高崎商科大学附属高校「白犬伝 ある成田物語」

作:タカハシナオコ(既成)
演出:緒方香帆里

あらすじ・概要

1970年。ある家庭に拾われた白犬ツル。翌年、家からいなくなったソノコを追うため、ツルは成田へ向かった。成田で出会ったソノコは成田闘争をしていて……。

「高校演劇Selection 2004下」収録作品。

感想

冒頭、犬の鳴き声にあわせて演技することで「この人物が犬だと示す」のはうまかったと思います。「私は犬である」って台詞要らない。その後、犬がソノコに拾われ、家庭でのやりとりが白幕(白いベール)の奥で行われるのですが、これは必要だったのでしょうか。講評では評価されていましたが、単純に見づらくてしょうがなかった気がします。幻想やベール向こう側、ステレオタイプで形骸化された(ソノコの)両親などの演出意図があったとしても、演劇リアリティを多大に犠牲してまで成功してたとは思えない。別のやり方があったんじゃないでしょうか。

さて、ソノコの姉が亡くなり、ソノコは姉とよく似た人を追い成田闘争へと身をまかせ、犬のツルは人間に化けさせてもらいそれを追いかける。裏の白幕が避け、舞台は成田の小屋。裏面の黒幕の切れ間に吊るした板があって、そこに「農地死守」「この必死の農民魂を見よ」などの断幕が貼られています。その割に、照明は舞台全域に当てられていていました。小屋で闘争するという舞台設定を考えると照明を中央のみに絞ることはできたのではないでしょうか。どちらかというと小さい小屋(演劇小屋)向きの台本ですし、そうであるべきだったように感じます。

講評で指摘のあったとおり、裏面がなぜパネルでなく吊しなのかは言われてみれば疑問が残るところです。ラストシーンを考慮したとしてもパネルにして左右に開く手もありましたよね? ラストシーンの裏壁が釣り上がって逆境にジュラルミンの警察隊が浮かび上がる姿はたしかに見事だったので、それをより活かす意味でも再検討してほしいかも。

力を抜いて非常によく演じられていて、人物もきちんと演じ分けられていました。

全体的に

時代背景ものでありながら、ありがちな「時代背景への深入り」をすることもなく、あくまでツルとソノコの物語に収まっていた点は高く評価したいです。これが守られていた時代背景ものは今まで県大会ではなかったと記憶してます。こういう台本って時代背景に囚われ過ぎるという罠があるので難しいのです。ラストシーンも非常に良くシロやソノコの胸を打たれる部分もありました。

その一方で、それでもやはり中盤成田闘争に傾き過ぎたなという部分があります。中盤はもっとシロとソノコ、ソノコの姉によく似たユカリの関係に注意して演じることはできたのではないでしょうか。人物の性格付けはできてた反面、それぞれがそれぞれに対してどう思い、何を感じているのか充分に演じられていたとは言えません。また成田闘争を背景とし「命かけてない人がこの場にいちゃいけない」という割には、闘争に参加している「スズコ」や「ヤスコ」そして「ユカリ」にその気迫や無念さ、もしくはやりたくないけど巻き込まれちゃったなって部分が見えてこなかった。

特にツルはこの複雑な状況における気持ちがもっともっと見えて欲しかった。ツルの、突然出ていったソノコへの想いはどんなものだったんだろうか。ソノコを見つけた時に何を感じたのだろうか。好意? 居場所を持っていることへの羨望? もしくは自分を置いていったことへの怒り? 連れ戻すに連れ戻せない気持ちはどんなものだったんだろうか。元気なギャグキャラに成り下がってたようにも感じられます。そしてソノコは、勢いで来てしまったこの場所に何を感じていたのか、ユカリへはどう想っていたのか。そういうものがもっと見えて欲しかったと思います。

そしてラストシーンの映像投影はやっぱり要らないよね。これはあくまでツルとソノコの物語なんだから。

太田フレックス高校「DOUBLE妄想RUNNING」

作:大渕秀代と太フレ演劇部(顧問・生徒創作)
演出:長谷川 瑛美
※最優秀賞(関東大会へ)
※創作脚本賞

あらすじ・概要

ステージ中央でランニングしている男。電話がかかってきて、どうやら演劇の役を降ろされそうになっているのか。ラジオを聞きながら、妄想しながら進むランニング。

感想

ランニング中の妄想という設定がまずすごい。そして舞台中央でのサスの中でランニングし、過ぎゆく車や信号、すれ違う人などの対象物を動かすことで移動していることを表現する。そして1時間ほとんどひたすらに走る。妄想やラジオが少しずつ男の悩みという主題を浮き上がらせていく構成も面白い。説明しすぎないことにとても配慮がされていて、それでいながら主題を忘れてない。4年連続創作脚本賞ですが、大渕先生、3年前とは見違えるほどうまくなったなあ。あれから相当努力されたんだろうと思います。

さてシナリオ褒めたのですが、ひたすら走るという無理難題をきちんと演出し演劇として成り立たせたことも同じぐらいすごい。妄想とのチェンジでポンチョみたいな布をかぶった集団が出てくるのですが、これが非常に効果的でした。上手い処理。ただ、ランニング中であることを説明するために永遠と走ってる音をスピーカーから流すのはどうなんでしょう。個人的には煩くて気になりました。特に最初はミスかとも思いましたし。

細かいことですが、サスだけだと顔が暗くなったりすのでちゃんと横から光(SS)を当ててる配慮もさすがだなあと思いました。(違う目的での光だったら恥ずかしけど(汗))

演技は過不足無く、良く演じられていました。この上演に合った演技だったと思います。1つ挙げれば、演劇部女子が出てきた妄想シーンでの、互いの言葉の投げかけが「きちんと考えて次の言葉を出している」ように演じられていました。特に女子の方。うまかった。

全体的に

もう着想と、それを舞台化した見事な演出力の時点で勝利と言ってよいでしょう。納得の最優秀賞・創作脚本賞です。

しかし1つ問題を挙げるとすれば、男の悩みが多すぎて結局どれだったのか絞りきれてなかったと感じました。主題に対してあまり触れずほんわかと浮かび上がらせる構成ですから、その主題たる悩みが多すぎるとどれに着目していいのか観客としては悩みます。1つに絞れとは言いませんが、「部活の役」がメインであることを分からせる演出、その他の悩みを部活の役の件に結び付ける演出がされたらより印象的な舞台になったと感じました。今のままだと、ラストシーンになるまで主題の代表格が「部活のこと」って分からない(伝わってこない)のですよね……。つまりラストシーンの印象が弱い。

桐生第一高校「赤いろうそくと人魚」

原作:小川未明
脚色:壌 晴彦
演出:桑原 真未

あらすじ・概要

人魚の子供をさずかったろうそく売りの老夫婦。可愛い娘にそだった人魚がろうそくに絵を描き、それが評判となったのだけども、ある日その人魚を南蛮の人間に売り渡してしまい……。

感想

幕が開いて木組で舞台全体に組まれた足場や段差。奥をぽっかりと空け海、そして波を表現。山や月夜も表して桐一らしいきれいな装置作り。本作は地区公演で以前みているのですが(もちろん当時の人たちは現桐一には居ない)良くも悪くも劇団桐一そのままでした。見た感想も去年と似てるかもしれない

舞台美術は本当によく凝ってるんだけど、それだけって印象が……。突っ込みどころがありすぎるので箇条書きで。

  • 踊る必然性がない。よしんばミュージカルしたいのだとしても、踊りも未熟でミュージカルもどきにすらなっていない。
  • ミュージカル的演出のところで、スピーカーから歌を流した意味がわからない。録音なのにさして上手くない。ミュージカルしたいなら舞台上で存分に歌ってください。せめてそれぐらいしてください。
  • ろうそくが評判になるシーンで村人が押し寄せるシーンをミュージカル風にみせていましたが、その後左右からの照明で止まるシーン。語り部が語り始めるのに、語り部に光が当たっていない。しかも村人も和服、語り部も和服で混ざって語り部がどこに居るかすら分からない。語り部の服装に変化をつけてもいいし、そうでなくとも(スタッフ多いのだから)随時ピンスポという手もあったのでは? 語り部が舞台上を移動する意味がそもそもあったの? 舞台脇でよかったんじゃないの?
  • 南蛮の人買いと老夫婦が会話するシーンを天井からのスポットを上手下手に1つずつ置き見せていたけど、両方とも背中にライトがあたって観客に向いた体前面がすべて影になってるのはいかがなものか。こんなときのための前ライトじゃないの?
  • 黒子が黒子として登場するときに、目の部分を白いボール紙で隠すのは意味がわからない。黒子が目立ってどうする。黒子なら黒子らしく振る舞う。他のシーンでその姿だからと手抜きしない。
  • おじいさんとおばあさんが元気すぎる。特におばあさんは背筋がピンと伸びて、しっかりとした足取りでテンポ良く歩くため全くおばあさんに見えない
  • 人魚を拾って、育って15年ぐらい経っただろうと想像されてるのに、老夫婦が少しも歳を取った様子がない。もし1年ぐらいで育ったという設定なら、そういう表現が必要。
  • 人魚の娘を売ってくれと言われたとき、老夫婦が心変わりし過ぎ。そこを舞台上で表現しないから見てる側は相当な違和感を受ける。観客をそこをみたいのだから。

桐生第一の演劇はいつもそうで、表記はあるのに演出不在。ちなみに今回はおばあさん役が演出のようです。

全体的に

光の処理やミュージカル的演出とかやりたいとこは分からなくはないですが、それが観客まで届かないのでこういう感想になってしまいました。かなりの苦言になってしまいましたが、近くの席にいた高校生の方がよっぽど辛辣なことを言ってましたし、嘘で褒めても意味がないので偽ざる感想として書きました。

でも、比較論に過ぎませんが去年よりはよかったと思います。45分ですが一応最後まで見られた。去年は感じられなかった観客に伝える努力は感じられた(実際に伝わったかどうかはともかく)。去年よりは観客に向き合ったのかもしれない。例年よりは楽しんで演じてたようにも感じられし、語り部は語り部としてちゃんと舞台上に存在していた(もう少し工夫できたとは思うけども)。さらに以前からの比較ならば、台詞はきちんと聞き取れたし、話の流れもきちんと理解出来た。それはたしかに重要な進歩だと思います。

いつも思うのですが、小難しいことしないで素直に現代劇やったらどうなんでしょう。現状だと語り部を使うことで重要なシーンから逃げているように感じます。そこをやらないから舞台を作る上でもっとも大切な演出的や演技の掛け合いがいつまで経っても成長しないし、何年経っても同じところをぐるぐる回っているように感じてしまうのかなあと、個人的な意見を申しておきます。頑張ってるのはよく分かるのですけどね……。

新島学園高校「女将さんのバラード」

原案:安藤里紗(生徒)
作:大嶋昭彦(顧問創作)
※優秀賞(次点校)

あらすじ・概要

卒業式の夜。けいおん部の3人は居酒屋をやっている純子の家に謝恩会後の2次会として集まった。遅れてやってきたエリカは彼氏と別れるという。エリカは女将さん(純子の母)に元旦那(早川)とのなれそめや別れた理由を尋ね始めた。

感想

高さ8尺(6尺ではない)のパネルで囲まれた居酒屋。左手にカウンター中央左にテーブル、中央に入り口、右手にこたつ席。一番右にトイレ。壁にはビールのポスターやらメニューやらがあり、テーブルには箸やら小さいメニューやらが置かれ、ちょうちん、神棚、カレンダー等などすばらしく作り込まれた居酒屋の舞台装置。新島は部屋を作らせたら本当にうまい。

今年も生徒原案、顧問創作という好感の持てる構成。けいおん部とかの設定は生徒でしょうか。いつもながらに非常に完成度の高い台本で、創作脚本賞あげてもいいんじゃないかといつも思うのですが、完成度より着想の方が評価されるためたまにしか脚本賞にならない。

と脱線しましたが、話自体が面白いところに演技がまたすばらしく、とても面白く楽しめました。具体的には台詞に対するリアクションがきちんとできていて、そのリアクション自体に相手に対する気持ちや人物個々の性格がよく表れていました。3人のうち1人が早川を好いてない態度や距離をきちんと演じてたり。全体的によかったのですが、特にうまかったなあと思うのは最後の女将さんと早川(元夫)がぎこちなく会話するシーンで、言葉以上に視線や態度で会話してるんですよね。二人の距離も近すぎず遠すぎずちゃんと意味を持っている。人物距離感と心の距離感もよく考えられていて、静と動をきちんと明確に使い分けている。1行の台詞の中ですらも、トーンの変化、声の強弱、メリハリがきちんとなされていて、ゆるみの演技もきちんとできている。本当に隙がない。

演出面でよかったなと思ったのは女将さんが若い頃を回想するシーンでは声のトーンを変え、早川の髪型や髪の量をも年代を追うに連れ相応に変化させている。見落としがちな細かいところをきちんと配慮することで、大人や時間の流れを的確に表現していて、講評では否定的に言われていたけど若女将と考えれば別段不自然じゃなかったし、むしろとても自然に演じられていたと思います。光の明るさと心情をリンクさせていたところもうまい処理だと感じました。

非常に細かいことですが、缶ビールは底に穴を空けることで中身を空にしておくという処理がされていたため、序盤のシーンでは「空っぽな音」がしてしまったのが残念でした。ラストシーンではそれがなかったので、多分演者も気付いてると思いますが一応指摘。サイダーも空っぽさが少し出てしまったかな。ステージの制約でなければ水入れておいてもよかったように思います(そういう演出を好まないのは知ってますが(苦笑))。

これも細かいことですが、回想シーンでバーのマスターに麻生首相のかぶりものを被せたところはもう出オチで凄まじかったけど、その声を卒業生3人の中で当ててしまうという発想はうまかった。

上演時間が4分ぐらい余っていたので「笑い待ち」してもよかったんじゃないかと。ドッとうけているときに流してしまうと台詞は聞こえなくなってしまうし勿体ない。

全体的に

見事でした。「小難しい劇さえしなければ、新島敵なしか」と思ったものの、この上演で関東いけないのかと結果をきいて恐ろしくも感じました(詳しくは全体感想にて)。

面白かったし、ラストに至る流れも不自然なところはない(ラストを取って付けた感もない)。細部まで演出されていて、何が足りなかったかという逆思考を敢えてするなら、早川と女将さんの関係にエリカが尋ね始めるより前からスポットがあたって、「女将さんと早川の関係」が「エリカとその彼」の関係と対比され、もう少し目立って表現されていればなあというところか。大人と高校生のコントラストとか、近くて遠い存在という距離感とか、純子の父や母に対する気持ちの表現とか。

とはいえ、別に現状の流れでも(個人的には)不満ないんだよなあ。とても面白かった。

桐生南高校「76.9 闘争本部」

宗田理「ぼくらの七日間戦争」より
脚色:伊藤藍(顧問)・桐南演劇部

あらすじ・概要

ぼくらの七日間戦争をモチーフに、学生闘争をベースとした生徒たちの教師や社会への反抗としての闘争の話。ある日、メールで集められた(集まった)5人の生徒達は、川原の廃工場で闘争を決意する。

台本の感想

ぼくらの七日間戦争は映画しか知りませんが、七日間戦争(映画)の面白いところは、学生闘争をモチーフにしながら「僕たちの学校生活」という日常に矮小化して、それでいて「社会である教師達をやっつける」ドタバタにあると思うのです。(映画は)勧善懲悪とはいかないまでも、それに近い作りの作品だと記憶しています。

それに比べると「学生闘争」に随分と偏向した作りになっていて、それでいて学生闘争を掘り下げているわけでもない。かと思うと、物語後半で登場人物達が急に独白で、学校や社会への不満を語り出すという理解に苦しむ作りです(独白の問題についてはこちらを参照)。

ラストシーンから推察される物語の重要要素である「生徒たちの学校への反抗心」「大人との対抗」が全く描き出されておらず、それが災いして生徒たちが何のために廃工場に集まったのかも、どうしてそこに留まるのかも全く分からない。3日間の楽しい想い出も成長も何も描かれていない。そもそも人物像が非常にステレオタイプであり(全員だけど特に加瀬)、個々の人物が立っていない。個々の人物が何を考えているか分からない。伝わってこない。

そして数々の疑問。「あの程度のメールでどうしてみんな集まるの?」「この平成の時代に、闘争とか重たいものにそんな気軽に参加しちゃうの?」「電波ジャックがそんなに簡単にできちゃうの?」「河原の廃工場に簡単に入れるの?」「チャーンメールや公式サイトみたいなすぐ足が付く方法を使っててどうしてすぐに見つからないの?」「ラスト付近でなんで今更退学とか気にするの?」「警察いるのにどうして校長が突入の合図をするの?」等々。1つ1つはちょっとしたことでも、積み重なると完全なご都合主義となり、話のリアリティを欠如させる結果になってます。

そもそもなんで「闘争」に機軸を置いたのかがよく分かりません。もっとライトに矮小化されたセカイ系(ぼくとぼくのまわりがセカイの全てだという形の物語形式。近年流行)で闘争すればよかったんじゃないですか?

顧問の先生には申しわけないけども、台本に重大な欠陥があると言わざる得ません。七日間戦争の下敷きに面白いシーンをつまみ食いして構成したい気持ちは分かりますが、面白いシーンはその他の面白くないと思っているシーンがあるから面白く感じられるだけなのですよ……。

感想

シナリオは別とすれば、完成度は高めだったと思います。廃工場には見えなくもないようなパネル(ちゃんと高さ8尺程度)に窓や鉄の扉。扉のバリケードが安っぽかったり、ゴミ箱やロッカーが置かれている意図が理解しかねたりはしますが、それなりの舞台装置になっていました。

ギャクに絡んだかけあいの間や止めはよく出来ていて笑わせてもらいました。それにしては演じずらい人物像だったのかもしれないけど、そこに役者の解釈や想像がもっと入っていれば台本をカバーできたようにも感じられます。

ただ一部の台詞(岡野とか)が聞き取りにくかったのは問題だったかなあ。あと重要な役割をになっているまことが比較的早口なので何を言っているかよく分からない。ゆっくり強く発声する選択肢もあったのでは?

とてもがんばって演じられていましたが、それにしては台本が……とそれに尽きると思います。台本をすべて書き直すぐらいの心構えで脚色してればまた違ったかもね。