県立前橋高校「ON AIR」
- 作:古澤 春一(既成)→台本はこちら
- 翻案:群馬県立前橋高等学校演劇部
- 演出:加藤 奏汰
- 最優秀賞(関東大会へ)
あらすじ・概要
あおぞら高校文化祭にて放送される校内放送「あおぞらラジオ」。しかしその放送にはとある秘密があった。
感想
舞台上にはラジオの放送卓と、卓上の小型ミキサーやペットボトル(水)などが置かれ、ひと目で放送ブースとわかります。その中で進行する一人芝居になります。台本とは高校名とか主人公の名前とか変えて、ラジオドラマやはがきなどかなり脚色されているようです。
この役者さんが発声がよくFMラジオチックな魅力のある男の一人喋りを聞かせてくれます。聞いているだけでも心地よい不思議な時間が流れます。途中のラジオドラマシーンなどでは3人分の登場人物を即座に演じ分け、それでまた違和感なく進行します。とても素晴らしいです。
迷いがなく滞りもなく、立板に流れに水のごとく流暢に喋りと舞台が進行し、この演劇はどこに行くんだろう?と思わせてくれます。途中のラジオドラマでは完全に笑いを取り、観客の心を掴みます。さすがの最優秀賞です……と終われればよかったのですが(苦笑)
文化祭の生放送ラジオという建前で進行しているため、見ていてものすごい違和感を覚えます。
- 放送中にサブブース(放送スタッフ)とやり取りしている様子が全くない。
- はがきを、淀みなく流暢に読み続ける。
- 進行表(タイムテーブル)を確認している様子も、時計を確認している様子もない。
このうち1番目は問題ありません。実際には一人でやっている録音というオチにつながるので、この違和感は正常です。
しかし問題は2番目、3番目です。実際に10分でもいいので、どんなに準備しても良いので「生放送ラジオ」(無編集本番)というものをやってみると分かるのですが、一度も「えーっと」みたいにならず進行することなど不可能です。それは実際のラジオの生放送(一人喋り)を聞いてみればすぐに分かることですが、次のはがきを探したり、次の進行を一瞬考える「間」だったり、時計や進行表を確認して時間配分をどうするかという「迷い」があります。
はがき等は、字のうまい下手もあり簡単に読めないこともありますし、フォーマットが決まっているわけではないので、ラジオネームを書く場所も人によってバラバラです。裏側にラジオネームを書く人も入れば、表側に書く人もいますし、そもそもラジオネームを書かない人も居ます。このようなラジオネームを探す「間」なんて、実際のラジオを聞いていれば飽きるほど見かけるシーンです。
しかもこれらの「間」はプロが行って、サブに数人のスタッフがいる状態でも起きます。放送部員とはいえ素人がサブのスタッフが居ない状態で行って「間」が発生しないことはあり得ません。
つまり「本当に放送している」というリアリティがまるでないのです。これがこの演劇の最大の問題点です。*1
リアリティの欠如は以下の点でも見られます。
上演を見ているだけで、とても練習されて、いっぱいいっぱい努力されているのはよく分かるんです。それは本当によく分かるのですが「練習して練習して練習して、もう全部、台本の最初から最後まで頭に入った状態で、一度それをすべて忘れてリアクションをする(初めて経験したことだと見せる)」という、演劇の基本要素をクリアできていないことも悲しいながらまた事実です。ラジオ生本番というのもは、完全に練習されて流れるように演じてしまってはいけないのです。
「一言一句すべての台本が用意されたラジオ放送であり、主人公は並々ならぬ情熱でそれをすべて頭に入れた」
という反論が成り立つかどうか。それは、その意見を(多数の)観客が「妥当だ」と判断できるかどうかで考えると良いです。個人的意見としては「そんなものはラジオ放送とは言わないし、それを納得させる説得力は舞台になかった」と思います。
関東大会前に本物の生放送ラジオやラジオドラマをよくよく研究されることを切に願います。
色々述べてしまいましたが、一人舞台という難しいものに挑戦し、それを見事に演じきり、ものすごい量の練習を重ね、滞りのない舞台を完成させたことはすばらしいと思います。ちゃんと笑えたり、観客を楽しませたりする劇を上演するというのは簡単なことではありません。上演おつかれさまでした。