桐生第一高校「タマキハル」

作:秋野トンボ・山吹 緑(顧問創作)
演出:坂本 美優

あらすじ・概要

いじめに合っていたミホは飛び降りようとした瞬間にタイムスリップ。猫のタマを案内役に戦時中のひいおじいちゃんの姿、昭和初期に戻り命を見つめ直す。

感想

良くも悪くも桐生第一劇団という感じで、県内ではめずらしく大人数の演劇部。舞台には左手に黒板があり、右手にロッカーがあり、奥に1mぐらいの段があり、場面転換して途中で横幅3mぐらいの長い木製の階段を付けたりしました。最初のシーンでは机を中央に12個も並べ、次々と登校する生徒達が教室でガヤガヤしているシーンは非常に臨場感があり、こういう作り込みは本当に凝っています。ロッカーも場面転換でひっくり返すと壁になったりと、大がかりな装置含めて本当に凝って作っています。でもその一方で、時代が現代なのに机が完全に木製だったり(金属製の骨組みではなく骨組みまでパイプではない)、何のためにあるのかよくわからない段差とその階段など、演出的考慮の穴は相変わらず。

自殺を思いとどまるため戦中などのシーンを回想して戦中やら戦後間もない必死に生きた時代を描きたいというコンセプトは分かるのですが、それぞれのシーンに厚みがないため、よくある安っぽい自己啓発ドラマ(アニメ)になってしまっています。それを特に工夫無く構成してしてしまった演出も含め問題があります。人の心はあの程度のことでは動かない。人の心を動かすのは人であって、人というのは人物を出してあからさまなエピソードを書けば終わるものではない。登場人物の心を如実に描き出し、観客に共感を生み感情移入をさせてこそドラマは成立します。

例えば、戦中の「徴兵」して列車に乗るシーンだけ見ても誰も感情移入なんてしません。別れる相手との関係性(仲の良さ)や死にたくないとい迷いや本音をたくさんのエピソードを積み重ねて丁寧に描き出してこそやっとその別れに共感出来ます。10分ぐらいそのシーンだけ振り返って「戦争の別れ。ほら悲しい出来事でしょう?」とか言われても誰も共感しません。登場人物に対する共感や感情移入をどうやったら引き起こせるのか。台本作者も演出も、もっとよくよく考えるべきです

比較的発声や演技もよくできている方ではあるのですが、まだまだな面もあります。例えば何組か登場する恋愛関係の二人。二人はほんとに恋していますか? 恋いこがれて相手を本当に大切だと思って、すべてを自分のものにしたいと思うかもしれない欲や大切にしたい優しさや思いやり。そういうものが混ざり合う中での相手と自分の気持ちとのせめぎ合いを演じるときに持てている? 残念ながらあまり恋人同士には見えなかった。街を歩いている高校生のカップルが、会話が聞こえなくてもカップルにみえるのはなぜ? そういうことを少し考えてみてほしい。そういうところまで演じられると演技はより進化すると思います。

全体的に

桐生第一の公演は何度も見ていてもうこれが桐生第一の味なのだろうけども、やっぱり問題だと感じる点はしつこく問題だと言い続けたい。

シーンひとつひとつを構成していく手法や、意味もなく踊ってみたり、そういうのがやりたいんだろうなあーというのは分かるし否定もしない。でも60分これを見た観客個人の感想としては勘弁してれとすら感じる。毎回毎回ものすごく凝っていて、ものすごく努力していて、ものすごく一生懸命作っているのに、その一生懸命の方向性が「私たちはこうだっ!!」でしかない。それもそれで突き抜ければすごいのだけど(今年の前橋南のようにそこまで観客を無視して突き抜けることに極めているわけでもない。かと言って、舞台の上で一方的に観客に話しかけているだけでは観客との会話は成立しません。

もう一度よく考えてみてください。観客と対話して初めて舞台は完成するのです。観客に一方的に話しかけるならビデオやラジオでいいのです。どうかそこを見落とさないでほしい。個々の技術と質と演技力とそういうものが全部備わったとても実力のある演劇部だけに、とにかくその点が惜しくて惜しくてなりません。