高崎東高校「ステップ」

作:高崎東高校演劇部(創作)
演出:(表記なし)

あらすじ

NEET(ニート)の兄、妹、母親、単身赴任で家にいない父親の家族コメディ劇。兄は昆虫にはまっていて、最近の行動はなんだかよく分からない。そこに近所でおこる不審な誘拐事件の犯人として兄が疑われているという噂が舞い込んでくる。兄と父親が昆虫の幼虫のことで電話してるのを盗み聞きした母が、てっきり兄が子供を誘拐したものと勘違いして……。

主観的感想

【脚本について】

コメディの王道かな。電話の会話を母親に盗み聞きさせ、兄を誘拐犯と勘違いさせるなどの作りはうまく出来ていました。講評でも述べられているとおり、おっとりな母親、元気な妹、NEETの兄という人物の色づけがうまく出来ています。

その一方でやっぱりこれも話全体としては無理があります。家族劇、青春劇だと思うんですが、出てくる人物のキャラ立てはうまくできているのに深みや背景がない。最終的に昆虫好きの兄は北海道に単身赴任している父親の元へ引っ越すという結論を出すのですが、そこに至る葛藤やら、なんでNEETなのかといった描写、そんな兄のことを母や妹はどう想っているのかなど、そういうドラマが全くありません。

では全編とおしてコメディなのかというと、コメディとして見たときも中途半端。「60分笑いっぱなし」とはいきません。作者が演劇部表記であることや内容から推測して、多分話を構成したというよりは数珠繋ぎにシーンを作って繋げていったのではないかと思うのですが、それだけに非常に散漫な作りになってしまいました。

【劇について】

後ろに幕を張って、その前に家財道具を置くことで家に見立てているのですが、やっぱりパネルがほしい。壁があって囲ってしまわないと家という感じはどうにもしません。照明のあたる範囲を狭めればよかったのでしょうが、どこの高校もそういうことをしていなかったので、おそらく照明のあたる部分を絞れない舞台(照明装置)だったのでしょう。

笑いを狙っているのですが、全体に微妙な笑いです。というのも台詞と台詞に「間」がほとんどなく、台詞のテンションがほとんど一定だから「ゆるみ」などがなく見ていて飽きてくるのです。コメディとして中途半端になった原因はここにもあると思います。唯一電話で父とやりとりするシーンは一番おいしく面白かったんですが、他が散漫すぎてしまったといえるでしょう。あと電話の声、少し大きかったかな。

【全体的に】

ドラマ性がなくテンポが一定だと、もうそれは飽きるしかなくなるわけで、そういう意味で勿体ない劇でした。とはいえ1つ前の市立前橋同じく、全くなってない悲惨なものかと言うとそうではなく、劇にはなっていますし初歩的なミスや致命的な演技の欠陥もありません。逆に言えば、それぐらいドラマ性がないシナリオと、テンションの変わらない芝居が悪影響するということを示した典型例とも言えます。全体に一生懸命になりすぎたあまりの失敗かもしれませんね。

とにかく、演じるときのテンションを変化させること、台詞と台詞のあいだにある「間」を大切にすること(練習を録音して自分たちで聞いてみること)、この2点を注意するだけでかなり変わるのではないかと思います。それだけやってもよく分からなかったら、さらに県大会上位の上演やプロの上演、全国大会の上演などを「間」や「テンション」に着目して見てみるといいでしょう。

審査員の講評

【担当】小堀 重彦 先生
  • 面白い台本で、着想が優れていると思う。
  • 父は北海道へ単身赴任、おっとりした母、サクサクとした感じの妹、主役のカブトムシのかぶり物(よく出来ていた)を被った兄。それぞれキャラが違うというのは良いドラマのポイントになっていた。
  • カブトムシの子供を間違えて殺してしまったという兄の電話を、(人間の)子供を殺したと勘違いした母や、事実が分かったときの母の戻りかたもほんわかしていた。
  • ラストシーンのあと、なつき(兄)は昆虫学者になったのかな、何になったのかなと今後を想像させた。
  • シーン最初で扇風機で声が変わるところがあったが、ややしつこいように感じた。しかも客席ではそんなに声が変わったように聞こえなかった。
  • いたって普通な家庭環境から立ち上げて60分よく作ってあった。

新島学園高校「桜井家の掟」

作:阿部 順
演出:新島学園演劇部

※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

桜井家の4人姉妹の元へ、次女の蘭が彼氏を連れてくるという。乙女を夢見る長女夏実、ワルな感じの次女蘭、食べるの大好きな三女の杏、なんでも言ってしまう四女真希という個性豊かな姉妹劇(家族劇)。連れてくる彼氏にビクビクする夏実と杏。しかし、光一はごく普通の男子だった。ほっとしたその彼の前で、突然真希は「自分たちの親は離婚して、今週いっぱいで離ればなれになる」と告げる。

脚本について

2002年度に行われた第48回全国高等学校演劇大会で千葉県立薬園台高校が上演した優秀賞受賞作。高校演劇Selection 2003下収録

主観的感想

毎年毎年、変に小難しい台本を選んでは失敗してきた感がある新島ですが、今年は新島に合った(注:見下しているのでなく、過去の地区公演を見る限り気質として合っていると思う)台本でドタバタコメディ。掛け合いの間や登場人物の個性付けなど、非常によく出来てました。まあ、ほとんど地区公演の修学旅行と被る人物と配役だったような気もしますが、その意味でも余計役作りはしやすかったのではないかと思います。非常に面白かったです。

前半、少しだけ間か詰まっている(ほんのちょっと間がほしい)と感じる場面はありましたが、全体的にいい掛け合い(間)をしていました。掛け合いの妙(テンポ作りなど)はさすがです。途中、三女(か四女)のほほを叩くシーンでスローモーションで暗転したのですが、あれは意味がわかりませんでした。遊び心としては好きですが、あまり効果的な演出ではなかったように思います。

装置は部屋をきちんと作ってきていてさすが。ただ扉が若干ぐらついていたのが気になりました。講評によると、あれだけ激しく扱ってもびくつかないのは大変な労力ということですが、でも少しグラついてしまったのが残念。また階段の部分がセットで切れ目になっているのですが、階段を挟んで舞台奥側と手前側に隙間が見えるのが残念でした。奥側にもう1枚パネルをおいてほしいと思います。

さてここまではいいのですが、相も変わらず新島の問題はテーマとその解釈(演出)です。毎年のように演出不在の新島は、例年全編を通して何かの1つのテーマを描くということが大変苦手で、今回の家族劇というニュアンスで劇をみたときに光一の存在がどっちつかずになっています。姉妹劇(家族劇)なのに話の中心、スポットは常に「蘭とその彼である光一」に当たっているわけで、「あくまで4姉妹が主役なんだ」という主張(演出)がまるで見えてこないのです。ラストシーンで姉妹みんなでケーキを食べ、それをバックから(姉妹の)親とおぼしき人影が見つめるのですが、その前のシーンでは光一が居るのに、最後の最後で奥(台所?)に引っ込んでいて出てこない。なぜ出てこないんだという疑問と共に、このラストシーンに来てようやく主役は4人姉妹だということが分かるのです。逆に言えば、最後にそのシーンをみないと主役がどっちだか分からないのです。

ラストシーン前では、彼氏(光一)のことは噂させる程度にしておくべきだったのではないかと思います(引っ越しの手伝いには来ているけど何か買い出しに言ってるとか、用事で帰ったとか)。

【全体的に】

音の処理や光の処理はさすが新島という感じで、安定感がありました。演技や舞台装置、その他すべてを含め本当に安定した作りになっていると思います。とにかく間の使い方が適切で、他校にはぜひ参考にしてほしいと感じました。地区公演と違い作り込んでいる様子で(逆に言えば地区公演は若干手抜き感があるわけですが……)、全体の作りはさすがでした。

これだけ実力があれば、あと必要なものはテーマの解釈とその演出なんですけどね……。これ、地区公演含め昔から何度となく書いてきている割に進歩がないのでダメかもしれませんが(である限り関東突破もダメだと思いますが)。参考までに、検索して見つけた青山先生の評はこちら。私より的確でしょう。

審査員の講評

【担当】鈴木 尚子 先生
  • この作品は全国大会の台本だと後で知った。既成本でも、地元地名を取り入れ丁寧に作り込んでいた。
  • 時計の針が進んでいたり、カレンダーに×が増えたり、取り外したものの跡が残っていたり、最後のケーキがリアルだったりと、細かいところまで手を抜かず非常に丁寧な作りだったと思う。
  • 照明、音響、装置なども適切でよく作ってあった。
  • 窓があってその向こうにキャラクターの細部まで見えたのはすごい。
  • 四人姉妹が姉は姉として、妹は妹としてキャラが立っていた。
  • 光一の母の豹変ぶりとか、こっちの度肝を抜くような、かといって違和感を感じることもない全体的なアンサンブルの良さはさすがだった。
  • 光一の父がフィリピンパブの人と電話するシーンでは、さわやかすぎた感じがする。もっとギトギトした感じが出てもよかったのではないか。
  • 今後の4人姉妹を想像させる、よくい作品。
  • 欲を言えば、声が重なるところなどでそれぞれの役者がもう少し声が出たりパワーが出たりするとよかったかな(編注:記憶曖昧)。
  • あとカナヅチ、ノコギリとかは(編注:視覚的に)もっと分かりやすい方がよかった。

共愛学園高校「破稿 銀河鉄道の夜」

脚本:水野 陽子
演出:窪田 有紗(兼 主演)

※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

高3のカナエは、放課後の演劇部部室で一人本読み。そこへやってきたサキがカナエの進路を心配するが、カナエは曖昧な返事を返すばかり。サキが三者面談でいなくなると再び「想稿・銀河鉄道の夜」の台本(以下銀鉄)を読み始める。演劇部には、上演後の台本を破り捨てるという伝統があったが、カナエは2年前に上演したその台本を捨てずにそれをもっていた。そこへ現れる親友のトウコと、そのまま銀鉄の話で盛り上がる。銀鉄におけるジョバンニとカンパネルラのシーンを二人で振り返る。

トウコからカナエへの投げかけにだんだんと考えを変えていくカナエ。「その台本を捨てよう」と。二人で破りそしてトウコはカナエの元を去っていった。そう、カナエは今はもう居ない人物だった。

脚本について

この本は演劇界では結構有名なものみたいです。1996年の全国大会において兵庫県立神戸高等学校が上演した生徒創作台本のようです(高校演劇Selection'98収録)。検索してみると高校演劇においてもよく使われる台本で、たしかにその完成度の高さは唸るものがあります。と思ったら(この本について)こんな話をみかけました。

主観的感想

伊工同じく、県内でもこの2校は演技力の格が違います。声はもとより、「アクション」や「止め」や「間」の使い方が非常にうまく、照明やBGMの処理も的確で、もうそれだけでも唸ってしまいますし、さすがに良い台本を選んできています。

さて、舞台は演劇部の部室なのですが、まず気になったのは電柱(演劇のセットを物置に代わりにしているという設定)が部屋の天井よりも高いはどうだろうと思ったのですが、講評によると「どこかファンタジーを感じさせる舞台(意訳)」ということでしたので、これで良いみたいです。

スポットで2回ほど微妙に位置がずれていまして(破いた原稿を足で動かそうとしてたので不思議だったのですが、後でライトをあてる位置に動かそうとしたみたいです)、もったいないといえばそうなのですが、位置のことを気にしすぎて演技が小さくならなかった証拠と好意的に解釈しました。昨年度ラストシーンのバナナでの打ち合いでは、まさに(演じてる)当人たちが楽しむという基本がなかったのですが、今回はカナエとトウコが雑巾を投げあうシーンなど、形で演じるのではなく楽しむということが抑えられていて非常に良かったです。

あとは、トウコがカナエの元を去るシーンで効果的にBGMを使っているのですが、もう少しだけ小さくしないと台詞が聞こえません。

【全体的に】

共愛というと(一昨年、昨年と)台本選びのセンスが良く完成度も高いが、一方で狙いが微妙にずれているというイメージがあってあまり期待はしていなかったのですが、今年はそのイメージを崩されました。見終えた瞬間「最優秀賞だな」と確信しましたし、結果発表のときに喜んでいる姿を見ては「聞くまでもなく最優秀賞」とすら感じました。誰が審査しても文句なく、今年の最優秀賞だと思います。

昨年度と比べても驚くべき成長ぶりで、一昨年、昨年と苦言を呈され続けたダンスシーンは今年は潔くあきらめてましたし、演出や演技という意味においても、より一歩も二歩も掘り下げてきていたように感じました。ですが、その一方で「ではこれで関東大会を勝てるか?」と訊かれたら(関東大会の他校の実力は分からないものの)難しいのではないかと感じます。「間違えなく面白かった。しかし何か物足りない」というのが愚直な感想です。

結局のところカナエが銀鉄(のシナリオ)に執着する想い、進路に対して迷いをもっているという想いが、あまり描かれていないのだと思います。シナリオの構成を汲み取る限り、抑圧、悩みといったカナエの後ろめたさ、何かを引きずっているという描写を重ねてこそ、最後の開放に力や意味が生まれるのに、その辺がおざなりになったためにラストシーンがいまいちパッとしないと言えるのではないでしょうか(もちろん引きずっているのはトウコのことですが)。

昨年度も似たようなことを書いたように思いますが、まずラストに魅せたいものは何であるかを考えて、そこから逆算して「そのためには事前に観客に何を伝えるべきか、理解してもらうべきか」を考え、必要な演出を考えるという作業がどうしても必要になります。この本の場合は「トウコという過去に別れをつげる」ことがクライマックスなのですから「トウコといち過去を引きずっている」という描写がどうしても必要です。演じるほうが理解してるのは分かりますが、それを観客も理解できるようにきちんと工夫してください。

※もしかすると共愛の演劇というのは、参考にする舞台の資料(映像?)というものが残っていて、そこからデッドコピーしているのではないかという仮説を思いつきました。もし違っていたら大変失礼なこととは思いますが、そう仮定すると毎年毎年これほどの完成度でありながらこれほどまでに「独自の物語の解釈」が存在しないことを明快に説明できます(結局今年も「脚本≫演出」であって「演出>脚本」とはなっていない)。以下はその根拠のない仮定が正しいとした上でのお話で関係者の方々にはますます失礼な話になってしまいますが(ごめんなさい)、観ていて上演の目的がうまく演ずることにあるように思えてならないのです。コンクール的にそれは正義なのですが、演劇の本質は「伝える」ことでうまく演じることは「手段」でしかありません。そこを逆転させてしまうと、やはり今回感じたように「よくできている。だけど(何だか分からないけど)何かがつまらない」となってしまうのだと思います。もしそうであるとすれば、演出から役者、裏方のスタッフ1人1人に至るまで、勝つために演じるのではなく、表現するために、伝えるために演じるのだと考えを改める必要があるように感じます。人は形では感動しません。人は心で感動します。形を真似るのではなく自分たちの心を込める作業をどうか忘れないでほしいと思います。もちろん不安はあると思いますが、そうすることでたくさん観客の、その中のたった1人でいいから感動させてみてほしいと個人的に切に願います(それはきっと勝つことよりもとても素晴らしいことです)。以上、仮定の上でのお話で大変失礼いたしました。関東大会、期待しています。

審査員の講評

【担当】光瀬
  • 大変すばらしい舞台装置で、具体性があるわけではないが何か起こることを期待させてくれた。
  • 3人の演技が声、間ともに上手かったが、年代が似通っているだけにみんなが頑張ってしまうと声質が似てしまいよく聞き取れなくなってしまった。
  • サキについて。彼氏が居るわけだから、恋した少女というのをもっと出した方がよいと思う。恋をしていれば、例え彼が居なくてもいつでも彼が居るように楽しそうな感じになると思うのだけど、そういう面があまり出ていなかった。そういう部分を強調して見せていいと思う。
  • トウコについて。カナエを受け入れる器が見えなかった。一緒に騒いでしまうと(カナエと)同じ次元になってしまう。(最終的にトウコはカナエを諭すわけだから)カナエよりも大きな器、例えば(自分の意志ではなく)何者かに動かされているというムードやどこか達観したようなムードを出したらよかったのではないか。過去に、ある宗教家の家に泥棒が入ったという演劇に関わった(?)ことがあるが、そこではその宗教家は神の意志で泥棒を追いかけているということにした。そういう風に、何しからバックがあるとか、異質さを出すとかするとよかったと思う。
  • 個々のシーンで本筋から離れてギャグにいってもちゃんと帰ってきていた。
  • 前半の雑巾を投げ合うシーンでは、本当に本人たちが楽しんで投げ合っているのがよく分かった。本当に起こっているという(何にも勝る、そして演劇として大切な)説得力があって大変良かった。
  • コント的なところで、話したあとに二人で笑うシーンがあるのだけど観客を置いていってしまった感じがする。
  • 窓の外の野球を見るシーン、まさに「いいシーン」なのだけど。こういう「いいシーン」はさらりと流すと観客が勝手に感動してくれるので参考にしてください。
  • サキの彼氏役(の声を)女性が演じていたが、あれは絶対に男じゃないといけない。何をどうしてでも(どんなコネや強引な手を使ってでも)男の子を連れてくるべきだった(編注:一瞬、共愛は女子校だから無理では……と思いましたが、今は共学のようです)。
  • BGMに名曲(ニューシネマ・パラダイス)やサンボマスターを使っていたが、両方というのはちょっと気になった。どっちかでいいのでは。また、ちょっと使って音楽の力を拝借するというよりは、大胆に思い切り使うというのではよかったのではないか。ラストシーンはサンボマスターだけでよかったのでは?(編注:他にもこの演劇に対してニューシネマ・パラダイスの音楽をBGMとして使用した例があるようで、参考にしたのかも知れません)

桐生高校「DisHarmony」

脚本:山本 雅之(生徒創作)
演出:小林 祐佳(兼 主演)

あらすじ

ある日の帰り大谷先生(女)は奇妙な露天商(お婆さん)に呼び止められる。「何か買っていかないか?」と。そして「願いが叶う本」をタダでもらって帰り、その本の開けると悪魔が現れた。悪魔は「誰か一人を殺す」という願いを叶える本なのだと、大谷に説明する。そして「誰かを殺さなければ自分が死ぬ」のだと。大谷は学校の生徒、教職員たち、彼氏に対して少なからず恨みを持っている(ことを回想する)。

でも誰かを殺すなんて選べない。「さあさあ、恨みがあるんなら誰を」とゆさぶりをかけられると、最後に悪魔を指名するのだけど……。

主観的感想

【脚本について】

悪魔のささやきと、日頃の恨みというありがちの構成です。ありがちということは無難ということで、それ自体問題はありません。ですが、いちいち回想するたびに暗転するので少々テンポが悪いことと、出てくる登場人物が「全部が全部ステレオタイプ」(いかにもありがちなキャラ立てで現実には到底いそうもない感じの人物像)なので、どうにも笑い出したくなってしまいます。

ステレオタイプな人物を使うなとはいいませんが、大谷以外全員ステレオタイプにされてしまうと、感情移入しずらいと言いますか、話全体が陳腐に映ると言いますか、もうちょっと考えようね……と感じてしまいます。周り中から追いつめられた境遇を出すという(シナリオ構成上の)方向性は全く間違っていませんが(むしろそう構成したことは十分に評価出来ますが)、そのための手段をかなり安易に選びすぎたかなと感じました。(参考:創作脚本を書かれる方へ

【脚本以外】

シナリオ上の(要請する)人物がステレオタイプなのでもちろん演じる方もそうするわけですが、実際にはそのステレオタイプを演じきるほどの演技力もないために、観ていて苦笑いしかできないという状況でした。もし相当の演技力と迫力をもってして演じきれば、それはそれですごいものになったとは思いますが……。

3幕や5幕で内幕を引いてその裏で舞台の転換を行っているのですが、その作業音が「ガラガラ」「ゴロゴロ」(幕の前で劇が進行中に関わらず)聞こえきます。これはひど過ぎます。最初のシーンで大谷先生がバッグをもっているのですが(おそらく帰宅途中)、その中身が空であるように見えます。つまり帰宅途中らしさがありません。また大谷先生が「~だわ」「~わよ」「~わ」を多用するのも不自然です。

【全体的に】

あまり深く考えることなく、こういうときはこう、ああいうときはああ、と先入観だけで劇やシナリオを組み立ててしまったという印象を受けました。もっとよく調べて、考えて、他の(うまい)演劇を参考にして、という作業をすると改善されるのではないかと感じます。そういう意味で総じて勉強不足、演技についても努力不足といえるのではないでしょうか。

審査員の講評

【担当】石村
  • 声がアニメの発声のような感じがする(光瀬氏)という意見がありました。距離感がなくて相手との距離が10cmでも5m同じような声の出し方をしていた。
  • 照明の外で演技してはダメです。位置を失敗したら照明の中に移動しないと。
  • 舞台装置があっさりしすぎ。
  • 最初のシーンで黒幕に黒い衣装というのはコントラストとして少し考えた方がいいかと。
  • ストーリーとしては大谷先生が徐々に追いつめられていくというものですが、勢いのようなものがあって真に迫る。
  • 大谷先生が振られた男を恨んでいたが、あんな男だったら別に振られてもいいのではと思った。
  • 最初の老婆と悪魔が(役者は同じ人でしたが)同一人物だとはっきりわかる構成でもよかったのではないか。
  • 最後の方の悪魔が大谷先生にとりつくシーンで暗転してしまうという処理は安易な感じがした。
  • 最初の露天が置いてあるものが庶民的な感じがした。全体の装置や衣装もややチープに感じた。
  • 中幕で舞台を分けたり、サス(サーチスポット?)をあてて独白するというのは安易であるけど、安易いうことは分かりやすいという面もある。
  • ただ、芸術性としては安易すぎると落ちてしまう。
  • 音響が印象に残らなかった。

渋川女子高校「青の壁を越えて」

脚本:町田 愛実(生徒創作)
演出:町田 愛実(兼 主演)

あらすじ

仲良し(?)女子高生3人、由紀は歴史オタ、霞(かすみ)は引きこもりキャラ、望(のぞみ)は活発な感じの子。帰り道、由紀は事故にあいそうになって電柱に頭をぶつける。そしてそのまま、西ドイツの諜報部員(?)のペコが憑依(?)してしまった。そんな3人の巻き起こすおかしな学園生活。その中で、ペコはマリアを探すのだけど……。

主観的感想

【脚本について】

ライトな学園コメディです。霞という引きこもりキャラが、日本引きこもり協会(NHK)ならぬ世界引きこもり協会の教祖という位置づけのギャグキャラなのですが、これがまたとてもいい味を出しています。笑いの半分以上はこの霞という登場人物の力ではないかというほど、見事な笑いを導いてくれます。そして、時代錯誤なためほふく前進をするようなペコ(でも見た目は女子高生)、その二人に振り回される望というのが基本の構図です。

この3名の人物配置が実にうまい。コメディに走ったときによくある失敗は全員ギャグキャラにしてしまうために基準が分からなくなり(おかしいことがその舞台の中での普通になってしまい)、全く笑えなくなってしまうことです(実際過去の県大会で見られました)。望という普通な人物を一人置くことによって、霞やペコの異質感がより際だち笑いに結びつけていたと思います。

それに比べてストーリー構成の方は問題があります。まず戦中ドイツのペリという人物を持ってきたことに作品ムードとの大きなギャップがあり、それは良いとしても処理の仕方がまずい。コメディに「コメディだけだと話にならないので無理矢理お話をくっつけました」という印象以上の何かを受け取るのは現状では難しいと思います。なぜなら、ペリの思いを描くなどの処理がなくドラマが上辺だけで進行するからです。

もしパンフレットに書かれた「越えられない壁なんてあろうか」というものを比喩的テーマとして解釈するならば、壁を越えられないということをもっと強烈に印象づけなければなりませんし、メイン3人の中に比喩的な壁(越えられないもの)を設定する必要もあるかと思います。その辺、明らかに考察不足です。(参考:創作脚本を書かれる方へ

【脚本以外】

メインの舞台設定がおそらく廊下だと思われるのですが、3枚のパネルがあり左右が「ハ」の字に曲げてあって、中央が窓、それぞれのバネルの間には空間があります。はっきり言って廊下とは飲み込めませんでした。中央のパネルは教室のドアにもみえましたし、ハの字に曲がっていることからも廊下とは捉えられませんでした。またパネルも(6尺なので)やや低いように感じました。空間も出入り口に見えたのですが、途中暗転して退かすための空間省略の意味合いだったようです。もう少しどうにかしてほしかったところです。

演技ですが、最初のほうは緊張していたのか、体が暖まっていなかったのか若干聞き取りづらい台詞があったのですが、時間が経つにす声も通ってきて、また3人の人物もよく味が出てて楽しめました。特に教祖様キャラ(霞)がよい味を出していて、面白かったです。細かいことですが、霞が途中で「さっきの謎かけの答え」といういうのですが、これは「昨日の謎かけの答え」の誤りだと思います。劇進行上は「さっき」でも劇中では「昨日」ですから。この手のミスは以外に見落としがちなようで、毎年1校ぐらい見かけます。

【全体的に】

もっと間をうまく使えばもっと笑えたかな、という感じはするもののこれで十分とも思います。そういう意味で(今年一番)笑わせて頂いた劇でした。ですが、心理ドラマとしてはやはり演出面・演技面からも不足していて、結果「あー面白かったね、教祖様」の一言で片づいてしまうのは少々残念です。ドラマをみせるとこと、構成することをもう少し考えてみると、もっと良くなると思います。

審査員の講評

【担当】原澤
  • (タイトルの)青の壁の壁というのはベルリンの壁でいいのかな?
  • 幕が開いたとき地味な舞台だなと思ったが実際にはそうでもなかった。
  • 渋女ってこんな学校だったけなと思わせるほど、引きこもりキャラは強烈でした。カスミはどこかで会ってたんじゃないかなと思うぐらいに。
  • 人物の作り分け、台詞のやりとりはよく出来ていた。
  • 登場人物の掛け合いはよかったが、中後半までそれで引っ張り切れたかと言われれば疑問が残る。
  • 全体として憑依の話でどう決着するのかと思いましたが、ラストはよく分からなかった。よくわからないことが狙いだとすれば、どっち付かず。(編注:おそらく最初のシーン=ベルリンからペリの心が時空を越えて現代に来て、また再び戻っていったというラストだと思います。「想いは時代も壁も越えたのだ」というテーマではないかと思います)
  • 台本には勢いがあるが、舞台はもやもやとして終わってしまった。
  • ペコと彼女(マリア)の間の関係がよく伝わってこなかった。
  • 渋女の生徒って面白いなという感じで、どうせならもっと徹底的にやってほしかったかなと感じた。