新田暁高校「靴下スケート」

  • 作:中村 勉(既成)
  • 演出:半田 実

あらすじ・概要

部屋いっぱいのゴミ袋。それは中学生、加奈子の部屋だった。そこへやってくる大学生の家庭教師、優子。

感想

開幕……のベルが鳴ってから2分開幕しない! 何かトラブってるのかとソワソワしました(苦笑)

幕が上がり、薄汚れた白壁(風のパネル)で囲まれた部屋に、いっぱいの黒いゴミ袋。200個ぐらいあったのかな。小道具もこの中に一緒に隠されているので(ゴミとして)、これ用意と配置相当に大変だったろうなうと。

中村勉さんの台本*1ということで、これまた難しい内容でしたが、すごく丁寧に演じられていたと思います。間を慎重に使い、二人の掛け合いをとても重視して、リアクションにもかなり気を使っていました。良かったと思います。

気になったのは「黒いゴミ袋」。よく探してきたなというのもありますが、今時黒いゴミ袋でゴミを出せる自治体があるとは思えない。膨らみ方もほとんど一緒。そして中に入っているものが「軽くてカサのあるものなんだろうな」ってのが見えちゃった。つまり嘘が見えてしまった。

ゴミに埋もれてた椅子と机が、新品同様に綺麗だったことも不思議でした。壁が薄汚れてる部屋にある椅子と机としては不自然。ちょっともったい無いけど汚して欲しかったかな。そして劇中でさんざんゴミと戯れた後の、最後のシーンで「汚れるから」と作業着に着替えるシーン。これも説得力がないですね……。

細かいところだと、BGMが少しうるさく感じられた部分があったのと、大学生の優子はもう少しだけ落ち着きがあると雰囲気が出て良かったかなと思いました。


かなり丁寧に作られていたし、ラストシーンでゴミ投げ合うところとか序盤との対比になっていてよかったと思います。でも、見ていてどこか物足りない。それはなんなんだろうと考えると、二人の距離感に変化が感じられなかったからだと思います。それは心の距離であるし、分かりやすくは物理的な距離でもあります。

加奈子は「優子が邪魔で邪魔でしょうがなかった」し、優子は「(受け持つ受験生として)面倒くさいハズレを引いてしまった」ぐらいに思っていたはずです。そう考えると、二人は最初からお互いに「相手に対して興味を持ち過ぎ」だったし、「相手の話をちゃんと聞きすぎ」だったと思うのです。

この二人の距離感に対する配慮が足りなかったのではないかと感じました。

難しい台本に挑み、よく研究して上演されていたと思います。上演おつかれさまでした。

高崎商科大学附属高校「ニューカマー」

  • 作:荻野 葵平(生徒創作)
  • 潤色:商大附高演劇部
  • 演出:五十嵐 千華
  • 創作脚本賞

あらすじ・概要

おかまバー「レインボー」を訪れるOL二人。クリスマスの夜、不幸せな人たちに訪れた、ちょっぴり幸せな物語。

台本の感想

基本的に一幕で進行する劇です。とても面白かった。

よく出来てるんですよね。言葉の掛け合いとか、台詞回しとか、よくありがちな失敗がなく、自然な会話の中からストーリーを無理なく説明していきます。そもそも、おかまバーという設定が面白い。途中漫才のシーンとか、この辺も上手いです。演じてる人も上手いのですが、台本の時点でちゃんと面白く掛け合いや笑いが作られているというのは相当なことです。

かなり完成度も高いと思います。

感想

十分な高さの(8尺程度)のパネルで囲まれたバー。赤レンガ風に塗ってあり、下手に出入り口、中央にバーカウンター、上手にステージが置かれています。最初のBGMを含めムードがとてもよく、入り口を開けると奥にバーの電飾看板が見えるのもにくい演出です。美品やコート掛け、酒瓶など、抜かりがありません。

主役であるバーのトシちゃん。おかま演技なんだけども、実際にこういう人「居そうだな」と感じさせます*1。リアクションがだいたいちゃんと出来ていて、台詞の掛け合いもリアリティがあります。間の使い方がとても上手いんですよね。特にギャグシーンや漫才シーンでは間の使い方が際立っていました。いい演出です。

気になった点。

  • クリスマスなのに、お客さんがほとんど居ない。
  • クリスマスなのに、店内装飾にクリスマス色がない。
  • ステージがあるほどの広さなのに、お客さんがほとんど居ない。
  • ステージに何人も芸人が出て来るのに、お客さんがほとんど居ない。*2
  • トランプマジックで使った巨大トランプは、客席から見やすいように「A」とか「2」とか小さめの数字にしたほうが良い。
  • お菓子を出すシーンで、実際にお皿にお菓子を乗せていたのはとても良かったのですが、袋ごと乗っていたのは気になりました。普通は開封して白い紙の上に並べたりします。

バーのステージの使い方なのですが、配置の都合上、舞台上手に置くのまでは分かります。でも、客席の方を向いて演じるシーンと、舞台下手(バーの中心)を向いて演じるシーンが両方あるので疑問に感じました。このステージの正面はどっちの設定なんですか? 歌のシーンで、置いてあったスピーカーを使ったのかその場から音が聞こえる演出はとても良かったのですが、唯一そのシーンて下手を向いていて正面の設定が分からなくなりました。どちらかに統一したほうが良いと思います。

全体的に、非常によく演出されていて、どのシーンでも客席がどう受け取るかよく考えられており、そして相当念入りに練習されています。それでいながら、やりたいことをやりきった感があり、見ていてずっとワクワクしていました。面白かったし、演技・演出面からも入賞すると思ってました。サクライの使い方とか面白すぎるでしょ(笑)

装置を見るだけで引き込まれる完成度の高さと、細かい部分まで配慮された演出。それでいて入選しなかった理由を考えると難しいですね。講評で指摘があった人間ドラマの不足、最後のしんみり感の不足は、しいて言えば台本の問題であって、それを舞台評価に含めるのは違うような気がします。

構成の選択肢として、ステージの登場人物を減らして、その分を恋愛模様・恋模様に振るという手はたしかにあります。お客より、ステージ演者が何倍も多いという問題も解決できるでしょうし、登場人物の背景を描き出すこともできると思います。バーのマスターやサエコの背景をより描く選択肢はあったでしょう。でもそれ、好みの問題だと思うのですよね。ギャグに振り切った舞台もありだと思うし、純粋に観客を楽しませるという行為も、もっと評価されるべきだと思います。*3

とても笑わせて頂きました。上演おつかれさまでした。

*1 : 行ったことあるわけではないので分からないけども

*2 : どう考えてもお店が赤字になってしまう。

*3 : ただし、その場合は、もっともっと覚悟を持ってギャグに振り切ることは必要だったかもしれません。

新島学園高校「ハニーはどこへ行った」

  • 作:大嶋 昭彦(顧問創作)
  • 演出:三ヶ尻 怜司

あらすじ・概要

謎の穴掘りバイトをしていた男2名。穴からハニワが出てきた。そして時代は遡り、古墳時代と思しき時代へ……。

感想

上手に4段の階段状の段差(低め)、下手奥にちょっとした高さの台という例年の新島よりはシンプルな舞台装置。そして台本も、古墳時代と現代で、勾玉をキーにした男女の縁と、それぞれの時代のうねり。例年の現代劇(人情もの)とは違う雰囲気でした。台本のツッコミどころとか挙げてもいいのですが、それよりも踊ってみたり、ほどほどに緩かったりと、楽しんで演じてるように感じられました。

気になった点。

  • 妙にリアルな車とか電車のSEに、とても唐突感がある。説明的なSEを流さなくても時制(現代)を説明する方法はいくらでもあるし、そもそも時制を説明する必要すらないと思う。
  • 最後のSEが講評によると戦闘機の音とのことで、これから戦争とか起こるという比喩だと思われるけども、普通に聞いてるとただの飛行機やジェット機の音で何のことか分からない。
  • ご当地アイドルの格好が制服に3色のチョッキというシンプルそのもので、もう少しそれっぽいものを用意してほしかった。

一番印象に残っているのは「ハニワのダンス」です。あのBGMが耳に残ってしょうがない(苦笑)

全体的に台本の構成に無理があると思うのですが、それを無理やり解決しようとして台詞が多い。台詞が多いので時間が足りない。時間が足りないので、みんな早口。発声がしっかりしているので、ちゃんと聞き取れるのですが、古墳時代設定では言い回しが難しいので理解がワンテンポ遅れる。ワンテンポ遅れるので話についていくのが精一杯になってしまう。

加えて、演技も(時間的余裕がないのか)型になっているものが多い。リアクションもあまりできていない。

古墳時代のシーンはいくらでも削れるシーンがあったので10分ぐらい削ってしまうか、そもそも現代のシーンはまるごと削ってしまって、その分余裕を持って演出すれば、ぜんぜん印象が違ったのではないかと思いました。

がんばって演じていたし、よく作り込んでいたと思うのですが、ちょっと時間が足りなかったかな。上演おつかれさまでした。

県立前橋高校「ON AIR」

  • 作:古澤 春一(既成)→台本はこちら
  • 翻案:群馬県立前橋高等学校演劇部
  • 演出:加藤 奏汰
  • 最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

あおぞら高校文化祭にて放送される校内放送「あおぞらラジオ」。しかしその放送にはとある秘密があった。

感想

舞台上にはラジオの放送卓と、卓上の小型ミキサーやペットボトル(水)などが置かれ、ひと目で放送ブースとわかります。その中で進行する一人芝居になります。台本とは高校名とか主人公の名前とか変えて、ラジオドラマやはがきなどかなり脚色されているようです。

この役者さんが発声がよくFMラジオチックな魅力のある男の一人喋りを聞かせてくれます。聞いているだけでも心地よい不思議な時間が流れます。途中のラジオドラマシーンなどでは3人分の登場人物を即座に演じ分け、それでまた違和感なく進行します。とても素晴らしいです。

迷いがなく滞りもなく、立板に流れに水のごとく流暢に喋りと舞台が進行し、この演劇はどこに行くんだろう?と思わせてくれます。途中のラジオドラマでは完全に笑いを取り、観客の心を掴みます。さすがの最優秀賞です……と終われればよかったのですが(苦笑)


文化祭の生放送ラジオという建前で進行しているため、見ていてものすごい違和感を覚えます。

  1. 放送中にサブブース(放送スタッフ)とやり取りしている様子が全くない。
  2. はがきを、淀みなく流暢に読み続ける。
  3. 進行表(タイムテーブル)を確認している様子も、時計を確認している様子もない。

このうち1番目は問題ありません。実際には一人でやっている録音というオチにつながるので、この違和感は正常です。

しかし問題は2番目、3番目です。実際に10分でもいいので、どんなに準備しても良いので「生放送ラジオ」(無編集本番)というものをやってみると分かるのですが、一度も「えーっと」みたいにならず進行することなど不可能です。それは実際のラジオの生放送(一人喋り)を聞いてみればすぐに分かることですが、次のはがきを探したり、次の進行を一瞬考える「間」だったり、時計や進行表を確認して時間配分をどうするかという「迷い」があります。

はがき等は、字のうまい下手もあり簡単に読めないこともありますし、フォーマットが決まっているわけではないので、ラジオネームを書く場所も人によってバラバラです。裏側にラジオネームを書く人も入れば、表側に書く人もいますし、そもそもラジオネームを書かない人も居ます。このようなラジオネームを探す「間」なんて、実際のラジオを聞いていれば飽きるほど見かけるシーンです。

しかもこれらの「間」はプロが行って、サブに数人のスタッフがいる状態でも起きます。放送部員とはいえ素人がサブのスタッフが居ない状態で行って「間」が発生しないことはあり得ません

つまり「本当に放送している」というリアリティがまるでないのです。これがこの演劇の最大の問題点です。*1

リアリティの欠如は以下の点でも見られます。

  • 卓上で操作してないのに、SEやBGMがタイミング良く鳴っている。*2
  • ラジオドラマの効果音が、ラジオドラマの効果音の付け方ではなく演劇の効果音の付け方になっている。*3

上演を見ているだけで、とても練習されて、いっぱいいっぱい努力されているのはよく分かるんです。それは本当によく分かるのですが「練習して練習して練習して、もう全部、台本の最初から最後まで頭に入った状態で、一度それをすべて忘れてリアクションをする(初めて経験したことだと見せる)」という、演劇の基本要素をクリアできていないことも悲しいながらまた事実です。ラジオ生本番というのもは、完全に練習されて流れるように演じてしまってはいけないのです。

「一言一句すべての台本が用意されたラジオ放送であり、主人公は並々ならぬ情熱でそれをすべて頭に入れた」

という反論が成り立つかどうか。それは、その意見を(多数の)観客が「妥当だ」と判断できるかどうかで考えると良いです。個人的意見としては「そんなものはラジオ放送とは言わないし、それを納得させる説得力は舞台になかった」と思います。

関東大会前に本物の生放送ラジオやラジオドラマをよくよく研究されることを切に願います。


色々述べてしまいましたが、一人舞台という難しいものに挑戦し、それを見事に演じきり、ものすごい量の練習を重ね、滞りのない舞台を完成させたことはすばらしいと思います。ちゃんと笑えたり、観客を楽しませたりする劇を上演するというのは簡単なことではありません。上演おつかれさまでした。

*1 : 今年の審査基準は「舞台上で本当に起こっていると感じられたか」だそうですが、その基準でこの高校を最優秀賞に選んだ審査員の感覚は甚だ疑問です。

*2 : 設定上は存在しないサブのスタッフが仮に居るとしても、きっかけ合わせをしている様子がまるでない

*3 : おそらく、まともにラジオドラマを聞いて研究するということを行っていない。

伊勢崎清明高校「ミュージカルとかもやっていきたい」

  • 作:清明演劇部+原澤 毅一(既成)
  • 演出:高江洲 波江

あらすじ・概要

漫才、ミュージカル(昼ドラ風サスペンス?)、教室シーンを織り交ぜながら進む舞台。この上演はいったいなんなんだろうか……。

感想

中割幕をかなり引いて、舞台中央奥が出入り口になっています。その手前に学校で使う椅子が2脚あり、左右に置かれて制服の生徒が2名居ます。この2名は教室シーンでのみ居なくなります。

話の概要としては、教室シーンが現実で、漫才、ミュージカルシーンは演劇部での練習上演という設定で、それが明かされるのは上演の最後になっています。「部員不足で存続の危機なので、ミュージカルとか漫才とかもやって1年生を入れたい」という真相が明らかになります。

漫才ですが、発声が悪く、たぶん複式呼吸できてないんじゃないかな(特に下手の人)。聞き取りにいから面白さが伝わらない。そもそも漫才って、演劇以上に「間」の扱いが難しいのにそれ全然できてない。一方ミュージカルは、ミュージカルもどきの医者と奥さんの不倫というふざけた設定で面白かったです。あのくだらない演出大好き。……ただ運動靴なんですよね。「違和感の演出」なら衣装着てるのはおかしいし、室内シーン(2回目)でのみ靴を脱いでいるのもおかしいよね。というか漫才だって、オチ考えるとちゃんとした衣装を着なくてよかったんじゃないかな。

台本のリアリティを考えたら演劇部が片手間でやってる漫才もミュージカルも下手でもようそうですが、舞台として成立させることを考えたら完璧なまでに上手い方が面白いと思います。


教室シーンで「文系大学より理系重視の国の政策で文系はピンチ」とか、「演劇部、上手なんだけど話が時代劇って感じで何やってるかよくわからない」とか、「だから今年から古典みたいのじゃなくてもっとウケる奴に変えていく」といった内容の台詞が出てくるのですが、時代劇って去年の上演ことですよね。ここに書かれた危機感って多分実際に感じてるもので、その視点は台本を書いた原澤先生の立場ですよね。生徒の視点じゃないてすよね。

「演劇部ちょっと危機っぽいしー、時代劇とか、昔やってた能とかよくわからないって言われるしー、ここはいっちょ『まんざい』とか『みゅーじかる』とか、みんなが好きそうな事をやってみたらいいんじゃないのかなー」

内容がふざけてる以前にスタンスがふざけてる。タイトルもふざけてる。もう「全力でふざける」。別に「ふざけてる」からダメじゃないですよ。全力でふざけるのも演劇の自由な表現のひとつで、とても面白いと思います。ただ「漫才もミュージカルもふざけてるだけですよ」(ただし真剣に)ってこと、ちゃんと観客に伝わっていましたか? 講評で「漫才の服装」を指摘されてることから考えても、多分全く伝わってなかったんじゃないかと思います。

この上演の問題は、そういう劇であるということを「去年の伊勢崎清明の作品や、更に言えば以前に原澤先生が顧問として関わった上演を知らないと理解できない」というところにあるのです。つまり、本作品は内輪ネタです。内輪ネタを、観ている大半が事情も知らないコンクールの舞台でやったのです。みなさんはそのことを理解しているのでしょうか。


とはいえ完成度は高いし、観ていて面白いし、ミュージカルというネタはバカバカしくて笑ったし、教室などシリアスシーンは引き込んでいくし、さすがでした。上演おつかれさまでした。