前橋南高校「荒野のMärchen」

民間伝承より原澤毅一翻案(顧問創作)
演出:黒澤 理生
※最優秀賞(関東大会へ)
※Märchen(メルヒェン)=ドイツ語で昔話、口承文芸のこと。

あらすじ・概要

開幕。スモークに中央スポットと、上下白い服装の人物が6人。6人は追いつめられた状況らしく言い合っている。そんなところに、マントを被った西部ガンマン風の人物が現れ。暗転。

場面が変わって田舎の(昭和の?)女子高生4人。TVの話やらおばあさんにきいた昔話やら。その昔話と、白い人物たちの劇かやがてリンクしていく……。

感想

民間伝承とハーメルンのバイオリン弾きに荒野のガンマンと田舎の女子高生っていうモチーフをごちゃまぜにしてぐちゃぐちゃにバラし、再構成した演劇。言い訳程度の解釈の余地を残しながら、例年同様「解釈などできない」劇になっています。個人的には相性が悪い、いつもの前橋南の劇です(苦笑)

男が何人もでてきて、かけあいと勢いでうまく笑いを取っていて、静と動のメリハリ、間の使い方、細かい演出が細部まで行き渡って非常に完成度になっています。光の効果もうまく、笑いもよく取れていたけども、やっぱり解釈はできない(笑)。

不条理というか理不尽というか、なんでもありな構成と、とりあえずガンマン格好いいなあというそれだけ。「そこに意味などないのだ」が一貫された演劇でありました。表層表現がかなり現実サイドだったので表面的には笑って楽しめたけど、例年と一緒は一緒。

完成度は相変わらず見事で、今年も入賞しそう(予想通り最優秀賞でした)。

前橋南高校「黒塚Sep.」

作:前橋南高校演劇部(生徒/創作)
作:原澤 毅一(顧問/創作)
演出:黒澤 理生
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

ぶっちは来週に時期が迫った演劇コンクール地区大会についての話し合いをするため部員達を部屋に呼び出した。インフルエンザで学校が休校・部活中止になる中、そもそも地区大会はやるのか。そんな話をしながら結局何も決まらない話し合いは……。

感想

生徒原案、顧問創作なのか共作なのか。伊勢崎・高崎や地元ショッピングモールなどの地名も出て、過去2回の前橋南の「能」の上演の話もあり、明らかに前橋南高校演劇部を想定して書かれた台本です。

部屋の壁が灰色で、(実家の2階の部屋という設定にも関わらず)一人暮らしかというぐらい部屋が乱雑によごれていて、バンドのポスターが3つぐらい貼られた普通っぽいけど狂気を感じる部屋。始まって「今度は普通の現代劇か?」と油断したところで、明らかにおかしい「動作停止」(人の出入りのときに多い)やラジカセでの音楽再生をきっかけとする赤と青の異常な照明、ぶっち以外には目に見えない来客者の友人など。

演出・演技が高いレベルにあって、それでありながら作品が理解を拒むというおそろしい作品です。去年の能っぽい作品をより悪化(進化)させた現代風舞台とも言えます。残念ながら個人的に全く好きではないものの、本作は突き抜けているよなあと感じます。理解を拒む構成、これはなんなんだと感じさせる気持ち悪さ。演技が下手だったりすれば「なんだこの駄作」で済むのですがそういうわけでもないので、とても気持ちの悪い作品です。どうしてここまで奇をてらって作れるかなあという不思議はあります。

ですので、噛み合わないのを承知で(異なる価値観で)率直に感想を書いてみようと思います。それはつまり分からんということ。分からないことを半ば意図的にやっている作品に分からないと言っても仕方ないのですが、去年もその傾向はありましたがそれっぽいものを見せて煙に巻いてやろうという印象がとても強い。そういう意味でものすごく意地の悪い舞台にみえてしまう。演劇や舞台に対する表現の捉え方はそれぞれですが、私は表現=伝える媒体だと思っているので「あえて伝えないこの舞台はなにがしたいんだ」となる。他のお客さんはどう捉えたのかは、興味深くはあります。

色々言いましたがここまで突き抜けられるのも凄い事です。関東大会がんばってください。

前橋南高校「蝉丸NOW」

作:能「蝉丸」より原澤毅一翻案(顧問翻案)
演出:(表記なし)

あらすじ・概要

受験を前にしていらだつ高校生が、女性のポスター、タバコ、音楽などに現実逃避するといった様子を言葉を使わずに表現した舞台。

感想

去年の能世界との交流に続く第2弾。台詞を排除して、舞台表現を繰り広げます。地味な背面パネル(壁)に扉を付けて部屋を表現しています。中央に机、壁にポスターなど。劇は言葉がなく淡々と進んでいきます。時々様子を見に来る母親。その母親の目を盗んで「東工大合格」と書かれたポスター裏の女性ポスター(マリリンモンロー?)を見つめたり、たばこを吸ったり、音楽にノってみたり。

登場人物の顔をみんな白く塗られ、現実っぽさを消しています。時折、舞台下手から能の格好をした白装束の人たちが出てきて踊りを踊り、また去っていきます。言葉がなくても、音と体だけでここまで表現できるだということを去年同様見せつけられる演劇です。

気になったのは時折出てくるその能っぽい人たちの背筋でした。BGMに能を流し、白い装束でキリっとしたムードを演出しているのに、背筋が曲がって頭が前かがみに出ています。背筋が曲がると動作が美しくない。現実世界と、人知を越えた能のような人の対比が重要なのに、その異界の者が「美しくない」のではどうにも困ってしまいます。日本古来の美しいな動作。美しい動作のためには、何よりも背筋を伸ばすことです。

ものすごく頑張って作り込んでいるのに、ただ背筋が伸びていないだけで、ものすごく勿体なく感じてしまいました。

全体的に

もうひとつ残念なのは、今年はその異界の者に全く主人公が気付きませんでした。気付かないということは交流がないということで、交流がないと存在しないのと同じになってしまいます。演劇という固定観念すらもぶち壊す意図なのかもしれませんが、そこまでの印象は感じられず(形式美であると納得するほどのものもなく)、そして劇としては何も中身がないため、とても中途半端(意味の解釈に困る)という状況になりました。

とってもよく作り込んでいるし、細かい部分まで拘っているのだけれども、惜しいかな「もう1、2…3歩」ぐらい足りなかったと言わざる得ません。「筋」などない「美」だというのならば、もっととことん美を追求してほしいと思います。というか、来年あたりは普通の演劇をしたいんじゃないですか? 表現したいことを表現することに頑張ってください。応援しています。

前橋南高校「姨捨DAWN」

作:能楽「姥捨」より 原澤毅一 翻案(顧問翻案)
演出:(表記なし)
※優秀賞(関東大会)

あらすじ・概要

乳母捨て山に迷い込んだ、今時の学生は不思議な老婆と出会った。

主観的感想

今年も少数の部員ながら、どうするんだろうと思いましたが「こう来ましたか」。昨年に引き続き、顧問の力をというのをまざまざと見せつけられた感じです。

幕が上がり装置はなし。光で幾何学模様(?)の上をゆっくりと一人の若い男が歩いてきます。ゆっくりとゆっくりと。音楽と共に。そしてカメラを取り出し写真を撮り、テントを組み立てます。ゆっくりゆっくりとした動作ですが、その挙動ひとつひとつにメリハリがあり、開幕から10分間たった一人で言葉は全くなく動くだけで魅せてしまいます。劇とは対話という人も居ますが、劇の対話ではない側面をまざまざと見せつけます。

やがて老婆(山神?)が出てきて、男がそれを撮影します。自然な動作に笑いが起きます。笑わせようとしていないのに笑いがおきます。完全に観客を引き込んでいる証拠です。途中、老婆がそなたも踊れみたいなフリをして、男が踊るシーンがあるのですが、能楽が鳴っている中で、ロック(?)な踊りがまざるというなんとも奇妙な構図が展開されるのは不思議な感じでした。

ほとんど台詞が無いのに魅せる演劇で、それでいて「自然の世界」から「都会」に戻るという喧噪を音と動きだけで表現しきっていました。とにかく動き・音(PA)・光(照明)をうまく作って仕上げられています。

軸もある、テーマもある、完成度も高い。芸術的な作品。さてではなぜ最優秀賞ではないのでしょうか? この問いの答えは非常に難しいです。好みの問題と片付ければそれで終わりですがあえて考えてみます。見入ってしまう面白さだけど、面白くない。引き込まれるけど感動はしない。見事に表現されているけど通り過ぎていく。芸術だからなのでしょうか、すごいけど純粋に面白くはない。観客とひとつになってこそ演劇と考えたとき、共有や共感がないことが問題なのかもしれません。もし仮に観客が男と同じ視点に立てたなら、また違ってみえるのでしょう(それにしては男に隙がなさすぎる)。そもそも「これでいいのだ」と言える演劇なのですが、あえて思考するとそんなところです。

前橋南高校「コックと窓ふきとねこのいない時間」

作:佃 典彦
演出:(表記なし)

※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

猫のビッシースミスお抱えのコックは、ビッシースミスさまの帰りを何年も待っていた。そこにやってきた女と、その様子を眺める窓ふき。そんな3人が繰り広げるやりとりと、やがて明かされるビッシーの真相は……。

脚本について

1993年にB級遊撃隊という劇団により上演された劇のようです。→参考資料。いかもにプロの作風で、テーマや物語や笑いに主軸を置きがちな高校演劇創作とはひと味もふた味も違います。

主観的感想

四月当初、我が演劇部は1人しかいませんでした。新入生も1人も入りませんでした。気の毒に思った男2人が手をさしのべたのが運の尽きで、今こうしてなんとか劇として成り立つところまで持ってくることができました。素人の男ばかり3人で見苦しい点もございましょうが――(以下略)

以上、上演パンフレットより引用。開幕直後、どこが素人ですかという驚きの演技力をみせました。男ばかり3人ということからも分かるとおり、女役を女装でやっています。全体にシリアスな劇でありながら、本当に演技力だけでみせたという凄さには乾杯です。本当に素人のなせる技なのか、顧問の力なのか真相は闇の中ですが、役の読みこなしが大変優れています。言葉だけでなく動作や動きで表現するなど、演じるということの本質を実に的確に抑えていて、まさにそこに居る登場人物という絵も言われるリアリティがあります。

とかいいながら、恥ずかしながら優勝するなんてこれっぽっちも思っていませんでした。部員数が少ないということで、昨年度関東大会の松本筑摩高校(部員2名)を否応でも思い出して比べてしまったのですが、装置がいまいち。舞台はビッシースミスの部屋という設定ですが、舞台を広く使っているために物と物の間に必要以上の空間が出来て散漫な感じです。また窓ガラスも入ってなく、小道具も少なく、もう少しどうにかしてほしいところ(欲をいえばやっぱり部屋はパネルで囲ってほしいです。→舞台装置を作り込むときに変にリアルに作りすぎるとこの劇には合わないので注意が必要ですが)。

また、最大の問題はやはり台詞の間です。掛け合いシーンでの台詞と台詞の間がわずかに早いのです。一時的なものかと気になって、ずっと間を注意して聞いてたんですがやっぱり全部早い。相手の台詞に反応して、心の動きが起き、その反応(リアクション)としての言葉の返答(台詞)を発するべきなのですが、そこが若干早い。演技自体はかなりのものであるだけに、一度気になり出すと気になって気になって仕方ありませんでした。現在の状態で間を適切に取るともしかすると上演時間をオーバーしてしまうかもしれませんが、逆に言えばそこをきちんとしない限り関東大会は突破は難しいと思います。

あと女子が居ないために、男が女装として女を真面目に演じる潔さはとても好感を持ちました。最初は飾り気のない簡素な上着と簡素なスカート(手作りかな?)で、すぐにピンクのジャージ姿に着替えるのですが、着替える意味がわかりません。女装を真面目にするんだったら、ウィッグを付けて化粧をしなければならないのと同じレベルで女性としての記号であるスカートを脱いじゃいけません。ただでさえ高校演劇に置いては女装は笑いネタとして使いやすいのですから、真面目にやっているということを示すためにも、活用出来る記号は最大限活用すべきです(もちろん変にならない範囲で)。着替えないのはもちろんのこと、できれば元々の服装を多少飾り気のあるそれらしい作りにして、服としての質をよりあげてほしいと思います。多分、ウィッグが落ちてしまわないようヘアバンドをするために、それに合った服装に着替えたのだと思いますが、ウィッグはいくらでも別の方法で固定できるはずですよ。

その他、ラストの幕を降ろすのが若干遅かったのが気になりました。

【全体的に】

ほんとに演技が上手かったの一言に尽きると思います。さすがに部員不足からか、他の装置やらには手が回りきっていませんが、次は関東大会ですからその辺のクオリティーもあげて関東の上を目指してほしいと思います。

審査員の講評

【担当】鈴木 尚子 先生
  • 非常に面白かった。3人しかキャストが居ない中で1人1人が誠実に役を演じていた。
  • 女装して笑いをとったり、女装した人物そのものに話のスポットが当たったりと、演劇における女装はあざといものが多いのですか、女性そのものを実に誠実に演じていたと思う。
  • コックは理性があって猫を待っているという気品があり、その様子が最初から最後までブレなかった。そしてそんなコックと他の二人の間で自然と笑いが起こる。
  • 本当はもっと狭い空間の方がよかったのかな。
  • どの登場人物も、昔はどんな人だったんだろうとか過去とかを感じるリアリティがあった。
  • フランスパンをコックと女がまわして食べるシーンは官能的だった。
  • ビッシースミスのためにコックがメニューを書くときの至福感がよく表現されていた。
  • それだけに途中コックが台詞をとちったのは勿体なかった。
  • 音響は音量が適切だった。
  • ラスの照明が居ない猫に話しかけているコックの様子をうまくかもし出していた。