太田女子高校「厄介な紙切れ」

  • 作:大島昭彦(既成)
  • 潤色:太田女子高校演劇部

あらすじ・概要

翌日のテストの復習プリントをもらいにいったら、今年のテスト問題が混ざっていた。そのテスト用紙に翻弄される8人の物語。

感想

この台本の2012年に新島学園が上演したものです。もう6年も経つのですね。

舞台上に乱雑に椅子とテーブルが10セットぐらい置かれていて、照明で区切られた空間になって、後ろは幕が引かれていました。乱雑に並べて、区切られて、黒幕引かれて……となると、かなり抽象的な空間になります。幕が上がり抽象劇でも始まるのかな?と思います。でも実際に演じられるのはとことんリアルな劇です。ミスマッチになっているのがもったいなかった。

教室の装置は用意できない。でもただ単に机を並べるだけだと工夫がないということかなと想像しますが、残念ながらただ単に(きれいに)机を並べたほうが良かったと思います。そうすることで舞台上がよりリアルになります。

全体的にコメディなのですけど、ガンガン笑いを取るコメディでもないし難しいですね。人物立ちも演技もかなり頑張っていましたし、間にも気を使っていたし、楽しめたのですが、でも物足りない感じがしました。

演技・演出の完成度高めようとか、そういう抽象的なことを言うぐらいしかできないもどかしさ。

コメディって難しいんですよ。シリアスは軸がしっかりしてる分、どうすれば良いかハッキリするのですが、コメディってただひたすらに完成度を高める(それも相当なレベルに)しかないし、それをしたところで最後はセンスに左右される。

生徒8人が、この紙切れをきっかけとして、一喜一憂し個々の感情が大きく揺れ動き、色々なドラマや葛藤が起こり、その結果として「紙切れに振り回されてる感」が出てくる。この上演だと紙切れで遊びました、ぐらいにしか感じられない。もっと、個々の生徒が、ほかの7人に対して、先生に対して、このテスト用紙に対して、また明日のテストに対して、何を想い何を感じ、どう思っていたのかが(演技から)見えてくると違ったのかなと思います。

すごい頑張っていたし、上演は楽しめたのですが、もっと上を目指してがんばってください。

前橋西高校「制服の落下点」

  • 作:木村 繚真(既成)

あらすじ・概要

「こんな世の中、狂ってる」。その日マユミはそんな言葉を言いながら命を絶ちました。時が経ち、その場所へと集まった友人たちの物語。

感想

台本ははりこの虎や作者のサイト等にあります。

幕あがり、長椅子ベンチやちょっとした生け垣が置かれた舞台でした。高さ2mぐらいの小さい街頭は違和感しかないので、無いほうが良いかな。公園かなと思ったのですが、遊歩道らしいです。ランニングするような遊歩道にベンチはどうなんだろう……?

舞台中央の手前側に置かれた青いビニールシートが一段際立ち、その上に花などが置かれていてそこがその場所なんだろうなとわかります。でも、こんなに大きいビニールシートを常設しておける遊歩道ってあるの? 実際にそのような場所があり得るのかどうかもう少し検討してほしかった。もし床を濡らさないための措置なのなら、ビニールシート以外の違和感のない何かを考えてほしかった。

間やテンポにとても気を使っているのがわかりました。アクションとリアクションにも気を配っていたと思います。これだけでも引き立ちます。コーラとかサイダーに本物を使っていたのもとても良いです*1。開けたときの「プシュー」って音は(本物なので)当然リアリティがあります。

台本の問題なのですが、マユミの弟「龍」がまだ来ないという15分目ぐらいのシーンで、一度話が切れます。その後、龍が飛び降りるシーンまで雑談が続くのですが、この雑談に魅力がありません。この部分から飛び降りまで、話を牽引したり興味を惹くものがないのです。ただ単にリアルな雑談を見せられても困ってしまいます。かなり致命的な問題です。

後半、龍がマユミと同じマンションの10階から飛び降りてしまうわけですが、講評でも指摘されていたとおり正面の客席側を向いて演技してほしかった。表情をお客さんに見せるというのはもちろんですが、お供えが置かれてる場所と飛び降りて落下する場所が違うと、どうなってるの?という疑問が生まれます。タイトルにもある大切な落下点がぼけてしまうのはもったいない。靴は別に落ちてこなくても良いし……。

見ていてずっと疑問だったのですが「落下点」や「マンションの10階」は「どこ」にあったのでしょうか。お供えするとしたら普通落下点にしますよね……。落下点(地上)に人が居て、飛び降りたら危ないし、最悪当たって一緒に亡くなることもあり得ます。上演中これらの疑問で頭の中はいっぱいです。きちんと場所を決めて(設定して)演じていましたか? なんとなく下手とかではなく、寸分違わず位置を決めて役者の中で意思統一していましたか? 建物や壁といった装置なんかなくても、役者たちの中で場所がきちんと決まって、本当にそこにそれ(マンション等)があるのと同じように演じられれば、それは十分観客に伝わります。この上演ではマンションの位置も大きさも、遊歩道の幅も位置も構造もよく分かりません。

全体的に(台本の問題でもありますが)、マユミやみんなが一体全体何に対して「本当が欲しい」「世の中狂ってる」とまで追い詰められたのか、その描写が甘いので劇全体の印象がぼやっとしたものになっています。それが伝えきれてないのがもったいないと思いました。

台本の問題に足を引っ張られつつも、演技はとても丁寧に演じられていて引き込むだけの十分な魅力がありました。素晴らしかったと思います。

*1 : その前の上演が、食事シーンが大切なのに食事を一切用意せずフラストレーションが溜まっていたので余計に。

高崎商科大学付属高校「おにぎり食べたい。」

  • 作:山田 巴(顧問創作)
  • 演出:吉田 成美、高橋 あゆ

あらすじ・概要

下宿で生徒を受け入れている一家。父親は単身赴任。娘と下宿生の4人は、間もなくやってくる母の日にスカーフを送ることを決めた。

感想

下手側にリビング、上手側にテーブルとキッチンがあり、奥には冷蔵庫と漆器棚。冷蔵庫すごいよくできてました。壁(装置)埋め込みではあったけども、作り込まれていてこれだけでもワクワクしてきます。

会話の演技かなり頑張っていたと思います。でも反応にはちょっとなっていなかったかな。そしてやや早口。難しいですね。立て板に水の如くするすると台詞が流れて、会話してる感じが少し弱いんです。言葉で説明するのは難しいので、自分たちで録画なり録音なりしてうまい上演と聴き比べてみてください。

台本の問題ではありますが、母の台詞が「ねぇー」「のよー」のオンパレードで、たしかにそういう母親いると思いますけどステレオタイプ(形の台詞)じゃないかな。演技は母親っぽくなってたのは良かった。

気になったところ

  • 開始15分くらい何も起きないので集中力が持たない。最初になにか興味を惹くもの(話を牽引するもの等)を提示しても良いのではないでしょうか。
  • 夕方のSEで豆腐屋のラッパが鳴るのですが、時代設定おかしくありません?
  • 食事のお皿がプラスチックなのが気になってしょうがない。本物の食事を用意しないまでも、せめて陶器のお皿で、しかも毎回一緒じゃなく変えたほうが……。
  • 関連して、食事のシーンはもっと大切にしたほうが良いのではないでしょうか。物語上重要なシーンだと思うのですが、かなり雑に運んで、雑に食べてる(食べてるという形の演技)感じがします。
  • 下宿生が低いテーブルで食事をして、家族が上手のテーブルと椅子で食事をしているのに、(家族の)ユウキの席はなぜ下手の低いテーブルなのか疑問でした。
  • 台本の場面転換(暗転)が多すぎます。

後半からラスト

上演後半で、舞台上に存在する長男ユウキが、実際にはすでに死んでいる(幽霊)という、学校演劇では比較的よくある設定が後で明かされます。

とすると、それまで食卓を一緒にしていたと思うユウキが実は幽霊でしたとなるのですが……。死んだ人の分まで毎回食事が置かれ、テーブルの1席が常に使われない下宿ってイヤじゃないですか? そんな下宿に3人も集まる? そんなのぜんぜん気にしないぜって人も中にはいるとは思いますが、演じた皆さんはこの点どう思うんでしょう。

また「実はユウキは幽霊でした」とネタバラシをしたあとも居続けるユウキは演出上どうなのでしょう。すみやかに居なくなり、そしてそのまま最後まで出てこないほうが良くないでしょうか。居なくなることで、さっきまで居ると思っていた存在が居なくなった状況がどう映るのかという面白みが生まれます。違和感が際立つはずです。

最後もなんで戻ってきちゃったの……。むしろ、現状の話の展開だと、最初から舞台上に居なくてよかった……。

まとめ

どう演出するか次第にはなりますが、ユウキの存在を通してホラーにすることもできますし(面識のない死者の食事が毎回用意される食卓で何も気にせず食べるとか十分怖い)、あったか家庭にすることもできますし、名前忘れましたけど潔癖症の子(ヒロキかな)に焦点を当てることも、全編ギャグにすることもできるのかな。

逆に言えば、そのどれにも焦点が当たって(絞られて)いないようにも感じました。

部分的にコメディっぽい作りもしてましたが、弾けるの難しいですね。下宿生3人や母親など個々のキャラが立っていてとてもよかったと思います。

伊勢崎清明高校「秘密の花園」

  • 作:中村 勉(既成)
  • 潤色:原澤 毅一
  • 演出:前田友梨奈

あらすじ・概要

短歌甲子園を目指す文芸部。大会目前に顧問の先生が入院して居なくなってしまった。明日までに予選に送る句を選ばねばならない。3人の生徒は、入院中の顧問の先生に会いに行くことにした。

感想

甲府南高校の中村勉先生による台本(noteで公開されています*1)。過去伊勢崎清明の上演とは相性が悪く色々と書いてきましたが、今年こそハッキリ言わせてほしい。

最高でした!

幕があがり、(教室にある)椅子が6脚置かれただけの簡素な舞台。そして背景に短歌などがプロジェクターで投影されます。台本で指定されている演出ですが、これがなかなか良かったです。電車やバスのアナウンス等が表示されるのは面白いですね。「なめとこ山のくま」の下りだけは文字が無いほうが良いと感じましたが、多分「文字」と「演技」という組み合わせに観客を慣らすための配慮なんでしょうね。でもそのシーン、演技でなく文字を見てしまうので演技が見れずもったいない気持ちに……。タイミング等の問題もあるのかもしれません。

あと講評でも指摘がありましたが、短歌の表示がやや早すぎた印象。あの短時間で文字を「五七五七七」として韻を踏んで読むのは至難の技です。いっそ詠んでくれてもよかったと思うし、せめて「五七五七七」が分かりやすい(読みやすい)ようにスペースや改行を工夫してくれたらな……と思いました。*2

それと短歌の「題詠」も表示してほしかった。題詠「先生」という表示がないから、「なんでこの部員たちは、先生のことばかり短歌にしてるんだろう。全員が全員先生を好いていて血みどろの戦いでも起こるのか?」と思いました。


先生のものまねが多く登場するのですが、とてもうまく演じられていました。この劇は「言葉」をとしても大切にしている台本で、演じている側もそれを意識して「言葉」を大切にしていたのが伝わってきました。そして全く登場しないのに、3人の先生への想いがヒシヒシと伝わってくる。

椅子だけの簡素な舞台なのに、体の揺れや椅子の配置で電車はバス、タクシーなどの乗り物をきちんと表現していたのは演技力の為せる技ですばらしいと思います。クマも面白かったです。

台本について

かなり脱線して台本の話なりますが、中村勉先生の台本は日常モノでかつ難しいものがとても多い中、本作は特に秀逸だと思いました。みなさん「となりのトトロはなぜ面白いのか」って考えたことありますか? 

お母さんの病気のために田舎に引っ越してきたサツキとメイが、2人だけで病院へお見舞いに行く

ただそれだけなのです。しかも実際にはお見舞いに行くことはできず、木の上から眺めているだけ。それだけなのに本当に面白い。

この台本は、

病気のため入院した先生の元へ、3人の部員が会いに行く

ただそれだけのお話です。筋立ては「何も起きてない」。でも面白い。少しファンタジー。トトロみたいじゃありません?

そんなことを上演をみながらぼんやり考えていました。

まとめ

言葉を大切にし、とてもとても丁寧に演じられていて、ここまで作るのにどれだけのエネルギーを注いだのだろうと感じずには居られません。

どうして関東に選んであげないんですか!

というのが正直な感想です。

強いて言えば短歌をもう少し大切にみせてくれたら、もっと最高だったかなというのはありましたが、そんなの圧倒するぐらい実力も内容も十分あったと思います。

*1 : 余談ですが、きっちり感想を書きたいので台本が公開されている上演はとてもありがたいのです。審査員と違って台本読めませので、細かい台詞まで追えず、どこまでが台本でどこまでが演出かの境界引きも難しく毎年辛い。

*2 : 現状は台本の指定通りなのですけど、別に変えてはいけないわけではないはず(許可下りればですが)。

桐生南高校「夏の終わり、狐の嫁入り。」

  • 作:栗田 綾菜(顧問創作)
  • 演出:亀里 涼介
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

おじいちゃんは国語の先生で、おばあちゃんは理科の先生だった。二人が大好きな美紅(みく)。やがておじいさんが亡くなり、おばあさんも一人では暮らせなくなってしまい、高校生になる美紅はおばあちゃんの家で二人暮らしをすることにした。。

感想

装置は、ちゃぶ台が置かれ、薄汚れた壁で囲まれ、写真などが置かれた部屋を丁寧に作ってきていました。これだけリアルだと、出入り口の「のれん」がちょっと謎にはなりますが、とても気合いを入れて作ってきたと思います。

にぎやかワイワイの友達たちがとてもよくできていて、下手に全力でにぎやかさを演出すると進行を邪魔してしまうのですが、その辺よく配慮していたと思います。おじいさん、おばあさんもよく演じていましたが、少し反応速度が早かったかな。老人は思考速度が落ちますので、「……んっ、なんだって?」まで行かなくても、若者よりは会話に対する反応が少し遅くなります。

気になったところ

まずおばあちゃんが部屋を掃除するシーン。BGMに乗せて「形」(掃除をしてますという記号的演技)で済ませていたのがとてももったいない。掃除を時間をかけてきちんとするだけで、おばあちゃんのリアリティが増しますし、性格も見えてきます。台詞でない部分で人物を説明でき、しかもきれい好きを伏線とできるとても貴重なシーンなのです。*1

きれい好きに関して付け足すなら、日常の別のシーンでも細かいところで(美紅たちがやってくるとき、いつも掃除をしている。写真のほこりを落としている。テレビを雑巾がけしている等)で演出した方がよかったんじゃないかな。また、おばあちゃんがボケた後の「部屋の散らかり」も形になっていますね。もっと違う表現の仕方はありませんでしたか?

途中にある美紅の周りに三角コーンを3つ置いて工事用ポールで囲む演出。これなんだったんでしょう? 壊れていくおばあちゃんか美紅(との関係?)か何かを明示してるんだと思うのですが、これ単なる説明ですよね。しかもほぼ伝わってない説明。台詞や状況で十分伝わっていたと思うのですがその演出本当に必要だったのですか。おばあさん一人になってしまった家を取り壊しているのかと思いましたし、急に工事関係者みたいな人たちが出てきて違和感だらけでした。

序盤ですが、美紅がなんでおじいちゃん、おばあちゃんにここまで想い入れてるのか全く伝わってきません。説明はありましたが、欲しいのは説明ではありません。エピソードです。エピソードが無理でも、関係性(の演技)で匂わせてほしいところです。

一番もったいないのは、ラストシーン(ラスト前)ですね。

「私はこの日のことをずっと忘れないと思う。5人で食べた最後の夕飯」

最後に家族みんなで食べた最高の夕食シーンです。良いですよね。美しい。このシーンのためだけにこの劇が存在したと言っても過言ではないぐらいの名シーンですね。

…………なんで省略したの! なんでみせてくれないの!!

台詞なく、ただただ美味しそうに食事するシーン*2劇中で一番の見せ場でしょう。それ省略するってどういうことなんですか! と叫びたい気持ちでいっぱいでした。

あとこれは好みの問題ではありますが、ラストシーンで美紅が泣いて終わるので本当に良かったのかな。美紅は、劇中大きな声を出し叫んだり泣いたりしながら感情いっぱいな姉として演出されているので、その美紅が大泣きするのは比較的普通のことです。もしこの大泣き演出を成立させたいなら、美紅はそれより前のシーンでもう少し控えめに演出したほうが良いのではないかと思います。

台本について

栗田綾菜先生の脚本です。以前も述べました通りやや荒削りな印象を受けました。

  • 説明セリフが多い。
  • 場面転換(暗転)がやや多い。

セリフに関しては台本作者のセンスであり個性なのですが、以前より良くなったものの状況を台詞で喋らせがちですね……。魅力的な台詞についてもう少し検討してほしいかなと思います。

途中にあった、美紅が実家にメールするシーンや実家で老人ホームのことを父と母が検討するシーン。シーンまるごと要らないと思います。

メールを送るという行為は貴重な伏線となりますし、その後、家族の中で何が起こったのだろうかというのは美紅の預かり知らぬところなので、それを匂わせる(もしくは次に会ったときに会話させる)ことで非常にきれいに処理することができます。少し演出の話が混ざりますが、あのシーンはテンポを悪くするだけでなく、そもそもが説明的なシーンであり、舞台の端に椅子や机を用意することで更に説明度合いが増しています

さて、栗田先生脚本は家族問題、特に嫁姑問題や痴呆問題について興味があるのかな。勝手な解釈かもしれませんが、理想として家族は大切にしたい、でも現実には問題が多く理想通りに行かないといった印象。全体的に(特に痴呆関連の描写は)以前の「ファミコン!」より良くなっていたと思います。

まとめ

今の状態だと美紅にばかりスポットが当たっているのですが、もっと「おばあちゃん」や「美紅とおばあちゃんの関係」にスポットを当てれば、印象は(文字通り)劇的に良くなったと思います。それと、台詞以外で表現(説明ではない)することに気を配ると良いでしょう。

色々書きましたが、上演終盤からすすり泣く声が客席で聞こえてましたし、力いっぱいの素敵な上演でした。

*1 : 細かいことですが、畳は畳の目に沿ってほうきがけします。畳の目に逆らってほうきがけすると、きれい好きには見えません。

*2 : できれば本物で!!