吾妻高校「僕らの道標」

作:武井 とし恵
演出:田村 綾子

あらすじ・概要

剣道部のアキラはショウゴがいる限り個人戦に出ることはできない。あるとき公園で「このまま事故にあえばいいのに」と軽い気持ちで言ってしまったら、その帰り本当に事故が起きてしまう。

一方、ミサキは姉に母親の居る病院へお見舞いに誘われても行こうとしなかった。それは自分に責任を感じていたから。そして二組の関係は微妙に影響を与える。

主観的感想

母とミサキ、ショウゴとアキラという2組の「病院に居る者」と「見舞いに行かない者」で構成された台本です。なかなか言い出せず、逃げているミサキやアキラが最後には向き合うと決意するまでの物語。公園を舞台にした対話を主軸に物語りは展開します。女子6人が、男子3人、女子3人を演じる劇です。

2組のうち母とミサキの関係は、ショウゴとアキラの関係を動かすための仕掛けとして作られていて、そのためにミサキの母親が死んでしまいます。構造的に書くと身も蓋もありませんが、本の力というのは構造にどれだけ説得力を持たせるかで決まります。その点どうだったのかといいますと、どう考えても「母親の死」の方が「ショウゴとアキラ」の関係に対して大事(おおごと)であり、描く対象が「人間と人間の関係」ではなく「エピソード」や「人物そのもの」に注力したように感じます。登場人物が全般的にステレオタイプであり、人物としての深みがありません。アキラを中心としたアキラの物語という焦点がぶれていて、アキラの気持ちも描かれているのですが、それ以外の不要なものもわりと描かれていて、話の中心が見えにくいのです。

つまり何が言いたいかというと、ちょっと欲張りすぎて書きたいものを書いてしまった。もっと端的に女子の想う理想の男子像を描くことに半分注力してるから軸が定まらない。本当に理想の男子像を描くという意味では100点です。あまりによく伝わってきて微笑んでしまいました。ただそれは同時に、人物のリアリティとして30点です。

普段なら独白がダメとかいろいろ書くところですが、演技力(演出)の力もありシリアスシーンや気持ちまわしの作りは(母の死の安易さやら独白に無理があるにせよ)わりときちんと描けています。劇全体が真面目(愚直)で非常に丁寧な作りをしており、感情がわき上がる演技もちゃんと考えられていて、女子が演じる男子はちゃんと男子に見えるし(思わずキャストを確認したし)、実力はかなりのものです。

(この手の)演劇の基本は、登場人物の気持ちとその気持ちの交流(対話)だということにもっと注意して、独白を使わずに気持ちを表現するにはどうしたら良いかの2点だけ踏まえれば今よりもっと良くなります。

前橋育英高校「じゃがいもカレー」

作:前橋育英高等学校演劇部(創作)
演出:小野関 祐

あらすじ・概要

おじいさんの本棚で見つけた日記帳。そこに書かれていた衝撃の事実、戦中に友人を殺してしまったおじいさん。その友人はおばあさんの(かつての)婚約者だった。

主観的感想

脚本について

「合宿をしながら知恵を絞り合って作り上げました」とのことです。あらすじのとおり、その日記からおじいさんが家出をして戦中の回想になります。結婚60周年記念のパーティーでおばあさんにそのことがバレてしまうのですが、実はおばあさんは知っていたという心温まる「いい話」です。

ややシーン転換が多いことが気になります。一番の問題は回想を使わずに表現して欲しかったということです。度々言っているとおり、演劇ではシーン転換は余り向きません。うまく処理しないと転換中に進行が完全に止まってしまうからです。TVドラマは逆にシーン転換しないと(リアリティがないので)間が持ちません。本作中で回想によって観客に伝えられる『真実』というのは、実のところ観客にとってはどうでもいいこと(知らなくてもいい興味のないこと)です。観客が知りたいのは、そこに居る人物たちの気持ちの動きとその交流です。

小説でも一緒ですが事実は事実として淡々と表現するよりも、「昨日食べた料理美味しかったよね」「そうそう中に入ってた野菜があんなに美味しいなんて」という風に登場人物達の主観で描かれた方がよっぽど興味が沸きます。友人を殺したときの真実を淡々と説明されるよりも、そのときの状況を知る者を出して(日記に書かれていたのを読んだ人で充分でしょう)、おじいさんと対話しないといけません

確定的に「いけません」と書いたのにはもう一つ理由があります。このお話は結果的におばあさんが「許す」ことで幕を閉じるのですが、おじいさんはその段階においても「過去の事実に向き合っていません」。向き合うのが怖くて逃げているのです。怖くて逃げていたら知らないうちに許されてしまった「ああラッキー」では、観客は共感しませんし、感動もしません。このお話がきちんと成立するためには、おじいさんは最低限「過去に向き合う」必要があります。おじいさんどころか、物語の作者がそこから逃げていては観客の気持ちを動かすことはできません。厳しいようですが実際問題、物語を紡ぐということは自分の身を削るような辛い作業なのです。そして、その作業無くして共感は得られません。

脚本以外

全体に演技にしまりがありません。メリハリがないというか、抜けきっているというか、表現が難しいのですが、とにかくしまりがありません。シーンが断片的で投げっぱなしです。これもしまりがない一因です。台本を舞台の上で読んでいますが演じてはいません。どう言ったら伝わるでしょうか。

エチュードというものがあって、そういう練習をするといいと思います。例えば2~3人で「先生と生徒」とかそういう簡単な状況を即興で演じます。3~5分ぐらいです。他の人はそれを見ています。即興劇が終わったら、観ていた人にどうしたらもっとリアルに見えるか発言してもらいます(議論になればなお良いです)。それを色々な設定や組み合わせで行います。言葉であれやこれやと説明するよりも、それが一番良いです。別に今回の劇台本1シーンで構いませんが、台本に知恵を出し合ったように、演技でもみんなで知恵を出し合ってみてください。すぐに上手くなります。

戦争という比較的重たい題材を選び、しかもそれをきちんと劇として成立させていました。その情熱はすばらしいものがあります。

高崎経済大学附属高校「夏期補習~ボクとセミと時々カミナリ~」

作:長野 諒子
演出:高崎経済大学附属高校 演劇部

あらすじ・概要

夏休み。補習に集められた生徒6人。しかし先生がなかなか現れない。仕方なく、教卓の上に置かれた課題を各自解きはじめる生徒達だった。

主観的感想

脚本について

補習に集められた生徒たち。そしてどういうわけか少人数制の補習(にも関わらず先生がいない)という、(良い意味で)妙なシチュエーションを作っていて大変良い着想です。教室のみの一幕ものというのもまた良いです。話の筋としては、実は先生が生徒として隠れて(参加)してましたというもので、それに絞って構成されています。ひどい台詞回しもなく、とてもよく研究されています。

ですが、いまいち散漫としています。目立った欠点がないだけに、何が足りないのかと考えると難しいのですが、ひとつ思い当たるのは物語の焦点です。先生が生徒として紛れ込んでいるという良いシチュエーションを生かしたエピソードなりがなく、あまり関係ないところで話が展開していきます。せっかくのギミック(仕掛け)を生かし切れなかったのが勿体なかった。

何でもよいのですが、補習中の会話を生徒たちの関係や、勉強ができるとかできないとかではなく、「先生」と「生徒」の関係にスポットを当てた会話にすればよかったのだと思います。「あの先生気に入らない」でも「あの先生はえこひいきする」とか「先生と相性が悪ければ成績も変わる」とか「あの先生の授業はよく分からない」とかから始まり、先生は所詮職業とか、生徒の中に「将来先生になりたい人」を置くなどしてあーだこーだという話がぐるぐる回れば、より面白くなったかもしれません。

これは例で本当になんでもよかったのですが、とにかく先生が隠れてましたというギミック以外に「何の話でもなかった」ことがもったいなかった。多分そういったテーマとしての軸がしぼり切れてないため書くのも大変だったと思います。せっかく良い要素をたくさん持った台本であっただけに、惜しく思いました。もし良ければ、練習がてらこの本を書き直してみるといいと思います。

脚本以外

前にホワイトボード、廊下側の前と後ろ肉出入り口、時計と黒板とA1サイズのポスター、うしろにロッカーという教室というかなり手の込んだ装置です。欲を言えば廊下側に窓が欲しいところですが、大変よく作っていました。その点、椅子と机が6ペアしかないのはやや気になります。持ってくるのが大変というのは分かりますが、装置というのは演劇という嘘に説得力を持たせるための道具ですから、抜けがあるのはあまりよくないです。「普段は使われてない教室」ということ設定も良いと思うのですが、できればそれは台詞でなく装置で表現した方がよかったと思います。

机の隙間はもう1つ問題があって、人物と人物の隙間が空きすぎてしまったことです。仲の良いカップルは寄り添いますよね? 嫌いな人とは近寄りたくないですよね? お互いの距離は気持ちの関係も如実に表現します。意図的に使うと、気持ちの関係をお互いの距離によって表現することも可能です。そして、隙間のせいもあるのですが高校生が6人も揃っているのに、妙に静かで冷めたような感じです。普通高校生が6人も揃ったら(最初はともかく)溢れるエネルギーでワイワイと騒がしくなりませんか? そういう熱気のようなものがなかった。

補習問題を解くときにブルー暗転して、スポットを当てて一問一問軽快に解いていくというシーンがあるのですが暗転しないで直接スポットに切り替えた方が良いです。変な間ができてしまいます。

この学校も女子が男子を演じてましたがほとんど違和感もなく、全体によく演じられていました。なかなかの演技力です。装置の力の入りようといいどれだけの情熱を持ってこの劇を作ってきたのかよく伝わってきました。

前橋南高校「姨捨DAWN」

作:能楽「姥捨」より 原澤毅一 翻案(顧問翻案)
演出:(表記なし)
※優秀賞(関東大会)

あらすじ・概要

乳母捨て山に迷い込んだ、今時の学生は不思議な老婆と出会った。

主観的感想

今年も少数の部員ながら、どうするんだろうと思いましたが「こう来ましたか」。昨年に引き続き、顧問の力をというのをまざまざと見せつけられた感じです。

幕が上がり装置はなし。光で幾何学模様(?)の上をゆっくりと一人の若い男が歩いてきます。ゆっくりとゆっくりと。音楽と共に。そしてカメラを取り出し写真を撮り、テントを組み立てます。ゆっくりゆっくりとした動作ですが、その挙動ひとつひとつにメリハリがあり、開幕から10分間たった一人で言葉は全くなく動くだけで魅せてしまいます。劇とは対話という人も居ますが、劇の対話ではない側面をまざまざと見せつけます。

やがて老婆(山神?)が出てきて、男がそれを撮影します。自然な動作に笑いが起きます。笑わせようとしていないのに笑いがおきます。完全に観客を引き込んでいる証拠です。途中、老婆がそなたも踊れみたいなフリをして、男が踊るシーンがあるのですが、能楽が鳴っている中で、ロック(?)な踊りがまざるというなんとも奇妙な構図が展開されるのは不思議な感じでした。

ほとんど台詞が無いのに魅せる演劇で、それでいて「自然の世界」から「都会」に戻るという喧噪を音と動きだけで表現しきっていました。とにかく動き・音(PA)・光(照明)をうまく作って仕上げられています。

軸もある、テーマもある、完成度も高い。芸術的な作品。さてではなぜ最優秀賞ではないのでしょうか? この問いの答えは非常に難しいです。好みの問題と片付ければそれで終わりですがあえて考えてみます。見入ってしまう面白さだけど、面白くない。引き込まれるけど感動はしない。見事に表現されているけど通り過ぎていく。芸術だからなのでしょうか、すごいけど純粋に面白くはない。観客とひとつになってこそ演劇と考えたとき、共有や共感がないことが問題なのかもしれません。もし仮に観客が男と同じ視点に立てたなら、また違ってみえるのでしょう(それにしては男に隙がなさすぎる)。そもそも「これでいいのだ」と言える演劇なのですが、あえて思考するとそんなところです。

沼田高校「馬鹿でもわかるラブソング」

作:小野 知明(創作)
演出:星野 一成

あらすじ

典男は父親である馬之助と二人暮らし。そこに家庭教師がやってくのだが、典男は本当はミュージシャンになりたかった。友人と家庭教師をそそのかし、自分の身代わりをさせて、ひっそり家を抜け出してオーディションを受ける典男だったが……。

主観的感想

【脚本について】

昨年、一昨年に引き続き小野知明氏(現3年生みたいです)創作の演劇です。サマーフェスティバル上演作品のようですね。一昨年のハードボイルド昨年のホームステイものからして正直脚本は期待してなかったのですが(失礼)、今年はまともな台本でした。かなり進歩してます。

全編コメディでよい意味で弾けています。お寒いこともなく十分にドタバタしたお話でした(今年上演の中では一番ドタバタ劇だったかも)。テーマ的なものやドラマ的な部分では不足する感じはあるものの、話筋もまともでこれでありと思わせる面白い本でした。

【劇について】

県内の高校演劇を見渡せば女子ばかりという状況の中で、年々実力と質を上げてきている男子校。今年もその活きの良さ健在で十分に楽しくドタバタしてました。ここ3年では一番よかったんじゃないかと思います。典男の部屋を照明装置の関係でしぼることができなかったのか、無駄にだだ広くなってしまったのが残念ですが、その広さも使ってドタバタしてました。天井スポット(サチ)を使うときに半歩下がって顔が見えるようにするなど、細かい配慮もなされていたと思います(昨日の上演校ではなかった)。

ただ全体に荒っぽさのようなものがあったのが残念です。例えば、ギャグの作り(演出)がイマイチ甘く、「もう少しタイミングとリアクションを練れば」というシーンがいくつかあり、全体として演技に締まりがない。みんながみんなテンションの高いキャラクター(人物)になっていて、役ごとの人物像の違い(性格の違い)や色付けみたいなものが全くされていなかったのが原因だと思います。静かな人物が居てこそうるさい人物が目立つということを覚えておくといいと思います(人物配置の妙とは要するに対比ですから)。

ほかには、ラストシーンで重要なメッセージがラジオから流れるのですが、そのラジオの音が聞き取りにくいのは最大のマイナスポイントです。一番大切なところなんですから、聞こえないなんてもっての他。録音環境が悪いのです。部屋鳴りだと思うのですがキンキンしています。高いマイクや録音機材はたしかにお金かかりますし用意出来なくても仕方ないのですが、『声を録音するときは、できるだけ広い部屋でカーテンなどを閉めて、可能ならば録音する人物の四方を厚手の布で覆う』などするだけで、安いマイクでも比較的まともに録音することができます(できればせめてカラオケマイク程度とスタンドは欲しいところですが)。

【全体的に】

2年前に比べかなりレベルが上がっているだけに、細かい作り込み不足という面で勿体ない感じがしました。せっかくここまで来たのですから、勢いもありつつ、作り込みも忘れない(手抜きをしない)という意気込みで頑張ってほしいと思います。そうすれば関東大会も十分に狙えると思いますので。

審査員の講評

【担当】ヨシダ 朝 さん
  • 台本をみたとき面白かった。くだらないことを必死になって一生懸命やることの大切さみたいのがあり好感が持てる。
  • だけど、今は一生懸命くだらないことをやっているのだけど、その上の命がけでくだらないことをやってほしい
  • 例えば、10万円では納得しなかった家庭教師に、ポッキー1年分を渡すことで納得させるというシーンがラストにあったけども、家庭教師は芝居中ずっとポッキーを食べていて、それは大変だろうけど死ぬ気で食ってほしい。
  • そういう意味でまだまだやれることは沢山あったと思う。
  • 隣に軍事オタクが住んでいるという発想が面白い。今回は、テープのメッセージと爆弾ぐらいだったけど、もっとこっちの家と関わって例えばバズーカ砲を持ってくるとかそれぐらいやるともっと面白いと思う。
  • もう1点。これをきちんと芝居として成立させるにはどうするか。今やってるのはアクションであって、演劇はアクションではなくリアクション。自分が何かするのではなく、相手に対して自分がどうしていくかがリアクション。父のキャラ(やほかのキャラ)に対するリアクションをすることで芝居として成立させることができる。(編注:これはものすごく大切なことを言っています。お笑いでボケと突っ込みが必要なのは、ボケも大切ですがボケに対するリアクションである突っ込みがあって初めて笑いが伝わる。演劇ならば、ある台詞や行動に対して、それについての返答や反応を示す行為があってこそ初めて登場人物同士が存在し交流し、二人の関係が見えて、そこにリアルな空間が生まれる。→参考になるサイト