栃木高校「塩原町長選挙」

脚本:山形南高校映画演劇部
演出:演劇部
※最優秀賞

あらすじと概要

調味料に「塩」しか使わない塩の町、塩原町の町長がなくなった。町長の長男と次男がそれぞれソースとしょうゆに分かれ、町を挙げての町長選挙となるのだけど。

主観的感想

幕開き、装置は何もなし。テーブルが置かれスポットの前で権田原おじいさん(父?)と子供がナレーションし舞台に入るという演劇。どんな感じになるのかとドキドキしたものですが、なんのなんの大変にバカバカしい(褒め言葉)しょうゆとソースの戦いを繰り広げた上で、最後にホロりとさせる熱い演出をしてくれました。お見事です。元全国大会台本ということで、何と言っても本の良さが光ってますね。

田舎でありながら都会に憧れる若者達という、ひと時代昔風なコメディの作りなのですが、そのバカバカしさをきちんと「やりきった」ことが大きかったと思います。やはり、間の使い方とメリハリが非常にうまい(もちろん演技がよい)。絶妙のタイミングでかけあいを回していく様子は見事という他ありません。

途中若干アラがなくもなかったのですが(台詞に詰まったりとか)、おそらく何十回と練習と演出を繰り返しただろうラストシーンの出来は秀逸でした。反面、舞台美術(照明・音響・装置)や総合芸術的視点では今一歩というところでしょう。

細かい点

  • まず最初のシーン、権田原じいさん(お父さん)の子供(次男)がナレーションするシーンの裏で、すでに兄とおじいさんが食事をしているのが気になってしまいました。サスの外(照明の外)は存在しない世界なので照明があたってから動いてほしいです。
  • しょうゆ派、ソース派に分かれていくところで、無理矢理連れて行かれるシーンがあるんですが、連れて行かれる人はもっと未練が出るとよかったかな。
  • 紅白に分けてしょうゆ派、ソース派を分かりやすく表したのは良かった。
  • しょうゆ派、ソース派の旗(のぼり)は両面に字が書いてある方がよかったかな。
  • 部屋とか教室とかのシーンでは、照明の範囲をしぼって狭く見せた方がよかったのでは。
  • 月夜で、元町長の息子二人が「つかれた」「いよいよ明日投票かあ……」というシーンでは、もう少し実感がこもるとよかったかな(他と比べておざなりな感じがした)。
  • ホワイトボードを使い開票するシーンでは、極太ホワイトボードペンを使って見やすくしてほしかった。
  • ラストの権田原じいさんが怒るシーンでは、物を蹴飛ばして人を勢いよくはねのけるぐらいの迫力を出してもよかったかも知れないなと感じました(やりすぎると問題あるかも知れないので実際どうかは要検討ですが)。

審査員の講評

【担当】森脇 清治 さん
  • 美術が全くない舞台でどうなるだろうと思ったが、見事に広い空間を埋め尽くした。
  • 月明かりのシーンはちょっと暗かったと思う。
  • 全体的に面白い面白い芝居だった。
  • 教室のシーンで短い暗転があったけど、トチったように見えるので無くてよかったと思う。
  • アナウンサーはもっと派手でよかったんじゃないかな。
  • お父さんの声がよく出ていてよかった。

筑波大学付属坂戸高校「濃縮還元~彼女はなぜ化粧をするのか~」

脚本:演劇部(生徒創作)
演出:3年生

あらすじと概要

爆弾……かなを中心として、翻弄される人々の様子を多面的に描いた作品です。

主観的感想

筑坂の方々には申し訳ないですが、正直な感想を書きます。去年の劣化コピーだと言わざるを得ません。やっていることは去年と一緒です。メインターム的なキーワードを投げかけながら10~20のシーンを細かく切り取り重ね合わせ、1つの話とするという形です。しかも去年の方がよっぽど面白かった。

講評でも述べられていましたが、「いかにも壮大な裏ストーリーがあって全体が纏まっているかのように装っている断片の固まり」にしか見えません。いやもしかしたら、万が一にきちんと計算されたストーリー構成が一見何の脈絡もない話構成の中に隠れていて、それを紐解くことでテーマが明確に浮かび上がるのかもしれません。かもしれませんが、例え重厚な意味が存在したとしても観客に伝わらない意味は存在しないのと同義です

ストーリーなんてものは、タイトルなんてものはさして重要ではないという姿勢について意を唱えるつもりはありません。ですが、今回のこの作品の作り方、演出の仕方は、大雑把なテーマに対し脈絡の薄いシーンを構成し、演劇技術力(例えば美しい照明処理、場転)を総動員してともすれば技術の無駄遣いを行っています。描き方が潔くないのです。言いたいことがあるなら、こんな遠回しなことをしないではっきり言えばいい(表現すればいいという意味)。言いたいことがないなら、それをまたはっきり表現すればいい。それだけの技術があるのに、釣り針1万本持ってきて湖全体に投げ込むような、安易な舞台の作り方はどうかと思います。

言わんとしていることが分かりにくいと思うので、別の角度から書いてみます。美術的な美しさ、シーン構成(シーンの繋ぎ方)としての面白さ、脈略がないことによる楽しさ、各シーンの持つ風刺的な意味、多重に解釈できる楽しさ、などにとんでもない力の入った演劇だと思います。演劇として面白い要素をたくさんたくさん詰め込んでいます。ただ、それらをつなぎ合わせたときに浮かび出る意味、全体として描写される内容、という面で演出的(話構成的)配慮が非常にいい加減であり、見方によってはそもそも全体としての構成を放棄してると取れる(そうとしか取れない)内容なのです。もちろん放棄すること自体は何ら悪いことはありません。ですが、堂々と放棄するのではなく、あたかも「全体として構成されている」ように装ったことが問題なのです。潔くないのです。

個人的には、演劇技術的には今大会で一番だと思われた(最優秀賞も充分あり得ると思われた)本作品を、入賞すらさせなかった審査員の方々の英断に拍手したいところです。

細かい点

  • 開幕時のSEやBGMがうるさかった。せめてあと3dB下げてほしかった。
  • ドクターの持っているライフルがいかもに偽物(軽そう)だった。
  • かけあいの間が早いため、笑う隙がない。笑うタイミングを自ら殺している。去年はもっと爆笑が起こっていました。
  • 張りの笑いばかりで、ゆるみの笑いが全くなかった。
  • 20分ぐらいで飽きてくる。
  • 話の重要な道具である「地雷」ですが、人を傷つける能力はあっても殺す能力はないのでは?
  • 光の使い方、場面演出などを単独でみれば、今大会イチの出来。

審査員の講評

【担当】オーハシヨースケ さん
  • 一体僕たちをどこに連れて行ってくれるんだろうというハラハラ感があった。
  • 20世紀は劇をパズルのように壊していく時代だった。日常というのは反射的に理解されるもので、劇というのは新鮮に出会いたいためにわざとずらしていくものだと思う(編注:記憶曖昧)。
  • この作品ではパズル壊しに力を入れて、何に新鮮にであってほしかったのか分からなかった。
  • 風の音がよかった。
  • 照明もよかったけど、でも使いすぎたと思う。

共愛学園高校「破稿 銀河鉄道の夜」

脚本:水野 陽子
演出:窪田 有紗(兼 主演)

※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

高3のカナエは、放課後の演劇部部室で一人本読み。そこへやってきたサキがカナエの進路を心配するが、カナエは曖昧な返事を返すばかり。サキが三者面談でいなくなると再び「想稿・銀河鉄道の夜」の台本(以下銀鉄)を読み始める。演劇部には、上演後の台本を破り捨てるという伝統があったが、カナエは2年前に上演したその台本を捨てずにそれをもっていた。そこへ現れる親友のトウコと、そのまま銀鉄の話で盛り上がる。銀鉄におけるジョバンニとカンパネルラのシーンを二人で振り返る。

トウコからカナエへの投げかけにだんだんと考えを変えていくカナエ。「その台本を捨てよう」と。二人で破りそしてトウコはカナエの元を去っていった。そう、カナエは今はもう居ない人物だった。

脚本について

この本は演劇界では結構有名なものみたいです。1996年の全国大会において兵庫県立神戸高等学校が上演した生徒創作台本のようです(高校演劇Selection'98収録)。検索してみると高校演劇においてもよく使われる台本で、たしかにその完成度の高さは唸るものがあります。と思ったら(この本について)こんな話をみかけました。

主観的感想

伊工同じく、県内でもこの2校は演技力の格が違います。声はもとより、「アクション」や「止め」や「間」の使い方が非常にうまく、照明やBGMの処理も的確で、もうそれだけでも唸ってしまいますし、さすがに良い台本を選んできています。

さて、舞台は演劇部の部室なのですが、まず気になったのは電柱(演劇のセットを物置に代わりにしているという設定)が部屋の天井よりも高いはどうだろうと思ったのですが、講評によると「どこかファンタジーを感じさせる舞台(意訳)」ということでしたので、これで良いみたいです。

スポットで2回ほど微妙に位置がずれていまして(破いた原稿を足で動かそうとしてたので不思議だったのですが、後でライトをあてる位置に動かそうとしたみたいです)、もったいないといえばそうなのですが、位置のことを気にしすぎて演技が小さくならなかった証拠と好意的に解釈しました。昨年度ラストシーンのバナナでの打ち合いでは、まさに(演じてる)当人たちが楽しむという基本がなかったのですが、今回はカナエとトウコが雑巾を投げあうシーンなど、形で演じるのではなく楽しむということが抑えられていて非常に良かったです。

あとは、トウコがカナエの元を去るシーンで効果的にBGMを使っているのですが、もう少しだけ小さくしないと台詞が聞こえません。

【全体的に】

共愛というと(一昨年、昨年と)台本選びのセンスが良く完成度も高いが、一方で狙いが微妙にずれているというイメージがあってあまり期待はしていなかったのですが、今年はそのイメージを崩されました。見終えた瞬間「最優秀賞だな」と確信しましたし、結果発表のときに喜んでいる姿を見ては「聞くまでもなく最優秀賞」とすら感じました。誰が審査しても文句なく、今年の最優秀賞だと思います。

昨年度と比べても驚くべき成長ぶりで、一昨年、昨年と苦言を呈され続けたダンスシーンは今年は潔くあきらめてましたし、演出や演技という意味においても、より一歩も二歩も掘り下げてきていたように感じました。ですが、その一方で「ではこれで関東大会を勝てるか?」と訊かれたら(関東大会の他校の実力は分からないものの)難しいのではないかと感じます。「間違えなく面白かった。しかし何か物足りない」というのが愚直な感想です。

結局のところカナエが銀鉄(のシナリオ)に執着する想い、進路に対して迷いをもっているという想いが、あまり描かれていないのだと思います。シナリオの構成を汲み取る限り、抑圧、悩みといったカナエの後ろめたさ、何かを引きずっているという描写を重ねてこそ、最後の開放に力や意味が生まれるのに、その辺がおざなりになったためにラストシーンがいまいちパッとしないと言えるのではないでしょうか(もちろん引きずっているのはトウコのことですが)。

昨年度も似たようなことを書いたように思いますが、まずラストに魅せたいものは何であるかを考えて、そこから逆算して「そのためには事前に観客に何を伝えるべきか、理解してもらうべきか」を考え、必要な演出を考えるという作業がどうしても必要になります。この本の場合は「トウコという過去に別れをつげる」ことがクライマックスなのですから「トウコといち過去を引きずっている」という描写がどうしても必要です。演じるほうが理解してるのは分かりますが、それを観客も理解できるようにきちんと工夫してください。

※もしかすると共愛の演劇というのは、参考にする舞台の資料(映像?)というものが残っていて、そこからデッドコピーしているのではないかという仮説を思いつきました。もし違っていたら大変失礼なこととは思いますが、そう仮定すると毎年毎年これほどの完成度でありながらこれほどまでに「独自の物語の解釈」が存在しないことを明快に説明できます(結局今年も「脚本≫演出」であって「演出>脚本」とはなっていない)。以下はその根拠のない仮定が正しいとした上でのお話で関係者の方々にはますます失礼な話になってしまいますが(ごめんなさい)、観ていて上演の目的がうまく演ずることにあるように思えてならないのです。コンクール的にそれは正義なのですが、演劇の本質は「伝える」ことでうまく演じることは「手段」でしかありません。そこを逆転させてしまうと、やはり今回感じたように「よくできている。だけど(何だか分からないけど)何かがつまらない」となってしまうのだと思います。もしそうであるとすれば、演出から役者、裏方のスタッフ1人1人に至るまで、勝つために演じるのではなく、表現するために、伝えるために演じるのだと考えを改める必要があるように感じます。人は形では感動しません。人は心で感動します。形を真似るのではなく自分たちの心を込める作業をどうか忘れないでほしいと思います。もちろん不安はあると思いますが、そうすることでたくさん観客の、その中のたった1人でいいから感動させてみてほしいと個人的に切に願います(それはきっと勝つことよりもとても素晴らしいことです)。以上、仮定の上でのお話で大変失礼いたしました。関東大会、期待しています。

審査員の講評

【担当】光瀬
  • 大変すばらしい舞台装置で、具体性があるわけではないが何か起こることを期待させてくれた。
  • 3人の演技が声、間ともに上手かったが、年代が似通っているだけにみんなが頑張ってしまうと声質が似てしまいよく聞き取れなくなってしまった。
  • サキについて。彼氏が居るわけだから、恋した少女というのをもっと出した方がよいと思う。恋をしていれば、例え彼が居なくてもいつでも彼が居るように楽しそうな感じになると思うのだけど、そういう面があまり出ていなかった。そういう部分を強調して見せていいと思う。
  • トウコについて。カナエを受け入れる器が見えなかった。一緒に騒いでしまうと(カナエと)同じ次元になってしまう。(最終的にトウコはカナエを諭すわけだから)カナエよりも大きな器、例えば(自分の意志ではなく)何者かに動かされているというムードやどこか達観したようなムードを出したらよかったのではないか。過去に、ある宗教家の家に泥棒が入ったという演劇に関わった(?)ことがあるが、そこではその宗教家は神の意志で泥棒を追いかけているということにした。そういう風に、何しからバックがあるとか、異質さを出すとかするとよかったと思う。
  • 個々のシーンで本筋から離れてギャグにいってもちゃんと帰ってきていた。
  • 前半の雑巾を投げ合うシーンでは、本当に本人たちが楽しんで投げ合っているのがよく分かった。本当に起こっているという(何にも勝る、そして演劇として大切な)説得力があって大変良かった。
  • コント的なところで、話したあとに二人で笑うシーンがあるのだけど観客を置いていってしまった感じがする。
  • 窓の外の野球を見るシーン、まさに「いいシーン」なのだけど。こういう「いいシーン」はさらりと流すと観客が勝手に感動してくれるので参考にしてください。
  • サキの彼氏役(の声を)女性が演じていたが、あれは絶対に男じゃないといけない。何をどうしてでも(どんなコネや強引な手を使ってでも)男の子を連れてくるべきだった(編注:一瞬、共愛は女子校だから無理では……と思いましたが、今は共学のようです)。
  • BGMに名曲(ニューシネマ・パラダイス)やサンボマスターを使っていたが、両方というのはちょっと気になった。どっちかでいいのでは。また、ちょっと使って音楽の力を拝借するというよりは、大胆に思い切り使うというのではよかったのではないか。ラストシーンはサンボマスターだけでよかったのでは?(編注:他にもこの演劇に対してニューシネマ・パラダイスの音楽をBGMとして使用した例があるようで、参考にしたのかも知れません)

伊勢崎工業高校「酔・待・草」

脚本:竹内 銃一郎(脚本家/演出家)
演出:多賀田 香苗

※最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ

公園で見つかった死体(?)。第一発見者は、自転車に乗っていたカオル先生(体育着)。 翌日、二人の刑事ブッチとサンダンスは、 公園の木の前で横になって動かない(黄色いスカートを履いた)女性の周りに、 ロープを張った。しかし検死はやってこず、他の刑事も居ない。 二人はまず、再開を祝して一杯飲んだ。

そこへ現れる昨日の目撃者や発見者のカオル先生。 長い間会っていなかった妹が行方不明という男。 一体犯人は誰なのか、どこに居るのか?  おそらくその妹だと言いながら、顔を確認しようとしない兄、 死んでいるかどうかも確認しない刑事。 本当に彼女は死んでいるのか?  他愛のない会話、決して誰一人真剣ではない犯人推測、 そんなやりとりが繰り返されていく中……。

【結末を完全に理解できなかったため、ネタバレ解説はありません】

主観的感想

さすが、見事としか言いようがない。

劇としての完成度がまるで違う。 登場人物それぞれの個性がきちんと立っていて、 他校ではなかなか出来ていない 「話の進行役以外の人物がその個性に基づいての行動」がきちんとできている。 確かな演劇的リアルがありました。 話のスポットへの視線の向けかた、手振り、動き、その他もすごすぎる。 特にカオル先生という人物の演技が(声がいいのもあり)とても上手く、際立っていた。

問題点としては、台詞が若干聞き取りにくかったこと (刑事役が二人居るのですが、帽子被っていなかった方)でしょうか。 あと天井スポットを多用していたのですが、 立ち位置が光源より手前(客席側)だったために、表情が見えない。 公園という設定で、電話機が置かれているのですが、 舞台側を向いているため何だか分かりにくく、 折角、電話をかける演技をつけているのに、よく見えない。 手前やナナメに向けて、受話器を耳元に付けるときに客席の方を向く ということで済ませられなかったのか……と感じました。

若干オチが分かりにくく、元々60分用の台本でないのか終始早口でしたが、 しかし劇の完成度は段違いに高かった。 (去年の程笑いの印象は強くないけど)面白かった。

審査員の講評

【原】
  • 黄昏時なのだろうけど、半分以上の場面で前明かりがなくて、 (表情がよかっただけに)顔が見られなかったのが残念。
  • 黄昏時の光量をずっと続けなくても(審査の時に話にたたのだけど)、 例えば、黄昏時ということをお客に了解してもらってから少しずつ光量を増やすという 方法もあるそうなので検討しみてはどうか。
  • 刑事というとスーツでピシっとしたイメージに行きがちだが、 ダサダサの格好をしているところが良い味を出していた。
  • ラストの崩れる(?)バリバリという音を、 ステレオで迫力を出して聴かせてほしかった。
  • 役者の演技がすばらしかった。
  • 台本を尊重して(削らなかったのだろうが)、 早口で少々聞き取れなかったシーンもあり、多少台詞を整理してもよいと感じた。
【中】
  • 衣装なども決まっていて美しい。死んでいる人は(格好から)はじめ白雪姫なのかな、と感じた。
  • カオリ先生の自転車の乗り方が、感じが出ててよかった。
  • 刑事役の一人の滑舌に多少不安を覚えた。
  • 最後のシーンで木が崩れていったのならば、 (緞帳をおろさず)きちんと最後まで観たかった。
【掘】
  • 20年ぐらいに(この台本を)読んで、そんなに面白いとは感じなかったけど、 今回舞台で観てみて「こんなに面白いものだったのか」と思った。
  • 役者のキャラクター、個性が非常によく出ていて面白かった。
  • 目線の方向や表情などがきっちり決まっていて、すごかった。
  • 最初のカオル先生の台詞でなっていたBGMの音量が多少大きく感じたし、 2曲目に入った。かけるにしてもせめて1曲にしてほしい。
  • 途中、音が(舞台ではなく)横から聞こえてきてしまい、もっと研究してほしいと感じた。
  • 木の周りに花が咲いていたが、もっと多くてよいと感じた。
  • ラストの夕焼けで顔(表情)が見えないのが残念だった。スポットなりしてほしい。
  • 明かりの処理については課題が多く、例えは夕焼けでは上手と下手で差を付けるなどして 夕焼けの方向というものを作り出してほしい。
  • テンポは良いが、やはり最初はゆっくり入り、最後もゆっくり落とす方が良いのではないか。 そのためには(台本の)若干のカットが必要になってくると思う。
  • 汗芝居になっていて、久しぶりに小劇場を観た気がした。

安中高校「カレー屋の女」

作:佃 典彦
潤色:原沢 毅一(顧問)
演出:西川 由美

※最優秀賞(関東大会へ)

主観的感想

脚本はよく知られているようです。なぜか女性しか居ない離島に迷い込んだ、森本という男の話を描いた作品。 良い意味で高校演劇っぽくなく劇団の劇みたいでした。 まず登場人物が大人であって、高校生が演じているため若干の無理はあるものの、それでも迫力は十分。 こう、力強さのようなものが感じられました。 大人数が舞台の上で動く楽しみもあり、話が展開する横で皆で覗き見するなど印象深い。 イヤなオバさんを、ここまで高校生が演じられるものなのかとも感じました。

ただ、全体に完成度が高めだったせいか、逆に細かい点が気になりました。 死体を埋めるシーンで、シャベルで土を盛る動作がよく出来ていたのに対し、 バケツで土をかぶせる動きが軽そうであったり、 埋めかた、コップで台所の蛇口から水を注ぐ動き、カレーをよそり食べる仕草などが 適当であったりといった感じです。 また、若干森本の演技が弱かったように思われます。 あの状況に対して、やや冷静すぎ、楽観的すぎに思いました。 最終的にも、その主人公の心理が見えなかったためにオチの解釈が難しい。 この本(脚本)は人によって「汚いものと毛嫌い」しかねないものですが、 演劇らしいとも言えます。 とにかく圧倒されました。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 大人向けの台本であって、なぜ高校演劇にこの本を選んだのかは若干疑問が残る。
  • (オチと関連して)森本という存在が島の人々にとってどんな存在だったのか、 また全体としてどういうお話なのか(オチなのか)がいまいち不透明、説明不足。
  • 島の人々が、どうしてこのような無惨なことをしなければならなかったのか。 なぜそれほどまでに追い込まれてしまったのか。そういう人間心理をもっと描いて欲しかった。