっと変えるだけでパラドックスが得られます。

完全な私情ですが、これを演劇に類推して 「演劇の中から、外の世界(現実)」を描けたならば、と残念に思います。 テーマに対する理解・説明がやや不足した印象を受けてました。 しかしながら、劇としての完成度は高い作品です。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 最初と最後に演じていたダンスが、 そこら辺のダンス部を超える完成度で凄かった。
  • 演じてる方は「メタシアター」が何であるか本当に分かってやっているのか?  観ている方はなんだか分からなかった。

伊勢崎工業高校「堅ゆでたまごの中で」

作:山形 美和
補作:青山 一也
脚色:丸橋 美登里
演出:丸橋 美登里

※優秀賞(関東大会へ)

劇の概要

ハードボイルドを目指して、 締め切り間際のハードボイルド作家とそのアシスタントの物語。 締め切りも近い、何も思いつかない、 そうだ「実際に誘拐して助けにくる様子を取材すれば!」から 演劇は始まります。

主観的感想

演劇こんな面白い演劇があるとは!  登場人物の個性がハッキリしているため、メリハリのある笑いが全編で楽しめました。 途中に出てきたある自虐的な人物ネタが一気に笑わせ引き込んだ気もします。 演出も良く、途中追いかけっこをするシーンがあるのですが、 動きが非常に良くてそれだけで楽しかった。 (全員集合のような)ドリフ的とも思われる動きのお約束 (気づかないで両端から探してぶつかったり、 途中、追う側と追われる側の相棒が入れ代わっていたり)は よく研究されているなと感じました。 自己満足に終わらず、終始 お客を楽しませることに徹底していた点がすごいと感じました。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 追いかけっこのシーンでの「走る」表現。走ると言えば、 舞台の端から端まで全力疾走するのがよくあるパターンだが、 変化を付けて楽しませてくれた。 特に、スローで追いかけている様子を見せたのは良かった。
  • ハードボイルドを目指した割にはハードボイルドになっていない。 例えば、ラストシーンでそのまま終わらずギャグにしてしまったのは、 もしハードボイルドをきちんと目指すのならば少し考えた方がいいかも知れない。